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<東京怪談ノベル(シングル)>


自分を作り上げるもの


「ここで会ったが百年目、という事ですわ! お姉様!」
「毎日会っとるやんけ」
 などというセレシュの言葉をもはや聞こうともせず、付喪神の少女は襲い掛かって来た。
 怪力を秘めた細腕が、手刀か平手打ちか判然としない形にブゥンッ! と唸る。
 セレシュは1歩、退いて、それを回避した。唸りを立てる一撃が、眼鏡の近くを激しく通過する。
「よくも……あの時は、よくも私を石像などに!」
「おイタが過ぎたさかいな……」
 軽やかにステップを踏みながら、セレシュは身を揺らした。
 揺れるセレシュを狙って、元石像の少女が、激しく両手を振り回す。
 美しく鋭利な手刀が、鉈のように唸りながら、ことごとく空振りをする。
 かわしながら、セレシュは分析した。
 この少女は、接近戦で自分を撲殺しようとしている。魔法を使おうともせずに。
 あの魔女であれば、記憶の回復を隠しながら何事もなく今まで通りの生活を続け、セレシュの寝首を掻く機会を窺う、程度の事はするであろう。
 そうした策を弄する様子もなく、この少女は今、真っ当に白兵戦を挑んで来ている。
 魔女の、記憶は甦った。だが心までは甦っていない。
 心は、セレシュと共に暮らしてきた少女のままだ。
「何とかの一つ覚えみたいに、殴り掛かって来よる……そこは、まんまやな自分」
「何を、わけのわからない事を!」
 怒声と共に、付喪神の少女は片足を跳ね上げた。
 美しい脚線が、鞭のようにしなって弧を描く。
 超高速の回し蹴り。それを、セレシュは容易にかわした。
 かわしながら思う。この少女の、本来の蹴りではない。
 いささか急ごしらえとは言え、彼女の格闘能力は、訓練や実戦でそれなりに鍛え上げられている。これほど回避しやすい雑な攻撃を、繰り出して来るはずがない。
 記憶だけではない。能力も、あの魔女のものに切り替わりつつある。セレシュは、そう感じた。
 あの魔女に、格闘戦の心得などあるはずがなかった。
「あんた、そのまんまって事や」
 軽く後方に跳んで間合いを広げながら、セレシュは言った。
「他人の記憶に振り回されたらあかんで。自分は、自分や」
「ええ、そうですわ! これが私、本当の自分でしてよ!」
 夜闇よりも濃い暗黒が、少女の全身から迸り出た。
「お覚悟なさいませ、お姉様! その綺麗な皮を引き剥がして、醜く無様な化け物の正体を暴いて差し上げますわ!」
 その暗黒が、無数の蛇の如く何本にも分裂し、鞭のように伸びてセレシュを襲う。
「魔法は……やめといた方が、ええんとちゃうかな」
 忠告しつつ、セレシュは念じた。そして一言、この地球上からすでに失われた言語を呟く。
 光が生じた。その白い輝きがインクとなり、空中に紋様が描き出される。様々な図形・記号を内包した、光の真円。セレシュの楯となる形に、浮かんでいる。
 そこに、何本もの暗黒の鞭が激突する。
 白い光の紋様が、暗黒の鞭が、両方とも砕け散った。魔力の相殺。
「くぅっ……さすが、やりますわねお姉様。ですが、勝負はまだ! これからでしてよ!」
「あかん。こないアホみたいな勝負は、ここまでや」
 セレシュは言った。
 付喪神の少女は、硬直していた。
「なっ……! こ、これは……こんな……」
 硬直した身体を、無理矢理動かそうとしながら、彼女は動けなくなってゆく。無理矢理に動きかけた手足が、そのせいで滑稽な角度に曲がったまま固まってしまう。
「言わんこっちゃないわ……魔力切れやな」
 セレシュは頭を掻き、溜め息をついた。
「前もいっぺん、やらかしたやろ。学習したやろが。自分を見失っとるうちに、忘れてもうたんか? しっかり思い出しいや」
「あ……あぁ……お姉様……ぁ……」
 元石像の少女が、石像に変わってゆく。
 いささか間抜けな感じに引きつった美貌が、じっとセレシュに向けられる。
「誰……私は……一体、だれ……?」
 その問いかけを最後に、少女は無言になった。石の唇は、もはや何の言葉も漏らさない。
「その答えは……あんた、自分で見付けなあかんのやで」
 呟きながらセレシュは、石像と化した少女の身体を、そっと担ぎ上げた。


 こうなる事は、わかっていた。
 否。わかっていながら、自分は目を背けていたのだ。セレシュは、そう思う。
 邪悪なものを石像に変えた。その石像が、生命と意思を持った。
 そうして生まれた少女の中で、最初の邪悪なものが目を覚まさないと何故、言えるのか。
 その可能性から、セレシュは目を背け続けてきたのだ。
「今からでも……やれる事やっとくしか、あらへんな」
 たった今、作り上げたばかりのものを、セレシュは片手でいじり回した。もう片方の手で、頬杖をつきながら。
 蛇を象った、チョーカーである。これを着用すると、首に蛇が巻き付いたような感じになる。
 ウィーラー鍼灸院の、地下工房。
 石像に戻ってしまった少女を、頑張って運び込んだ後、セレシュは一息つく暇もなく作業に取りかかったのである。
 その作業で作り上げたチョーカーを、セレシュは石像の首に巻き付けた。そうしながら片手をかざし、念じ、魔力を放出する。
 放出された魔力が、石像に流れ込んで行く。
「…………ぅ…………ん…………」
 石の唇が、微かな声を紡ぎ出す。それと共に、柔らかく愛らしい生身の唇へと戻ってゆく。
「あら……お姉様?」
「おはようさん、やな」
 生身の美少女へと戻りつつある石像に、セレシュは微笑みかけてみた。
「自分ちょっとばかりトチ狂っとったんやけど、覚えとるか?」
「私が? 一体何を……って、これ何ですの?」
 蛇のチョーカーを、少女はあまり気に入ってはくれなかったようである。
「ヘビはおやめになってと私、あれほど申し上げておりますのに」
「それは『きんこじ』みたいなもんや。知っとるか? きんこじ。うちが昔、とある偉い坊さんから教わった術でなあ」
「ち、ちょっとお姉様! 私、お猿さんと同じ扱いを受けておりますの?」
「あのお猿ちゃんも、石から生まれた。あんたと同じや」
 セレシュが呪文を呟くと、チョーカーは本物の蛇の如く少女の首を絞める。物理的な馬鹿力で取り外す事は出来ない。
「ま、うちも本当に絞め殺すつもりはないさかい安心しとってええで……あんたが、あんたで無うなったら、わからんけどな」
「お姉様はまた、わけのわからない事を……私は、私ですわよ?」
「せやな。そうやったら……ええな」
 セレシュに緊箍呪を教えてくれた僧侶は、人間ならざる弟子たちを、実に上手く飼い馴らしていた。
 自分にも出来るはずだ、とセレシュは思うしかなかった。


 日常が、戻って来た。
「お姉様これ、いつまで置いておくつもりですの?」
 付喪神の少女が、掃除機を使いながら文句を言っている。
 清掃作業の邪魔にしかならない石像が、放置されているのだ。
 ピエロ姿の、少女の石像である。
 自分でこさえたもんやろが、とセレシュは言い返してしまいそうになった。
「明日になったらIO2が引き取りに来てくれるさかい、それまで置いとき。掃除のついでに、濡れ雑巾か何かで軽く拭いといたりや」
「ハタキがけで充分ですわ、こんなの」
 少女が面倒臭そうにパタパタと、ピエロの石像をハタキで殴打している。
 こういう何気ない、取るに足らない日常を積み重ねてゆくしかないのだ、とセレシュは思った。