コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


戦う働き蟻


 包囲されるまで気付かなかったのは、相手が生きた人間ではないからだ。
 死んだ人間でも、敵意や憎悪を持ちながら存在し続ける事はある。それを察知するのは、不可能ではない。
 だがこの者たちは、敵意や憎悪どころか、精神そのものを保有していないようであった。
「脳みそまで、茸の養分にされちゃってると……そういう事かな」
 フェイトは、懐から拳銃を取り出した。
 ダグとは自然に、背中合わせで立つ格好となった。
「フェイトさん、貴方は死者の尊厳を気にする方ですか?」
 同じように拳銃を握り構えながら、ダグラス・タッカーが言う。
「もしそうでしたら、いささか辛い作業になるでしょうが……ためらわずに撃ちましょう。彼らは今や、茸の操り人形です。解放して差し上げる手段は、1つしかありません」
「生きてる人間を撃つよりはマシ……と思うしかないかな」
 死者たちであった。
 腐敗しながら乾燥した、屍の群れ。皆、全身から茸を生やしている。
 そんな死体たちが、地中から這い出して直立歩行し、今やフェイトとダグを幾重にも包囲しているのだ。
 何体いるのか、一目では数えられない。
 あの村の、冬虫夏草採取人だけではないだろう。土漠をうろつく強盗団や、人民解放軍の地方部隊兵士なども混ざっている。と言うより、そういった輩の方が圧倒的多数だ。
 麻薬並みに値が高騰した冬虫夏草を狙って山に押し入り、そのまま行方知れずとなってしまった者たちであろう。
 そんな彼らが、腐りかけた指をカギ爪の形に曲げ、のたのたと全方向から掴み掛かって来る。
 のたのたとした襲撃、に見えて意外に素早い。
 自身の言葉通り、ダグは躊躇いもなく引き金を引いた。
 銃声と、爆発の轟音とが、ほぼ同時に響き渡った。
 死者の1体が、砕け散っていた。乾燥した腐肉が、大量の茸もろとも、灰に変わってサラサラと舞う。
「爆薬弾頭か……」
 フェイトは呻いた。
「それ、IO2の支給品じゃないよな?」
「ええ、私が自分のお小遣いで用意したものです」
 いくらか自嘲気味に、ダグは微笑んだ。
「……私、お金持ちですから」
 微笑に合わせて、ダグは立て続けに拳銃をぶっ放した。
 死者たちの上半身が爆散し、遺灰に変わり、チベットの夜風に舞った。
 爆薬弾頭の破壊力もさる事ながら、ダグ自身の射撃の技量も、なかなかのものではある。
「負けてられない、か」
 右手だけでなく左手にも拳銃を持ちながら、フェイトは身を翻した。
 茸を生やした死者たちの腕が、あらゆる方向から襲いかかって来る。
 それら腕を、フェイトは左右2丁の拳銃で打ち払い、受け流した。
 そうしながら、引き金を引く。
 2つの銃口が、振り回されながら火を吹いた。
 茸を生やした腐乱死体たちがビシッ、ビシビシッ! と痙攣し、揺らぐ。
 フルオートで掃射された無数の銃弾が、彼らの全身に撃ち込まれていた。
 爆薬弾頭などではない、普通の銃弾である。
 死者たちが、蜂の巣と化した身体を、しかし何事もなくのたのたとフェイトに迫らせる。
 迫り来る敵を見据えるフェイトの両眼が、光を発した。
 翡翠色の、いささか禍々しい輝き。
 茸を生やした腐乱死体たちが、硬直しながらズタズタに裂け、飛び散った。
 彼らの体内にとどまっていた無数の銃弾が、フェイトの念動力を受けて猛回転し、腐肉も茸も一緒くたに抉りちぎってゆく。
 純粋に念動力だけで敵の肉体を破壊するよりも、気力の消耗は遥かに軽く済む戦い方である。
 気力の消耗を抑える事は出来ても、しかし銃弾の消耗を抑える事は出来ない。
 のたのたと群がって来る死者たちの数は、あまり減ったようには見えなかった。
「これは……考えたくないけど」
 一時退却という選択肢も、念頭に置くべきではないか。
 そう言いかけて、フェイトは口をつぐんだ。
 ダグが、まるで黒縁眼鏡を内側から吹っ飛ばしてしまいそうな眼光を、死者たちの一部に向けているからだ。
 茸を生やした腐乱死体の群れ。その中の1体を、ダグは見据えている。睨んでいる。
 人種も、性別すらも判然としない状態の屍ばかりである。が、ダグの視線の先にいるその1体は、どうやら褐色の肌をしていた。腐り干涸びた皮膚に、ダグと同じ体色の名残が、辛うじて見て取れる。
 その1体に拳銃を向けながら、ダグは何事か呟いた。
 よく聞き取れないが、恐らくは人名であろう。
 その拳銃が、褐色の名残をとどめている死者に向かって、火を噴いた。
 狙いを定めて引き金を引く、ダグのその動きに、しかし一瞬の迷いが表れたのを、フェイトは見逃さなかった。
 茸を生やした屍が1体、爆散して灰と化した。
 褐色の死者、ではない。その傍らで腕を振りかざしていた、別の1体である。
 射撃の技量そのものはフェイトよりも上ではないか、と思われるダグが、狙いを誤ったのだ。
 褐色の死者は、荒波のように群れる他の死者たち紛れ込み、見えなくなった。
「逃がしませんよ……!」
 ダグが、それを追って駆け出そうとする。
 フェイトは、慌てて止めた。
「おい、無茶はするなよ。その爆薬弾頭だって、無限にあるわけじゃないんだろう?」
「残りの弾数で出来るだけの事は、私がやっておきます」
 ダグの言葉に合わせて、空気が振動した。
 蜂の群れが、激しく翅を震わせながら、上空で待機している。
「この死者たちを冬虫夏草もどきの怪物に変えた、元凶と言うべき存在……その手がかりを、彼女たちが見つけたようです。フェイトさんは行って下さい」
「あんたを、ここに残して……か?」
「せっかく2人もいるんです。ここは分業といきましょう」
 迫り来る死者たちを見回し、ダグは言った。
「私はここで、彼らを食い止める。その間、貴方は彼女たちと共に元凶を突き止め、これを排除する……どちらが危険な任務であるのかは、やってみなければわかりません」
「俺さ……人の心ってやつを、ある程度は読めるんだよね」
 フェイトは言った。
「そんな能力、もちろん積極的に使ってるわけじゃあない……そんなもの使わなくてもダグ、あんたが1つ隠し事してるってのは、わかるよ」
 左右2丁の拳銃を、それぞれ別方向にぶっ放しながら、フェイトは言った。
「ここで何か、個人的な決着をつけようとしてるだろ?」
 先程の褐色の死者が、今はどこにいるのかは見えない。
 あれ以外の茸死体たちが複数、フルオートの銃撃を受けて揺らぎ、のけ反った。
「それさえ済めば死んでもいい、とか思ってるだろ? けど俺的には、それは困るんだよっ」
 フェイトは、攻撃を念じた。翡翠色の瞳が、荒々しく輝いた。
 死者たちの体内で、無数の銃弾が、念動力を受けて猛回転を開始する。
 茸を生やした腐肉が、大量にちぎれて飛び散った。
「パートナーを死なせて任務失敗……なぁんて傷が、俺の経歴についちゃうからな」
「……だから、私を守ってくれようとでも?」
 眼鏡越しにダグが、ちらりとフェイトを睨む。
 眼鏡をかけた、一癖ありそうながら整った顔立ち。
 すでに失われてしまった面影が1つ、フェイトの脳裏に甦った。
 守ってやれなかった、死なせてしまった、などと考えてしまうのは思い上がりであろう。それは、フェイトにもわかっている。
 死んだ人間の幻影を重ねられたところで、ダグにとっては迷惑にしかならない。
「……虫と心を通じ合えるくせに、わかってないみたいだな。あの子たちの気持ちが」
 物騒な羽音を発している蜂の群れを、フェイトは1度だけ見上げた。
「あんたを見殺しにしたら俺、殺されちゃうよ。めった刺しにされる」
「人の悪口は言いたくありませんが……馬鹿ですか? 貴方は」
「学校の成績は、そこそこだったぞ。IO2の筆記試験は、及第点ギリギリだったけどなっ」
 馬鹿げた会話をしながら、フェイトは引き金を引いた。
 左右2つの銃口が激しく火を吹き、死者たちをビシビシッと痙攣させる。
 撃ち込んだ銃弾に念動力を送ろうとして、フェイトは一瞬、気が遠くなりかけた。
 気力の消耗……いや違う。思考が、麻痺しかけている。
 おかしな霧が出ている事に、フェイトは今更ながら気付いた。茸を生やした死者たちで満たされた夜景が、うっすらと白く霞んでいる。
 否、どうやら霧ではない。
「毒ガス……!」
 フェイトは口と鼻を押さえたが、すでに遅い。
 意識は混濁し、手足は痺れ、足元も覚束ない。
 揺らぎ、倒れそうになったフェイトの身体を、何者かが抱き支えた。
「覚悟して下さい……チベットの川は、冷たいですよ」
 ダグだった。
 次の瞬間、フェイトは宙に浮いていた。
 フェイトを横抱きに捕えたまま、ダグは谷底へと身を投げていた。男2人の心中、という形である。
 谷底を流れる川の音が、ゆっくりと近付いて来る。
 冷たさを感じる前に、フェイトは気を失っていた。


 激痛で、フェイトは目を覚ました。
「いっ……て……ッッ」
「虫だけではなく、お注射も苦手のようですねえ。貴方は」
 ダグが呆れている。
 その手にあるのは、少し大きめの注射器だ。
 恐る恐る、フェイトは訊いてみた。
「……それは、一体?」
「アドレナリンですよ。蜂毒の薬にも用いられるものですが……お注射ではなく、口移しにでも飲ませてあげた方が良かったですか?」
「……冗談でもやめてくれ、そういう事言うのは」
 溜め息をつきながら、フェイトは見回した。
 轟音を立てて、谷川が流れている。その河岸の岩場に、2人は打ち上げられていた。
 意識はまだ、いくらかは朦朧としている。手足にも若干、痺れが残っているようだ。
「じっとして。毒が抜けるまで、大人しくしていましょう」
 同じ毒ガスを吸っているはずなのに、ダグは平然としていた。
 フェイトを抱えて激流を泳ぎ渡る、などという荒業もやってのけた。
 虫毒に慣れるだけで、あらゆる毒物への耐性を身に付けたというのは、どうやら本当のようである。
「パートナーに死なれて任務失敗……などという傷が、私の経歴についてしまうところでしたよ」
「……ごめん」
 フェイトは頭を下げた、他に、出来る事などなかった。
「助かったよダグ、ありがとう」
「これからは働き蟻の如く、私に尽くしていただきましょう……と言いたいところですがね」
 ダグが、チベットの夜空を見上げた。
「私もね、フェイトさんに助けていただいたんですよ。貴方がいてくれなかったら、私は間違いなく死んでいました。己のか弱さも顧みず、馬鹿げた無茶をするところでしたよ」
 あの褐色の死者を見た瞬間、ダグは明らかに冷静さを失っていた。
 いかなる事情があるのか、何となく想像はつく。それでも、フェイトは問いかけていた。
「なあダグ。1つ、訊きたい事があるんだけど」
「お答えしましょう。働き蟻は、100匹いれば100匹全てがよく働くわけではなく、怠けて働かない個体が必ず20匹程度はいるそうです。よく働く蟻だけを人為的に集めてみても、その中の2割ほどは、やがて働かなくなってしまう。働き蟻の集団を何度作ってみても、そうなってしまうのです。これを人間社会に当てはめてみますと、いわゆるニート問題というものがですね」
「それは、とりあえずどうでもいいや。まあ無理に答えてくれる必要はないんだけど……あの冬虫夏草もどきの中に、もしかして知り合いでもいる?」
「……私の、母方の従兄弟ですよ」
 ダグの母方。すなわち、純粋なインド人という事か。
「私にとっては、実の兄のような人でした。身分は使用人に等しいものでしたが、差別に負けず努力する人でしてね。今ではタッカー商会の正社員として、冬虫夏草をはじめとするアジア商品の仕入れを担当していたのですが……まさか自分が、冬虫夏草のようなものに成り果てていたとは」
 ダグは、拳銃を握り締めた。
「御覧になった通り、もはや助ける事など出来ません。せめて楽にして差し上げる、つもりでいたのですがね……私、フェイトさんを馬鹿と言いましたが、馬鹿は無様よりずっとましです」
 拳銃に語りかけるように、ダグは呻いていた。
「私は無様でした……無様な、迷いを……!」