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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


蟲神の末裔


 耳がおかしくなりそうな、空気の振動である。
 それが、山の奥の方へと流れて行った。
 蜂の大群。まるで、羽音を発する暴風の塊である。
 呆然と見送りながら、フェイトは呟いた。
「虫を使う……それが、あんたの能力か」
「私には、能力と呼べるようなものなどありませんよ。非力な私に、彼ら彼女らが力を貸してくれている……それだけの事です」
 言いながら、ダグラス・タッカーは遠くを見つめた。
 ここチベットの山中ではない、どこか遠くを。
「何も出来ない子供だった私に、母がプレゼントしてくれた……友達ですよ」
 母。
 その単語を耳にした瞬間、フェイトにも遠くが見えた。ここではない場所の風景が、脳裏に浮かんだ。
 日本、某県山中の療養地に建てられた病院。
 工藤勇太の母親は、今もそこで心を病んだまま暮らしている。
 入院費用は、勇太自身が稼ぎ出した。あの地獄のような研究施設に、売られる事によって。
 それで、母を捨てたという後ろめたさや罪悪感のようなものを、いくらかでも軽減する事が出来ているのだろうか。
 そんな事を思いながらフェイトは、とりあえず相槌を打った。
「へえ……あんたの、お母さんが?」
「今から20年と少し前、おとぎ話のような出来事がありましてね」
 遠くを見つめながら、ダグは語った。
「イギリス経済界の重鎮・タッカー商会の御曹司が、使用人であるインド人の女性と恋に落ち、結婚に至ったのです。人種と身分を越えたラブロマンスとして、それは大々的に報道されました。イギリス全土はお祭り騒ぎ、確か日本の新聞にも載ったと思いますよ」
 憂鬱な話が始まる、とフェイトは思った。
「外から見れば、無責任に騒ぐ事の出来る無害なロマンス……ですがタッカー商会内部では、お祭り騒ぎとは別な意味の大騒動が起こっていました。何しろイギリス人とインド人ですからね。少なくとも、関係者に祝福される結婚ではありませんでした」
 そのインド人女性が、嫁入り先でどのような目に遭っていたのかは、想像に難くない。
「そして、2人の間に生まれた子供もまた……親族全てに祝福される赤ん坊では、ありませんでした」
「だから、少しばかりひねくれて育っちゃったと。そういうわけかな」
「皆に愛されて温室植物のように育つよりは、ましだったと思いますよ」
 ダグは微笑んだ。
「母親だけが、その子の味方でした。父親はタッカー商会の跡取りとして、忙し過ぎる日々を送っていましたからね」
 工藤勇太の父親は、全く多忙ではなかった。働きもせず酒を飲み、酔っ払っては暴力を振るう、最低な男だった。
「商会の関係者たちは、本家に植民地人の血が入る事を極度に嫌っていました……フェイトさん、想像出来ますか? その母子はね、命を狙われていたのですよ」
「殺されそうに、なったわけだ?」
「何度もね」
 笑顔のまま、ダグは続けた。
「殺人罪にならぬよう人を殺す手段としては、どのようなものがあると思いますか?」
「事故を装うとか……毒殺して、病気とか食中毒に見せかけるとか? よっぽど上手くやらなきゃだけど」
「まさにそれ。母親も子供も、常に毒殺の危機に晒されていたのです」
 ダグの笑顔が、何とも言えぬ陰惨な歪み方をした。黙らせるべきか、とフェイトは思った。
「母親は子供を守るため、ある事をしました。インドの古代王朝時代から伝わる対毒手段、らしいのですが私はよく知りません……とにかく彼女が、物心つくかつかないかの幼い息子に、まずやらせた事。それは素手で毛虫に触れる事でした。毒蛾の幼虫です。子供は、柔らかな手を痛々しく腫れ上がらせて泣き喚きました。泣き喚く息子を黙らせるように、母親は」
 己の唇に、ダグは軽く指を触れた。
「口移しに、様々なものを飲ませました……蜂、蜘蛛、百足に蠍、その他ありとあらゆる毒虫の毒を、水で薄めたものです。子供は苦しみ、のたうち回りながら、しかし耐えました。何故なら、母親にキスをしてもらえるからです……そのご褒美があれば、大抵の事には耐えられましたよ」
 自分の母親は、キスどころか手を握ってもくれなくなった。息子の姿を見ると、発狂したかの如く泣き喚くようになってしまった。だから、見舞いに行く事も出来ない。
 そんな、そうでも良い事を、ふとフェイトは思ってしまった。
「子供はやがて、毒蛾の幼虫だけでなく、蠍や毒蜘蛛の成虫を掌に載せるようになりました。咬まれても刺されても平気になりましたよ。慣れれば、可愛いものです……薄められていない毒を、飲まされるだけでなく注射器で投与されるようにもなりました」
「でも平気になっちゃったと」
「少年と呼べる年齢になった頃には、その子供はすでに、あらゆる毒物への耐性を身に付けていました……叔父が1度、豪勢な食事を振る舞ってくれた事がありましてね。私は良い子でしたから、残さず平らげましたよ。その2日後に改めて叔父に会い、お礼を言いました。丁寧に、感謝を込めて……あの時の叔父上の表情は、見物でしたねえ」
 何故まだ生きている、というような顔をしていたのだろう。
「少年は喜びましたよ。母を守るために強くなる、その最初の第1歩にはなったのですからね……でも結局、彼は母親を守る事が出来ませんでした」
「……もういい。それ以上、聞きたくない」
 フェイトの言葉を、ダグは無視した。
「少年の前から母親は突然いなくなり、その翌日、ロンドン市内の路上で発見されました。様々なものを飛び散らせた、惨たらしい姿でね……ビルの屋上から、身を投げたようです。少なくとも警察の見解では、そのようになっています」
 自殺ではないのかも知れない、とダグは疑っているのか。
 もしかしたら、母親の死の真相を探るため、実家を敵に回しての戦いに身を投じている最中ではないのか。
 フェイトはそう思ったが、仮にそうであるとしても、何か手助けをしてやれるわけではない。
「少年に残されたのは、母親が用いた毒虫たちだけ……母の代わり、とするには無理がありますよね。何しろ虫ですから。けれど少年には、その虫たちしかいなかったのです」
「結果、こうして立派な虫使いが誕生したと。そういうわけか」
 言いつつフェイトは、ある事がふと気になった。
 その少年の父親……タッカー商会の御曹司という人物は、何の力にもなってくれなかったのだろうか。自分の妻と息子を守るために。いくら忙しいとは言っても。
 それは、しかし口に出して訊ける事ではなかった。出会ったばかりの他人の、家の事情である。
 別の事を、フェイトは訊いた。
「……何で、こんな事を俺に話す?」
「貴方を試すような事をしてしまいましたからね……お詫び、というわけではありませんが」
「まったくだ、こんなお詫びはいらないよ」
 父親が、妻や子供を守るための力になどなってくれるはずがない。フェイトは、そう思い直した。
 父親とは、家族に暴力を振るう者。子供にとっては、まず真っ先に排除しなければならない存在なのだ。
「……行きましょうかフェイトさん。もうしばらくは普通に歩いて進んでも、大丈夫です」
 言いながら、ダグが歩き出した。
「至って静かな山ですよ。人間は我々だけ、敵意ある生き物はいません、今のところはね。冬虫夏草も、例年通り自生しているようです。ただ、ずっと山奥の方に……何やらおかしなものが、あるにはあるようですね」
「……何で、そんな事がわかる?」
「彼女たちが見聞きしているものは、同時に私も見たり聞いたりしているのですよ」
「彼女たち、ね」
 先に飛ばした、あの蜂の大群の事であろう。
 母に与えられた、虫使いの能力。
 自分の能力も、そう言えば母を助けるために覚醒したものだった。母が、引き金となったのだ。
 フェイトはふとそれを思い出したが、まあ、どうでも良い事ではあった。


 冬虫夏草の自生地は先程、通過した。地中の芋虫から生えた茸の群れ。
 あれらを何倍も大きくしたものが、群生している。
「この大きさ……相当でっかい芋虫から生えてるって事だよな」
 言いつつフェイトは、村で借りたシャベルを地面に突き刺してみた。
「ゾッとしないな……ところで、これ勝手に掘っちゃっていいのかな?」
「冬虫夏草はこんな大きさにはなりませんし、大きければ高く売れるというわけでもありませんよ」
 説明しながらダグは、遠慮容赦なく地面を掘り返している。
「大事なのは品質です。私の見たところ、これらは大きいだけで売り物にはなりません。どんどん掘ってしまいましょう……おや、思った通りのものが出て来ましたよ」
 ダグが、シャベルを止めた。
 彼が掘り出したものを、フェイトは覗き込んでみた。
「……冬虫夏草って言わないよな、これは」
 つい、そんな事を呟いてしまう。
 地中に埋まっていたのは芋虫ではなく、人間だった。
 腐敗しかけた人間の頭部から、大型の茸がいくつも生え、地上に伸びていたのである。
「行方不明の、採取人の方でしょうね……かわいそうに」
「じゃ、これ全部……」
 群生する大型の茸を見回し、フェイトは絶句した。
「……なあダグ、ちょっと訊きたい事があるんだけど」
「お答えしましょう。蜘蛛は、ただ巣を張って獲物を待つだけ、という受動的なイメージの強い生き物ですが、能動的に動き回って狩りをするものも多いのですよ。ハエトリグモなどは、自身の体長の何十倍もの距離を跳躍して」
「そんな事は訊いてない。あんた、思った通りのものが出て来た、とか言ってたよな」
 茸の発生源となっている腐乱死体を見下ろし、フェイトは言った。
「これをやらかした奴の正体に……何か、心当たりがあるんじゃないのか?」
「さあ? どうでしょう。虚無の境界あたりの仕業でしたら、話は早いのですけどね」
 茸の群生地を見回しながら、ダグはさらりと話題を変えた。
「犠牲者の方々を掘り出して差し上げたいところですが……そろそろ日も暮れてきました。テントを張って、夜明けを待ちましょう」
「死体がたくさん埋まってる所で1泊と、そういうわけだな」
 ぼやきながらもフェイトは、ダグと手分けをしてキャンプの準備を始めた。
「日本では、桜の木の下に死体が埋まっていると聞きました。本当ですか?」
「桜の下にも茸の下にも、死体なんか埋まってないよ。普通はね」
 雑談に興じる2人の背後で、もごっ……と土を押しのけ、動くものがある。
 茸を生やした腐乱死体が、穴から這い出そうとしている。
 茸の群生地そのものが、同じようにもごっ、もぞっ……と蠢き、盛り上がり始めていた。