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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


凍り付いた闇


 空になったシチュー皿に、フェイトはスプーンを放り込んだ。意外に大きな音が響いた。
「ごちそう様……美味いかどうかは微妙だけど、まあ腹は膨れたよ」
「お食事が不味くなるような話、しちゃったかしらね」
 人形のような美貌に、アデドラは有るか無きかの表情を浮かべた。微笑み、であろうか。
「いろんな奴が……いるんだよな、あんたの中には」
 アデドラの古傷を抉るような話になる、のを承知の上で、フェイトは訊いてみた。
「このアメリカって国を憎んでるのは、あんたじゃなくて、そいつらじゃないのか? だとしたら」
「あたしが、その連中の憎しみに引きずられてるだけ?」
 アイスブルーの瞳が、フェイトの心を見透かした。
「もう少し、自分を大切にして生きろと。そう言ってくれてるわけね」
「ま、まあ、そうかな」
 フェイトは咳払いをした。
 アデドラの中では、『賢者の石』の材料にされた大勢の人間が、常に悲鳴を上げ続けている。
「あたしは、この連中に生かされてるようなもの……」
 あまり豊かではない胸に片手を当てながら、アデドラは言った。
「あたしの、どこまでがアデドラ・ドールで、どこからがこの連中なのか……あたし自身にも正直、わかってないのよね。自分を大切にしたくても、どこからどこまでが自分なのか」
「軽々しく同情するような事……言うべきじゃないってのは、わかってるよ」
「同情してくれるのは一向に構わないわ。別に、被害者ぶるつもりはないから」
 アイスブルーの瞳が、じっとフェイトを見つめた。
「あたしは、人の魂を喰らう化け物……被害者って言うよりは、加害者よ。化け物として、あたしを退治しようとする人たちもいたわ」
 その人々がどのような目に遭ったのかは、考えるまでもない。
「残念ながら、あたしを殺してくれるような人はいなかったけど」
「……殺されたい、とか思ってるのか?」
 無意味な質問を、フェイトは口にした。
 アデドラが頷いたら、自分はどうするのか。彼女の命を奪う事など、出来るのか。
 この少女は、もしかしたら己の死に場所を探し求めているのかも知れない。そんな根拠のない思いが突然、フェイトの胸中に生じた。
「あたしの中で渦巻いてるのは、むしろ生きたいという願いだけ」
 アデドラは言った。
「みんな、生きたいと願いながら死んでいった……この連中の願いを、あたしは叶えてやらなきゃいけない? のかしらね」
 皆の分まで、生きるべきだ。
 などと、無責任に答えられる問いではなかった。


 サマーキャンプ最終日である。
 後片付けもあらかた終わったところで、1つ問題が生じた。
「生徒が何人か、後片付けをさぼってどこかへ行ったきり、帰って来てないんです」
 ボランティアスタッフの1人が、おろおろと言った。いくらか太り気味の、白人女性である。
「もう、あの子たちは問題ばかり起こして……」
「えーと、ちなみに誰と誰ですか?」
 フェイトは訊いてみた。女性が、いくつか名を挙げた。
 思った通りの連中である。嫌日で有名な上院議員の息子と、その取り巻きの不良少年たち。
「俺が捜してきます。まあ心配する事ないと思いますよ……あいつらが何やってるのか、だいたい想像つきますから」
 どうせ、どこかで自分を陥れるための悪だくみでもしているのだろう。
 そう思いながら捜しに出るフェイトを、アデドラがじっと見つめていた。


「ほらあ、もっと深く掘るんだよおお。あいつが上がって来れないくらいにさあ」
 豚のような少年が、指図をしている。
 指図を受けた不良少年たちが、ひたすら穴を掘っている。落とし穴である。
「……こんなのに引っかかんのかよ、あいつが」
 ざくざくとスコップを使いながら、不良少年たちがぼやいた。
 あいつ、というのはアデドラ・ドールが連れて来た日本人の事である。
「落とし穴はねえだろうよ、落とし穴は」
「まあそう言うなって。微笑ましいじゃねえか。あの坊ちゃまの、こうゆうとこ俺は嫌いじゃねえぜ」
 そんな事を言いながら落とし穴を掘り続ける彼らに、足音が近付いて来る。
 ボランティアスタッフの誰かが、自分らを連れ戻しに来たのか。
 少年たちは一瞬そう思ったが、しかし今回のサマーキャンプのスタッフに、こんな男はいない。
 恐らくは男であろう。ボロ布をまとった、浮浪者と思われる男である。
「何だ、てめえ……」
 少年の1人が、男に拳銃を向けた。
 銃口を恐れた様子もなく、男が歩み寄って来る。
 少年たちは、おかしな事に気付いた。
 この男の全身にまとわりついた、ボロ布のようなもの。それは実はボロ布ではなく、全身から剥がれて垂れ下がった皮膚なのではないか。
 剥離しかけた皮膚の内側で、肉が蠢いている。
 そして寄生虫が溢れ出したかの如く膨張して伸び、牙を剥き、ギシャアアアアアッ! と奇声を発した。


 銃声が聞こえた。
 誰かが、ひたすら引き金を引いている。殺意、と言うより恐怖に駆られ、拳銃をぶっ放している。
 フェイトは走った。
 少し走っただけで、その現場は視界に入った。
 少年たちが、泣き喚きながら発砲している。弾切れに気付かず、引き金を引いている者もいる。
 銃弾の豪雨を撃ち込まれているのは、辛うじて人の体型を保った、だが明らかに人間ではない生き物だった。凶暴な寄生虫のようなものを全身から生やした、おぞましい人型の肉塊。
 そんな怪物が、銃撃を浴びながら身を震わせている。突き刺さっていた無数の銃弾が、こぼれ落ちる。
 怪物が、全身から奇声を放った。寄生虫のようなものたちが牙を剥き、伸びうねり、少年たちを襲おうとする。
「逃げろ!」
 叫びながら、フェイトは場に駆け込んだ。
 駆け込んできた若者に、怪物が注意を向けた。その全身から生えた寄生虫あるいは深海魚のような肉塊たちが、フェイトに向かってギシャアッ! と凶暴に唸る。
「こいつ……!」
 同じような生き物を見た事がある、とフェイトは感じた。無論、異形の怪物など見慣れているのだが。
 拳銃は、持って来ていない。仕事ではないからだ。アメリカ人のように、銃器を肌身離さず携行するような習慣が、なかなか持てずにいる。
 少年たちが、フェイトの言葉に従って逃げ出した。
 いや1人だけ、逃げる事も出来ず尻餅をついている少年がいる。
「ひぃい……あぅわわわわ……」
 議員の息子。豚のような身体で座り込み、腰を抜かしている。
 そこへ、深海魚のような肉塊の群れが襲いかかった。
 まさに豚のような悲鳴を上げる少年の眼前に、フェイトは飛び込んで立ち塞がった。そして防御の形に両腕を掲げる。
 その両腕に、牙ある肉塊たちが食らいついて来る。
「ぐっ……!」
 激痛の悲鳴を、フェイトは噛み殺した。
 そうしながら、攻撃を念じた。怪物を睨む瞳が、翡翠色に激しく輝く。
 念動力が、目に見えぬ剣となって迸った。
 怪物が、ズタズタに裂けてちぎれて飛び散った。
 原型を失った屍が、あちこちに飛散しながら干涸び、ひび割れ、崩れてゆく。
「この……死に方……!」
 フェイトは呻いた。
 怪物は消え失せても、与えられた傷が消え失せるわけではない。両腕は血まみれで、激痛が熱を持って疼いている。
 フェイトは片膝をついた。傷の痛みよりも、気力の消耗の方が激しい。
 が、そんなものはどうでも良かった。
 議員の息子が、半ば失神しながら、うわ言を呟いている。それも、どうでも良かった。
 今の怪物が、何者であったのか。どこで生み出された存在であるのか。
 自分は恐らく知っている、とフェイトは思った。
「……いや、思い過ごしだ。そんなわけはない……あるもんかよ……っ」
「最悪の予想って案外、当たるものよ」
 ぞっとするほど涼やかな声が、耳を撫でる。ほっそりと綺麗な五指が、肩の辺りに触れてくる。
 両腕から痛みが失せてゆくのを、フェイトは感じた。
「アデドラ……」
「貴方にもらった生命力、少しだけ返してあげたわ。別に恩を着せる事じゃないけれど」
 いつの間にかそこに立っていた少女が、干涸びた怪物の肉片が散る様を、ちらりと見渡す。
「あたしの、弟みたいなもの……かしらね」
「だから、そんなわけないって……」
 呻きながらフェイトは、拳を握り、開いた。指は、問題なく動く。腕の傷が、完全に癒えている。
「……助かったよ、ありがとう」
「お礼を言わなきゃいけないのは、貴方よ」
 アイスブルーの瞳が、議員の息子に向けられる。
「フェイトに、ありがとうは……?」
「いいって」
 半ば失神している少年を庇うように、フェイトは言った。
 アデドラの両眼が、いささか剣呑なほど冷たい光を湛えている。まさに氷を思わせる、アイスブルーだ。
「あたし……やっぱり、この国の人間は好きになれない」
 その瞳が、ちらりとフェイトに向けられる。
「貴方の国に、行ってみたいわ」
「日本だって、大して違いはないよ。嫌な奴は、どこの国にもいる」
 言いつつも、フェイトは思う。アデドラがこの国を好きになれない理由。それは嫌な人間がいるから、ではないだろう。そんな軽いものではない。
 このアメリカという国に対する、憎しみよりも重く暗い感情。それがアイスブルーの瞳の奥で、冷たく凍り付きながらも溶ける事なく存在し続けているのを、フェイトは見て取った。
「あたし言ったわよね、フェイト……いつか貴方が自分の化け物を持て余した時、その時は、あたしが貴方を食べてあげるって」
 アデドラが言う。フェイトは、応えない。
「化け物を持て余すのは、あたしの方だったりしてね……もし、そうなったら?」
「俺が……」
 そこで、フェイトの言葉は詰まった。
 生きた「賢者の石」である少女を、死なせる事など出来るのか。
 いや。それ以前に、彼女と戦う事が自分に出来るのか。
 答えを促そうとはせずアデドラは、ふわりと背を向けた。
「戻りましょう。みんな、待ってるわよ」


「休暇終了の報告まで、わざわざ届けに来る事はないんだぞ」
 IO2の上司が、微笑みを浮かべて言った。機械のような微笑だ、とフェイトは感じた。
「報告じゃありませんよ。確認したい事がありましてね……何日か前、オンタリオ湖の近くで、IO2関係の車両がちょっとした事故を起こしたそうですね」
「何の話かな」
「ハッキングの類は、あんまり得意じゃないですけどね。隠蔽された情報を拾うくらいの事は出来ますよ」
 機械的な笑顔をじっと見据えたまま、フェイトは言った。
「一体何を運んでいた車両なのか、そこまでは調べられませんでした……何を、運んでたんですか」
「さて、君が何を言っているのかわからんな」
「俺たちの訓練に使われてる、あの作り物の怪物……あいつら、ちゃんと管理出来てるんでしょうね」
 テレパスで、この上司の頭の中を無理矢理に覗き込む。その衝動に、フェイトは懸命に耐えなければならなかった。
「……一般市民に、被害が及ぶところだったんですよ」
「休暇中に君が何を見聞きしたのであろうが、それは休暇中の出来事。IO2の任務に、関わりのある事ではない」
 機械のように、上司は言った。
「君に話す事は、何もない。君も、余計な事は話さないように」
「……失礼します」
 フェイトは背を向け、部屋を出た。
 上司の頭を覗いてみるまでもない。IO2上層部が、若干の腐臭が漂う暗黒を孕んでいる事は、今の会話だけで充分に理解出来た。
 虚無の境界より接収した技術で生み出された、ホムンクルスの応用品。
 あの怪物たちが、エージェントの戦闘訓練のみならず、実戦投入まで検討されているとしたら。
 実際、アデドラ・ドールのような相手もいる。IO2上層部は、彼女を危険視している。
 だが、とフェイトは思う。
「あんなもので、アデドラに勝てるわけないだろ……」
 もし、IO2の任務として彼女と戦わねばならなくなったら。
 それをフェイトは、考えない事にした。今から考えて、どうにかなる事ではないからだ。