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<東京怪談ノベル(シングル)>


夜の逃亡者


 人間ではない者たちが、この人間社会に住み着くようになって、随分と経つ。
 妖怪、妖精、宇宙人、悪魔族……様々な種族が、ひっそりとコミュニティを形成しつつ、人間たちと良好な関係を保ちながら暮らしている。
 が、はみ出し者がいないわけではない。
「吸血鬼のコミュニティ? そ、そんなものが、ありますのねっ」
 いくらか辛そうに声を漏らしながら、少女は夜の住宅街を走っている。
 相変わらず、走るのは苦手であるようだ。毎晩のジョギングの甲斐あって、ましになってはきたのだが。
「そこから逃げ出した、家出娘の捜索……なんて、わっ私たちが、やらなければいけない理由は何ですの!?」
「これもお仕事や。文句言わんと走った走った」
 辛そうにしている少女を、隣から急かして走りながら、セレシュ・ウィーラーは言った。
 この少女、かつては石像であった。そこに生命と意思が宿り、言わば付喪神と言うべき状態にある。
 そんな少女と2人で、吸血鬼の家出娘を追っている最中である。
「な、何でも屋みたいに扱われてません? お姉様」
「……そう、なってきとるなあ」
「IO2やら、あんな貧乏探偵事務所やらと、付き合っているからですわよっ」
 そうかも知れない、と思う事は確かにあった。


 まるでスポットライトのような街灯の下で、吸血鬼の少女はハッと立ち止まった。
 全身で、服がボロボロに裂けている。コミュニティから逃げ出す過程で、いろいろと荒っぽいトラブルがあったのだ。
 それを振り切って、ここまで逃げて来た。
 そこで立ち止まる羽目になったのは、いくらか年上と思われる少女が、立ち塞がっているからだ。
「残念……ここは通行止め、ですわよ」
 そんな事を言いながら腕組みをして佇む、その姿は、動かぬ壁のように頼もしい。
 逃げ回っていた吸血鬼少女を、そちらへと追い詰めながら、セレシュ・ウィーラーは微笑んだ。
「さっきまで死にかけてた鈍足ちゃんとは、まるで別人やなあ」
「し、死にかけてなど、おりませんわ。その証拠に私が本気を出して走れば、ほら簡単に先回り」
「本気っちゅうか……自分、それ使うたやろ」
 付喪神の少女の、綺麗な耳朶。そこで蛇の形のピアスが、妖しく輝いている。
 この少女に俊敏さと速度を与える、魔法の装身具である。石の特性を、一時的にミスリルのそれへと変換する。変換している間は、彼女自身のあまり潤沢ではない魔力が消費される。
「あるもん使うなとは言わんけど、まあ程々にしいや」
「な、何よ……何なのよぉ、あんたら……」
 逃げ回っていた吸血鬼の少女が、猫を噛む窮鼠そのものの様子を見せ始めている。
 セレシュが、付喪神の少女と二手に分かれ、追い詰めたところである。
「あんたの、お父んお母んに頼まれたんや」
 恐らくは無駄に終わるであろう説得を、セレシュは試みた。
「若い時分は家出の1つ2つ、するもんやけどな。どうやったって最終的には、ごめんなさい言うてお家帰る事になるんやから。一緒に謝ったるさかい、な? 大人しく帰ろ。早い方がええで」
「う、うるさい! 馴れ馴れしいんだよ、この若作りババア!」
 吸血鬼の家出娘が、激昂した。
 付喪神の少女が、ぽん、と楽しそうに手を叩く。
「何とまあ命知らずな事を……勇敢ですのねえ、貴女」
「お前も黙れ! どいつもこいつも癇に触る!」
 家出娘が、怒り喚いた。
「あたしはもう、あんなとこ戻らない! 吸血鬼なのに人間の血ぃ吸っちゃいけないなんて、冗談じゃないっての!」
「人間のいるとこで生きてこ思うたらな、そうゆう我慢も必要になるんやで」
 辛抱強く、セレシュは言った。
「うちかて、いろいろ我慢しとるんや。人間でも吸血鬼でも、付喪神でも、うちら幻獣族でもな、100%思い通りになんて生きてかれへん。今の問題発言も我慢したるさかい、家へ帰りや」
「あたしは100パー思い通りに生きてくんだよ! 自由なんだよ! 人間どもと折り合いつけなきゃいけない、お前ら年寄りとは違うんだ!」
 少女が、掴みかかって来た。細く小柄、に見えても吸血鬼である。その怪力は、馬鹿に出来ない。
 が、かわす必要はなかった。
 セレシュがひょいと片手を伸ばし、綺麗な人差し指で、家出娘の眉間をつつく。
 吸血鬼の怪力を発揮する暇もなく、少女は弱々しく尻餅をついた。
「何……力、出ない……何やったのさ、あんた……」
「ツボ突いただけや。職業柄、詳しいよってな」
「このっ……インチキばばあ!」
 叫び、立ち上がろうとする家出娘を、
「はい、そこまで。命知らずも、いい加減になさいな」
 付喪神の少女が、後ろから掴み押さえた。
「こちらのお姉様は、お料理がとっても得意……貴女、ホットサンドか何かの具にされてしまいますわよ? 食べさせられるのは私なんですからね」
「うぐっ、こっこの馬鹿力女……あたしの餌になんのは、お前の方だっつぅうううの!」
 家出娘が、吸血鬼らしく牙を剥き、怪力少女の細い首筋に食らいついてゆく。
 がちっ、と痛そうな音が響いた。石を噛んだ音だ。
「固ッ……な、何なのよォ……」
 吸血鬼の少女が、口を押さえて座り込む。
 その細い身体を、付喪神の少女が、怪力の細腕でがっしりと捕えた。
「はっ放せ! 放せぇー!」
「本当にいい加減にしないと、私が貴女から生気を吸ってしまいますわよ? あまり美味しそうではありませんけれど……イケメンの殿方か可愛い男の子の生気を、たまには吸ってみたいですわお姉様」
「イケメンの探偵なら、1人いてるで。けっこう可愛いでえ」
「あんなニコチン臭い生気は嫌っ」
 言いながら、元石像の少女が、家出娘を羽交い締めに捕えている。
 吸血鬼の少女が、ストーンゴーレム並みの怪力に抗って暴れた。
「このっ、放せってば! 何なんだよ、お前! 何なんだよお前らはあああああッッ!」
「服ボロボロなのに、そない暴れたら、いろいろ丸見えやで? 自分」
 セレシュの言葉に、家出娘は初々しく顔を赤らめ、慌てて自分の姿を見回し確認している。
 その隙をついて、セレシュは片手を動かした。ポケットから取り出したものを、家出娘の口に叩き込んだ。
 ボールギャグ、である。
 革紐が、まるで蛇の如く巻き付いて、家出娘の後頭部でガッチリと固定された。
「魔具の試作品や。お試しやさかい、タダで使わしたる」
「……! …………ッッ!」
 ゴルフボール大の球体を噛まされ、無言で暴れる吸血鬼の少女。その暴れようが、次第に大人しくなってゆく。元気良く怒り狂っていた顔から、表情が失われてゆく。
 暴れていた手足が、がくりと垂れ下がった。
 家出娘の肉体は、ボロボロの衣服をこびりつかせた人形と化していた。



「……また危ないもの、お作りになりましたのね。お姉様」
 人形に変わった吸血鬼を、付喪神の少女が、ひょいと床に下ろした。
 彼女に担がせ、ウィーラー鍼灸院へと帰宅したところである。
「まさか商品として売るおつもり? 着けると人形に変わってしまう魔具なんて、一体どんな需要がありますの? 犯罪的な使い方しか思いつかないのですけど」
「おイタした子を大人しゅうさせるための道具や。外せば元に戻るさかい心配あらへん。もっとも自力じゃ外せへんけどな」
 言いつつセレシュは、少女に運ばせて来た人形を、じっと観察した。
 あれほど元気で凶暴だった家出娘が、今は球体関節のはまった手足を弱々しく投げ出し、虚ろな表情のままピクリとも動かない。服はボロ布同然で、様々な部分が丸見え寸前である。が、隠そうともしていない。
 もっとも、その服の下は、少女の生身ではなく等身大のデッサン人形である。隠す必要などない、とも言える。
 何にせよ、両親のもとへ帰してやる前に、着替えさせてやる必要があるだろう。
「ま……ジャージでええやろ」
 セレシュが、タンスからジャージの上下を引っ張り出している間。
 付喪神の少女が、人形化した家出娘を玩具にしていた。球体関節で繋がった手足を様々な形に折り曲げ、ポーズを取らせている。
「うっふふふ。ほーらY、M、C……」
「やめんかい!」
 セレシュは慌てて人形を抱き奪った。
 恐いもの知らずで暴れていた吸血鬼の少女が、今は全く、されるがままである。
「恐いもの知らずは、そのうち痛い目見るさかいな。教訓にしとき」
 話しかけながら、セレシュは人形の身体からボロ布を剥がし取り、代わりにジャージを着せた。
「着せ替え人形遊びも、イモジャーでは盛り上がりませんわねえ」
「盛り上がっとる暇なんかあるかいな。明日も早いんや、とっとと寝え」
「明日と言うか、もう今日ですわね。あ〜あ、こんな時間では仮眠にしかなりませんわ。お姉様が何でも屋さんなど始めるから、睡眠不足で美容に悪いったら」
「うちも『鍼灸院』と書いて『何でも屋』と読む感じやなあ……」
 ぼやきながら、少女もセレシュもベッドに入った。
 すぐに、目蓋が重くなった。
 目覚まし時計がセットされている事だけを確認してから、セレシュは目を閉じた。
 2人分の寝息が流れる室内に、ジャージ姿の少女人形が無言で佇んでいる。そんな光景だった。