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<東京怪談ノベル(シングル)>


豚と猫


 鉱脈が露出している、と言っても素人が見てわかるものではない。一見すると、単なる岩の断崖である。
「お姉様……今度は何をなさるおつもりですの?」
 少女が言った。
 こちらもまた、素人目には人間の美少女にしか見えない、だが人間ではない存在なのである。
 ここ最近、ようやく人間に成り始めた、と言う事は出来ようか。
 セレシュと並んで岩の断崖を見上げながら、彼女はいささか不安げな声を発した。
「崖の上り下りでダイエットとかは勘弁ですわよ。私、そこまで体重増えてはおりませんから」
「それもええな。けど今回はダイエットちゃう、お宝探しや」
 ミスリルの鉱脈である。
 一般人の目には、ただの岩と区別がつかない。だが、ある程度の魔力を持った者の目であれば、ミスリル鉱石の淡い輝きを、岩の中から見出す事が出来る。
 持参した鑿と玄翁を少女に手渡しながら、セレシュは言った。
「鉄より丈夫で発泡スチロールより軽い、夢みたいな金属やでえ。気張って掘り出しや」
「軽い……」
 受け取りながらも、少女がピクリと反応した。
「軽く……なれますの? お姉様」
「なれへんて。念のため言うとくけどな、材質変換の魔法はアンタには無理やで。何せアホみたいな魔力が必要やからな」
 この少女では、乏しい魔力を使い果たし、石に戻ってしまうのが落ちであろう。
 元々、石像であった少女である。そこに生命が宿り、今では付喪神とでも呼ぶべき状態にある。
 石像から、そうではないものへと変わりつつある途上。今こそが、時間のかかる材質変換魔法の最中であると、言えない事もない。
 急激な材質変換を、セレシュの魔力なら実行出来ない事もない。が、敢えてそれをやるだけのメリットがあるとは思えなかった。
 この少女は、時間をかけて人間に成れば良い。
(焦る必要も、あらへんし……な)
 セレシュの背中から、金色の光がふわりと広がった。翼だった。
「うちは上の方で掘っとるさかいな、あんたは下からや。ええか、慎重に掘るんやで。岩ん中で、蛍みたくキラキラしとるのがミスリル鉱石や。ほんまに蛍の光みたいな量しか採れへんさかい、見落とさんようにな」
「お姉様だけ空飛べるなんて、ずるいですわ」
 文句を言う付喪神の少女を地上に残し、セレシュは翼をはためかせて空中に舞い上がった。
 そして崖の中腹に着地と言うかしがみつき、鑿と玄翁を構える。
「さぁてお宝ちゃん、隠れても無駄やでえ。大人しゅう出て来さらしや……」
 鑿を片手でくるりと回転させてから岩壁に当て、玄翁を振り上げる。
 それをセレシュが叩き込む、よりも早く、轟音が響き渡った。
 断崖の麓で、付喪神の少女が、鑿と玄翁を岩壁に叩き込んだところであった。
 叩き込まれた部分から、断崖全体へと、亀裂が広がっていた。
 セレシュの足元でも、岩が崩落した。
 足場を失い、落下しつつ翼をはためかせ、空中へと逃れる。
 そうしながらセレシュは、地上に向かって怒鳴った。
「おんどれ、慎重に掘れ言うとんじゃ!」
「し、慎重にやりましたわ。気張って掘り出せともおっしゃいましたから私、その矛盾に耐えて一生懸命やろうとしましたのよ」
 付喪神の少女が、地上から文句を返してくる。
 生まれながらの怪力を、どうにか制御させるべく、この少女には様々な訓練を課している。
 その甲斐あって、と言うべきなのだろうか。馬鹿力を制御する技術を身に付けてくれてはいるものの、馬鹿力そのものにも磨きがかかっているようであった。


 そういうわけで、という事でもないが模擬戦をやってみた。
 崩れかけた岩壁から、それでもどうにか必要量のミスリルは採取出来たので、今は余った時間である。
「お気を付けて、お姉様! 私の一撃、痛いですわよ」
 元石像の少女が、そんな事を言いながら突進して来て腕を振るう。
 ストーンゴーレム並みの剛力を秘めた細腕。それがブゥンッ! と凶暴な唸りを立て、セレシュを襲い、だが空を切った。
「ふふん。うちを心配しようなんて、3000年くらいは早いでえ」
 言葉をかけながら、セレシュは小刻みに身を揺らした。飛んでいる羽虫でも避けるような回避。
 怪力の細腕が、立て続けに唸りを発しては豪快に空振りをする。
 空振りの様を眼鏡越しに見物しながら、セレシュは言った。
「ただ速く動けばいいっちゅうもんでもないでえ。大事なのは先読みや。攻撃当てるのも避けるんも、最小限の動きでな……ま、言葉で教えられるもんでもあらへん。しっかり身体で覚えや」
「と、年の功ですのね……」
 自身の馬鹿力に振り回され、よろめきながら、付喪神の少女が苦しげな声を漏らす。
「お姉様の動き、さすがに年季が入っておりますわ……」
「……特訓メニュー追加。崖の上り下り、5往復やな」
「せ、殺生ですわ!」
「ダイエット好きやろ? 自分」
 眼鏡をかけた美貌が、にこにこと微笑む。その周囲で、金色の髪がニョロニョロとうねり、牙を剥いた。
 何匹もの金色の毒蛇が、セレシュの頭から伸びて少女を襲う。
「や、やめてお姉様! 嫌、ヘビは嫌ーっ!」
「嫌なら避けてみい。ほれほれ、先読みと最小限の動きや」
 黄金色の毒蛇の群れから、付喪神の少女がおたおたと逃げ回る。
 剛力に磨きをかけるだけではなく、動きの俊敏さを何としても身に付けてもらわなければならない。
 戦いの技量を、もっと高めてもらわなければ。
 人外として生まれた少女である。人の世で生きていれば、想定外の争いに巻き込まれる事もある。降り掛かる火の粉からは、逃げ回っているだけでは駄目なのだ。
(うちもな……いつまでアンタに付いてられるか、わからんのやで)
 そんな言葉を口には出さず、セレシュは毒蛇たちを操り続けた。


 崖の上り下りを辛うじて5往復、やり遂げたところで、付喪神の少女は力尽きた。
「も、もう駄目……アイスクリームを補給しないと私、死んでしまいますわ……クッキー&クリームにバニラアイス、チョコレートサンド、抹茶トリュフ……ブラックコーヒーと最高のマリアージュを成す冷スイーツを、一刻も早く私に」
「全然、元気みたいやな。もう3往復くらい、いけるんちゃうか」
 笑いながらセレシュは、断崖の頂上で少女を放り出し、その傍らに自身も降り立ち、翼を休めた。
 崖の頂上から、景色を見下ろし、見渡してみる。
 ほとんどが森林地帯である。人里らしきものも、ちらほらと見られなくもない。
 視界の遥か彼方では、この岩壁などとは比べ物にならぬほど急峻な山々が、霞を被り、そびえ立っている。
 現代日本での生活が長いと時折、この世界のこういう景色が懐かしくもなる。とは言え、
「も、もう岩と森だけの異世界は、お腹いっぱいですわ……それよりお姉様、早く私にスイーツとコーヒーを……ハラミに生ビールでも良くてよ」
 物質文明に浸りきってしまった少女が、景色を愛でるような境地に達するには、果たしてあと何年かかるであろうか。セレシュは、苦笑するしかなかった。
「豚に真珠……は、あんまりやな。猫に小判っちゅう事にしといたるわ」
「豚でも猫でも構わなくてよ……今は真珠よりも小判よりも、焼き肉とスイーツですわ」