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<東京怪談ノベル(シングル)>


堕天を断罪せし者 前篇

終業時間の告げる放送を聞きながら、デスクワークに追われていた瑞科は小さく伸びをし―再び仕事を再開する。
両脇に山積みとなった書類の束。
電子化が進んだとはいえ、社の存亡にかかわる最重要契約などになると、紙媒体が主体。
当然と言えば当然だろう。
社の担当―あるいは経営陣同士が契約を交わし、直筆で記すからこそ意味があり、重きをなす。
ある程度の知識を持った者ならあっさりと書き換えを可能としてしまう電子媒体では互いを信頼できないのはある意味、皮肉と言えた。
だが、今瑞科が処理している書類はそういった最高レベルのものではないが、それなりに重要度が高い。
瑞科のほかに数人がすでに過ぎ去った終業時間を無視してサービス残業に突入し、残務処理に取り組んでいた。
誰もが必死になっている中で、早々に引き上げるわけにいかないと判断した瑞科がデスクワークにひたすら取り組むのは当然の流れだろう。

数枚の書類を片付けていき―それまで流れるような動きで動いていた瑞科の手が止まる。
手にしているのは一枚の書類。
ただし他の書類と違い、それは普通のコピー紙ではなく若干黄ばみ質感が若干違う。
それを一読した瑞科は小さくため息を零し―デスクを立った。

「白鳥さん、どうしました?」
「本日中に決算する書類が終わりましたので、後は早朝出勤で終わらせますわ」

突然立ち上がった彼女に怪訝な表情を浮かべる同僚に瑞科は嫣然と微笑んで返す。
疑問符を飛ばす数人の同僚たちの中で何かしら察したらしい者たちが一瞬だけ瞳を鋭く光らせ、誰ともなくうなずき合う。

「白鳥、お前の方の書類は後回しだ。それに進行状態も俺たちより数倍早く済んでるんだろ?」
「ついでで悪いが地下書庫に行ってくれ。その前の契約を確認したいから」
「わかりました。報告は」
「明日以降で構わない。公文書館並みの書庫から見つけ出すのは一苦労だからな」

意地の悪い言い草に眉をひそめる同僚たちを横目に、瑞科はにこりと微笑んで分かりましたと答えて部署を出た。
同時に零れ落ちるため息は同情かはたまた無言の抗議か分からない。
ただ、人を思いやる良心を持ち合わせる同僚たちが多数を占めることは僥倖というのは確かであった。

少し高いヒールを鳴らしてエレベータに滑り込むと瑞科は優雅な手つきで階のボタンを押す。
ウィィィンと低い音を立てて降りていくエレベータの壁に寄り掛かると瑞科は部署から持ち出した資料―いや、指令書に目を通し、吐息を零した。
表の仕事に紛れ込ませて司令を出すとは、よほどの緊急事態だと察しがつく。
やがて音もなく地下に到達し、瑞科は数千メートル下にある礼拝堂に踏み込んだ。

「お待たせしました」
「仕事中に済まない。指令書にもあっただろうが、緊急事態だ。至急B310524地区にある神社に向かってくれ」

カソックの襟元を緩め、やや荒げた声を出す司令に瑞科は一瞬にして事態の重さを悟らされ、肩をすくめた。

「日本古来の神々を祀った神域で邪神崇拝とはまた……神をも恐れぬ行為ですわね」
「事態は急を要するのだ、白鳥審問官。その神社は本来、雷神と武神を祀った由緒正しき社だったのだ。数週間前、神官家族が事故で他界。代わりに入ったのが神官の実弟だ。が、その男はこともあろうに異国の邪神崇拝にのめり込み、20年以上も前に先代から勘当・絶縁されていた」
「まぁ……でも改心は?」
「していない。さらにのめり込み、今では邪神崇拝の教祖となって神社を本拠地に据えている」

右手で顔を覆い、ひどく嘆く司令に瑞科は小さく小首をかしげる。
いつになく平常心がなく動揺を隠せない司令の姿は初めてだった。
常に冷静沈着で穏やかさの中に非情さを兼ね備えた彼がここまで動揺するなど不思議に思う。

「すまない、白鳥審問官。冷静さを欠いていた」
「いいえ。お気になさらずとも大丈夫ですわ、司令。むしろ指令が1人の人間であると知って安心できました」

にっこりと笑って見せる瑞科に司令はようやく口の端に笑みを乗せ―大きく息を吐き出すと、ゆっくりと向き合う。

「その神官は私個人の古くからの友人でね……『教会』にも協力していたいいやつだった。だが、その邪神に魅入られた実の弟に事故に見せかけて消された」

その一言に息を飲む瑞科。
何かを懐かしむようにつぶやく司令の目ににじむのは憎悪と激しい怒り。
すっと姿勢を正すと瑞科は司令に背を向けた。

「白鳥審問官」
「任務に向かいますわ、司令。邪神崇拝など『教会』の武装審問官として放っておくわけに行きませんもの」

ふわりとほほ笑むと、瑞科は優雅にヒールを鳴らして通路の奥に消えた。

騒がしい都市の郊外に、張りつめた静けさと神聖さを持った竹林。
その奥に抱かれた神の御霊を祀る社はあった。
だが、今はどこまでも無限に続く無明の闇とそれを写し取る青白い炎のかがり火が炊かれ、妖しく周囲を浮かび上がらせていた。
黒い式服に身を包み、銃を担いだ男―教団員たちが灯篭を持ちながら、周囲を警戒して回っている。

「異常はないか?」
「今のところは……だが、情報が正しければ『教会』からの討手が来る」
「教主様の兄とものあろう者が愚かな」

吐き捨てるように言う1人の教団員に他の教団員たちも苦りきった表情を浮かべていた。
偉大なる神の忠実なる第一の使徒・教主様が大いなる力を持って、無知蒙昧にして愚鈍なる先代の神官たちを排除し、この神域を奪還したというに。
まさか世界的な規模を持つ『教会』とつながりをあるとは思いもしなかった。
お蔭で傲慢な武装審問官派遣という情報が入り、教団は教主を守るために外部哨戒部隊と内部哨戒部隊の二つに非常警戒令を発動させ、徹底とした警戒態勢を整えたのだ。

「ともかく教主様の祈祷が終わるまで警戒を怠らぬことだ。偉大なる神が降臨されれば、傲慢なる輩たちなど一掃できる」
「ああ」

教団員の中の一人が確信をもって告げると、誰もがうなづく。
ざぁっと風が吹き抜け、竹林が大きく揺らいで静寂を打ち破り、飛び散った葉が舞い落ちる。
上空を覆っていた雲が晴れ、冴え冴えとした銀の月が顔を出し、地上を照らす。
ふと気づくと、そこに柔らかな髪をなびかせた一人の女が立っていた。

「誰だっ」

当然現れた女に教団員たちが色めき立ち、銃口を一斉に向ける。
だが、それに恐れもせず女は小さく笑みを浮かべて優雅な足取りで教団員たちに恐れることなく歩き出す。
月明かりに照らされて現れたのは艶のあるラバーコートに似た素材の黒いシスター服。
ぴったりとフィットし、豊満なる女の身体の線を強調させ、深く切り込まれたスリットから白いソーニックスに包まれた象牙色の太ももが覗く。
胸元を守る革製のコルセットの上にかけられた純白のケープとヴェールが妖艶さを彩る。

「あらあら。随分な人数ですわね……ちょっと時間がかかりそうですね」

膝丈まで編み上げられたブーツがゆっくりと大地を踏みしめる。
二の腕まで包んだロンググローブに散りばめられた無駄のない白い装飾に両の手首を守るために嵌められた黒のグローブと見事なコントラストを描いていた。
闇の中から現れた美しくも恐ろしいまでの殺気を纏った女―武装審問官・白鳥瑞科は優しい微笑を浮かべながらも、ぞっとするほど凍り付いた瞳で教団員たちを睥睨する。

「真なる神のため、殲滅させていただきます」

わずかな衣擦れの音が響くかいなや、前列に教団員の眼前に踏み込むと、身体をかがませ、顎目がけて鋭い一撃が繰り出される。
避ける間もなく、見事に天上に吹っ飛ばされる教団員。
慌てて身構える教団員たちに反撃の暇も与えず、瑞科は優雅かつ無駄のない動きで急所に拳をえぐり込ませ、振り向きながら後頭部に回し蹴りを食らわせる。
力の差は歴然で、数十人構成の外部哨戒部隊が沈黙するのに5分と掛からなかった。

「あらあら、たわいもないこと。では中にいる方たちも排除させていただきますわ」

冷たい瞳で死屍累々と倒れる外部哨戒部隊たちを蹴り飛ばし、瑞科は邪気に満ち溢れた社へと足を向けた。