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<東京怪談ノベル(シングル)>


雷鳴の果て


 その日の天候は、ひどく崩れていた。
 暗雲が立ち込め冷たい風が吹き付ける。数分もしないうちに雨になるだろうと誰もが思える空だった。
 遠くの空から、雷の音がする。
 見上げたその彼女の記憶は、そこでふつり、と途切れるのだった。

 三十一世紀、カスピ塩湖の湖畔に広がる砂丘。位置は旧イランにあたる。
 草木も一本も生えぬ砂漠の上に、ボロボロのセーラー服を着た少女が虚ろな眼差しで立っていた。
 その少女の傍らには黒い沼が広がり、彼女のスカートの端からはひとしずくの適が地面に落ちてじわりと吸い込まれる。
 それら上空を哨戒中であった綾鷹・郁は、少女の姿を目に留めて表情を強ばらせた。
「え、あの子……?」
 郁の見知っている顔であった。誰よりも信頼し合う友であった。だが、何かが違う。
 そうは思いつつも放置するわけにも行かずに、彼女は少女を『遭難者』と見なして保護をした。
 直後、艦隊所属の学園艦でその少女の話題が一気に広まった。一年前に失踪していたらしく、騒然としている。
 彼女は本当に失踪した少女本人なのか?
 それを確かめるために、無人事象艇が一年前を遡った。過去へ一日ずつ遡りつつ砂丘を偵察したが、そこに生命の痕跡は無いと報告が届いた。
「……あの子じゃない」
 保護した少女は多くを語らずにいた。放心状態でもあるために、言葉を探るには難しい事柄が多かった。
 郁は己の持ち合わせる能力――共感能力――で彼女を探る。それは他人の心を読み取るものだ。
 そこから感じ取った何もかもが同じであるがやはり根本的な違いがある少女は、郁の『親友』では無かった。
 そして、偵察に出ていた艦が現地で被雷し、大破したというデータが舞い込んでくる。
 周囲の空気がどことなく悪くなった気がした。
「彼女は何者なのか? 人間か、そうではないのか? ヒトであらぬば生かしておくべきではない!」
「お前は何者なのだ! 答えてみせよ!」
 作戦室ではそんな声が大きく響いていた。
 得体も知れない少女を生かすべきか処分してしまうべきか。そういった議論が出ているのだ。
「わたしは……わたし……」
 論議が飛び交う中、少女は俯いたままで小さくそう告げるのみだ。
「自分が何者なのかすら答えられない存在に、生など必要ない!」
「ちょっと、待って! まだ何か見つけられるはずよ!」
 郁はその場で唯一の反論者になった。どんな存在であっても、目の前の少女は今生きているのだ。彼女はそれを証明させてみたかった。
「――スワンプマンという存在の話がある。一人の男が沼へとハイキングに出かけ、道中で落雷に遭い、死亡してしまう。その時、もうひとつの雷が彼のすぐそばにあった汚泥へと落ちた。それが化学反応を起こして死んだ男と全く同じ生成物を生み出し、彼と同じように生きるというわけだ」
 クロノサーフの女艦長が郁に向かいそう言った。
 作戦室で繰り広げられている彼女の今後を決めるための裁判。それを見越してのことであった。
「それじゃあ、彼女はいわゆるスワンプガールってわけ?」
 あの子はどこから来たの? 彼女を見つけたのは自分自身。そして少女は昨日、沼から現れた――。
 そんな思案をしていると、艦長が再び口を開いた。
「綾鷹、現地の放射能を至急調べてくれ」
 艦長の命どおりに、郁は砂丘を調査する。基本値より遥かに高く表示されるモノ。だがそれがヒトの手によるものではない。
「あの場は世界一、自然放射能が高い土地です。雷、黒い沼……化学反応が起きてもおかしくはない状態ね」
「要するに、彼女はコピーだ。……処分するしかあるまい」
 郁の報告に頷きつつ、艦長が下した判断は酷なものだった。
 その響きを耳先で捉えた直後、郁は激しく首を振る。
「量産品であっても、各々違う!」
「――誤差による微妙な違いは個性とは言えぬ。現実を受け入れろ綾鷹。『彼女本人』はすでに死んでいる!」
 厳しい声音が響いた。
 反論した郁も一度はそこでびくりと肩を震わせる。
 だからと言えど、郁までもがそれを受け入れてしまえば少女はいなくなってしまう。
「……物理測で言えば、彼女は複製です。ですが、観念論に立てば彼女は独立した個人です! 個性とは環境の産物、彼女はここで今を生きています!」
 郁は出来る限りの熱弁を広げた。彼女の青い瞳が一層の色彩を醸しだし、美しい輝きを放っている。
 そんな郁を見つめていた艦長が軽く肩をすくめて小さく笑った。
「なるほど。生きている以上、その少女にも人権がある、か……」
 それが、どんな理由により存在していても。
「わかったよ、綾鷹。彼女を正式に保護しよう。乗船を許可する」
「……! ありがとうございます、艦長!」
 郁の表情が、ぱぁっ、と明るいものになった。その感情に呼応するように彼女のふんわりな髪までもが小さく揺れる。
 一連を静観し続けていた少女本人もまた、そこで微笑みを見せた。綺麗な笑顔であった。
「立場上、乗船許可は簡単には出せなくてな。君の裁判は必要な手続きだったんだ。尋問めいたことをして済まなかった」
 艦長が少女に向かいそう言うと、少女はゆっくりと首を振った。
 そして、静かにぺこりと頭を下げる。
 仕草も表情もこんなにも同じなのに、『あの子』はもう居ない――。
 郁の心にそんな感情が生まれる。出会いと別れは幾度も繰り返してきた身ではあるが、つらくはない悲しくはないと言えば嘘になる。
 だが、その代わりにこの『少女』がいる。
「郁は……平気? わたしが、死んでいても……」
「平気だよ。あなたがいるからね!」
 少女の手をぎゅ、と握りながら郁はそう言って笑う。

 雷鳴の果てに途切れた記憶は、またそこから新しいものになり、そして刻まれていくのであった。