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<東京怪談ノベル(シングル)>


暗黒の海の底に


 あまり詳しくない日本神話を、フェイトは思い出していた。
 創世の神であるイザナギ・イザナミ夫妻の最初の子は、ヒルコという出来損ないの怪物で、出来損ないゆえに捨てられてしまったのだと言う。
 この夫婦神の身勝手さに比べれば、IO2の所業は、いくらかはマシであるのか。自分らが生み出してしまった出来損ないの怪物たちを、廃棄処分せず、どうにか活用しようと懸命に知恵を絞っているのだから。
 フェイトは、そう思わない事もなかった。
 だから、というわけでもないが即答した。
「やります。上手く出来るかどうか、ちょっと自信ありませんけど」
「まあ我々も、君1人に過度の期待を抱いているわけではない。無理をせず、気負わずに、やってくれたまえ」
 数日前「君に話す事は何もない」などと言っていた上司が、そんな事を言っていた。
 虚無の境界から接収した、錬金術関連の技術。それを用いてIO2が開発した、ホムンクルスの応用品……錬金生命体、と呼ばれている人造の怪物たち。
 彼らを制御する技術の開発が、どうやら難航しているようであった。
 そこでIO2上層部が、フェイトに協力を求めてきたのである。
 思念能力者のテレパスで、錬金生命体の脳を支配し、これを自在に操る実験。
 実戦投入、だけではない。明らかに軍事転用を視界に入れての実験である。
 そんな実験にフェイトが協力をする気になったのは、錬金生命体が、すでに存在している怪物たちであるからだ。
(ここで非協力的になるくらいなら……こいつらが作られる前に、もっと本腰入れて反対するべきだよな)
 思いつつフェイトは、研究施設内を見回した。
 柱状のカプセルが無数、まるで墓石の如く立ち並んでいる。
 それらの内部では、様々な姿をした怪物たちが培養液に漬けられ、目覚めの時を待っている。
 錬金生命体の群れ。
 この生き物たちの開発・実用化は、IO2が組織として決定してしまったものなのだ。末端のエージェントが、どう非協力的になろうが今更、覆るものではない。
 ならば、とフェイトは思う。自分がこの実験に協力し、開発に介入する事で、錬金生命体の軍事転用などという事態は防げるかも知れないのだ。
「この実験が上手くゆけば、彼ら全員が君の思い通りに動くようになる……君1人の、兵隊だ」
 白衣を着たIO2技術官の1人が、そんな事を言いながら、フェイトの頭に機械の塊をかぶせた。
 カプセル内の怪物たちに思念を送り込むための、テレパス増幅装置である。
「IO2を、乗っ取る事も滅ぼす事も不可能ではないよ」
「……もちろん冗談で言ってるんですよね?」
 言いつつフェイトは、かつて同じようなものをかぶせられた事がある、と思い出していた。
 思い出したくもない記憶が、否応無しに甦って来る。幼い頃の、実験動物として扱われた日々。
 思い出したくもない、だがフェイトがこの先一生、抱えてゆかねばならない記憶でもある。
(過去から逃げる事なんて、出来ないんだよな……)
「君でなくとも誰かがそうするかも知れない、という事だよ」
 技術官が言った。
「虚無の境界の技術で戦力増強を図るなど、我々は反対だった。が、作り上げてしまった怪物は安全に制御しなければならない。嫌であろうが協力を頼むよ、フェイト君」
「出来る限りの事はしますよ。テレパス系は苦手なんで、あんまり自信はありませんが」
 拘束台のような椅子に腰を下ろしたまま、フェイトは答えた。
 そして目を閉じる。
 ヘルメット状のテレパス増幅装置が、音もなく起動した。
 フェイトは念じた。テレパシーによる、錬金生命体たちとの思念接触。
 自分の意識が、海のように広がってゆくのを、フェイトは感じた。
 思念の海。その真ん中に今、フェイトはいる。漂っている。
 暗い。そして何もない。
(これが……あんたたちの意識の中、なのか……?)
 錬金生命体に、フェイトは問いかけてみた。
 返答はない。
 この生き物たちに、そもそも会話を出来るような意識があるのかどうか、それもわかってはいないのだ。
 ないのであれば、フェイトの思念を疑似複製して植え付ける事が、この増幅装置があれば不可能ではない。
 ……否。何もないわけではない事を、フェイトはぼんやりと感じ始めていた。
 何もないと思えるほどの、圧倒的な闇。
 何もないのではなく、闇が在る。
 その暗黒が、周囲に広がる思念の海に溶け込んでゆく。
 フェイトの意識の海が、闇に侵蝕されてゆく。
 暗黒の海が、そこに出現していた。
 その暗い水中で、大量の何かが凶暴にうねっている。海蛇か、あるいは蛸の足か。
 それらが、一斉に襲いかかって来る。
 悲鳴を上げる暇もなく、フェイトは口を塞がれていた。
 海蛇あるいは蛸足のようなものが、唇と上下の歯を一緒くたに押し開け、舌と喉を圧迫する。
 凶暴にうねるものたちが、手足に、全身に、絡み付いて来る。
 暗黒の海の底に、フェイトは引きずり込まれて行った。


 海の底から、いきなり浮上したような気分だった。
「あ……目ぇ開きましたよ、教官」
 同僚の1人が、そんな事を言いながら、フェイトの顔を覗き込んでくる。昨日、いろいろと偏った日本土産を持って来てくれた同僚である。
 病室だった。
 同僚の他にもう1人、見舞客が来てくれていた。筋骨たくましい、黒人男性。
「教官……」
「おう、記憶は大丈夫だな」
 教官が、気遣わしげな言葉と視線を向けてくる。
 ベッドの上で、フェイトは弱々しく上体を起こした。
 何故、自分がこんな所にいるのかは、考えるまでもない。
「俺……失敗した、みたいですね……」
「気にするな。もともと、くだらねえ実験だったんだ」
 牙を剥くように、教官は言った。
「上の連中も、あんな出来損ないどもを実戦投入たあ……よっぽど俺たちに給料払いたくねえと見えるな」
 出来損ないの怪物。フェイトも最初は、そう思っていた。
 出来損ないであるはずの彼らの、意識の奥底に、しかし本物の怪物が潜んでいる。
 それがフェイトを、暗黒の中へと引きずり込んだ。
 完全に引きずり込まれてしまう前に、あの技術官たちが実験を中止してくれたのだろう。
(あれは……一体……)
 醜悪な錬金生命体たちの、在るか無きかの精神の中に、彼らの外見を遥かに上回る程おぞましい何かが潜んでいる。
 あれの正体を解明出来ない限り、錬金生命体をテレパスで制御するなど不可能であろう。
「少なくとも、俺には無理……」
「だから気にするなって、フェイト」
 同僚が言った。
「あのバケモノどもは結局、頭の中に機械埋め込んで操作する事に決まったらしいぜ。コストはかかるけどな」
 人間のエージェントに給料を払うよりは安上がり、という事になるのだろうか。
『第二次世界大戦を終結に導いたのも、アメリカの力です!』
 勇壮な演説が聞こえた。
 テレビが、点けっぱなしになっていた。
 嫌日派の大物として知られる、かの上院議員が、画面の中で熱弁を振るっている。
『我が国には、力があるのです! 地球上全ての紛争を終わらせる力が、そして平和と希望をもたらす力が! 親愛なる合衆国国民の皆さん、軍事力を持つ事は恥ではありません。力があってこそ、あらゆる戦争を止める事が出来るのです。未然に防ぐ事が出来るのです。アメリカは世界で唯一、それが出来る国なのです!』
「世の中、行き詰まってくるとさ。どこの国でも大抵みんな、愛国に走るよな」
 同僚が、冷めた声を発した。
「ネトウヨって連中いるよな? 日本に。俺あいつらの事バカにしてたけど……アメリカにも、こんなのがいるんじゃなあ。偉そうな事、言えねえよなあ」
「こんなのでも一応、うちの組織と繋がりのあるお偉い様だ。そうやって陰口きくだけにしておけ」
 教官が言った。視線は、フェイトに向けられている。
「陰口たたく、以上の事をやらかすなら……一声かけろよフェイト、俺にな」
「何にもやりませんよ」
 フェイトは苦笑しつつ、無言で付け加えた。
(……やるにしたって、新婚の人を巻き込めるわけないでしょう)
「オンタリオ湖の近くに、工場が建ったらしい。この議員さんが流してくれた、お金でな」
 テレビの中では、反戦・平和系の市民団体が、議員に対する抗議デモを行っている。
 それを眺めつつ、同僚が言う。
「頭にヴィクターチップ埋め込まれたバケモノが、そこで大量生産されてるって話だ。世界警察、復活の日は近いって感じかな」
 ヴィクターチップ。それが錬金生命体たちの頭に埋め込まれるという、制御用機器の名称なのだろう。
「ヴィクターってのは……誰かの名前?」
「あれだよ。世界で初めて、人造人間の開発に成功した博士。バケモノ製造の大先輩。読んだ事あるだろ?」
 言われて、フェイトは思い出した。
 あの博士は結局、自身が作り出した怪物を制御出来ず、背かれて死んだはずだ。
「ヴィクター・フランケンシュタインか……」