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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


石の看板娘


 1つ、喜ばしい事があった。それは同時に、悲しい出来事でもあった。
 半ば看板のような形で陳列してあった『運命の首飾り』が、売れてしまったのである。
 12個の誕生石を、純金細工でネックレス状に繋げた逸品だ。
 宝石の輝きもさる事ながら、その金細工もまたドワーフ職人の手による精巧にして荘厳な出来映えで、それでいて宝石の引き立て役としての慎ましさを失ってはいなかった。
 持ち主を、幸福にもする。不幸のどん底に叩き落としもする。どうなるかは、購入した者の心がけ次第である。
 どうであろうと、あの12種の煌めきと、壮麗にして質実剛健なる金の輝きを愛でる事が、シリューナにはもう出来ない。
 運命の首飾りは、売れてしまったのである。商人の手を、離れてしまったのだ。
 商品というものは、いつかは金を払った者の所有物になる。売れなければ意味はない。
「商人と商品の縁とは、そのようなもの……わかってはいるのだけれど、ね」
 シリューナ・リュクティアは、綺麗な指でそっと涙を拭った。
 気持ちを切り替えなければならない。
 今まで運命の首飾りを置いてあった場所が、ぽっかりと空いてしまった。ここに何を持って来るかが問題だ。
 赤い、それでいて熱さを感じさせない涼やかな瞳で、シリューナは店内を見回した。
 魔法の薬品、だけではない。様々な呪力・魔力を有する、装飾品や美術品も取り扱っている。
 嘆きのティアラ。
 とある王国の、『傾国の美女』として名高い王妃が着用していたものである。宝石が、天使の翼によって支えられているデザインだ。その宝石に宿る悲哀の輝きは、王国滅亡から千年以上を経た今も、決して褪せる事はない。
 悪女よ魔女よと恐れられ蔑まれた王妃が、心の内に秘めていた慈愛と悲しみ。それを汲もうともせず、単なる物欲でこのティアラを所有してきた者たちは、ことごとく無惨な死に方をした。
 悲哀と呪いを兼ね備えた、まさにこの店の看板にふさわしい品ではある。
 炎の魔薬酒。
 かつて勇者によって倒された魔王の怨念を、そのまま熟成させ蒸溜したものだ。
 水晶の容器の中でたゆたう、禍々しいほど美しい鮮紅色。血の色でもあり炎の色でもある、とシリューナは思う。燃え盛る魔王の怨念を物質化・液体化させる作業は、いささか命懸けではあった。その甲斐あって、なかなかの品に仕上がったのではないかと自分では思う。
 ただ使いどころは難しい。この酒が薬効を示すのは、魔王の怨念をねじ伏せられるだけの気力を持った、まさに勇者と呼ぶにふさわしい者に対してのみだ。凡人が1滴でも口にしたら、内臓が焼けただれて死ぬ。だが勇者には、魔王そのものの力を与える。
 木霊菩薩。
 室町時代の無名仏師が異世界の森へと飛ばされ、そこで数千年を生きるトレントから幹の一部を譲り受けた。
 異世界より戻って来た仏師が、それを彫って菩薩像を完成させた。完成と同時に、息を引き取ったという。
 応仁の乱で荒れ果てた世を救いたい一心で、仏師が命そのものを注ぎ込んで彫り上げた菩薩像。
 見ていると悲しくなるほどに、平和への願いが満ち溢れた品物である。
 どれもこれも、売ってしまうのがもったいないほどの商品ばかりだ。
 だが商品とは、売るために置くものである。
「置いておけば、いつかは売れてしまうかも知れない……でも、店に出さなければ意味はない……」
 シリューナは、うっとりと悲しい気分に浸った。
「ああ、私……どうして商人になど、なってしまったのかしら……」
「お姉様、閉店作業終わりました……って、まだ泣いてたんですか」
 店員の女の子が、声をかけてきた。
 ファルス・ティレイラ。
 シリューナと同じ竜族の少女で、その飛翔能力を活かした運送・配達系の仕事をしていたが、今はこの店で働いてくれている。
「ちゃんとした人が買ってってくれて、良かったじゃないですか。あの人ならきっと、転売なんかしないで大切にしてくれますよ」
「私はね、転売を否定するつもりはないのよ。それもまた、商人としての1つの在り方だから」
 ただ運命の首飾りを転売などしたら、した者も買った者も間違いなく不幸になる。
 この店で扱っている商品には、そういう性質のものが多い。
「それよりティレ……今日、少し残れるかしら? もちろん残業手当は付けさせてもらうわ」
「要りませんよ。私、好きでここで働かせてもらってるんですから」
 ティレイラの目が、きらきらと輝いている。
「お姉様のお店、本当に素敵です! 綺麗なもの、可愛いものが、いっぱいあって」
 愛らしい手で木霊菩薩を撫で回しながら、ティレイラは言った。
「私もいつか、こういうお店やってみたいです! まあ……夢ですけどね」
「貴女に、お店の経営は向いていないわ。だって正直過ぎるもの」
 正直者で労をいとわず、本当に良く働いてくれる。ファルス・ティレイラは、従業員としては申し分のない人材である。欠点が、ないわけではないのだが。
「綺麗なもの可愛いものがたくさん置いてある、倉庫の整理。お願い出来るかしら? 納期の早い順に、並べておいて欲しいのよね」
「わかりました、お任せ下さいお姉様!」
 可愛らしく敬礼をした後、ティレイラは喜び勇んで倉庫へと向かった。
 元気一杯の後ろ姿を見送りながら、シリューナはふと想像した。
 昨日まで運命の首飾りがあった場所に、少女のオブジェを置いてみる。可憐な置物に姿を変えた、ファルス・ティレイラ。
 嘆きのティアラを置くよりも、炎の魔薬酒や木霊菩薩を陳列するよりも、しっくりと来るような気がする。
「……何を考えているのよ、私は」
 苦笑しながら、シリューナは頭を横に振った。
 ティレイラは、従業員であって商品ではない。いくら金を積まれたところで、売るわけにはいかない。
 そう思い直しながら、シリューナは椅子から立ち上がった。
 ティレイラに1つ、注意をしておかなければならない事があるのだ。
 彼女は本当に、申し分のない従業員である。が、たった1つだけ短所があった。
 好奇心が、強過ぎるのである。


 倉庫の1番奥に、大きな壺があった。今は、精製中の魔法薬品で満たされている。
 厳重に密封された上から重石が置かれているのだが、匂いが全く漏れていないわけではない。
 独特の香気である。悪臭と感じる者も、いるだろう。
 ティレイラは特に気にした様子もなく、黙々と仕事をしていた。せっせと身体を動かし、様々な商品を丁寧に並べ替えている。
 ちらり、とシリューナは壺を見やった。問題なく密封されている。重石も載せてある。
 ただ、漏れている匂いが、いつもより強いように感じられる。
「ごめんなさいねティレ。女の子に、力仕事をさせてしまって」
 微笑みかけながら、シリューナは片手を掲げた。
 綺麗な指先が、さらさらと動いて空中にいくつかの文字を綴る。
 呪文であった。口で詠唱するのではなく、空中に書き記す呪文。
 それに気付かず、ティレイラが明るい声を発する。
「構いませんよぉ。私、見た目より力あるんです。お姉様と同じ、竜族ですから」
「あら。私はそんなに力、強くはないわよ?」
 言いつつシリューナは、魔法薬の独特の香気を吸い込んだ。
「この甘ったるい匂い……苦手な人は、いるかも知れないわね。濃厚な蜂蜜、に近いかしら」
「蜂蜜! いいですねぇ。私、大好きなんです。蜂蜜とシナモンをいい感じにブレンドすると、こんな香りになりません?」
 ティレイラの声が、嬉しそうに弾んだ。
 食べ物、特に甘い物の話には、無邪気に無警戒に乗って来る少女なのだ。
「私、最近トーストにハマってるんですよ。シナモン入りの蜂蜜を、パンに塗ってから焼く! しっとりして、たまんない甘さになるんですよぉこれが。この、塗ってから焼く、っていうのが……重要……」
 弾んだ少女の声が、ぎこちない感じに途切れてゆく。
「その壺……開けてしまったのね? ティレ」
 空中に書き綴られた呪文が、シリューナの言葉に合わせ、ティレイラの身体に吸い込まれて行く。
 呪文に侵食されつつある少女の細身が、カクカクと珍妙な動きをしながら固まってゆく。
「開けないように注意しようと思ったけれど、遅かったわね……開けた後できちんと密封し直して、重石も乗せて、ごまかしたつもりでしょうけど」
 シリューナは微笑んだ。
「見る人が見れば、1度開けた後だとわかってしまうわよ? 本当にティレは、ごまかすのが下手なんだから。やっぱり正直者ね」
「ご……ごめんなさい、お姉様ぁ……」
 ティレイラが、固まりながら懸命に謝罪をしている。
「はっ蜂蜜の、蜂蜜とシナモンの匂いがしたからぁ……つい……開けちゃったんですよぅ……」
 謝罪と言うより、言い訳か。
「だって蜂蜜とシナモンですよ!? また美味しいトーストが食べられるかもって……思っちゃうじゃないですかぁ……」
 固まりつつある手足をカクカクと動かしながら、ティレイラはしどろもどろに言い訳をしている。
 可愛い、などと思いながらシリューナは片手を差し伸べた。
「残念。この壺の中で作っているのは、人面瘡を取り除く魔法のお薬なのよね。確かに蜂蜜とシナモンは大量に入っているけれど……トーストに塗っても、美味しくはならないわよ」
 その手で、少女の愛らしい頬を軽く撫でる。固い、だが気持ち良いほど滑らかな手触り。
 ティレイラは、石像と化していた。
 ただの石ではない。生ける乙女が、そのまま石化したのだ。色艶も滑らかさも、無骨な自然石とは雲泥の差である。
「綺麗なもの可愛いものが、このお店にはたくさんある……だけど一番、綺麗で可愛いのは貴女よティレ。わかりきっていた事だけど」
 この世で最も優美・可憐な美術品と化したティレイラの手触りを、シリューナはうっとりと楽しみ続けた。
 おたおたと可愛く怯えながら、石像へと変わる。その一瞬の愛らしさが、たまらないのだ。
 それを堪能するためにのみ、この石化の魔法はある。そう言って過言ではない。
 売れてしまった首飾りの代わりに、この石像が店頭に置かれている様を、シリューナは再び思い浮かべてみた。
 自分が客であったら、間違いなく買う。そう確信した。
 売ってしまうわけにはいかない。が、店には置きたい。非売品の立て看板として扱うしかないのか。
 悩みながらシリューナは、壺の方を見た。何の面白みもない、単なる重石が載せられている。
 代わりにティレイラを載せておこう、とシリューナは決めた。この世で最も美しく可愛らしい重石の、誕生である。密封してあるものを勝手に開けた、罰だ。
「いつか、この魔法薬の作り方も教えてあげるわ。人面瘡だけじゃなくて腐敗症、八肢病、ハンババの呪い……大抵の病気に効く万能薬よ。もっとも」
 泣きそうな表情のまま固まったティレイラの頬を、シリューナは愛おしげに撫でた。
「貴女の、その病的な食いしん坊と好奇心を治すのは……無理でしょうねえ」