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傷を負う心
女狐族の商船。
この船に乗る船長は10年前にUSSウォースパイトの艦長が新米だった頃に娘を殺されている。
その胸には長い間抱き続けた復讐心が渦巻いている。
「あの時と同じ状況であなたに復讐するわ」
復讐の為に有り金を叩き、当時艦長が指揮していた楢号の修復をした。
この船は10年前のあの日、炎に焼かれて落ちたあの船だ。
「復讐の時は近い……」
きつく拳を握り締め、修復完了した楢号を睨み上げながら、その口元には不適な笑みを浮かべる。そこへ一人の黒い影が忍び寄った。
「計画通りかしら」
肩越しに振り返りながら訊ねると、影は深く頷いた。
「指示通りに……」
「そう。ありがとう」
ギリギリと握り締める拳。
思い返すのは当時の事……。忘れたくとも忘れられない、あの時の出来事だ。
「停船なさい!」
事象艇楢号は、目の前を行く船に停船の指示を促した。その言葉は決して友好的なものではなく、非常に攻撃的だ。
楢号の指示に従い、船はゆっくりと速度を落としその場に停船する。それを見た楢号の船長はにやりとほくそえんだ。
「よし、反撃よ!」
楢号は国籍不明の船の頭上に急降下する。
何が起こったのか分からない船の乗員達は怯んでいた。その隙に、楢号の乗員達は一斉に銃を乱射。全力離脱する。だが、黙ってやられているだけの敵船ではなかった。
こちら側の隙を突き、敵船は楢号に火を放つ。
燃え上がる楢号。その船の中で燃え盛る炎に苦しむ楢号艦長は霞む頭で目の前の光景を見据えた。
「火事……」
楢号の艦長はそのまま意識が遠のいていく……。
「はっ……!?」
今朝から酷い生理痛に悩まされていたあやこは、冷や汗を流しながら飛び起きた。
相変わらずジクジクと痛む腹痛に眉間に深い皺が寄るが、先ほど見た夢の事がやけに頭から離れない。
「何……あれは……」
怪訝な表情で床を見つめていると、そんなあやこの元に知人が訪ねてきた。
「ハロー! お見舞いに来たよ!」
陽気な声に顔を上げると、そこには親友である狐女がにこやかに微笑みながら近づいてくる。
「あぁ……来てたの……」
「来てたのって、そんな言い方ないじゃない。ま、いいわ。それより聞いて! 実は楢号拾ったの!」
嬉々としながら得意げにそんなことを言い出した狐女に、内心あやこはげんなりした。
正直、今はそんな話はどうでもいい……。
「……そう。そりゃ良かったわね」
苦笑いを浮かべながら適当にあしらってみたが、楢号はあやこにとって思い出深い船でもある。愛しさが蘇らないわけじゃなかった。
「楢号はあなたにも思い出深いものでしょう? だから日頃の栄誉を讃えてこれを贈りたいの」
「え……? 楢号を……?」
ジクジクとした痛みが増す。
腹部を押さえ、眉間に深い皺を刻みながら無意識にも息が荒くなっていく。
そんなあやこの傍に立っていた茂田萌は、目をきらきらと輝かせながらあやこを振り返った。
「艦長凄い! 入試にも出る藤田戦法の楢号だよね? ねぇ、艦長、その戦法の講義を聞かせて欲しいな」
こちらの状況などお構いなしにせがんでくる萌に、あやこは述懐する。
「その戦法は……」
あやこは当時の事を思い出しながら一つ一つ、紐解くように話を始めた。
その話を目を輝かせながら聞いている萌と、そして小さく微笑みながらもその目に黒い影を見せる狐女がいる。
「機先を制した筈が窮鼠に噛まれた、とでも言うのかしらね……。業火が楢号を包み込んで、そして私は消火を……」
そこまで話、あやこはハッと我に返った。
何を話していたのだろう。
あやこは軽く頭を振り、先ほどよりも痛み出した腹部を掴むように押さえて席を立った。
「寝るわ……」
「大丈夫?」
「大丈夫よ」
心配する狐女に、苦笑いを浮かべながらそう応えると、あやこは横になった。
そんな彼女を見届けた狐女の口元には笑みがこぼれ、目にはギラギラと滾る復讐の炎が燃えている。
横になったあやこは、酷くうなされた。
腹痛が今までに無いほど酷いせいもあったのかもしれない。だが、目を閉じれば思い出されるあの時の出来事が脳裏から離れない。
「くぅぅ……っ」
脂汗を流し、体を丸め込む。
あの時の事は、あやこにとって黒い歴史だ。
贈呈された楢号。その船にやってきていた郁は目を輝かせながら中を見て回っていた。そして艦長の部屋に辿り着くと、机の上に置かれていた一冊のノートを手に取る。
「日誌だ……。ちょっとだけ見てもいいかな」
そう言いながらもパラパラとページを捲ってみると、そこには走り書きで一文書かれていた。
『私は懺悔する……。誤って無実の狐船を沈めた』
その一文に、郁は顔を上げた。
「うそ……」
郁は日誌を小脇に抱えて急いであやこの元へと駆け戻る。その日誌が偽りの物であるとも気づくことなく……。
バタバタと忙しなく駆けてくる足音にそちらを見やると、勢いよく扉を開いて入ってきた郁に目を見開く。
「艦長! 何これ! 酷いよ!」
そう言いながら突きつけてきた日誌に、あやこは目を見張った。
「何なの……? それは……」
「それはこっちが聞きたいわ! なぜ無実の船を沈めたの!」
軽蔑の眼差しで睨み降ろしてくる郁に、あやこは眉根を寄せて首を横に振った。
「事実無根だわ! そんな事……」
否定しかけて、あやこは言葉を飲み込む。
いや、事実無根? 本当に? 勘違いしているのだろうか……。
当時の事がフラッシュバックし、頭が朦朧として意識がはっきりしない。
あやこは頭を抱えてしまった。
その頃、女狐船長は嬉々として悪霊を操っていた。
「もっと苦しみなさい。娘の仇よ……!」
根深い復讐心を念に込める。するとあやこはパッと目を見開いた。そして先ほどまで苦しんでいた事が嘘のようにその場に立ち上がると、何事もなかったかのように部屋を出て行く。
「艦長……?」
あやこの豹変した様子に眉根を寄せた郁は、彼女の後を追う。
「あら、艦長? もう大丈夫なんですか?」
通路で出会った萌の横を返事も返さずに通り過ぎたあやこは、この時悪霊に憑依されていた。
あやこはそのまま楢号に向かいうことなく艦長室へと入室する。
「諸君! 楢号は健在だ」
艦長室内にひしめき合っている亡霊相手に、あやこは微笑んだ。
「敵はウォースパイトよ!」
狐女がそんなあやこを煽った。
郁はあやこの不審な行動に商船の副長の元を訊ね、日記の事を問いただす。だが、知らないの一点張りだった。さらに問えば目くじらを立てて、船長は絶対だ。楢号を贈った恩を仇で返すのか? と逆ギレされてしまった。
「何か変だわ……」
旗艦に戻った郁が眉根を寄せていると、萌が声をかけてくる。
「艦長がいないの」
「え?」
その時、旗艦に激しい爆発音が響き強い衝撃が加えられた。
郁と萌は急ぎ操縦席までかけつけるとモニターに通信が入りあやこが映った。
『火事だ! 消防隊急げ! 主砲発射準備! 狐国USSウォースパイトめ!!』
10年前の悪夢と現実が混同し、旗艦を襲っているのはあやこ本人だ。
「何ふざけた事言ってんのよ!」
『死ねぇっ!!』
恐ろしいほどの形相で発狂するあやこの突然の宣戦布告。郁は旗艦の舵を取った。
「……死ねば?」
冷ややかな声であやこを睨む。
「藤田戦法は先手必勝。進路を読むのよ!」
舵を握る郁に、萌が助言する。そして郁はあやこの心を探り、ハッとなった。
あやこの中に別人がいる……一体誰?
郁の操る旗艦が楢号の艦橋を猛爆する。その刹那、郁は身重のあやこを見た。
「まさか……!」
郁はギリッと歯を噛み鳴らし、喝破した。
「狐女が悪霊の子を艦長に宿した!」
猛爆した際に広がる猛火の中、あやこは苦しみ、そんな彼女を見て狐女はクスクスと笑っている。
事情が飲み込めた郁と萌は、そんなあやこに向かい声を上げる。
「艦長! 衝撃銃で自分の腹を撃ちなさい!」
萌の叫んだその言葉を耳に受けたあやこは、朦朧とする頭で衝撃銃を手に取った。
*****
あやこは二つの墓の前にしゃがみこみ、祈りをささげている。そんな彼女を見つめていた郁は、言葉が見つからず狼狽していた。
ゆっくりと立ち上がったあやこの憔悴しきった表情に、郁は思わず視線を下げる。
「艦長……女の幸せはきっと他に……」
やっとの思いで呟くようにそう言うと、あやこは首を横に振った。
「もういいの……」
その言葉は、酷く暗かった……。
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