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猫セット騒動!?
「……何だろう、これ」
部屋の整理をしていた青い髪を揺らした、キャミワンピース姿の少女。
アリア・ジェラーティである。
外は真夏の陽気に包まれ、溶ける程の暑さである。真夏を迎え、忙しなく鳴く蝉の歌声が暑さを増長している様な気さえするが、蝉が鳴かずとも外は暑く、家の中でさえ蒸し暑い。
アリアにとって真夏は過ごしにくい時期であると同時に、自らの家の繁忙期であり、大切な時期であると言えるだろう。
そんな折に、我が家でもある店で行う今度の納涼イベント。そこで面白い衣装でも着ようと考え、何かないものかと自分の部屋を漁りがてら整理していたアリアであった。
――そして今、そんな彼女の手には不思議なアイテムが握られている。
黒い猫耳を模したヘアバンド。そして大きめの肉球を用いた手袋。そして、尻尾。
明らかにコスプレアイテムであるが、アリアは困惑する。
「……初めて見た」
見た事もない不思議なコスプレアイテムを手にしたアリアは、物は試しにとそれを早速装着してみる。
するとそれは、明らかにアリアには大きなサイズであったにも関わらず、みるみるその大きさを縮小させ、アリアの身体にぴったりのサイズへと変貌を遂げるのであった。
「……あれ、外れない……」
ぴこぴこと動いていた耳や尻尾だが、どうやらアリアの意思に反応して動くらしい。しかし今はそれに対して感動している場合ではない。
何せそれらがひっつき、外れようとしないのだ。
「……困った時の、武彦ちゃん」
すでにアリアにとっての武彦は探偵ではなく便利屋としての地位を築き上げているのだが、それは誰も知る由もない。
こうしてアリアは、とりあえずこの猫セットを外すべく動き出すのであった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あっづ〜……」
鍼灸院を開業している金髪の少女、セレシュ・ウィーラーは今しがた見送った客が帰ると同時にそう独りごちる。
店内の客はなし。今帰った客が、今日の最後の予約客である。
いつもであればこのまま新規外来や飛び込みの客を待つというのが平常運転ではあるのだが、この日のセレシュは少々事情が違った。
「……猫の魔道具、やったな。そっちの方での依頼が来るなんて思ってへんかったわ」
外を見つめながらセレシュは呟き、思い出す。
それはつい数十分前の話だ。
唐突に鳴り響いた、何度か仕事で出会った事のある相手。探偵の草間武彦。彼からかかってきた電話で、魔道具の診断と解除方法を調べるようにと依頼されたのだ。
これはセレシュにとっても個人的な興味もあり、依頼料などは一切もらうつもりはない。
かくして、その依頼に該当する、猫の魔道具を取り付けた少女が来るのを待つ事になった、という訳である。
とは言え、そもそも魔道具をつけているのかも見てみなくては分からないのではあるが。
――そんなセレシュの耳に、入店者を報せる音が聴こえてきた。
セレシュが顔をあげてそちらを見つめてみると、それは武彦の言う通り、青い髪に真っ白な肌の少女が、黒い猫耳に肉球のついた手。そして尻尾をつけて立っている姿であった。
「……アイス、いるにゃ?」
首傾げ、耳を動かしながら胸元で両手を折り曲げるアリア。既に完成されているそのポージングを惜し気もなく披露するアリアである。
「……なんや、この可愛い生き物!」
完全に出だしからアリアのペースに乗せられた気分になるセレシュであった。
「あ、いや、何でもあらへん。うちがセレシュ・ウィーラーや。あの探偵の兄ちゃんから話は聞いとるで」
「……アリア。アリア・ジェラーティ」
「アリア……?」
その名前にどうやら心当たりがあるらしいセレシュは、顎に手を当てて考え込みながらアリアをまじまじと見つめる。
「なんや、久しぶりやなー」
「……?」
「去年の夏にあの探偵の兄ちゃんのとこでカキ氷の時に会ったん覚えてへん?」
「……なんとなく?」
「まぁあんまりお喋りするっちゅー雰囲気ちゃうかったしな。改めてよろしゅうな」
「うん」
アリアの能力によって冷房いらずとなった院内。その中でアイスを食べながら、セレシュはアリアから、その猫セットを取り付けるに至った経緯を聞いていた。
「それでつけてみたら外れへんくなったっちゅー訳やなー」
アリアの表情や感情に左右されてピコピコと動く耳や尻尾を見つめながら、興味深そうにその動きを見つめるセレシュがそう呟いた。
「……にゃ?」
「ん? これが気になるんか?」
セレシュが手に取ったのは猫じゃらしの玩具である。偶然にも猫を連れてここに診療に来る客がいる為、こうして用意していたのだ。
「……」
セレシュが猫じゃらしを手に取ると、アリアが目を爛々と輝かせつつ、尻尾を波打たせる。獲物を狙う猫そのものである。
試しにセレシュがそれを横に振ると、アリアが猫パンチを繰り出し、虚空を切る。それが面白くなってしまったセレシュは、そのまま猫じゃらしを使ってアリアで少し遊ぶ事になったが、ご愛嬌である。
「まるでほんまもんの猫やなぁ」
「うにゃー……」
猫じゃらしで遊んだ後で、今アリアはセレシュに喉を擽られながら寛いでいる。その状況に苦笑を浮かべながらも、セレシュはそのコスプレセットの解析を始めるのであった。
「……あかんわ。これ早く外さな、同化して猫化しとる……。既に身体に魔力が浸透し始めて、同化が始まっとる。このままやったら数日で完全に猫になるかもしれへん」
朗らかな空気が一変し、セレシュの表情に緊張が走る。どうやらアリアの身体に身に着けているこの猫セットは、魔導具というよりは呪具に近いもの。呪いが装着した者の身体を乗っ取る可能性があるようだ。
「ちょっと待っとき。今解呪に必要なもん取りに行って来るわ」
「うにゃー?」
喉から手を放されて不服気味なアリアに見送られ、セレシュは地下にある自身の工房へと向かって歩いて行く。
同化する呪具。その厄介さは、精神面への影響が大きい。
アリアが身に付けているその呪具もまた、まさにその悪性を持った道具であった。
アリア――既に精神が猫化している彼女は、同化する事への危機感を抱く事もなく、ただ単純に退屈さに身体をだらりと寝転ばせ、何か面白そうなものはないかと周囲に視線を向ける。
「……にゃっ?」
そこへ、何処から迷い込んだのか鍼灸院の中へと入り込んだ蝶々。そのひらひらと舞う姿に尻尾を波打たせ、アリアは蝶々を捕まえようと飛び上がる。
ふわりとその手を避けた蝶々が外へと向かって飛んで行くと、アリアもまたそれを追い始める。
一方、地下にいたセレシュは鍼灸院から聴こえてきた物音に気が付き、嫌な予感がして慌ててアリアのもとへと戻って行く。
しかし既にアリアは外へと向かって飛び出そうとしている。
「あぁッ、あかんよ!」
「ふしゃーっ」
「へ……? しま――ッ!」
邪魔をされる事に苛立ったアリアが、持ち前の冷気を操り、セレシュ――言うなれば邪魔者の身体を凍結させ、再び蝶々を追って外に向かって駆け出した。
幸い、クーラーをつけずにアリアの冷気によって冷やされていた室内も、術者であるアリアがいなくなれば外の熱気がすぐにその場を満たし、温度を上昇させる。
溶けるような真夏日である事が幸いし、セレシュは数十分で意識を取り戻すに至り、身体を覆った氷を自身の魔力で砕いた。
「……ふ、ふふふ……。えぇ度胸やないの、うちを氷で固めるなんてなぁ……」
セレシュが俯いたまま肩を震わせ、小さく呟いた。
「固めておく。せやな、それが正解やんなぁ……」
セレシュの眼光が鋭く光る。
蝶々を追って街の中へと飛び出していたアリアは、何度となく蝶々に向かって飛びつくも、それをことごとく避けられてしまっていた。いい加減捕まえたくなってきたアリアが周囲をふと見回す。
夕暮れ時の繁華街。雑踏に紛れ込む可能性すらあったにも関わらず、その場所はまるで世界が切り取られたかの様に静けさに包まれ、人の姿はない。
猫としての本能か、はたまたアリアの直感が告げるのか、アリアは周囲を警戒して見回すと、小さく威嚇する様に「ふしゃー」と唸り始めた。
そんなアリアの耳に、カツカツとヒールを踏み鳴らす音が聴こえてくる。
それも一箇所からではない。あっちこっちから、自分に向かっていくつもの足音が近付いて来ているのだ。
「みーつけた……」
まるで蛇の様に金色の髪を踊らせたセレシュが姿を現す。そのあまりの殺気にも似た感覚に固まったアリアが、逃げようと試みて反転するも、今度はそちら側にもセレシュの姿が浮かび上がる。
「逃さへんで……」
「ほら、アリアちゃん。おとなしゅうしとき」
「痛くはせえへんからなー」
あちこちに現れるセレシュの姿に、アリアは困惑し、逃げ場を失う。威嚇しながら後退るアリアが、壁際へと追い込まれていく。
ついに歩み寄ってきたセレシュを再び凍らせようと試みるも、それは身体をすり抜け、氷の固まりを一つ生み出しただけにとどまった。
「にゃ!?」
「また固めるつもりやったんやなぁ?」
不気味な程の優しい声色に、アリアが身体を強張らせる。
「固めるっちゅーんは――」
「――こうするんや」
その場に何人もいるセレシュが一斉にその眼鏡を外し、アリアを見つめる。
――その瞬間、アリアの意識は途絶えるのであった。
「――……ん」
「お、目ぇ覚めたみたいやな」
アリアが目を醒ましたのは、セレシュの鍼灸院のベッドの上であった。
白いベッドの横にはアリアがつけていた猫セットが横たわり、無造作に置かれている。
アリアは身体を起こすと、その猫セットを見た後にセレシュへと視線を移した。
「……取れたの?」
「成功や。とりあえず呪いも解呪したし、もう同化して猫になる様な事はないやろ。記憶はあるんか?」
セレシュの問いかけにアリアは静かに首を横に振った。
「……ここに来て、アイスあげた所まで」
「そ、そかそか。問題あらへんで。無事に解呪成功や」
セレシュもさすがに言い淀むというものだ。
アリアに氷漬けにされた事がセレシュのプライドを軽く逆撫でし、アリアを追う為だけに街全域に人払いの結界を施し、その上幻覚を使用。そして捕らえる為という大義名分の下に石化を施してアリアを運んだのだ。
アリアの記憶がないのなら、それをわざわざ伝える必要はないだろう。
そう言い訳を完了すると、セレシュはアリアの頭を軽く撫でるのであった。
「もうこれに呪いの力はない。普通につける分には問題ないで」
「ありがとう。今度、お礼するからウチのお店に来て」
「そりゃ有難いな、アイスもらえるだけでも最近はめっちゃ暑いさかい、助かるわ」
本来はお礼もいらないと言いたい所ではあるものの、この猛暑にアリアからのお礼でアイスがもらえるのならセレシュにとっても嬉しい所である。
こうして、アリアの猫化騒動はセレシュの活躍によって無事に解決する事となったのであった。
――数日後。
アリアからわざわざ招待状をいただいたセレシュが、アリア達一家が営むアイス屋へと向かう。どうやら納涼イベントが行われているそうで、セレシュはイベントの内容を楽しみにアイス屋へと向かった。
「……やり過ぎやろ……」
アリアの営むアイス屋を遠目に見て、セレシュは思わず呟く。
氷の女王を始祖とするアリアとアリアの母。そんな二人によって作り上げられた、さながらこじんまりとした氷の城。
そんな店が出来上がっていたその場所は既に多くの客で賑わい、多忙を極めているようであった。
唖然としているセレシュを見つけたアリアが、セレシュに向かって小走りに駆け寄る。
「……セレシュちゃん、いらっしゃいにゃ」
「にゃ?」
声の主に振り返ったセレシュの目に映ったのは、先日の呪いの騒動を起こした猫セットをつけたアリアの姿であった。
「……しっかりつけとるんやな」
あんな騒動があった道具、解呪されているとは言ってもつけたくなくなるのが一般的であるのだが、どうやらアリアはそうではないらしい。
相変わらずの眠たげな瞳でサムズアップしたアリアは、セレシュに向かって言い放つ。
「この方が客受けが良いにゃ」
「腹黒やな、自分!?」
思わずツッコミが冴え渡るセレシュであった。
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ご依頼有難う御座います、白神怜司です。
お久しぶりです。
私もこの夏は暑さにすっかりまいってしまい、
なかなか気力を削がれてますね……。
そんな中で頂いた、セレシュさんとアリアちゃんのツインノベル。
なかなかのコメディタッチのプレだったので、楽しく書かせて頂きました。
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後とも宜しくお願い致します。
白神 怜司
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