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Dunkelheit
「へ?黒い顔の殺人鬼?」
「うん、今ちょっと調べてて……」
α市。人口七千人を誇る、不夜城とでも形容するに相応しい煌々とした大都会。
綾鷹郁は調査と銘打って道を歩くサラリーマンの一人に声をかける。
「……知るか!俺今日はオールで忙しいんだ!」
しかし、サラリーマンはそう言って郁を押しのけて去っていった。たかが一人の少女に構うほどの余裕はないということか。郁は溜息をつく。
これで何人目だろう、この街は住人まで記号的、無機質な日々に染まった心は個を重視しない。
諦めずにほかを当たってみてもこの調子だ、もう日も暮れている。これではどう報告した物か。郁は額を押さえつつも歩を進める
裏路地を抜けると、表とはうってかわってひどく荒廃した風景がある。何事も光があれば影があるというが、ここがα市の影とも言える。
端から聞こえた声ちらと視線を移してみると……、治安はあまり好くないようだ。
空いた腹を満たすためにも
ファミレスに入ると、聞きなれたベルの音が郁を迎えた。
いらっしゃいませ、何名様ですか?とマニュアルに書かれたテンプレートのような応答をする給仕に用件を簡潔に伝えたところ、給仕は顔に困惑を貼り付けてバックヤードに戻っていく。
「どうしよう……」
「あの子ならたぶん……常連だし……」
彼女らなりに声量を抑えているのだろうが、人々が食事をする音以外はBGMのみしか聞こえない店内では郁に丸聞こえだった。
しばらくして意向を決めた給仕が郁の元に出てくる。詰まりがちなものの、出てきた言葉をまとめるとこうだ。
「あちらのお客様ならそういったことには詳しいかと……今日も来てるんですけど、どうします?」
郁は満席だったための相席ということで、あの子――窓際に座る少女との接触に成功する。
少女はカバーをかけた本からちらと目を離して郁を見るものの、興味なさ気に視線を戻した。
「ちょっといいかな?」
ぱらりと頁をめくる音が返答代わりだった。視線の先はそのままだ
「あたしは郁っていうんだけど……」
「何の用?私は忙しいの」
「……あたしには暇そうに見えるかな」
普通に考えればファミレスで四時間も読書というのはたいていは暇をしてるか、家で読書をするほどの余裕がない人のイメージがつく。それを読み取ったのか少女は表情をむっとした物に変えて反論した
「調べ物よ……他人に関する、というか……」
「そうなの。あたしも調べ物。黒い顔の殺人鬼について調べてる」
黒い顔の、というキーワードを聞いた少女がぴくりと身を震わせたのを見た郁は、チャンスを逃さぬよう次の言葉を放った。
「何か知ってるのね?」
とうとう少女は本から目を離し、語り始める。
「殺人鬼かは知らないけど……黒い顔の男なら。私が帰る頃にテレビに映ってずっと妹を睨んでる。気持ち悪い。このままだと妹が何かされそうで……」
「妹さんは何か言ってるの?」
「言える訳がないわよ。妹は植物状態なの、ずっと寝たまんま……」
少女の弁によれば、私たちは童話で描かれる白雪姫と妖精のようなものだという。少女は無愛想に見えるが、必ずしもそうではないということだ。
「今夜、あなたの家にお邪魔してもいいかしら?」
郁の提案に少女は暫し躊躇った後……こくりと頷いた。
知らされた少女の家へ向かうためにα市の歩道を歩く最中。ふと妙な違和感を感じた郁は違和感の元を探りに寄り道をした。
「うわっ……」
寄り道の先にあったものに顔を引き攣らせるのも程々に、その惨状を冷静に分析する。
一見してただの死体であるが、自分ならば分かる。これは航空事象艇乗員、TC隊員の死体だ。おそらくは即死だろう。潰された顔が道をグロテスクに彩っていた。死体が転がってる状況にも関わらず、街の人々は無反応だ。各々の目的で精一杯なのだろうか。
「報告。センサーでは感知不能ですが確かに私を見張る者が居ます」
信じたくはないが、こういった組織に身を置いていればありえないことではない。郁は通信機に手を伸ばし、旗艦に報告を済ませた。
ちょっとしたトラブルはあったものの、どうにか少女の家に辿り着いて呼び鈴を鳴らす。どうぞ、と出てきた少女に部屋まで案内されてようやく郁は一息つけた。しかし、同時にここからが重要であると気を引き締める。
「寝巻しかないの?」
郁は部屋を見回してつい思ってしまったことを口に出す。その発言にあっ…と何かに気付いた少女が開けっ放しのクローゼットを慌てて閉めて、郁を訝しそうに眺めた
「そう言うけど貴女のガウンもよ……」
「あら、これはセーラー服よ!」
郁はあっけらかんとそう返してから、
「黒い男が映るのはこのテレビかしら?」
砂嵐を映すテレビを指差した。郁はふむ……と考える仕草をした後にテレビの前、そして後ろに姿見を設置した。テレビを挟んだ合わせ鏡だ。
「よし、あとはその時間を待つだけ」
「これでどうにかなるの?」
「……まあ、賭けね」
壁に掛けられた時計が零時を指すころ、砂嵐の中に異変が生じた。耳障りな音は止まり映像は揺らめいて人影が浮かぶ。
「お、俺が無限に居るぅ?」
人影……黒顔の男は鏡に映る自分を見て驚いたようなポーズを見せて、合わせ鏡による無限ループに耐え切れなくなったか錯乱した。それを合図にテレビの画面は弾け、本体が煙を上げる。
「待ちなさい!」
異変はもう一つあった。植物状態であるはずの少女の妹が起き上がり、衰えた体を無視した機動力で走り始める。呼びかけへの返答はない。郁は逃げる彼女を追いかけた。
やっとの思いで追い詰めた先は地下鉄の廃線だった。常夜灯から信号から湧き出ていくもの……これは何だ。
「あなたは誰?」
「俺か?俺は闇だ、必要悪に浪費されるエネルギー。それの集合体」
くるりと振り返ったものを郁は睨みつけた。こいつの名は生命体で十分だ。
「俺はほかと違って頭が良くてさぁ……良い物を動かした後には休ませる時間ってのも必要なんだよ。お前にもわかりやすく言うと、知恵熱の冷却っつーか。だがよ、街はどこもかしこも明るくて休む暇がねえ。俺は夜が欲しいんだ」
「安っぽいわね。自分でそれを言う?」
軽蔑したように郁は告げた。生命体はその発言に意も介さずに嘯く。
「そう言うなよ。誰もが顔を背ける都会の闇、そこに生きて何が悪い?」
「じゃあなんでTCの人を殺したの。あの人は何も関係ないじゃない!」
哂う。生命体が。芝居がかったように。
「俺と人間の共存をTCが乱したから倒した。それの何が悪い…「環境」局員さんよ?」
「それは……!」
返答に窮す郁の横を何かが過ぎった。小さな爆音と目の前で上がる炎。先ほどの報告を受けた旗艦の指令で仲間が援護しにきたのだろう。援護射撃の影響で生命体は断末魔を上げながら炎に包まれていく。
大丈夫か、と仲間が心配しても郁は上の空だ。
「これでよかったの……?」
あの場で自分はどう答えるべきだったか。正解は何なのか。終わりのない問答に苦悶する郁が溢した言葉に答える声はない。
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