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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇に還る人魚姫


「浄化の一撃、ホーリースプラッシュ! いっけぇええええええ!」
 叫びながら、海原みなもは、半魚人の群れに切り込んで行った。
 まるでビキニのような鎧をまとった細身が、青い髪をふわりと舞わせて翻る。凹凸の控え目なボディラインが柔らかく捻れ、それと共に聖剣が全方向に閃いた。
 水の聖なる力を秘めた、縦横無尽の斬撃。
 三又槍を構え、凶暴に群がって来た半魚人たちが、切り刻まれながら砕け、大量の水飛沫と一緒に飛散する。
 騒いでいると注意をしてくれる瀬名雫は、今は近くにいない。今日は、みなも1人でログインをした。
 結果、こうして海エルフの聖戦士となり、邪神の下僕たる半魚人たちと戦っている。
 つい最近まで、巨大な港湾都市であった場所。今は、水浸しの廃墟であった。
 そのあちこちで、半魚人の兵士たちが三又槍を振りかざし、やや遠巻きにみなもを包囲している。
「貴方たち、この町を襲ったのね……」
 聖剣を構えながら、みなもは口調厳しく問いかけた。
「人を、大勢……殺したのね」
「人間どもに殺されてきた我らの同胞、その数の万分の一にも満たぬよ」
 声がした。
 半魚人たちの中から、1体が進み出て来たところである。
 兵士ではない。法衣を身にまとい杖を携えた、神官と思われる半魚人だ。
「そなたが来るのを待っていたぞ、人魚の姫君よ」
「人魚の……姫君? あたしが?」
 確かに、人魚の末裔ではある。だが、ずっと人間の世界で生きてきた。
 人魚でもあり、人間でもある。それが自分だ、とみなもは思う。
 両種族の橋渡しに、などと考えてしまうのは自惚れであるにしても。海に住まう生き物たちと人間との殺し合いを、黙って見ているわけにはいかない。それが異世界の出来事であるとしてもだ。
「もう1人のそなたは、すでに我が陣営に在る。ゆえに、そなたは要らぬ……ここで死ぬが良い」
 謎めいた事を言いながら、半魚人の神官が杖を構える。棒術の構えだった。
 みなもが応戦の姿勢を取ろうとした、その時。
(助けて……)
 声が聞こえた。聞き間違いようもない、瀬名雫の声。
(誰か、みなもちゃんを助けてよう……)
「雫さん……?」
 みなもは思わず、周囲を見回した。が、そんな場合ではなかった。
 半魚人の神官が、正面から殴り掛かって来たのだ。杖が、重い唸りを発してみなもを襲う。
 重さと速度を兼ね備えた、強烈な一撃だった。
 それを、みなもは辛うじて聖剣で受け流した。
 受け流された杖が、即座に別方向から襲いかかって来て弧を描く。あるいは、まっすぐに突き込まれて来る。
 空気の裂ける重い唸りが、連続した。恐るべき技量と剛力による連続攻撃を、みなもは辛うじてかわしていた。
 かわしながら、聖剣を振り下ろす。細い刃が、右上から左下へと一閃する。
「必殺! シャークファング・スプラッシュ!」
 斬撃が、杖を切断した。
 その刃から、聖なる水の力が溢れ出し、一匹の鮫を形成した。水で出来た鮫。
 それが、半魚人の神官に食らいつく。
「うぬっ……!」
 水の鮫に首筋を噛み抉られながら、神官は吹っ飛んだ。
 鮫はすぐに水の粒子へと戻り、大量の水飛沫となって飛び散った。そこに、半魚人の黒っぽい体液が混ざる。
 首筋を噛み裂かれ、辛うじて生きている状態で、邪神の神官がよろよろと立ち上がった。
「や……やはり、な。水の種族で、そなたに勝てる者などおらぬか……ならば姫君よ。もう1人のそなたに、お出まし願うしかあるまい」
 ずん……と、地面が揺れた。
 地震ではない。何か巨大な生き物の、足音である。
 建物が潰れ、瓦礫が飛散した。
 廃墟と化した町を、さらに破壊しながら、それは姿を現していた。
 腐敗したクラーケンのようでもあり、海竜の死骸のようでもあり、巨人の水死体のようでもある怪物。
「これは……!」
 みなもは息を呑んだ。
 この怪物を、自分は知っている。知り過ぎるほど、知っている。
 空気が震えた。怪物が、叫んでいる。言葉ではない咆哮。だが、みなもにはこう聞こえた。
 ゆるさない。うみをよごすもの、ぜったいにゆるさない。
 その叫びが、何かを呼んだ。みなもには、それがわかった。
 遥か遠くで、海が隆起している。そして、こちらに迫って来る。
 津波であった。
「この怪物はな、海の怒りそのものよ。海が有する、あらゆる攻撃性を、自在に操る事が出来る」
 半魚人の神官が、兵士たちの肩を借りて立ち上がりながら語る。
 この怪物が、何者であるのか。語られるまでもなく、みなもは理解していた。
「これは……あたし……」
「その通りだ、姫君よ。そなたの中にある、海を愛する心と人間を憎む心。それが形を成したものよ」
 怪物に呼び寄せられた津波が、ゆっくりと、そう見えて凄まじい速度で、迫って来る。
 眺めながら、半魚人の神官は言った。
「そなたは人魚でありながら、人間の世界で生きてきた。そうしながら、2つの心を育んできたのだ。海を愛する心と、人間を愛する心……前者が今こうして怪物となり、人間どもを滅ぼさんとしている。それを止めるべく、剣士となって現れた後者。それが、そなただ」
 巨大なものが、襲いかかって来た。
 怪物の、触手かヒレか。とにかく異形の肉体の一部が、振り下ろされて来たのである。
 みなもは、跳躍してかわした。
 石畳が、建物が、広範囲に渡って砕け散った。
 その轟音の中から、神官の声が聞こえる。
「海を愛し人間を憎む心が、それを止めんとする心を叩き潰す! そなたが死ねば、人魚の姫君はいよいよ元には戻れぬ怪物と化し、この世の全てを海に沈めるであろう」
 言葉が聞こえたのは、そこまでだ。
 津波が、全ての音を押し潰していた。


 先程まで陸上の廃墟であった場所は、海中と化していた。
 海面が、さらに凶暴な津波となって荒れ狂い、地上を削り取っている。
 それを海中で感じながら、みなもは漂っていた。
 自分が人間であれば、とうの昔に水死しているところである。
「助けて……」
 すぐ近くから、雫の声が聞こえた。
「みなもちゃんを、助けてよう……」
 1匹のコウモリダコが、ぱたぱたと泳ぎ漂っている。
 彼女が「みなもちゃん」と呼ぶものが、海底に鎮座し、こちらを見上げていた。
 津波を操り、地上を破壊している怪物。
 ゆるさない。うみをよごすもの、ゆるさない。
 声なき叫びが、水流のうねりとなって伝わって来る。
「人が……大勢、死んでいるわよ」
 みなもは語りかけた。
「だから、もう後戻り出来ない……そう思ってるんでしょう?」
 人間が、海を汚す。それは、みなもの世界でも同様だ。
 許せない、と思った事は何度もある。
 人間がいなくなれば、海が汚れる事もない。
 それを実現させる力が、もしも自分にあったとしたら。自分はそれを、実行せずにいられただろうか。
 実行してしまった自分が今、海底にいる。怪物の姿でだ。
 声なき咆哮が、再び海中をうねらせた。
 ゆるさない。うみを、よごすもの……
「そこに逃げ込まないで」
 みなもは言った。
「貴女は、大勢の人を殺した。その事実から逃げるために、ひたすら憎しみを燃やそうとしているだけ……あたしも間違いなく、そうするだろうから。海を汚す連中だから、滅ぼしてもいい。そう思い込んで、自分を正当化してしまうだろうから」
 そうしてしまった自分を、みなもは見下ろし、見据えた。
「いくら海が綺麗になっても、その海には大勢の人たちが沈んでいる……貴女は、それに耐えられる?」
 耐えられないから、怪物と化した。
 その怪物が初めて、憎しみではない叫びを発した。
 だれも、あたしを……ゆるしは、しないわ。
「許す! あたしが、許してあげるから!」
 コウモリダコが、ぱたぱたと泳いで、怪物のもとへと向かった。
「もう、こんな事やめよう? あたしがいるよ、一緒にいるよ。何にも出来ないけど、一緒にいるよう……」
 海面で、津波が止まった。それを、みなもは感じた。
「ふん……ここまで、か」
 声がした。
 重傷を負った半魚人の神官が、兵士たちに護衛されながら、海中に佇んでいる。
「まあ良い。姫君がどうであろうと今更、人魚と人間の間に和解は有り得ぬ。互いに、ここまで犠牲が出てしまったのではなあ」
 巨大な怪物が、小さなコウモリダコを伴って、すごすごと海底へ去って行く。
 それを見送りながら、神官は嘲笑った。
「姫君よ、そなたの役目は終わった。おぞましい姿のまま、この広い海の片隅で……せいぜい無様に、生き続けるが良い。それが旧き支配者の、大いなる慈悲よ」
「彼女にもいつか、自分の罪と向き合う時が来るわ。もちろん、海を汚した人間にも」
 言いつつ、みなもは聖剣を構え、半魚人たちに切っ先を向けた。
「そして、貴方たちにもね……あたしが、向き合わせて見せる。自分たちのした事を、思い知らせてあげるわ」
「覚えておこう。もう1人の、人魚の姫君よ……」
 海流が一瞬、激しくうねった。うねりの中に、半魚人たちは姿を消した。
 言葉だけが、残った。
「人間どもが、海を穢す。それは、この世界においてだけではない……いずれ、そちらの世界も海に沈めてくれようぞ。旧き支配者の統べる、美しき静寂の海へとな……」
 その言葉を聞きながら、みなもは見送った。
 哀れなほど醜くおぞましい巨大な怪物に、小さなコウモリダコが、ぱたぱたとまとわりついている。2匹、連れ立って、海のさらなる奥底へと去って行く。
 みなもは、今はまだ届かぬ言葉をかけた。
「自分の罪と向き合って、するべき事を見つける……貴女が元に戻れるのは、その時よ」