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<東京怪談・PCゲームノベル>


古書肆淡雪どたばた記 〜本棚は謎でいっぱい

 暑い、それは暑い夏だった。
 東京、それも都心ではアスファルトの照りつけがかなりきつい。
 さしもの奈義・紘一郎(なぎ・こういちろう)も少々眉根にしわを寄せる。それほどまでの暑さだった。
 あちこちで陽炎が揺らめき、雑踏を人々が行く。信号の音声や喋り声、そして足音などが混ざり合い更に暑さを際だたせているようだ。
 紘一郎はそんな都心を歩く。いつかのように、休日をもてあまして。
 そして――気づいた時には彼の回りから騒音は消えていた。
 遠くからセミの鳴く声は聞こえるものの、騒がしいというよりは風情があると思ってしまう程。
 目前には少々古びたビル。そして、ビル以上に古びた印象を漂わせる年期の入った看板。 そこには「古書肆淡雪」と屋号が書かれている。
 どうも無意識のうちにこの場所を選んでいたらしい。
(そういえば、以前この場所を訪れた時、店主は冷茶でもてなしてくれたか……)
 無意識に人の情でも期待してしまったか? 等と彼は自嘲気味な事を考えつつも古書店内へと踏み入る。入り口に付けられていた風鈴が涼やかな音を立てた。

 古書店内は夏場だというにも関わらずひんやりとしていた。エアコンがかかっている、というわけでもないのだが妙に涼しい。
 このあたりは昨年と変わらないな、と思うも、古書店店主――仁科・雪久(にしな・ゆきひさ)は彼を迎えには出てこない。
 ちょっとだけ落胆したものの、よくよくみると古書店店主は本棚の前にしゃがみ込み、隙間を覗き込んでは「ううむ」とか「むむ……」とか小さく唸っては首を捻っている。
「……どうした?」
 後ろから声をかけて、漸く雪久は紘一郎の存在に気づいたらしい。慌ててこちらを振り返るその表情には驚きが見て取れる。
 だがその驚きも直ぐに笑顔に変わった。
「奈義さん、お久しぶりです。お元気でしたか?」
 立ち上がり、彼はぺこり、と頭を下げた。
「ああ、まずまずと言った所かな?」
「っと、ちょっと待っててくださいね。外、暑かったでしょう」
 雪久は以前と同じように、紘一郎に席を勧めつつ、冷蔵庫へと向かい手慣れた様子で水出しの緑茶を取り出し、グラスへと注いだ。
 からり、とグラスの中で氷が回るのを眺め一息ついた所で、紘一郎は改めて問いかける。
「……まあ、それはそれとして……どうしたんだ?」
 雪久は少し困ったような顔をすると、先ほど座り込みうんうん唸っていた本棚の前へと歩いていく。そして本棚の隙間を指した。本来ならば1、2冊の本が収まっているはずであろうその場所を。
「これ、見て頂けますか?」
 警戒を解くことなく紘一郎も近寄りそこを見やる。
 本と本の隙間、その狭い場所には、赤い単眼が居た。黒い毛に覆われたソレは、掌サイズくらいとごくごく小さい。
「一般のお客さんが怖がるといけないから出て行って欲しいと思うのですが……」
 そんな雪久へと紘一郎がふふ、と小さく笑う。
「もともと客が来ても商売あがったりだと言っていなかったか? 居ても居なくてもそれほど違いは無いと思うが」
「それは言わない約束ですよ」
 困り笑顔で雪久が述べる。
 怖じる事なく紘一郎は指を差し込む。途端に真っ黒なソイツはぶわり、と大きく膨らんだ。
 だが膨らんではいるものの、鳴くわけでもなく、何か攻撃をしてくるわけでもない。
 それでも、なんとなく怒っているのは分かる。
「こちらを威嚇しているようだな」
 手をひっこめながらに冷静に紘一郎は述べる。
「何かいい方法ご存じありませんか?」
「そうだな……」
 雪久の問いかけに少しだけ顎に手をあて、彼は天井のあたりを見上げながら思案。
 ふと、脳裏に過ぎるものがあった。
「……今から言うモノを準備してくれないか?」

 ――それから数時間。日はすっかり傾きつつある。日中の熱せられた空気も大分冷えてまるで秋のはじまりのようだ。
 ぱたぱたと古書肆泡雪店内へと駆け込んできたのは店主の雪久。
「今戻りました。奈義さん、これで良いですかね?」
 テーブルの上に、トン、と置かれたのは一升瓶。貼られたラベルには毛書のような文字で、銘が書かれている。どうやら日本酒らしい。
「ああ、問題無い」
 答えつつも紘一郎自身も購入してきた菓子を並べている。
 菊を模った落雁に、果物を模ったような寒天と砂糖で固めて作られたゼリー。どちらも目に優しいパステルカラーだ。
 紘一郎はそれらの袋をあけ、本棚の前へと備える。
「ところでこの組み合わせって……」
 何かに気づいたらしき雪久を軽く手で制し、紘一郎は本棚へと視線を送る。
 隙間に入り込んでいた単眼は、するり、と本棚から這いだし、置かれた菓子等へと引かれるようにやってきた。
「……乗れるか?」
 いつもより幾分優しく紘一郎は問いかけ、そして「何か」を更に差し出した。
 それは紫色の、つややかな光を帯びた野菜――茄子。それも、ただの茄子ではない。割り箸を使い、四本の足を生やした「精霊馬」だ。
 精霊馬の背へと単眼がふわりと舞い降りる。
 直後、茄子の足が緩やかに動き出す。まるで、牛のように。
 窓の外には何時しか、遠くに明かりが灯っていた。ゆらゆらと揺れる灯りは提灯のようだ。
 揺れる灯りに示されるようにゆっくりゆっくりと精霊馬は歩いていく。
 ――気づけば供えていた菓子も、酒も1つ残らず無くなり、炊いた覚えも無いが線香の香りだけが残った。
 茄子の精霊馬は沢山の供え物を沢山乗せる事が出来るという。だからこそ、あの量を全て持ち去れたのだろう。
「やはりあれは……」
 雪久の言葉に、彼の方は見返す事なく紘一郎は呟く。
「地獄の釜ってのは本当に開くんだな……」
「そういえば、もうそんな季節なんですね……」
 雪久の言葉を聞き流しつつ、紘一郎はふう、と小さくため息をついた。
 先日読んだ古い和綴じの本に、その妖怪の事が載っていた。だから正体が分かった訳だが――まさか実際に遭遇する事になるとは。
 地獄の釜の蓋が開く季節――お盆。
 地獄の鬼も亡者の呵責を休む時期。同時に故人が彼岸から帰ってくる時期でもある。
 良いモノも、悪いモノもひっくるめてこの季節には様々な霊が「こちら」と「あちら」を行き来する。
(故人……か)
 紘一郎の、眼鏡の下の瞳は、いつもより少しだけ悲しげな雰囲気を纏う。未だ視線は精霊馬が出て行った窓の外へと向けたままで。
 彼の心に今は亡き人の面影が過ぎる。それが誰であるかは彼以外には分からない。
 それでも、彼が「誰か」を悼む思いを持っている事だけは、傍目に見ても察せる程だ。
「奈義さ――」
「何かお勧めの和書は無いか? 古いものがいいな」
 どう声をかけたものかと躊躇いつつも雪久が声をかけようとするも、その言葉を封じるように、紘一郎は問い返す。
 さしもの雪久も彼の言葉にそれ以上踏み込んではならないと察したのだろう。
「そうですね、それでしたら……こちらは如何ですか?」
 望まれた通りに雪久は四つ目綴じの、見るからに古びた本を取り出す。若干虫食いもあるものの、一応補修はされたらしい。
「キランソウと、それにまつわる物語の本です。キランソウは別名をジゴクノカマノフタとも言うそうですよ」
「ジゴクノカマノフタ……?」
 紘一郎の銀色の眉が神経質そうにぴくりと跳ねた。
「キランソウは地獄へ行く釜にふたをするほどの薬効があると言われる薬草です」
「ほぅ、いったいどんな事に?」
 少しだけ黒の瞳を見開き、興味深そうに彼は告げる。
「ものの本では万病に効くとも」
「それは面白そうだ。買おう」
 紘一郎は代金を払うと本を受け取る。店を出ようとする頃には紘一郎の表情は店を訪れる以前と変わらないいつも通りのものとなっていた。
「……奈義さん。また来てくださいね」
 見送る雪久の言葉には僅かな不安が紛れている。だが紘一郎はそれに気づかないかのように、それを吹き飛ばすかのように穏やかに笑う。
「また、休みが取れたらな」
 本を手に彼は夜空の下へと歩み出す。
 もう既に訪れようとする秋の気配を纏った風が、彼の回りに漂っていた線香の残り香を残す事なく攫っていった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
8409 / 奈義・紘一郎 (なぎ・こういちろう) / 男性 / 41歳 / 研究員

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■         ライター通信          ■
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 お世話になっております。小倉澄知です。
 ほんのりもの悲しい雰囲気のお話になった……ような気がします。
 果たして奈義さんの心の中には誰の面影があったのでしょうか……?
 この度は発注ありがとうございました。もしまたご縁がございましたら宜しくお願いいたします。