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【夢紡樹】 閑話日和 2
だんだんと通いなれてきた道を辿り、セレシュ・ウィーラーは夢紡樹の扉を開けた。
「はー、生き返るー」
外の茹だるような暑さが嘘のような店内の気温と湿度に、セレシュは思わず声を上げる。
暦の上では秋も近いというのに、連日真夏を思わせる暑さが続いている。夜も湿度が高くまだ秋には程遠い。
「いらっしゃいませー!」
ピンクのツインテールを揺らしながらやってきて、丁寧に腰を折り挨拶をしたのはリリィだ。
「待ってたよー。とりあえず暑いから奥へどうぞ」
ほんまに今日も溶けそうな暑さや、とセレシュは告げるが、セレシュの額には汗の一粒も無い。
「見学していくんでしょ。今日もオススメにする?」
「そうやなー。うん、オススメにするわ」
「はーい、じゃあちょっと待っててね」
スカートのフリルを揺らし去っていくリリィを見送ると、セレシュはカバンから以前貰った鈴を取り出し手の上でころころと転がす。
音の鳴らない鈴は無機質なきらめきを放ち店内の淡い光に揺れた。
「いらっしゃいませ。おや、謎は解けましたか?」
横から伸びてきた手がセレシュの前に珈琲を置く。
「んー、どうやろな」
綺麗に盛り付けられたワッフルを置いた貘に、ありがとう、と告げたセレシュは自分の鈴についての見解を述べる。
「まずはこの表面。聞こえる相手を限定するために、塗装の上に何か付着させとるんやないかと。それに反応して色が変わるんやろうと思うけど、家に置いておいてもさっぱり色が変わらんかった。よって判別不能」
そこはお手上げや、とセレシュは肩をすくめた。
「では音色はどうです?」
「それもあんま進展なくてなー。特定の相手だけに聞こえる鈴ってのはこの間も言ったやないか。ただそれがどっちなのか分からなくて困ってるんよ。特定の相手に自分の存在を知らせるためか、それとも特定の相手の存在を知るためか。どっちなんやろなー」
悩むセレシュの姿を眺めながら貘は楽しそうに笑う。
「だったら丁度良いですね。悩めるあなたにエディがいいものを見つけてきたみたいですよ」
少しお待ちください、と去っていった貘と入れ替わりでエドガーがセレシュの元へやってくる。
「お役に立つといいんですけど」
そう言ってエドガーが差し出してきたのは、同じ形をした鈴だった。
「んんっ?」
「どうやら対になっているようでしたのでお持ちしました。この間はないと思っていたんですが、どうやら悪戯で隠されていたようでして」
申し訳ありません、とエドガーは謝罪する。
七色に揺らめく二つの鈴はセレシュの手のひらの上で転がった。
「対やったんか……」
「そのままどうぞお持ちください」
では、とエドガーは一礼してカウンターへと戻っていく。セレシュは何回か手のひらの上で鈴を転がすと、そのままカバンの中へ鈴を戻した。その頬は新しい玩具を手に入れた子供のように緩んでいる。
セレシュは改めて目の前に置かれたワッフルに目を向ける。そこには色とりどりの果物が生クリームと共に盛り付けてあった。食欲をそそる見た目だ。
ナイフとフォークを手にしたセレシュは、ワッフルを口に運ぶ。甘すぎずくど過ぎない味付けに満足したように微笑み、そのまま珈琲を口にした。
穏やかな時間が過ぎる午後。
外を眺めても都会の喧騒はここではまったく感じられない。店の中もゆったりと時間が過ぎていく。この店の中で忙しなく動いているのはリリィくらいだ。
他はカウンターで楽しそうにエドガーと会話をしている常連客と思われる人たちや、貘に夢の卵を渡されて目を輝かせている人物などで溢れている。
それらを眺めながら満足そうに珈琲を飲み干したセレシュの元に、リリィがやってきて声をかけた。
「珈琲のおかわりはいかが?」
「んー、貰おかな」
「はーい、お待ちくださーい」
笑顔を振りまきリリィが去っていく。
セレシュは読みかけだった本を取り出し読み始めた。
集中してしまうと周りが見えなくなる方では決してない。しかしここでは特に気をつける必要もないためか注意が甘くなるようだ。
珈琲に手を伸ばそうとして、セレシュは向けられている視線にようやく気がついた。
「あー、すっかり夢中になってたな。せっかく温かい珈琲淹れてきてくれたのに」
視線の主はリリィだった。大きく顔の前で手を振ったリリィは言う。
「違う、違うの。すごい真剣に読んでるからそんなに面白いのかなあと思って見てただけなの」
「まあ……専門書やからな。面白いかどうかは人それぞれやと思うんやけど」
セレシュは少しずれた眼鏡を直しながら珈琲を飲む。
「なぁ、やっぱり喫茶店で勉強って店の人からしたら迷惑なんやろか」
常々思っていたことをセレシュが尋ねるとリリィはかぶりを振る。
「他の店はどうか知らないけど、この店は大歓迎だよ。ほら、この店って人を選んじゃうから。来れない人はずっと来れないし」
だからどんだけ真剣に読んでても大丈夫、とリリィは告げた。それをきいてセレシュは安堵のため息を漏らす。
「ほんなら良かった。結構時間忘れて居座る傾向にあるからな」
「どうぞどうぞー。って、そうだった。マスターが時間空いたみたいで、良かったら裏にどうぞって言ってたの」
セレシュはもう閉店かと辺りを見渡すが、閉店する兆しは無い。首を傾げるとリリィがクスクスと声を上げて笑う。
「多分、お客さんはこれ以上増えないからってことだと思うの。本読んでしまわなくても平気?」
「これはいつでも読めるし。ええよ」
それならどうぞ、とリリィはセレシュを促し工房へ案内した。
扉を開けて歩き出した時、セレシュは足元で動く何かに気付き歩みを止めた。軽い足音を立ててセレシュの脇を駆け抜けていったのは、少年の姿をした小さな人形だった。
「あれ……」
「あぁ、あの子もマスターが作った子だよ。悪戯っ子でね、この間の鈴の片割れを隠してたのもあの子だったの」
「そうだったんや」
あんな小さい子もおるんや、とセレシュが呟き歩き出すと、足にしがみつかれた感覚があった。驚いて足元を見れば、そこには先ほどの少年の人形と同じサイズの少女の人形がいてセレシュを見上げていた。
「ごめん……なさい」
「んー? なんか謝られる様なことあったやろか」
セレシュは首を捻るがすぐに思いつき声を上げた。
「うちが貰った鈴の片割れのことやろ」
「そうなの。遊んでるうちに奥にいっちゃって。そのまま忘れちゃって、隠したわけじゃなくて、だから……」
泣きそうな表情で告げる少女を抱き上げたセレシュは言う。
「そんな心配せんでもええよ。怒ってへんし。わざわざありがとう。さっきの子にも伝えてな」
小さな頭を撫でててやりながらセレシュは、一緒に行こか、と歩き出した。その様子をリリィはとても嬉しそうに見つめていた。
「ようこそ。おや、伝えることが出来たみたいですね」
セレシュを迎えた貘はセレシュの腕に少女の人形がいたことに気付き声をかける。貘は厚い布で目元を覆っているのに、見えているのではないかと思うほど自然にそのことを言葉にする。口元は笑みの形を作っていた。
「はい。言えました」
セレシュに向かい頭を下げた少女は、テーブルの上に下ろされるとそこに置いてあった小さな椅子に向かって駆けていく。そこが定位置なのだろう。もう一つある椅子は先ほどの少年のものに違いない。
「さあ、セレシュさんもどうぞ」
応接セットの方に案内されたセレシュは、ゆったりとしたソファに腰掛ける。
「素直なええ子やね」
「ええ。もう一人の子は恥ずかしがり屋で」
「へぇ、やっぱり人形にも個性って生まれるもんなんかな」
暫く考えていた貘だが静かに頷く。
「うちの子達はそれぞれに個性がありますね。子供と同じで善悪の区別があまりついていない事が多いので、躾もしっかりするようにはしてますよ」
「自分の子供みたいなもんやね。そうそう。この間の子、どうしとるんやろ。躾の真っ最中?」
冗談めかしてセレシュが言えば、貘は笑いながら入り口を指差す。
「ええ、花嫁修業の真っ最中ですよ」
セレシュが視線を向けると、見覚えのある金髪で青い瞳の少女がトレイにカップとソーサーを乗せ歩いてくるではないか。
「お久しぶりです。ようこそ」
にこりと微笑んだ少女は優雅な仕草でセレシュの前にソーサーを置きカップを乗せた。挽きたての珈琲の香りが鼻をくすぐる。
「お手伝いしてるんやね」
「はい。珈琲を運ぶことだけはちゃんと出来るようになったんですよ」
他はまだまだで、と少女は恥ずかしそうに目を伏せた。それすらも様になっている。少女はセレシュに褒められると、照れながらその場を立ち去った。
「他の子もやっぱり手伝いとかしてたりする?」
「もちろん。お掃除してくれる子や、運動神経の良い子はエディの人形回収に着いていったりと色々ですけどね。あとはこちらにお越しいただいた方の家族になったり」
ふぅん、とセレシュは少し考えるそぶりをみせる。
「貘さんの作る人形に魂が生まれる理由はなんやろか。付喪神みたいなもんなんやろか」
「それともまた違うと思いますよ。いつから生まれるようになったのかと考えると気が遠くなりそうなんですけど。ただとても寂しかったのは覚えてるんですよ。エディやリリィに会う前、私は一人きりでとても孤独で。それを埋めるように様々な人形を作っていたらいつの間にか」
貘は珈琲をブラックのまま口にすると優しい笑みを浮かべた。その笑みにつられセレシュの口角も上がる。
「良かった。今は幸せなんやね。んー、家族を欲しいって気持ちが魂を宿らせたんやろか」
「そうかもしれません。今も継続中なのは不思議ですけれど」
「性格というか魂って選べたり……」
しません、ときっぱり否定する貘にセレシュは苦笑した。分かっていてもつい口を付いて出てしまったのだ。
「魔法技術で人格をコピーするとか、精霊を宿らせるとか似たようなことはできるけど、それとは違うやろし」
その話をし始めたセレシュの眉間に皺が寄る。見えてはいないだろうが雰囲気で感じ取ったのか、貘は不思議そうにセレシュに尋ねた。
「何かそのことであったんですか?」
「あー、余談やけど、たまにそういうのが依頼としてくることがあってな。でもそれがほんまに面倒やったり。発注者の望む性格ぴったりにはならんし、相性もあるさかいな」
ほんまに面倒なんよ、とセレシュはぐったりとソファに沈み込む。よほど嫌な目にあったのだろう、と考えながら貘は言葉を紡ぐ。
「そういった依頼は私のところにはこないのでなんとも言えませんけど、お客さんも無茶を言いますね。魂が宿るってことがどれだけすごいことか分かってるんでしょうか」
「分かってないから言うんやろな」
深いため息を吐きながらセレシュは何度も微調整を行ったりしたことを思い出す。その時の人形の悲しそうな表情は忘れることは出来ない。
「そう簡単に命を生み出すことが出来るはずないのに。人形だって生まれるべくして生まれるんです。居て欲しいと願ったからこそ、ここに居る」
「ここに居る子たちは幸せやね」
全員が同じ存在ではないが、大切な家族なのだろう。
「魂が生まれなかった子は、他の人の元に行ってから生まれるのだと、私はそう思うようにしてます。あと、ここで貰われていった子はお嫁、お婿に行ったのだと」
最後は茶目っ気たっぷりに言う貘にセレシュは思わず吹き出した。
「そういう考え方もありやね」
「はい。きっとセレシュさんのところの嫁いでいってしまった子も今を謳歌してるでしょう」
さあ珈琲のおかわりをどうぞ、と先ほどの少女が運んでくる。
「そうだとええやね」
セレシュは少し晴れた心で珈琲に手を伸ばしたのだった。
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■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
●8538/セレシュ・ウィーラー/女性/21歳/鍼灸マッサージ師
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