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<東京怪談ノベル(シングル)>


必要なもの −4−

「あまり夢中になってはいけないよ、何事もやりすぎには注意しないと」
「はい、お父さん」
 そんな会話を交わした日の夜、みなもはリリィとの特訓を思い出していた。
 特訓もやりすぎに入るんでしょうか、と呟いたみなもだったが、そんなことはないだろうと首を振りいつものようにベッドに潜り込む。
 夢の中に入り自らの意識を保つことは問題なく行うことが出来る。みなもの上達は早い。
 目的をもって夢の中に入れば入るほど、みなもの力は引き出されていく。それは深層部分からもじわじわと引き出されていたのだが、それに本人が気付くことは無い。
 みなもは眠りにつく前に前回の夢渡りのことを思い出す。
 前回は力が足りず、途中で声が出なくなり夢の中で自分を保てず、りリリィに連れ帰ってもらったのだ。
「今日は前よりも長く、もっと体の底から力を……」
 寝息を立て夢の中へと降りていったみなもは、今日も暗く深い海の夢を見た。


 閉じていた瞳を開ければ、みなもの目の前に深海が広がる。
 見上げると雲の隙間から差し込んでいるであろう何本かの光の筋が遠く見えていた。
 みなもの足は鱗で覆われたヒレと化し、童話に出てくる海の底を泳ぐ人魚姫のようだった。長い髪は暗い海に同化するように水中に広がる。
 そして作り出した夢の中へ進入した者を察知し、みなもはそちらに視線を向け微笑む。
「いらっしゃいませ、リリィさん」
「こんばんは。今日は一段と人魚姫っぽい。なにかな? 雰囲気かな?」
「あたしの雰囲気ですか?」
 頷いたリリィはみなもとの間合いを詰め告げる。
「うん。なんだろう、キミなんだけどキミじゃないみたいっていうか……」
 ちょっと怖い、と続けようとしたリリィだったが、目の前で突然見たことも無いほど妖艶な笑みを浮かべたみなもを見て飛びのいた。
「あら、残念」
 今までリリィが居た場所には、水で出来た海蛇が鎌首をもたげ威嚇しており、みなもの姿をした何者かがつまらなそうに肩をすくめた。
「キミは……」
「私はみなもで間違いないわよ。人魚のみなも」
 ようやく出てこれたのよね、とみなもは水中でくるりと一回転してみせ、水中で息を吐き出し大きな空気の泡を作り出した。それは大きく膨らんでいき、轟音を水中に響かせ割れる。その途端、海は一筋の光も届かない闇へと代わり、海流が勢いよく渦を巻いた。急に荒れた海の底を大きな何かが動き回る気配がある。
 渦に巻かれそうになるのをリリィは必死に堪え、みなもに手を伸ばした。それを笑いながらみなもは眺めるが、掴まれた手を振り払おうとはせず、優しく引き寄せる。
「あ、ありがと」
「どういたしまして。あなたの特訓のおかげで目が覚めたんですもの」
 楽しそうなみなもとは裏腹に、渦に飲み込まれないように必死なリリィはそのままみなもに抱きついた。体が安定したことで安心したリリィは気になっていることを尋ねる。
「それにしてもちょっとやりすぎじゃない? 目が覚めちゃったのはキミだけ? あの底で蠢いているのはなに?」
 夢魔のリリィもその気配にざわざわと背筋が寒くなるのを感じていた。早くその存在がなにであるかを知りたいのに、みなもは魅惑の歌を披露するだけだ。しかしその歌声の効果か、蠢いていた何かは次第に落ち着きを取り戻していきおとなしくなった。
「ねえ、いったいあれはなんなの?」
「私のペットよ」
 とても可愛らしいの、とみなもは告げるがリリィにはそうは思えなかった。
「ほら触って御覧なさいな」
 リリィが抱きついているのを良いことに、みなもはそのまま底まで泳ぐと、底に横たわる何かに腰をかけた。
「触ってもいいけど、リリィは見てみたいな」
 暗く深い場所では灯りが無ければ見ることはかなわない。リリィは暗闇の中で灯りを点すが、照らし出された物体を見て息を呑む。
「これがペット?」
「そうよ。私の歌声でおとなしくなって私の合図で穏やかな海を一瞬にして魔の海へと変える」
「でもこれって、一般的に大海竜リヴァイアサンって呼ばれている子でしょ? それを従えるって……」
 硬い鱗を撫でてやりながらみなもはリリィの言葉を遮るように告げた。
「人魚は本来恐ろしいものよ。船乗りを魅了し、大渦を起こし船を難破させる。そんな生き物が飼うペットはこの位が丁度良いでしょう?」
「えっと力の強さにもそれって比例するんじゃ……」
「もちろん。あら? でもそれを尋ねるってことは、私の力を軽く見ているってことかしら?」
 そんなことないよ、とリリィは告げるが、実際のところは普段はみなものふんわりとした雰囲気のほうが目立っており、そこまで人魚の力が秀でているようには思えなかった。みなもの人魚の末裔としての力は確かなものであったが、恐怖の対象としては思えなかったため、リリィはみなもの力を過小評価してしまっていたのだ。
「まあ良いわ。私がこの子を従えさせるくらいの力を持っているのは確かよ。海にこうして大渦を作り人々を恐怖に陥れることくらい簡単」
 腰掛けていた部分を軽く叩けば、荒々しい動きでそれは再び海底から海面に向けて渦を作り始める。あっという間にすべてを巻き込み、一つの大渦を作り出した。リリィは巻き込まれぬよう、再びみなもにしっかり抱きつく。
「ちょっと待って、キミはこのままたくさんの船を難破させちゃうの?」
「いいえ。ただちょっとあなたが面白い反応をしてくれるから遊んだだけよ」
 今時そんなことをしても楽しくないわ、とみなもは興味なさそうに目の前を漂う水泡を割りながら答えた。
「もう一人の私はそんなこと望んでいないし、私も楽しくないもの」
 人魚は普段のみなもよりも少しだけ大人の表情を見せる。
「私はあの子の存在を支えたいと思うし、あの子も私をきっと受け入れてくれる」
 一緒に存在することで力をより強いものに出来る、とみなもは呟いた。
「そうだね。きっとキミの存在も必要なんだと思うよ。キミは人魚の力を限界まで引き出すことが出来る存在、そして優しさと強い意志を持つあの子。どちらも必要なんだと思う。両方存在してキミという個体があるんだね」
 キミって本当飽きない、とリリィは笑う。それにつられてみなもも微笑む。
「夢の中って便利だけど、私でも少し疲れたわ」
「まあ力を使い続けるわけだから仕方が無いと思うけど」
「それもそうね。ああ、そろそろあの子に返してあげないと拗ねるかしら。でも楽しかったわ」
「リリィは渦に巻かれそうで大変だったけど」
 暗く荒れた海底で二人の笑い声だけが響いていた。