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魔剣の少女は夢を見ない
いつもお世話になっている、とある専門学校。
メイクのアルバイトを終え、あとはメイクを取ってもらうだけ。
……だったんだけど。
「ごめんなさい。クレンジング剤の在庫が足りないみたいなの」
「え?」
「これじゃあメイクを落としきれないわぁ。ちょっと待っていてもらうしかないわねえ」
「ええええええ?!」
思わず大声を出してしまったあたし。
そして声しか反応出来ない状況でもある。
剣のままの姿なので、メイク台に転がされたまま、動けないのだ。
(このままずっと倒れているの? 追加分が来るまで?)
そんなのは困る!
(やることがないし、ご飯が食べられないし、トイレにだって行けない!)
……ぐううううう。
お腹の音にあたしは顔を赤らめた。急に空腹になったのだ。
「ど、どうしましょう……」
「大丈夫よ。足りないのは“芯”に使った新素材を取るものだから。金属部分は取れるから、取ったらすぐに食事にしましょう?」
あぁ、良かった。
胸を撫で下ろしたあたしに、生徒さんは優しい声で言った。
「そしたら、またメイクしましょうね。せっかくだからね……」
本当に、甘くてふんわりと優しい話し方で。
それがとても奇妙に思える。
トラブルと言うより、予定調和な気がするんだけど……。
食事をしてトイレに行ったあと、再びメイクをすることになった。
――まだ夕暮れ時なのに、ひどく眠い。
何度も経験しているアルバイトとは言え、やっぱり身体が緊張していたんだろうか。決められた分の仕事を終えて、無意識に気が緩んだのかもしれない。
「疲れてない?」
「いえ、大丈夫です……」
まともに発音出来たのかも判断がつかないくらい、浅い眠りと目覚めを繰り返していた。
生徒さんの声もさざ波みたいに、近付いて聞こえたり、離れて聞こえたりする。
「ごめ……なさい……。ご飯を食べてから、急に眠く……って……」
「そう……」
遠くで、生徒さんの声がした。
今度は前と違った形状の“魔剣”にしたい、と。今回はおまけみたいなものなのだから、もっと大胆にやりたい――。
「両手を頭の上で組んで、背中を大きく反らせてくれる?」
「…………………………………………」
生徒さんの声は耳に入って来る。
でも頭の中を通り過ぎてしまう。
あたしは動かないで、メイク台の上にうつ伏せに倒れていた。そこに飾られた置物のように、自分では動く気にならなかった。
――いくつかの手が、あたしの肌に触れた。
手をそっと掴まれて上へ伸ばされ、両足を閉じたまま後ろ側へ持ち上げられた。それから上半身も後ろ側へ上げられた。鏡に映し出されたあたしの身体は、ゆるやかにカーブを描いていた。
生徒さんの声も、あたしの意識も、遠くに感じられた。
鏡に映ったあたしの姿も、自分のものとは思えなかった。青い抽象画を描かれた、象牙色の塊。それがしなやかに曲がっていた。
三面鏡で見ても印象は変わらなかった。ポーズのせいか背中とお腹は凹み、胸とお尻は丸みを帯びていた。だけど命は遠くにある。
生徒さんの一人が、あたしに首輪をつけた。首輪には横幅と厚みがあった。ラインストーンが埋め込まれていて、冠のようにまばゆく映った。それは剣の鍔だった。
組んだ両腕から手の先まで筒を付けられた。
そして金属でコーティングされる。今回はガラスのラインがなく、あたしはただの金属の塊だ。
手首から先には柄が取り付けられた。
一振りの剣になったあたし。
なのに意識はウトウトとしたままで、まるで現実感がない。
目を開けると、視界が青く染まっていた。
床に至るまで、そこら中が鏡に囲まれていた。無機質なあたしが無数に映しだされていた。横たわった生命のない冷たい塊が、いくつも、いくつも。
青い世界の奥には碧い淀みが漂っている。
(こんなの現実な訳がない……)
あたしの意識は眠りの世界に沈みこんでしまったんだろうか――。
視界の片隅には生徒さんたちがいた。
サア、イキマショウ。
生徒さんが柄を握り締める。あたしは腕を引っ張られて、ゆっくりと持ち上げられていく。あたしの身体は剣身としてそこに在った。揃えた足先は鋭い切っ先になり、ヌラヌラと不気味に光っていた。
あたしは、鏡を通して、あらゆる角度から自分を眺めていた。ある鏡はあたしの濡れた切っ先を映しだし、ある鏡はあたしの愕についたストーンを煌びやかに誇示させていた。またある鏡ではあたしの曲がった剣身だけを映しだしていた。背中を反らせたあたしの身体は金属特有のギラついた光を纏い、まったく奇妙な存在に思えた。
それでも心は落ち着いていた。あたしの心は冷えていて、感情というものから遠ざかっているようだった。これは少しも不思議なことではなくて、当たり前のことのように受け止められた。
何故ならあたしは剣なのだから。
――嗚呼、やっぱりこれは夢なのだ。
生徒さんは、あたしを碧い淀みへ突き刺していく。
ヌルリと音を濡らして。尖った切っ先が淀みへ嵌め込まれる。曲線を描く剣身が入り込み、膝を通り過ぎ、反らせた腰を呑ませた。
淀みの中は陽だまりのように暖かった。それはあたしが冷たい金属だからかもしれなかった。というより、その感覚は本当かどうか分からなかった。本来、感じる筈がないからだ。
胸の半分まで、淀みの中へ突き刺された。
生徒さんはその剣を縦に下ろす。
途端、前にカーブした腹部に強い抵抗を感じた。ギリギリ、ギリギリ、ギギギギギ。硬く尖った音が肋骨にまで響いた。裂けていく淀みの屑を金属で出来た胸が受け止めた。そして更に切り裂いていく――……。
夢の中にいる筈なのに、まどろめない違和感がある。心は冷たく落ち窪んでいくばかりで、決してなくなりはしない。
ギチギチとあたしを跳ね返そうとする、弾力豊かな淀みを切る。
ギチギチギチギチギチギチィィィィィ。
音はあたしの鼓膜を震わせ、奇妙な音を耳に残していく。裂かれていく音の残骸を拾い上げながら、嗚呼あたしは人間だったような気がする。音が聞こえている間はそう思える。
「みなもちゃん、みなもちゃん」
複数の声に呼ばれ、目を開けると、生徒さんたちが覗き込んでいた。
あたしはメイク台に横向きで寝かされていた。いつものメイク室だった。
――ほら、やっぱり夢だったんだ。
安堵の息を吐いた。
けれど、鏡を見て、あたしは悲鳴を上げそうになった。
鏡には夢で見た通りのあたしが映っていたからだ。弓のように曲げた身体で、金属に覆われていた。この両手を見て、これが人間の腕を二本集めたものだと思う人がいるんだろうか?
大きな愕にはラインストーンが散りばめられていた。あたしの青い瞳だけが人間らしさを残し、瞬いていた。
全身に痺れを感じていた。違和感を伴う、鈍痛に似た痺れ。鏡を眺め続けていると、その違和感がだんだんと大きくなってきた。
人であることの意識への違和感が確信をもたらす。
あれは確かに夢じゃなかった。
終。
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