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<東京怪談ノベル(シングル)>


石の令嬢


 さらりとした夏向きのワンピースに、造花のハイビスカスが付いた麦わら帽子。
 避暑地の令嬢といった感じの着こなしも、この少女には嫌味なほど良く似合う。
 問題は、ここが避暑地などではなく、人通りの少ない街道であるという事だ。
「自分……何しに来とるんか、わかっとるか?」
 場違いな着こなしをしている少女に、セレシュ・ウィーラーは声をかけた。
 自分が着用しているのは無論、夏用ワンピースなどではなく、軽めの革鎧一式である。剣も帯びている。
 世間知らずの令嬢と、護衛の女戦士。そんな感じになってしまった。
「暑いから涼みに来た、のではありませんの?」
 白のワンピースをひらひらさせながら、少女が文句を返してくる。
「北海道とか、せめて軽井沢とか。セレブで優雅な夏休みを過ごそうと思ってましたのに」
「……ま、涼しい思いはさせたるわ。ひやりとするで、多分」
 人面茸や百足草の生えている森から、そう遠くはない。
 今回のセレシュの目的地は、あの森ではなく、もう少し歩いた所が入山口となっている山である。
 その山にしか自生していない薬草類を、何種類か集めておきたかった。
 あの森と同じくらいには物騒な山であるから、この少女にとっても、そこそこの訓練にはなるであろう。
 元々、石像であった少女である。その石像に疑似生命と自意識が発生し、今では付喪神と呼ぶべき状態にある。
 疑似生命を本物の生命にする。そのための最も手っ取り早い手段は、やはり危険な目に遭わせての戦闘訓練であろう。
 訓練という意識が本人にあるのかどうかは、怪しいところであるが。


 山に入り、しばらく歩いたところで、セレシュは足を止めた。
「お姉様……どうなさいましたの?」
「知っとるか? 野生の獣には、3日も4日もかけて獲物1匹をつけ回す、ごっついストーカーみたいな奴らもいてるそうや」
 獣が、自分たちを狙っている。そんな気配を、セレシュは山に入った時から感じていた。
「けどな、うちらは3日も4日も待てへんで……そこにおるんは、わかっとる。とっとと出てきいや」
「……いい鼻、してんじゃん。そっちこそ獣みたい」
 十代半ばと思われる少女が1人、そんな言葉と共に、木陰から現れた。セレシュと同じく、革の鎧と短めの剣で武装している。
 野盗であろう。山猫を思わせる、剽悍な感じの少女だった。美しいが、目つきは荒んでいる。
 殺して奪う生活を、もはや変えられないところまで続けてきたのは、間違いなさそうだ。
 そんな野盗の少女が、滑らかな手つきで剣を抜き、切っ先を突き付けてくる。
「どこぞのお嬢様が、友達みたいな護衛連れて家出の真っ最中……ってとこかな。世間を教えてやるから、まず金目のもん出しなよ」
「出したら、見逃してくれるんかいな」
「んなワケないじゃん? でも大人しく言う事聞いてくれるんなら、出来るだけ待遇いい所に売り飛ばしてやるよ」
「……えらいこっちゃ、お嬢様。うちら、身ぐるみ剥がれて売り飛ばされるらしいで」
 セレシュが言うと、付喪神の少女が動いた。白く優美なワンピース姿が、野盗の少女にユラリと迫った。
「命知らずな方が……いらっしゃいますのねっ」
 何の武器も持っていない細腕が、振り上げられ、振り下ろされ、ブンッ! と唸りを発した。
「こいつ……!」
 まさに山猫のような動きで、野盗の少女はかわした。
 唸りを発する細腕が、女野盗を仕留め損ねつつ、近くの大木を直撃する。
 大量の木屑が飛び散った。幹を砕かれた大木が、轟音を立てて倒れる。
「何だ、こっちの方が護衛かよっ!」
 舌打ちをしながら、野盗の少女が跳び退る。付喪神の白い細腕が、またしても豪快に空を切った。
 ストーンゴーレム並みの怪力、とは言え当たらなければ意味がない。
 山猫の如く俊敏な女野盗の動きに、元石像の少女は翻弄されかけていた。
「これも課題やな……」
 観戦しつつ、セレシュは呟いた。
 腕力、以外の身体能力を、少し本腰を入れて鍛えてやる必要がありそうである。
「ちょうハードな合宿メニューでも組んだるわ。当然、オシャレとか焼き肉とかスイーツとかも禁止やで」
「せ、殺生ですわ! お姉様!」
 空振りの一撃で岩を粉砕しながら、付喪神の少女は泣きそうな声を発した。
「合宿など必要ありませんわ! この程度の敵、一捻りで片付けて見せますからッ!」
 悲鳴じみた声に合わせ、ワンピースの裾が激しくはためいた。細い全身から、魔力が迸っていた。
 風景が、歪んだ。
 その歪みが、何匹もの毒蛇のようにうねり、野盗の少女に襲いかかる。
「くっ……ま、魔法まで使いやがるのかよ、このバケモノ女!」
 革の鎧の破片が、飛び散った。
 空間の歪みが、鞭のように奔り、少女の細身を打ち据えていた。いや、かすめているだけだ。直撃はしていない。革の鎧を削り取っているだけで、肉体は無傷だ。
 驚くべき回避能力であった。この敏捷さの三分の一でも身に付けてくれたら、付喪神の少女は無敵の女戦士となるだろう。
 そうセレシュに思わせるほど俊敏に動き回っていた女野盗が、突然、動きを止めた。
 付喪神の少女が、まるで蛙を見つめる毒蛇の如く、両眼を輝かせている。
 その眼光が、女野盗のしなやかな細身に絡み付いていた。
「ちょこまかと、まるで小動物のように……可愛らしく、動き回ってくれたものですわねえ」
 大きな瞳の中で、毒蛇の眼光を妖しく揺らめかせながら、付喪神の少女は微笑んだ。
 微笑みかけられた女野盗が、初心な小娘の如く、陶然と頬を赤らめる。
(魅了の魔法……ほんの基本しか、教えてへんのに……)
 セレシュは慄然とした。この付喪神、やはり魔法に関しては、空恐ろしくなるほどの素質を見せてくれる。
 動きを止めた女野盗に、元石像の少女がゆらりと歩み寄った。そして片手を差し伸べる。
「可愛いから、撫でてあげますわ……」
「嬉しい……お嬢様ぁ……」
 うっとりと声を漏らす野盗の少女。初々しく赤らんだその頬を、怪力を秘めた繊手が優しく撫でる。
 嬉しそうに悲鳴を弾ませながら、野盗の少女は柔らかく身をのけ反らせ、崩れ落ちるように座り込んだ。
 削られた革鎧が、風に揺れた。
 細身の割に豊かな胸の膨らみが、柔らかくまろび出そうになりながら、固い石に変わってゆく。
 しなやかな左右の太股が、あられもなく開きながら地面に密着し、そのまま灰色に固まってゆく。
 野盗の少女は、裂けた革鎧をまとう石像と化していた。
「所詮、小動物ですわね……」
 付喪神の少女が、己の右手に軽く唇を寄せる。吸収した生命の余韻を、味わうかのように。
「……魔法に頼り過ぎやで。今くらいの相手なら、頑張って素手で捕まえなあかん」
 セレシュは言った。
 あまり魔法を多用すると、目覚めてはならないものが目覚めてしまうかも知れない。それは言わずにおいた。
「もう少し、動けるようにならなあかんな。帰ったらまた走り込みや。駅前のコンビニまで、3往復な」
「ちょっとお姉様、いつからそんな体育会系になりましたの?」
「うちは基本的に理系やでえ」
 そんな事を言いながらセレシュは、元石像の少女の背中を押し、歩き出した。
 この山中で、採集しなければならないものがある。日が落ちる前に、済ませてしまいたかった。


 野盗の少女は、石像と化したまま、その場に残された。
 セレシュたちが去った後も、山中に放置され続けた。
 裂けた革鎧は、時を経てボロボロに腐り落ち、座り込んだ姿勢の少女像だけが残った。
 しなやかな細身を切なげにのけ反らせ、意外に豊かな胸を斜め上向きに晒した、石の美少女。
 恍惚とした表情をとどめたまま生命を失った灰色の肢体が、苔を生やし、蔦を絡ませながら、人型の石碑となって山中に在り続けた。
 土に還るのも時間の問題であろうが、それは遥か未来であるに違いなかった。