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Episode.30 ■ 影の力
周囲を飲み込む殺気。息をする事すら難しく感じられる程の、圧倒的な緊迫感がデルテアを襲った。意識を失えればどれだけ楽だろうか。デルテアは心の中でそう感じながらも、殺気の正体である黒髪の女性を見つめる。
黒い服は影に馴染み、その黒髪も黒眼も、デルテアにとっては今では恐怖の対象とすら思えてしまう。
そしてそれは、怒りすら抱えている様な表情を浮かべている。
歩み寄ってきた冥月がその場で右手を掲げた。
「お前達が使い捨ての駒である事はよく分かった。ならば雑魚らしく、自分の置かれている立場というものを弁えろ」
その一言と同時に、人の大きさの数倍以上もある影が具現化し、そしてデルテアの脳天から振り下ろされた。
――用済みになって消される。
そう感じた瞬間に、デルテアの脳天から真っ直ぐ身体を両断する様な形で影の剣はデルテアの身体を切り裂いた。
死を直感したデルテアであったが、意識が断絶される事も、血が噴き出る形跡も見られない。
デルテアの死を直感したのは何もデルテア本人だけではない。それを見つめていた武彦もまた、冥月の突然の行動に思わず息を呑んだのであった。殺しはしないと思っていたが、今の冥月からは怒りとも取れる感情が溢れ出ているのが見て取れる。
その理由はまだ聞いていないが、おおよそ聞ける状態ではないだろう。武彦はデルテアを殺してしまっていない事に、思わず安堵の息を漏らすのであった。
冥月が殺しをしない事にはもちろん、この後を待っている鬼鮫や憂らになんて言い訳をすれば良いのかとすら思ってしまったのは、武彦が冥月を信じ、殺さないと心のどこかで確信していたからだろう。
「な、なんですの、これ……!」
しかしデルテアには変化が起こっているようだ。武彦はデルテアの言葉にそれを理解する。
デルテアは自分の身体を両断する様に通過している影に、何ら変化を感じない。身体の中を何かが通っているような感覚もなければ、傷一つ自分にはついていない。
しかし、決定的に普通では起こっていない事が起こっている。
それは、影によって遮られた視界が、明らかにおかしいのだ。自分の半身が片目にしか映らず、もう片方には映らない。それが左右で起こっているのだ。
「素直に話すまで、永遠にこのままだ。廃人になって許されるとも、死と共に解放されるとも思うなよ」
一体今、自分の身に何が起こっているというのか。
それを理解出来ないデルテアの胸中を、圧倒的な恐怖が支配する。
冥月は話そうとはしないが、影は確かにデルテアの身体を通っている。
質量を持たせていない状態。二次元の状態であるその影がデルテアの身体を傷つける事はない。それは可視化されてこそいるものの、影響を与えてはいないのだ。
僅かにでも三次元へとそれを具現化してしまえば、唐突にデルテアの身体は真っ二つに裂け、デルテアの見ている視界のそれを現実とするだろう。
既に心臓を握りしめた状態とも言える。
「さて、質問する。判らないならそう言え。くだらない嘘をつこうと考えない事だ。そんなものは特殊な機械がなくても見抜ける」
冥月の冷淡とも言える瞳がデルテアを真っ直ぐ見つめる。
既にデルテアは影の世界にいる。その全てを影に包まれている状態と言えるだろう。発汗や脈拍の変化といった変調も、冥月には手に取るように解るのだ。
「まずは、スカーレットについてだ」
デルテアの表情が僅かに強張る。
「性別は?」
「女……」
「年は?」
「知らない」
「見た目は?」
「……」
僅かな沈黙と同時に、冥月が手を伸ばした。冥月の手から影の槍が伸び、デルテアの眼へと向かって真っ直ぐ伸びる。
慌てて眼を閉じたデルテアだが、何も起きない。これはただの脅しなのだろうか。そう考えると、デルテアの恐怖も僅かに緩むというものだ。
しかし、冥月が同じ様に影の刃をデルテアの頬をかすめる様に伸ばし、そして具現化する。
同時にデルテアの頬に鋭い傷みが走り、頬が裂かれた事を強制的に理解する生暖かい感触が頬から伝う。
そこでようやく、デルテアは自分の身体を通っている影が一体どんな意味を持っているのか、遠巻きながらも理解する。
「見た目は?」
何一つ変わらない口調で、先程と同じ質問をぶつける冥月。その姿にデルテアは口を弱々しく動かす。
――心が折れたのだ。
「真っ赤な髪。背が高い」
「名前の通り、か。能力は何だ?」
「分からない」
デルテアが答える。
どうやら冥月もそれが嘘ではないと理解したようだ。眼からは力が消え、身体も反応を見せていない。
「ならばエヴァの能力は?」
「死霊を操り、武器としたり使役する……」
「それは知っている。他には?」
「分からない……」
所詮は末端の構成員に過ぎない。
冥月はそんな事を改めて理解する結果となり、少しの間眼を閉じる。
「本拠地は何処にある?」
「この世界にはない……」
「……つまり、誰かの能力で異空間へと繋がっている、と?」
冥月の言葉に、デルテアは小さく頷いて答えるのであった。
本拠地が現実世界にない。
それはある意味、理想的な形と言える。能力で構築された世界に自分達の根城があるのであれば、襲撃される可能性はほぼ皆無と言えるだろう。
「武彦、質問があるなら聞いておくと良い」
「あぁ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ふぅ……。ずいぶん風通しの良い事務所になったねぇ」
弾痕だらけの事務所の中を見回した憂は、何も飾る事もなくそう感想を漏らした。室内は弾痕によって穴だらけ。まるでここだけ戦争の真っ只中に放置された廃墟のようですらある。
「……影宮」
「分かってるよー。ただでさえ怖い顔なんだから、さらに怖い顔して名前呼ばないでよ〜」
向かい合って座る鬼鮫に向かって苦笑を貼り付けながら憂はそう告げると、笑みを消した。
「現状で、黒冥月達は味方と考えて良いよ。私としては、雑魚の掃討よりも幹部を討って欲しい所だね。盟主を打倒して欲しいっていうのが本音でもあるけど、さすがにそれは高望みかもしれないし」
「それだけ、か?」
もともと口数の多い方ではない鬼鮫は、言葉少なにそう尋ねる。
憂もまたその言葉の意図を理解したのか、嘆息して肩を竦めて口を開く。
「冥月ちゃんの能力は、正直言って規格外だよ。一般の能力者が干渉出来る範疇を大きく越えてる。それがあの子の天賦の才だったのか、かつていた組織が何らかの干渉を行ったのかは定かじゃないけど、ね」
「能力を強化させた可能性があるって事か」
「うん、そうなるね。今回の襲撃者――今は冥月ちゃんが尋問してるけど――、あの子達は多分、そういう過程で作られた存在って所かな」
憂はその事実をあらかじめ推測していた。
冥月がいたとされる中国の組織が虚無の境界と関与した事を考えれば、組織側か虚無側が能力開発の方法を知っていた可能性が高く、そのお互いの利益の為に同盟を組もうとした可能性も高い。
百合が虚無の境界にいた経緯についても既に憂は把握している。
であれば、その推測に行き着くのも当然であると言えた。
「なるほど、そういう訳か」
「ただ問題なのは、もしも能力者を量産出来るのなら、みんな短命になってしまう。戦争の兵器として利用される事はあっても、救ってあげるのは難しいかもしれないね」
憂は小さく嘆息する。
百合の回復方法はある程度確立している。既にその下地を作る為に、一度百合の身体に根付いていた服用していた薬物を抜く為に薬の使用を禁じている。
もしも進度がもっと進んでいたなら、薬を抜く事は出来なかっただろう。そういう意味で百合がこうして冥月によって連れられたのは僥倖であったと言える。
今ならまだ救える。
それはつまり、それ以上は救えないという現実をもたらせたのであった。
「人の命を玩具にするなんて、許せないよね」
「……さぁな」
鬼鮫の素っ気ない返事に、憂は小さく笑みを浮かべた。
「それにしても遅いねぇ。どうする? もし冥月ちゃんが全部始末しちゃってたら」
「その時はアイツから情報を引っ張るだけだろうが」
相変わらずの鬼鮫の強気な発言。それを聞いて憂は肩を竦めてみせた。
「いずれにせよ、協力者なんだから仲良くしてよね。サングラス外せば良いと思うよ。そうすれば鬼鮫ちゃんのつぶらな瞳が――って、嘘だよ!? そのカタナしまってよ!」
どうにも緊張感が長続きしない憂であった。
to be countinued...
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ご依頼ありがとうございます、白神怜司です。
苦しめる方法が他にもあると書いてあったので、
それはそれで気になってしまいましたw
現実世界で待ったままの二人も、
冥月さんの今後の処遇について気にしてる様です。
仲違いせずにうまく関係が続けば良いのですが・・・。
それでは、今後共宜しくお願い致します。
白神 怜司
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