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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


帰るべき場所へ


 日本へは、帰って来る、という感じになっている。
 故郷は東欧の、吸血鬼信仰の色濃く残る地域である。
 そこで過ごした幼少時代をヴィルヘルム・ハスロは、あまりよく覚えていない。
 忘れるように、思い出さぬように、努力はしている。
 自分が帰るべき場所は、あの故郷ではないのだ。
「おとうさん! おかえりなさぁい!」
 小さな身体が、飛びついて来る。4歳。可愛い盛りと言っていいだろう。
「ただいま、晶」
 仔犬のようにはしゃいでいる息子を、ヴィルヘルムは両腕で抱き上げた。
 自分が帰るべき場所は、ここなのだ。
 日本という異国の地で得た家族のもとへ、帰る事が出来る。そう思えばこそ、世界中いかなる場所でも、過酷な任務に耐える事が出来る。
 今回の任務は別段、過酷なものではなかった。
 故郷の村によく似た場所での、吸血鬼騒動。予期せぬ協力者と出会えた事もあり、容易く解決する事は出来た。
 任務は完了しても、しかしヴィルヘルムの心に突き刺さった言葉は、消えはしない。
 騒動の首魁である吸血鬼信仰者が、死に際に残した言葉。
 この世で最も気高く邪悪なるもの、その末裔たる御方。
 今は人間の味方の真似事をしておられようが、その血は、いずれ……
「おとうさん……どうしたの?」
 小さな息子が、抱き上げられたまま首を傾げ、若い父親の顔をじっと覗き込んでくる。
 晶・ハスロ。
 あの信仰者に言わせれば、この子こそが「最も気高く邪悪なるもの」の末裔という事になる。
(私は……悪しき血筋を、この世に残してしまった……のだろうか?)
 悪しき血を受け継ぐ者として、この子は人々に忌み嫌われる事となるのだろうか。
 幼い頃の、自分のように……
 そんな思いが、顔に出てしまっているのだろう。晶が、心配そうな声を出した。
「おとうさん……いやなこと、あったの? げんきないなー」
「そう、かな? ……そうかもな」
 ヴィルヘルムは笑って見せた。
 晶の、大きな緑色の瞳の中で、父親と呼ぶにはあまりに頼りない男が、弱々しく微笑んでいる。
「晶の元気を、少し分けて欲しいよ」
「まってて!」
 晶が、ヴィルヘルムの腕の中からぴょーんと飛び出し、張り切って駆けて行く。
 それを見送りながら、弥生が微笑んだ。
「幼稚園でね、お父さんやお母さんの事をお話ししましょう、みたいな授業があったんだって。あの子ったら、ほとんどお父さんの事ばっかり喋ってたみたいだけど。世界で1番かっこいいお父さん、ってね」
「世界で1番、素敵なお母さんの事は?」
「全然、眼中にないみたい」
 弥生が、軽く肩をすくめた。
「母親なんて、子供から見れば空気みたいなもんよ」
 空気。すなわち、いるのが当然。いなければ子供は生きてゆけない。それが母親だ。
 父親など、いなくとも差し支えないのではないか。ヴィルヘルムは時折、そう思う。
 弥生・ハスロ。ヴィルヘルムにとっても、いてくれなければ生きてゆけない女性である。
 晶が、とてとてと駆け戻って来た。
「おとうさん、これあげる! これをたべると、げんきになるよ。ひとつぶでパワーひゃくばいだよぉ!」
 小さな箱を、晶は父親の掌に載せた。
 おまけ付きの、キャラメルである。おまけの方は、晶が自慢げに片手で持っている。
 奇妙としか思えない、小さな人形。フィギュア、と呼ぶべきなのか。
「ほらほら、ハルキゲニアおとこが出たんだよお!」
 特撮ヒーロ−番組の、悪役らしい。
 この息子は、ヒーローよりも怪人や怪獣が好きなのだ。
「このキャラメルをたべるとパワーひゃくばい! とってもつよいかいじんになれるって、しゅりょうさまも言ってたよー!」
「こらこら。お父さんを怪人にして、どうするの」
 弥生が、息子の頭を軽く小突いた。
「怪人……か」
 吸血鬼よりましではないのか、とヴィルヘルムは思った。


 晶が、間抜けなくらいに幸せそうな寝顔を晒している。
 男の子というのは本当に、幸せな生き物だった。何の悩みも持たず、毎日を楽しく過ごしている。
 振り回される母親の苦労も、知らずにだ。
「まったく、楽しそうな顔しちゃって。愉快な夢でも見てるのかなー? このおチビさんは」
 息子の柔らかな頬を、弥生はぷにっと摘んでみた。
「ねえヴィル、信じられる? この子がね、あと何ヶ月かで……お兄ちゃんに、なっちゃうのよ」
「もし女の子なら、君に似た、しっかり者の妹になるだろうな」
 ヴィルの片手が、そっと弥生の腹に触れてくる。丸みを帯びた腹部。
 妊娠5ヶ月目である。
 男の子か女の子かは、まだわからない。
「男の子だったら、ヴィルみたいな優しいイケメン君かな。まあ、この子が生まれた時もそう思ったけど」
 言いつつ弥生は、晶の寝顔をぷにぷにと弄り回した。
「お父さんより、ずっとヤンチャで手のかかる奴になっちゃってもう」
「まだ、レバーだけは食べられない?」
「他のものは、たいがい食べられるようになったけどね。他所の子の倍くらい」
 とにかく、よく食べる息子だった。
 おかげで自分の料理の腕も少しは上がった、と弥生は思う。今は、息子にレバーを食べさせるのが課題である。
 ヴィルと出会う前の自分は、料理だけではない、家事の類が全く出来ない娘だった。
(よくまあ結婚なんて出来たわよね、私……)
 思い出したくもない過去の自分を、弥生はついつい思い出してしまう。
 あの頃は、自分が母親になれるなどとは思ってもいなかった。
(それが今や、2人目だものねえ……)
 夫の片手を、弥生は自分の腹へと導いた。
「男の子か、女の子か……ふふっ、調べてもらえばわかるんだろうけど。やっぱり生まれてからのお楽しみって、大事にしたいわよね」
「生まれた事を……喜んでくれるだろうか、この子は……」
 ヴィルが呻いた。弥生に語りかけているのか。あるいは、まだ見ぬ息子か娘にか。
「……一体……何をしてるんだろうな、私は。とてつもなく重いものを背負わせると、わかっているのに……」
「ヴィル……」
 吸血鬼の実在が信じられている国で、生まれ育った夫である。
 その血筋のせいで、幼い頃は迫害同然の目に遭っていたらしい。殺されかけた事も、あるようだ。
 逆に、吸血鬼の信仰者たちによって、祭り上げる対象として身柄を狙われたりもしていたという。
 とにかく彼は、東欧の故郷では、人間として扱われていなかったという事だ。
 息子あるいは娘を、同じ目に遭わせてしまうかも知れない。そんな事を、この夫は考えているのだろう。
 直接、その事とは関係のない会話を、弥生は振ってみた。
「あの子に、会ったんですって?」
「ああ、立派なエージェントになっていたよ。私なんかより、ずっと立派な……」
 一見すると、まともな高校生だった。が、見ていると少し心配になるようなところのある少年でもあった。
「そう、あの子が立派に就職するような歳になって……私も、オバサンになるわけよね」
「おいおい、それでは君より5つも年上の私はどうなってしまうんだ」
「どこへ出しても恥ずかしくない、立派なオッサンよ。認めなさいな」
 弥生は微笑んだ。
「貴方はね、私と一緒に年を取っていくのよ。普通に……人として、ね」
「人として……」
「前も言ったわよね、ヴィル。貴方は、私が守ってみせるって」
 夫の緑色の瞳を、弥生はじっと見つめた。
「あんな偉そうな事、言ったけど……私に出来る事なんて、貴方と一緒に歩んで行く。ただ、それだけよ」
 ちらり、と弥生は晶の枕元を見やった。
 何体もの怪人のフィギュアが、円陣を組んでいる。
「この子ね、お母さんが元気な赤ちゃんを生んでくれますようにって、毎日お祈りしてるのよ。悪の組織の首領様にね。まったく縁起でもないったら」
 すやすやと寝息を立てる息子の頬を、弥生はそっと撫でた。
「この子たちも、私も、ヴィルと一緒よ」
「弥生……」
「ねえ覚えてる? 私はとっとと忘れたいんだけどね……貴方と初めて会った頃の、私」
 思い出したくもない事を、弥生は思い出していた。
 ひどいものだった、としか言いようがない。
「年がら年じゅう酔っ払ってクダ巻いて、魔法使って暴れたりもして……いろんな人に迷惑かけて。よく貴方に愛想尽かされなかったもんだと思うわ」
「ふふ……私は、君を止めるので毎日が精一杯だった」
 ヴィルが微笑んだ。弥生は、目を合わせていられなくなった。
「だけど、それが楽しくもあった。いささか命懸けでは、あったけどね」
「晶の事、手がかかるなんて言えないわよね……貴方にとんでもない面倒かけてたのは、私」
 今の弥生が在るのは、この夫のおかげなのだ。
 ヴィルヘルムと出会っていなかったら、自分は果たしてどうなっていたのか。想像するだけで、恐ろしくなる。
「あの頃の私に比べたら、吸血鬼なんて大したもんじゃないわ。そうでしょ?」
「そう……かな」
「そう」
 弥生は、今度は夫の頬を摘んで引っ張った。
「貴方にも、私にも、くよくよ悩んでる暇なんてないわよ。何しろ子供が生まれるんだから」
「君と私の、子供たちか……」
 息子の平和な寝顔と、妻の丸く膨らんだお腹を、ヴィルヘルムはじっと見つめた。
「何があっても、私が守ってゆく……ただ、それだけか」
「貴方と私が、よ」
 弥生は言った。
「1つ、これだけは言っておくわね。今の私は、とても幸せ。昔の自分に、お説教したいくらいよ。こんなに幸せになれるんだから、ぐれて馬鹿やるのはやめなさいってね」