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<東京怪談ノベル(シングル)>


待宵の月(マツヨイノツキ)


 隠れ家的な場所は探していると見つからず、意図しない足取りでしか辿り着けない。
 カウンターは八席、二、三人が座れるテーブルが一つ。日がある内はうどん屋で、沈めば日本酒BARに。昼と夜とで店名が変わる、そんな小さな店……。
「ココって、手打ちうどんしてなかった? のれんも変わってもうてるけど、間違いないはずや」
 セレシュは下げられている提灯の文字を睨み、道順を思い出す。
 うっかり通り過ぎてしまいそうな店構えだが、真昼に食べた味が忘れられず、夜も開いているかと訊ねてみたら、店の雰囲気はすっかり『BAR』なのだ。

 一回は普通に入れたんやし、いちげんさんお断り、ちゅうワケでもなんいかな。

 のれんを片手で払い、引き戸を横へやりながら様子を窺う。店の主も“オッチャン”ではなく、女主人がカウンターを挟んだ向こうで立っていた。
 目が合い『いらっしゃい』と声がかけられる。
「あははっ。店、ちごてへんと思うんやけど」
 住所は同じ。置かれている名刺で確認しつつ、一度座ったスツール。
 座り心地もそのままで、目の前の棚はすっかり日本酒の瓶で埋め尽くされていた。
 とうに成人しているのだと、周りへ何度も言っているセレシュの容姿は十五歳ほどにしか見えない。証明するものがないか聞かれるのは毎度のことだが……。
「未成年は店の戸を開くことができないのよ」
「え、はっ?! どういうことなん?」
 目を白黒させるしかない。

 なんや、けったいなトコ、来てしもたんかな。

 半分後悔しつつも“おしながき”へ目を通す。仕入れによって毎日替わるのか、銘柄は筆と墨で書かれていた。
「……今日のおすすめ“島美人”頼める?」
 おしゃれなグラスなのかと思えば、なみなみ注がれた一合枡が差し出された。透明な表面が柔らかく照明を受け止めている。一献(いっこん)傾けると、酒と檜のよい香りが広がり、深みがあってキレが良く、余韻は桃や桜にも似ていた。

「へぇ。蔵元は東京なんや」
 興味が湧きインターネットで調べてみると、八神酒造のホームページを発見した。
 酒蔵は米どころや西に集中しているのがほとんどで東の蔵は少ない。
「電車で日帰りも楽しそうやん」
 新酒の季節は過ぎてしまっていたが、年中置いているだろうから、直接蔵まで行ってみる事にした。
◇◇◇◇◇
 無人駅に備え付けられた箱へ切符を放り込み、商店街を歩く。寂れた雑貨屋の軒先で風鈴が鳴り響き、その横、自動販売機にはビン入りの“宵待シトロン”がある。販売機の本体へ栓抜きが付いていて、その場で飲めるようだ。

 見かけたことないけど、ご当地サイダーなんかな?

 本来の目的を忘れそうだったので、そのまま歩みを進めれば、突き当たりからの脇、木々が生い茂り葉が小さくざわめいている。見れば、切り裂くようにして石段が組まれていた。途中から薄暗いので、何処まで続いているのか分からなかったが、どうやら神社があるようだ。少し行ったところに“八神酒造”の看板が見えた。
「は〜、やっと到着や。……やっぱり、ごっつぅ古い感じがするな」
 くすみの目立ち始めた塀と対照的に、白木門柱はつい最近取り替えられたようだ。石畳を挟んで苔むした置き石がある。この家は代々、何十年も同じ場所で酒を醸し出して来たのだろう。
「何か面白いものでも見えますか?」
 屋根の庇(ひさし)に乗っている鍾馗(しょうき)を眺めていると、バケツと柄杓を持った青年がすぐ目の前まで来ていた。
「こ、こんにちは! うちはセレシュ・ウィーラーいいますねんけど。近所で“島美人”を出しとる店ありまして、えらい美味しいお酒やったさかい、是非とも蔵元みときたい思うてココまで来たちゅうワケですわ」
「それはわざわざ。足を運んでいただきありがとうございます。俺は蔵を管理している一人で、八神・心矢と申します」
 驚いたセレシュが早口で捲し立てた言葉を、心矢は取りこぼさず聞いていたようだ。一礼した後、中を案内すると申し出た。
「急に来たんやけど、えらいご丁寧に」
「あなたが来るのは分かっていましたので」
「……? あの“うどん屋”の奥さん、親戚かいな?」
 心矢は否定も肯定もするでなく、ほんのり笑ってから通路を進む。

 ホームページ開設してたんもこの坊ちゃんやな。ホワッとし過ぎて、“霞み”みたいやけど……。

 木樽があったであろう場所には、巨大なタンクが並んでいる。品質を一定に保つため、温度調整は機械で行っているらしい。
「時期的に今は稼働していないのですが、タンクはここと、八神の私有地内にある最古の酒蔵を使っています」
「最古の酒蔵って、サイトにもあった土壁の」
「そうです。俺がようやく成人したので、使用許可が下りました。それまでは何十年も使っていなかったそうですが」
「もう、木の樽は使こうてへんの?」
「昔は木樽での醸造が当たり前でしたが、中で雑菌が発生しているとの意見が上がり、酒造タンクを国も推進していました。でも、近年、樽の杉材からの木香は、清酒造りで重視されるようになり、八神では実験的に一部の醸造で採用しています」
「そんで、“島美人”はどっちで造ってるん?」
「“島美人”は最古の酒蔵の酵母を培養して、木樽とタンクで醸しました」

 はぁ、なるほどな。昔も今も忘れへんようにしてるんか。

「八神酒造はいつからここにあったん?」
「三百年とも四百年とも言われていますが、示せる書物は残っていないですね。隣接している八伏神社の神職も兼ねていましたが……」
 心矢はそこで言葉を切った。
「今、神社を管理している者はいません。なので、俺が手伝いをしています」
 彼の表情が曇り、セレシュは何となくだが思い当たる。この町……。“宵待”の名と同じく、緩やかであるが少しずつ傾いている。心矢ひとりの梃入(てこい)れでどうにかなる訳ではないのだろう。
 元々、セレシュは神殿の守護者だった。信仰が絶え、神殿が朽ちた後も守護の命で縛られていたところを、調査で来た異なる世界の恩人により解放されたのだ。

 まあ、うちはまだ幸せな方なんやろうな。

 信者も少なくなり、もしかすると“空(から)”かもしれない神社を守っていくのは……。
「きき酒されますか? ご用意できますが」
「おおっ! ええね! 大賛成や!」

 いずれ訪れる、待宵の月の先。まだ、日は暮れていない。