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<東京怪談ノベル(シングル)>


電話回線の向こう――繋がったモノ
 ジリリリリン、というベルのような音が初夏の夜空へと響き渡った。
 バイト帰りの物部・真言(ものべ・まこと)の耳にその音は確りと入り込む。
 ジリリリリン、ジリリリリン、とその音は鳴り続いている。
 それが電話のベルだと真言が認識するには暫し時間がかかった。なにせこの頃ではアナログ電話の音は珍しい。携帯の着信音に設定しレトロ感を喜ぶ人も偶には見かけるものの、真言にはあいにくとそういった部分に拘りはなく、買った当時の設定のままだ。
 つまり、この電話は少なくとも彼の携帯にかかってきたものではない。
 真言は音の出所を探る。周囲は住宅街、それも夜中となれば電話の鳴っている家は少しでも早く電話を取ろうとするだろう。
 周囲の家々の電気は大分消えている。蒸し暑い、という程ではないものの、大分暖かくなってきたこともあり、家によっては風通しをよくする為か網戸にしたまま、という所もある。
 これだけの音量で、これだけの間鳴り続けていればいくら眠っている人々でも目を醒まし、音の出所を探るだろう(そして翌朝音源となった家に文句を言いに行く事だろう)
 にもかかわらず、どこの家も電気は消えたまま。
 やはり誰も出ないのか電話のベルは鳴り続ける。ジリリリリン、ジリリリリン、と。
 何かおかしい、と真言の中で疑惑が膨らむ。
 彼の横をトコトコと野良犬が歩いていく。何の音もしないとでもいうかのように。
 それとも、この時間帯にこうして電話が鳴っているのは良くあることなのだろうか?
 そこまで考えた所で真言はその公衆電話の存在に気づいた。
(こんな所に電話なんかあったか……?)
 見慣れないそれを疑問に思いつつも音の出所である事は間違い無い。
 電話ボックスはスポットライトのようにそこだけ妙に明るい。中ではこれまだ今時珍しい黒の電話が鳴り響いている。
 今まで気づかなかっただけで、ずっとあったのだろうか等と疑問を持ちつつも、ジリリリリン、ジリリリリンという鋭い音はバイトで疲れた真言を更に疲弊させる。
 暫くの間、真言は電話ボックスをにらみ続けた。だが電話はいつまで経っても鳴り止む様子を見せない。
 ひたすらつづくベルの音についに根負けし彼は電話ボックスへと入り、受話器へと手を伸ばす。
 酷く古めかしい形状をした電話は、今時珍しいダイヤル式。液晶画面も、勿論ボタンもなくただひたすらにカン高いベルの音を響かせている。まるで、早く受話器を取れと急かすように。
 彼は受話器を掴む。普段使っている携帯に比べるとはるかにずっしりと重い。ようやく音が止まった事に安堵しつつも「誰かが電話をかけていていた」という事を思い出し、真言は受話器を耳元へとあてた。
「もしもし」
 一言受話器へと声をかける。
 だが電話の向こうからは何の返答もない。耳を凝らすとホワイトノイズだけが聞こえる気がする。
 それでも真言は暫く電話の向こうの応答を待った。
 少なくとも誰かが受話器を上げているのは確かなのだ。じっと待ち続けるも、それでも相手は何も語らない。
「悪戯なら切ります」
 疲れ気味につい小さなため息を漏らしつつ受話器を戻そうとした瞬間――。
 くすくす、と小さな子供の笑い声がした。それも、受話器の向こうではない。
 耳元の、吐息が触れる程の距離で。
 はじかれるように真言は振り返るも――誰も居ない。
 そのまま暫く、彼は固まったように周囲を伺い続けたが、何も起こらない事を確かめ改めて受話器を戻す。
(……嫌な予感しかしない……)
 真言は再びため息を吐くと電話ボックスを出る。
 そして、彼のこの予感が欠片も間違っていなかった事は直ぐに露見する事となる――。

 ――酷く疲れた調子で真言は自室の扉をあけた。
 一人暮らしの青年にしてはしっかりした部屋だが、それには勿論理由がある。時折受ける仕事の一つ――霊的事象に関する依頼。それらを片付けた時に、稀に真言自身へと怨みつらみのたぐいが呪としてやってくる事などがある為だ。本人が意識して送ってきているのか、それとも無意識に凄まじい情念のたぐいが凝縮してしまっているのかはわからない。だが放置しておけば間違い無く周囲へと被害を出す。
 勿論そういった事態が発生した場合は真言は自力でそれらを祓う。
 祓えるならば問題ない、と普通の人なら言うだろう。だが、真言は万が一の事態を想定している。万一他の部屋の住人に何らかの悪影響が出てしまったならば。
 念には念を入れておくのは決して悪い事ではない。というわけで、真言は少々懐に厳しかろうともそこそこ良い部屋を選んでいるわけだ。
 さておき彼はようやくたどり着いた自室に少しだけ安堵する。
 嫌な事があったなと大きくため息を吐いた直後、自室の電話が鳴り始めた。
(……こんな時間に誰だ?)
 途端に彼は表情を引き締める。時計を見ると既に午前二時を回っている。
 霊的な事象に関する依頼ならば、いつかかってきてもおかしくはない。だが、いくら何でも深夜過ぎる。
 余程緊急の事態なのだろうか、と表情を引き締め彼は慌てて靴を脱ぎ電話へと小走りに駆け寄る。
 こういった場合依頼主は混乱気味だったりする事もある。電話を取った途端にくってかかられたり、唐突に絶叫される事も少なくない。だからこそ、真言は落ち着いて対処しなければならない。
 普段通りの平静さで真言は受話器を取る。しかし電話回線の向こうは不自然なまでの無言。
「…………もしもし?」
 問いかけるも、相手は何も喋らない。先ほど住宅街で遭遇した電話のように。
 切りますと一言告げて真言は受話器をおろす。だがおろした途端に再び電話は鳴り出した。
 即座に真言は受話器を取り直す。まだ無言電話だろうと思う部分もあった。
 それでも彼は真剣に問いかける。
「もしも……」
「きゃははははははは!」
 小さな女の子の、カン高い笑い声が真言の耳から疲労した脳を貫く。何事かと理解するよりまえに、がちゃりと受話器を叩きつけられ、ツー、ツーという電話が切れた事を示す音が鳴り続ける。
 ――予感は的中した。
「何か」を持ち帰ってきてしまったかもしれない。真言は自身の動揺を鎮める。この手の対応は最早慣れたモノだ。
「掛まくも畏き伊邪那岐大神……」
 周囲に被害を出さない為にも彼は祝詞を紡ぐ。
 直後、彼をあざ笑うかのように電話は鳴り響いた。
 幾度祝詞を唱えようとも電話は鳴り止む様子を見せない。仕方なしに真言は受話器を取り上げる――。
 その夜は幾度も受話器を上げてはおろすという作業を続ける事になり、さしもの真言も疲弊した。
 だが空が白み朝焼けがやってくる頃には何時の間にか電話攻撃は止まり、疲れ切った真言も微睡みの中へと落ちていく。
 夜までに何らかの対策を取らねばならないな、と考えつつ。

 ――その夜、再び発生した電話攻撃に対し、彼の対策は何一つ効果を顕さなかった。
(そもそも霊の仕業なのか? 何か違う事象なのか……?)
 混乱気味の思考を纏めながら真言は二晩目を過ごす。幸いにして近隣の部屋には何も起こっていないようだが、それもいつまで保つか分からない。
 受話器の向こう、少女の笑い声に心中ではじわじわと焦りもにじみ始めている。

 それでも、朝を迎えれば生活の為にもバイトを休むわけには行かない。
 目の下にクマを作りつつも彼は朝には仕事へと向かう。
 終には電話は昼夜を問わずかかってくるようになった。
 家電話も、携帯電話も問わず。それどころか……。
「おい物部、どうした?」
 バイト中、同僚に声をかけられ真言ははっとし受話器へとのばしかけた手を止めた。
「あ、いや……何でもない」
「いきなり受話器を取るからどこかに電話するのかと思ったが……違ったのか?」
 この頃には薄々と真言も気づき始めていた。この電話の呼び出し音は、自分にしか聞こえていない、と。
 幾種もの祓いの祝詞を唱えても、良くも悪くも効果を顕さず、相手の正体が分からない。
 決して嬉しくは無いものの、悪化でもしてくれれば多少なりとも足をつかめるというのに。
 焦りと疲労は真言の心も、安定した思考も、体力も削っていく。
 誰かに頼る、等という考えすら思いつかない程に、真言は追い詰められつつあった。

 そして――。
 自室内にジリリリリン、という音がした。
 ぎくり、と真言は肩を震わせ、音の出所を探る。
 こんな音は、家の中では出すものは無かったはずだ。
 にもかかわらず、音は自分の部屋の中で響いている。
 今、家電話はあの時聞いたアナログ電話と同じ音を鳴らしている。
 こんな事はあり得ない。こんな生々しいアナログ電話の音など、家電話の音にはそもそも入っていないはずだ。
 そこまで思い当たった瞬間、真言は靴を履くのも早々に部屋を飛び出していた。
 真言はあの電話ボックスのあった住宅街目指し夜の中を走る。ただひたすらに全力で。
 駆け出してから、彼は一つ解決策に繋がるかもしれない事象へと気づいた。それはあの電話ボックスに遭遇できれば、手がかりを見つける事が出来るかも知れない、というもの。
 だが、部屋から飛び出した時は、自室が酷くおぞましいもののように思えたのだ。
 普段の真言ならば、決してこのような平静さを欠いた行動はしなかっただろう。消耗は彼の判断を狂わせ、心を必要以上にざわめかせた。
 駆ける間もずっと耳の中であのジリリリリン、ジリリリリン、というおぞましい音が鳴り響いていた気がする。
 荒い息を吐きつつもあの時電話ボックスがあったと思しきあたりへとやってきて周囲を見渡す。だがあの時遭遇したソレは影も形もない。
「……馬鹿な」
 つい口からそんな言葉が零れ、心臓は極めて速い鼓動を繰り返す。喉はカラカラに渇いて酷く不快だった。
 あの時の場所はここに間違いは無いはずだった。見のがすはずなどない、スポットライトでも浴びているかのように妙に目立つボックスだったはずなのに。
(一体あの電話ボックスは何だったんだ?)
 そう思った途端に、あの聞き慣れたベルが聞こえてきた。
 ジリリリリン、ジリリリリン、と。
 それに一瞬だが真言は安堵した。間違い無くあの電話は存在するのだと。
 きっと道を一本間違えただけに違いない。そう自分に言い聞かせようとし――彼は気づいてしまった。
 音の出所が、自分のポケットの中だという事に。
 ポケットの中には携帯電話が入っている。そして彼は着信音にアナログ電話の音など設定していない。あまつさえ、そもそもこんな生々しい音は家電話の時と同じく、携帯電話には出す事は出来ない。
 ポケットへと手を伸ばそうとするも、その動きは少しだけぎこちない。
 背中を冷たい汗が流れ、来ていたシャツが肌にべったりと張り付く。
 あざ笑うかのように鳴り続ける電話に、真言は我知らず戦慄していた。
 触れるのが恐ろしかった。
 認めたくはないが、永らく感じていなかった凄まじい恐怖感。
 それでも電話は鳴り続ける。ジリリリリン、ジリリリリン、と。
 ――初夏の、少し汗ばむくらいの気温が急激に下がった気がした。