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<東京怪談・PCゲームノベル>


猫にお守り


 セレシュ・ウィーラーは人ならぬ存在である。
 見目は幼さを残した少女じみて見えるし、当人は表向き「21歳」を自称しているのだが、実年齢は当人ですら定かではない程の長命だ。当然ながら、人間ではない。辿れば古く忘れられた神殿、名すら忘れられた神の聖域を守る「守護者」が彼女である。聖域の守護者という性質故に縄張りを荒らす他者に容赦が出来ない。長く生きる間にある程度加減をすることは覚えたものの――こればかりは体に染みついた本能である。
 尤も、それを、他者にそれと知られることは、無い。無いのだが。

「ふしゃーっ!!」

 ――いかに愛玩用になっていようが動物と言うのは人間よりも敏いものである。まして猫。鋭敏さに加えて霊的な感覚も鋭い彼らは、セレシュを見るなり逃げるか、毛を逆立てて威嚇するか、あるいは、追い詰められた獣に独特の必死さで攻撃を仕掛けてくる。
 その日、セレシュが境内で見かけた猫がまさにそうだった。日向で毛繕いをしていた猫に思わず手を伸ばしたセレシュの白い手に赤い線が走る。鋭い痛みに手を引っ込めたセレシュを余所に、猫は凄まじい勢いで逃げ去って行った。
「…あたた、やってもた」
「セレシュさんったら。大丈夫?」
 その様子を偶々見ていたのは、この小さな神社の巫女見習いである桜花だ。本日は祝日で、彼女は修行と日課を兼ねた境内の掃除中である。しっかりと赤白の巫女服を着込んだ生真面目な彼女は、セレシュに近付いて、
「ん、ああ、このくらいなら何ともあらへんよ」
 ひらひらと手を振るセレシュの手の甲。しっかりと三本ばっくりと割れていた皮膚が、まるで逆再生の映像を見るかのように消えていくのを目の当たりにして、目を瞬いた。言葉も無く、箒を抱えたままで固まって、たっぷり10秒は経過しただろうか。
「…そういえばセレシュさんはそうだったわね」
「今10秒かけて何考えとったん自分。って言うか今更やな…」
「ごめんなさい。神様の類と幽霊には馴染みがあるのだけれど、あまりそういう体質の方と遭遇する経験が無くって」
「それもどうかと思うわー」
 幽霊はまだしも神様に馴染みがある女子高生と言うのも色々突っ込みどころがある気はしたが、彼女は巫女見習いだし、この神社に引き取られるまで色々あったらしいからあえて尋ねることまではすまいとセレシュは決め込んで、手を引っ込めた。白い肌の上には、流れた血が少しばかり残っているだけで、最早痛みもなく、嘘のように傷痕も無い。何となしにその手の甲を眺めていると、桜花が微かに苦笑する気配があった。
「…あの子、ウチの神社によく来るのだけれど。人懐こい子なのよ、普段は」
 何でも、参拝客に餌を強請ったり、この神社の祭神の一柱である「さくら」と一緒に昼寝をしていたりするらしい。首輪はしていないから、野良なのだろう、とのことだが。
「あんな風に初対面の人を攻撃するなんて、珍しいわ」
「あー、せやろなぁ。ウチ、猫には嫌われるんよ」
 猫だけやのうて、小動物全般やけど。
 セレシュの告白に、またしてもぱちりと桜花が瞬いた。意外なことを聞いた、と言う風情である。どう説明したものか、と思案するセレシュの背後から、石段を登って来たらしい少年の、少しばかり息切れして荒れた声が答えた。
「ああ、えっとほら桜花ちゃん、セレシュちゃんの気配って独特だから、動物からするとかなりアレなんだよ、怖いっていうか、大きいって言うか…あー疲れた…」
 石段を駆け上がってきたのだろう。息を切らせて砂利の上にべったりと座り込んだのは、こちらはジャージ姿の神主見習い、藤であった。両手にはビニール袋とトイレットペーパーを抱えていて、どうやら買い物帰りらしい。
「お帰りなさい、藤。…気配が大きい? どういうこと?」
「ニュアンスの問題やな。ウチかて小動物の立場になった訳とちゃうからよく分からへんけど、どうも動物からするとウチは『怖い』らしいわ」
「警戒されてしまう、と言うこと?」
 桜花は生真面目に首を傾げて、重ねるようにしてそんなことを問うてくる。
「ま、そんなとこやろね。…お陰で長く生きとるけど、未だに小動物と触れ合う経験したことなくてなぁ…」
 犬猫は勿論。小鳥やウサギにも逃げられてしまう。知人の伝手で羊牧場に行った経験もあるが、羊の群れは面白いようにセレシュを避けて逃げ回る為、一緒に行った知人から「凄いね、放牧犬の才能があるよ」と謎の賞賛を受けたこともあった。そんな話を幾らかヤケッパチな気分で披露すると、藤は大笑いしてくれた。桜花の方は生真面目に「大変ね」などと頷いていたが。
「そんな悩みがあるなんて、思わなかったわ。人それぞれなのね…」
「まぁ、もう慣れとるから。悩みって程ではあらへんけど、そうやなぁ、一回くらい、猫撫でてみたいなぁとは思うわ」
 軽い気持ちで口にした途端だった。セレシュの背後、砂利を踏む音がして、それが勢いよく駆け寄ってくるのを耳だけで聞き取り、そしてセレシュは――無言で嘆息した。ロクでもないことになる予感がしたのだ。ちなみにセレシュの目の前で、彼女の背後から近づいてくる人物に気付いていた藤と桜花は、それぞれ苦笑と、セレシュと似たような嘆息とを零していた。
「そういうことなら、あたしに任せ」
「どこから聞いとったんやこのトラブル娘!」
 そうして歌うように告げられた言葉を半ばからへし折る様に遮って、セレシュは勢い込んで振り返る。
 案の定、視線の先には、嬉しそうにタブレット端末――魔導書なのだが――を掲げる少女の姿があった。この神社の常連というか、藤の腐れ縁であり、桜花の数少ない友人でもある錬金術師(ただし彼女も『見習い』という言葉がつくのだが)、響名である。彼女は言葉を遮られたことなど意にも介さず、意気揚々とセレシュに向けて可愛らしい小瓶を取り出して見せた。見た目は洒落た香水瓶だ。――見た目は。
「…一応訊くけど、何なん、これ」
 胡乱な目つきでセレシュが問えば、えへん、と薄い胸を張って少女は堂々と答えた。曰く。
「惚れ薬!」
「却下」
 迷いの無い即答であった。





 えー、これが一番楽だよー、と口を尖らせる響名は放置して、ベンチに腰を下ろしたセレシュの横に、桜花と藤がそれぞれに陣取った。
「あ、セレシュちゃん。ほら、あそこ」
 藤が指差した先は、神社の本堂の軒先だった。心地よさそうな陽だまりに、先程セレシュを引っ掻いて逃げた猫も含めて、3匹ほどがちんまりと座っている。――ちなみに響名を除く三人には、そこで丸くなって眠っている神社の祭神の姿も見えたのだが、まぁ放っておくことにした。わざわざ起こす必要も無い。
「ここ、意外と猫多いんやね」
「陽当たりがいいし、車も通らないし、子供もあまり来ないもの。猫にとってはきっと安全な場所なんだと思うわ」
 桜花の言葉に、ふむ、とセレシュは頬杖をついたままで頷く。と、その桜花がはたと立ち上がった。
「そうだわ。ちょっと待ってて」
「あれ、桜花ちゃん? 家戻るなら、トイレットペーパーとか持って帰っておいてー」
「持って行くわよ。ちゃんと特売品買った?」
「当たり前じゃん」
 なら良し、と満足げに頷いて桜花は買い物袋を拾い上げ、立ち去って行く。それを見送りながら、セレシュはもう一度、猫の方を見遣った。眼を閉じて、両足をきっちり揃えて座る姿だけ見ればリラックスしているようにも思える。今なら触れるのではないだろうか。
(でもなぁ、猫って耳がええし)
 近付くのは難しいだろうなぁ、等と独り悶々とセレシュが悩む横。無造作に藤が立ち上がった。そのままスタスタと猫達に、ついでに祭神に歩み寄って行く。
 どうするのだろうか、とセレシュが眺める先で、彼は全く身構えた様子もなく、
「よう、久々ー」
 友人にするような挨拶をして、猫達の頭を撫で始めたではないか。
 猫の方もされるがままだ。迷惑そうな顔をするもの、眼を閉じたまま動かないもの。セレシュを引っ掻いた鉢割れ猫は自ら藤の手に頭を擦りつけに行き、そのまま撫でられてごろごろと咽喉を鳴らしている。
「セレシュちゃんは俺の友達だから、お前らあんまりビクビクするなよ」
 撫でながら彼はそんなことを言い聞かせていた。猫達は耳をぴくりと動かしただけで、聞き入れたかどうかはその飄々とした様子からはうかがい知れない。それを見、セレシュの方を見て、藤は肩を竦めた。
「セレシュちゃんも、あんまり身構えないで、リラックスして近付けばいいと思うよ俺」
「…そうしてる積りなんやけど」
「あと、猫は目があったらゆっくり瞬きするだけでも大分違うからね。いきなり撫でないで、挨拶代わりに指先だけ差し出すのもアリかな。撫でさせてくれなくても、匂い覚えてくれるし」
「相変わらず、あんた小動物には好かれるのね」
 横から響名が口を挟む。桜花が立ち去って空いたベンチに腰をおろし、彼女はもう一度、セレシュの目の前で瓶を揺らしながら詰め寄ってきた。
「セレシュちゃん、それよりこれ使っちゃおうよ。効き目すぐ切れるけど、それまで凄いよ。猫をもふもふし放題だよ!」
 にこにこと笑う響名には、非常に性質の悪いことに邪気が無い。子供のような笑顔を押しやりながらセレシュは思った。いっそここまであけすけだと、逆に潔いのかもしれない。――だからと言って彼女の提案を呑む気にはなれなかったが。
「却下、って言うたやろ、さっき。…藤、もしかして意外と動物に詳しいんか?」
「詳しいって言うか、稲荷さんとか、狛犬とかが小さい頃は遊び相手だったから。色々教わったんだよ」
「成程なぁ…」
 稲荷も狛犬もイヌ科なのが気にはなったが、それでも動物に近しい立場から教わったというのなら相応の説得力もあるように思われる。ベンチから立ち上がり、セレシュは一度深呼吸をした。肩の力を抜いて、と自らに言い聞かせて、一歩。
 途端、耳をピンと立てて、灰茶色の猫が顔を上げた。視線がバッチリ合ってしまってセレシュは一瞬強張るが、助言を思い出して、瞼をゆっくりと閉じる。そうして開くと、猫は不思議そうな、怪訝そうな様子で首を傾げたようだった。そこでもう、一歩。
 二匹目は顔を上げこそしたものの、セレシュを一瞥してすぐに興味を失くしたようで、欠伸をしながらまた目を閉じてしまった。
 三歩。四歩。
 藤が三匹を適当に撫でたり、話しかけたりしていたことも功を奏したのかもしれない。気付けばセレシュは、手を伸ばせば触れられるという位置まで猫達に近付いていた。
(ええと、いきなり撫でんようにせんと)
 恐る恐る。指先を差し出してみる。灰茶の猫は顔を上げ、興味深そうに差し出された指に鼻を近づけた。
(お、おお…!)
 ――何しろ長いこと生きて来て、そう滅多にしたことの無い体験をしていたのである。そこでうっかり興奮してしまったセレシュを誰が責められようか。
(行ける!)
 謎の確信を得たセレシュが、指先を差し出したのと逆の手で猫の額を撫でようとしたのと。
 他の2匹も含めた猫達が、セレシュの放つ気配の変化を敏感に察して毛を逆立てたのがほぼ同時だった。



『ふしゃー!!』



 先程と同じ光景が繰り返される羽目になった。先と違うのは、猫が三匹で、セレシュの傷が頬と腕と手の甲という三か所に増えたという点だけである。
 これまた先程と同様、あっという間に再生していく傷痕に、藤は頓着する様子も無く、響名が興味津々という視線で見入っていたが、セレシュは後者については無視に努めた。後で「血が欲しい」とか言われたら逃げよう。そう心に誓いつつ。
「…ちょっと肩に力が入ってしもたんやろか」
「あー、うん、そうかもなぁ。でもほら、近付けたじゃんセレシュちゃん。進歩だよ!」
「せやな、今のは覚えておくわ。サンキュな、藤、ええ方法教えてくれて」
 大真面目にセレシュは言ったのだが、藤はきょとんと眼を丸くしてから、可笑しそうに笑った。
「覚えておくほどのことじゃないよ。猫は構われるの好きじゃないからさ、俺が近づいても逃げちゃうことだってあるし。気分屋さんだから」
 それから彼の笑みが僅かにくすぐったそうなものになる。
「でも、セレシュちゃんに頼られるのってこう、珍しいって言うか、照れるね」
「? せやろか」
「うん。桜花ちゃんみたいな意地っ張りの強がりさんって訳じゃなくてさ、セレシュちゃん、俺達よりずっとしっかりしてるじゃん」
 それはまぁ、とセレシュは曖昧に笑う。積んできた年季が、文字通り、天と地ほども違うのだ。
「桜花ちゃんがたまーに弱気になって俺を頼ってくれる時も愉しいけど、セレシュちゃんに何か頼られるのって、それとは違って嬉しいもんだねぇ」
「…セレシュちゃん、あたし時々、こいつに惚れられてる佐倉先輩が不憫になるの」
「…奇遇やな、ウチもや…」
 珍しく響名に同意してから、セレシュはちらりと背後へ視線を向ける。セレシュに襲い掛かってから散り散りに去ったと思われた猫達は、けれどもあまり遠くまでは逃げてはおらず、境内の端の方、樹の影や石灯籠の隙間などに隠れてしまっているようだった。時折、尻尾や耳がちらりと見える。
「でも、もうここの子らには嫌われてしもたやろか」
 その様子に苦笑いするセレシュに、横から懲りずに響名が口を挟む。
「だからー、惚れ薬使っちゃおうよセレシュちゃん」
「…凝りひんなぁ」
「効果は保証しないよ!」
「しないんかい」
「と言う訳で実証実験の犠牲に!」
「誰がなるか…というかそこまで言うなら自分で実験すればええやんか」
 その言葉に。響名の眼が見開かれる。あれ、ウチ、あかんこと言うたやろか、とセレシュが口元を抑える横で、響名は降ってわいた天啓に愕然としていた。
「そうか! 自分で実験すれば良かったんだ! 何で気付かなかったんだろう」
「…藤、これ、ウチどうコメントすればええの?」
「放置でいいよ」
 長年の付き合いがあるという藤のコメントは簡潔であった。




 自宅に戻り、「ちょっとした思いつき」を片手に神社の境内へ戻ってきた桜花が見たものは、何故か全身に猫に引っかかれたらしい傷を作った響名――セレシュではなく――と、呆れた様子で傷口を濡れたティッシュで拭いてやっているセレシュと、横でそれを、矢張り呆れた表情で見守る藤、という、一見何が起きたのかよく分からない光景だった。よく分からなかったのだが、桜花は何しろ響名とそれなりに付き合いが深いもので、
「響名がまたろくでもないことをしたのね」
「ちょっと、佐倉先輩、事情も聞かずにその納得の仕方ってどうなんですか!?」
「…あなた少しは普段の自分の行動を省みなさいな」
 淡々と、しかし容赦なく告げてから、桜花はセレシュへと向き直る。ちらりと、セレシュの頭上あたりにも目を遣った。
「…姫様。何か」
<何もなくってよ>
 と、この声は空気を震わせず、その場に居る人間達の脳裏に直接響く。音ならぬ、しかし艶やかな気配を充分に漂わせたその声の主は、セレシュの頭上辺りにふわりと浮かんでいた。
 扇子と長い黒髪に顔を隠したそれは、セレシュ同様に人ならぬモノである。否、同列に並べては礼を欠くかもしれない。何しろ彼女はこの神社の祭神、れっきとした女神様である。
 その女神は、紅葉をあしらった和装を纏い、葉のすっかり落ちた桜の枝に腰を下ろしていた。扇子の下からは、幾らか趣味の悪い笑みの気配。――元々「祟り神」だったというこの神社の女神は、いささかならず、性格が悪い部分がある。
<ただ、響名が猫に齧られていたのはなかなか愉快だったわ。響名、お前、気が向いたらまたさっきの惚れ薬、自分で使って御覧なさいな。面白い見世物だったわよ>
「二度とやりません! 凝りましたッ!」
<あら、残念。面白かったのに…ふふっ、猫に引っかかれた時のお前の顔ときたら、ウフフ>
 まぁ、つまりそういうことだ。響名の「惚れ薬」はいささか効果が強すぎたらしい。猫達に玩具か、獲物か、あるいはまたたびよろしく舐められ、齧られ、引っ掻かれた響名は酷い有り様であったが、当人がどこまで反省しているかは――まぁ、怪しいものだ、とセレシュは睨んでいる。
 一方、凡その事の次第を藤から聞いた桜花は、ほんの少しだけ苦笑いしたようだった。
「そう、惚れ薬は効果が強すぎたの。残念だったわね、セレシュさん」
「いや、ウチはそういうのはちょっと…」
「あら。惚れ薬が成功していたら、触れ合うキッカケにはなったんじゃないかしら。薬で無理やり、と言うのは確かにあまり良くないかもしれないけれど、――それを言ったらきっとこれだって似たようなものだもの」
 言いながら桜花が取り出したのは、ストラップになるくらいの小さな小さな布の袋だった。中には何か詰め込まれているようで、丸く膨らんでいる。それを差し出され、反射的に受け取りながら、セレシュは首を傾げた。匂い袋のように見えるが、これと言って匂いがする訳でもない。
 セレシュの怪訝な表情に気付いてか、しかし桜花は珍しくも少し悪戯っぽい笑みを浮かべて、唇に指を当てた。
「中身は秘密です。お守りと思って持っていてくださいな、セレシュさん」
「お守り? 何やろ」
「効果は、そうですね。…猫にほんの少し、好かれ易くなるかもしれません」
「ふーん、そう言うんなら貰っとくわ。効き目の程は?」
 セレシュの問いに、今度こそ桜花は口元を緩めた。笑みを浮かべて、
「さすがに響名の薬みたいにはならないと思いますよ」
「あ、桜花ちゃんが笑った。珍しい」
「ホントだ。佐倉先輩、何たくらんでるんですか」
「…あなた達と違って、少なくともロクでもないことはしないわよ、私」
「せやな。桜花のくれたモンなら、まぁ、きっと大丈夫やろ。おおきにな、桜花」
「どういたしまして」






 それから数日後のことだ。久方ぶりに神社を訪れたセレシュの足取りは、いつにもまして軽いものだった。スキップでも踏みそうな彼女の様子に、境内を掃除していた藤が挨拶もそこそこに首を傾げる。
「セレシュちゃん、こんにちは。良いことでもあったの?」
「久々やね、藤。これ、見てみぃ」
 自慢げにセレシュが取り出したのはスマートフォンで、小さな画面にはばっちり、可愛らしい猫の姿が映っている。
「藤にもお礼言おうと思ってな。この間教わった方法でその辺の野良に試してみたら、この通り近付いて、写真撮らせてくれたんよ」
「へー。あれ、これ、撫でてるのって、セレシュちゃんの手だよね」
「そうなんよ。触らせてくれたんや。藤、ホンマにおおきになー」
 教わった方法、効果覿面やったわ! と嬉しそうなセレシュに、「そんなに効果のある方法だったかな、あれって…」と藤は内心でこそ首を傾げたものの、
「御礼に、少しお賽銭入れて行こうと思ってな」
「是非お願いします」
 ――セレシュの放ったその言葉に、彼はそれ以上考えるのをやめにしたのだった。


「…佐倉先輩、セレシュちゃんに渡したあのお守り、何を仕込んであったんですか?」
 そんな様子を境内の隅のベンチで見ていた響名――まだ腕や額に絆創膏が残っていた――が、落ち葉を掃き集める巫女姿の桜花に問いかけていたのを、賽銭箱へ向かっていったセレシュは知らない。
 桜花は予想以上に楽しげなセレシュの様子に少しばかり困ったように、そっと、年下の後輩へ耳打ちして答えた。
「…何でもないわ。あれ、ただのマタタビよ」
「……猫にマタタビですか」
「惚れ薬よりは、効果覿面よね」
 至極常識的な桜花のその言葉に、響名が密かに肩を落としていたことも。セレシュは知る由もないのである。






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 8538 /  セレシュ・ウィーラー / 女性 】