|
貴女は私のカガミ
「随分と汚れているのね」
そう言いながら、雑巾で一生懸命に床を拭いているイアル。
「あちこちに粗相されたからね」
両手を腰にあてて肩を竦めながら、そう返すのはエヴァ。
粗相という言葉を聞いて、イアルがエヴァを見上げる。
「犬でも飼っているの?」
「えぇ。 ちょっと前まで、メスの野良犬をね」
「今はもう居ないの?」
「そうね、犬は居なくなったわ」
そんな会話を交わす二人。
ここはエヴァの隠れ家。
閉鎖された元高級ホテルの一室を使用しているが
先程までの言葉の通り、現在はとても汚れた状態。
部屋中に粗相した者の正体は、部屋を掃除しているイアル本人なのだが
どうやら、エヴァはそれを伝える気はないらしい。
──ただし、確信を突く言葉が向けられると、『嘘は言ってない』の方向で、受け答えはしている。
「もういいわ、イアル。 汚れたからお風呂に入りましょう」
「えぇ。 そうね」
「野良犬じゃないのだから、今度はまともに洗わせてくれるのかしら……」
「……? エヴァ、何か言った?」
「いいえ、何でもないわ」
独り言のようにボソリと言ったエヴァの言葉が耳に届けば、イアルは首を傾げた。
イアルが野獣化していた状態では、まともに身体を洗うことも出来なかった為、まだ汚れや臭いが沢山残っている。
──が…、とりあえず、『人間』に戻ってからは、お風呂から逃げることはなくなったようだ。
バスルームからは、時折、二人の笑い声が聞こえる。
そのくらいにはイアルもエヴァも互いを信頼し、少しずつ仲を深めていた。
***
今日の仕事は雪女郎退治。
エヴァの仕事に、イアルも同行していた。
雪女郎を探し始めて数時間。
雪女郎の姿は未だ見つからず、またその場所の広さに、エヴァがハァと溜息を落とした。
「随分と広いわね……」
「二手に分かれたほうがいいかしら」
「そうね、そうしましょう」
イアルとエヴァは、二手に分かれて雪女郎を探し始める。
「ちょ……」
そう声を漏らしたのはエヴァ。
イアルと離れ、互いの姿が見えなくなった瞬間に、目の前に青白い肌の女が現れた。
まるで、エヴァが一人になるのを待っていたかのように……。
雪女郎と目が合った途端、雪吹が周囲を真っ白に染める。
「イアル!」
後ろを振り向き、その名を呼ぶも、──既に声は届かない。
そして、後ろを振り向こうとしたことが裏目に出た。
エヴァは足を取られ、滑って地面へと座り込む。
「しまっ……!」
雪女郎は、その隙を逃さなかった。
言葉ごと封じ込めてしまうかのように、エヴァの唇に雪女郎の唇が重なる。
雪女郎の口付けは、ただのキスではなく「魂の交換」。
快楽の中で生気を全て吸い取られ、その身体を氷像に変えてしまうというもの……。
パリパリと音を立てて、指先から少しずつエヴァの体が凍りついてゆく。
「エヴァ!」
少し前に呼んだ声が、届いていたのだろうか。
押さえつけられ、氷に変えられていくエヴァの目に、イアルの姿が映った。
──イアル…。
エヴァの唇がそう動いたように見えたが、もう音を紡ぐことは出来なかった。
エヴァの全てが氷に変わると、イアルの全身がザワリと騒いだ。
そして、その姿からは予想出来ないほどの速さで、地面を蹴って雪女郎に飛び掛る。
イアルが何をしたのかは、定かではない。
ただ、長い金の髪が揺れ……、その直後には、雪女郎が両手で顔を押さえて去っていった。
「エヴァ!」
もう一度、その名を呼ぶ。
けれど、言葉は返ってこない。
氷に変わったエヴァの体を、イアルがそっと抱き上げる。
──イアルに出来る『エヴァを元に戻す方法』はひとつ。
鏡幻龍を召喚すること。
鏡幻龍には呪縛を解除する力があり、それによってエヴァを元に戻すことは可能だが……
鏡幻龍の召喚、そして力の発動には、大きな代償が付き纏う。
エヴァが氷から元へ戻る代わりに、イアルは石へと変わる。
「エヴァ……」
そして、その名を、もう一度。
「また会えるよね……」
イアルはそう言うと、冷たいエヴァの身体を抱きしめて、唇を落とした。
間もなく、二人が光に包まれる。
──イアルの頬を、一筋の涙が流れて消えた…。
***
「冗ッ談じゃないわよ……」
唇を噛み締めて、エヴァが呟いた。
先程まで温かかったイアルの体は冷たく、石へと変わっていた。
人へと戻ったエヴァの隣で……。
けれど、その表情はとても優しく穏やかで……。
エヴァは立ち上がり、石化したイアルを抱き上げる。
エヴァの頬に一筋の光が見えた気がしたが、零れ落ちる前にエヴァが袖で拭った。
「これで終わりだなんて思わないで頂戴」
独り言のように、そう言うと、エヴァは隠れ家に向かって歩き始めた。
穏やかな表情の石像。
──イアルと一緒に。
Fin
---------
ノミネートの受注が遅くなり、申し訳ございませんでした。
ご依頼ありがとうございました。
最後をお任せとのことでしたので、今回は元へ戻さない形にさせて頂きました。
書いていて楽しかったです。
また機会がありましたら宜しくお願い致します。
|
|
|