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Vogelscheuche
休暇前日。
ティークリッパーとして活動する綾鷹郁という少女は温泉郷への上陸休暇をとり、しばらく羽を休めるつもりだった。死人すら蘇ると噂の万能温泉に対して思いを馳せていたところ。
郁は突然の来客があったと耳にする。誰かしらと応じた郁の目の前に現れたのは。
「郁、やっと捕まえた!」
「お母さん!?……とお父さん!?」
彼女の両親であった。それだけでもなかなか衝撃的なことなのだが、彼らの口から語られる言葉に更に衝撃を深めることになる。
それも結婚話。相手は医者だ。普通は喜ぶところなのだろうが、胸を張って言うことではないものの、なかなか良い関係にある人がいる郁にとってはあまりいい話ではない。
「でもお母さん、あたしは……」
「ダメよ!」
今回も多忙を理由に逃げようとしたものの一喝され、その後長々と続いた小言の内容をまとめるならば、既に両家の間で話は進みきっているらしい。
学習されたのか今度は逃がさぬとばかりに逃げ道を塞いでいるようだ。あとは郁が彼に会うだけ、という段階になり、急いで迎えに来たという。
「せっかく休暇をとってるんだもの、ちょうどいいわ!」
なにがちょうどいいものか。郁は内心複雑であったが、父から感じる睨むような視線と無言の圧力、そして母のマシンガントークに為すすべもない。
「……わかったわよ……」
郁はその剣幕にとうとう屈し、渋々二人の要求に応じることになった。
……というわけで、綾鷹家には厳粛な雰囲気が充満している。
郁は噂の医者と向かい合わせになり、気まずい思いを抱えていた。
「……違う」
その場を支配する沈黙を破ったのは医者の否定の言葉だ。
「ちょっと、それどういうこと?」
「僕には理想とする女性像があるんですが……うん、違う。全然違う」
「は?」
その否定に呆然とする郁を無視し、医者は郁の両親に向き直って言った。
「結婚までに少し時間をくれませんか。自分を納得させる時間が欲しいので」
それからしばらく。馴染みの鬼鮫に愚痴を語り合った。最後に見合いのことを話すと鬼鮫はとたんに真剣な顔になった。
「おまえもとうとう落ち着く時が来たか」
「え?……まあ……そうね」
そうか……と鬼鮫は息を吐く。
「成人するまで待ってたつもりだがな。許婚が出来たんじゃしょうがねえ」
それ、どういうこと?という言葉は結局のところ発せられず、そのままその場はお開きになった。
諦めが悪いという郁もとうとう気持ちの整理がついたのか諦めたのか、その日から急に医者に対して好意的になった。もう部屋に上がるような仲である。
「これって……」
「僕の理想の女性です」
飾ってある額縁の中にあるのはどうみても二次元少女の絵だった。
「あなた、ヲタクだったの!?」
照れ臭そうに頷く医者を相手に、郁は微笑み返す。ヲタクの同志であるならかえってやりやすかった。ゆっくり、しかし確実に距離を縮め続け、終には結婚も間近という段階まで漕ぎ着く。
その報告を受けた両家は安堵し、そして艦長は寿退職するならばと計らって挙式の準備をする。が、しかしここでも少々一揉め。議題はどういった式にするか。両家の価値観の違いはもはや別のベクトルにありなかなか妥協し合うことが出来ないまま留まっている。
ほとんどは赤褌を正装とするのが仕来りだと言い張る綾鷹家のせいでもあったかもしれないが。
「神前式がいいだろう。仲人は藤田艦長にお任せしたい。いいですかな」
「え、私?」
新郎家の提案にちょうどそこに居合わせた藤田あやこが答える。
「いいけど……でも正装に赤褌ってなんか……おかしくない?」
その至極真っ当な一言は場を凍りつかせた。怒りの熱に氷解したものの、部屋中に郁父の怒鳴り声が響く。家の仕来りをいきなり否定されたのだからこちらもある意味真っ当な理由である。
「お前のような奴は仲人失格だ!これなら案山子のほうがまだいいものだ」
と、この調子で綾鷹家は仲人に案山子を抜擢する旨を宣言した。
先方は郁父を宥めつつ、このままでは話すものも話せないでしょうと本格的な決定は少々時間を置くことになったのだが、父はあくまでも赤褌を正装にする気で居る。
「さて、新しい褌を誂えねばなるまいな!」
「あなた、公の場でそのようなことを言うのはやめなさい」
といったように妻に咎められるほど、褌に対する情熱は溢れていた。無駄に。
「迎撃要請?」
挙式準備中に入った通信に応答する郁とあやこ。交信モニタには逞しい漢たちが映る。
「温泉郷、三助武装司令部より旗艦USSウオースパイト号へ。疫病船の撃沈を要請す」
要請と画面の内容は置いておき、突っ込みをいれる点に気付いた郁は驚きのあまりつい呟く。
「ちょっ!三助『武装』司令部って?……あれでしょ?温泉で背中流してくれる……」
そうよと隣にいたあやこが納得したように頷き、説明のように思える独り言を漏らした。
「刺青の客とか色々ねー……」
「ああー……」
「温泉に疫病を振りまかれたらたまらん。上陸前に沈めろ」
「了解!まずは情報を集めて……あら?」
探り当てた疫病船のその姿は話に聞く割にあまりにも貧相すぎた。
念を入れ通信をしながら集めた情報によれば、これは細菌兵器で自滅した種族の末裔が乗っている。そして各地で厄介払いされた揚句、這う這うの体で漂着しているとのことだ。
「まさかそんな……」
「これは困ったわね……しばらく様子を見る必要があるかも」
交信モニタに映る中の風景は一部を除き荒廃したものだが……一部だけ妙に異様なものが映っているような感覚は否めない。肝ともいえる船長室だが、非常に……言葉にし難い。
ただ、女船長は自分の世界に浸り、漫画を描いていることは掴み取れる。
「これだ……この人に違いない」
モニタを覗き見、医者が一人決意していることに二人は気付いていない。
最終的な決定が出たと呼ばれて郁もあやこもどこか安心した面持ちで両家の話し合いの場に戻る。
結局のところ折衷案ということで、赤褌を締めた新郎新婦以外は着衣。仲人は案山子という結論に出た。
「これってほとんど新婦側の案じゃないの……」
「お父さんああ見えて押しが強いのよ……」
こそこそと交わされる密談には気付かれていないようだ。
と、それもそこそこに郁は最後の挨拶に繰り出した。医者の前で、になるがそれでも鬼鮫に挨拶もしないで行くのはなんとなく悪いと感じたからである。
鬼鮫にはいままで世話になった礼を述べ、あなたも幸せになりなさいよと陳腐ながらも心の篭った言葉を贈る。
「……寂しくなるな」
「そうね……」
必ず訪れる物とはいえ、別れは寂しい物だ。二人は惜しんでいるのか複雑な面持ちでいた。
と、突然郁とあやこの首筋に凶弾が刺さる。麻酔銃のため大事には至らなかったが、効果は覿面。
二人はその場に斃れすやすやと深い眠りについてしまった。
「おまえ、何してる!」
「彼女には医者が必要なんだ!」
鬼鮫の怒鳴り声にも聞く耳を持たない医者はそのまま奪い去った事象艇を使い疫病船へ向かう。艦長を人質に取られてしまった以上、指揮権を譲らざるを得ない。この緊急事態に鬼鮫は怒声を通信越しで武装司令部に向けた。
「一大事だ、援軍を寄越せ!」
「待て、こちらにも事情という物がある。せめて誠意を……」
「何?代償か?藤田艦長の体で払う!」
さらっと本人とは無関係なところで話を進めているが、これも緊急事態だから仕方のないことだといえる。この代償には武装司令部も納得し、
「……わかった、援軍を出そう」
首を縦に振った。
そうして駆けつけた援軍と鬼鮫が疫病船に乗り込んだ。手薄な警備の中船長室に乗り込んだ彼らが見たものは医者の似顔絵に囲まれてキスする二人である。
「鬼鮫さん!」
気付いた医者は憑き物が落ちたように爽やかな声で言った。
「僕は彼らの末裔だったみたいです。僕はこの人と結婚しようと思います。あやこさんもお幸せにと伝えてください!」
その後の話から推測するように事象艇、そしてあやこと郁は返すようだった。
それらの返還を終えた疫病船が宇宙を駆けていくのを見届けて鬼鮫らは帰還する。突如始まり突如終わったこの事件ではあったが、大それた被害が起きる前に防げたからいいだろう。とその場の彼らは納得し、あとは代償とやらを引き渡すだけであった。
ちょうどいいタイミングで二人が起きてきたため、鬼鮫は医者からの伝言と代償の旨をあやこに伝える
「お幸せに……?は?え?」
あやこは暫く面食らったようにぼうっとしていたものの、その意味を理解し怒りが身体を回ってきたのか
「こら〜……」
顔を赤くし、鬼鮫と司令官を睨みつけて限りなく低い声を絞り出した。
すぐ結婚という約束でもあったため、準備が早々出来るわけでもなく、破綻になった結婚式の準備を引き継いで挙式することになった。
両家の承諾はとった。というわけで、赤褌で仲人が案山子である。
「こんなの嫌よぉ!鬼鮫ぇ、仲人を撃て〜!」
「それは無理な相談だぜ」
「撃ってやりなさいよぉ」
うりうり、といつもの笑顔を取り戻して鬼鮫の肘をツンツンする郁。
心からの晴れやかな良い笑顔を前に、鬼鮫は複雑な心持であった。出世に結婚は足枷だと考えてはいても中々完全には割り切れないものがある。
「案山子が仲人とか最悪ぅ〜……」
だとしても自分の知らぬ間に結婚の約束をされたあやこから見ればたまった物ではない。
この理不尽かつ滑稽な状況に、あやこもとうとう泣いてしまった。
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