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<東京怪談ノベル(シングル)>


電送空間の影


 心の病は、本人の精神力の弱さから来るものではない。それは鍵屋智子とて、理解はしているつもりだ。
 だがここは、三島玲奈に気力を振り絞ってもらわなければならない。
「大丈夫、大丈夫よ。電送で死んだ子は、稀にしかいないから」
「全然いない、わけじゃないんですよねえ!?」
 泣きそうになっている玲奈の口に、智子は半ば無理矢理、鎮静剤を押し入れて水を流し込んだ。
 事象艇『栃』号が、事故を起こしたらしい。何名か、死者と行方不明者が出ているようだ。
 現在、救助隊が栃号へと電送され、行方不明者の捜索を行っているところである。
 その救助隊から、増援要請が来ていた。
 三島玲奈を一刻も早く送ってよこせという、嵐のような催促である。大破した栃号艦内での作業が、難航しているらしい。
 生体兵器・三島玲奈の馬鹿力が、必要とされているのだ。
 その玲奈が、しかし今、とある心の病を患っていた。
 電送恐怖症。
 ここ30年間、症例報告のない、半ば幻となりかけた病気である。
 主な自覚症状は、異常な渇きと幻覚。皮膚に蕁麻疹や腫れ物が出たり、酷い時には腕が爛れたりする事もあるらしい。
 電送機の前に立つだけで、そんな症状が出てしまう。これでは栃号に送り込む事が出来ない。
 などと言っている場合でもないので、玲奈には気力を振り絞ってもらわなければならないのだ。


 何光年離れていようが、電送空間を通れば、移動はほぼ一瞬である。
 電送される者は普通、この電送空間を、長くとも一瞬しか認識しない。電送空間に入ったか、と思った直後には、もう目的地に着いている。
 だが電送恐怖症患者は、この電送空間を1分から5分、長い時には10分近く、認識してしまう場合がある。
 正確に時を計っているわけではないが玲奈は今、電送空間を15分近く漂っていた。
「……まだ? ねえ、まだ着かないの?」
 泣きそうな声を出してみても、答えてくれる者はいない。
 このまま、どこへも辿り着けないのではないか。電送空間を、永遠に漂う羽目になるのではないか。
 電送恐怖症患者は、電送される度に、その恐怖を味わう事になるのだ。
 何かが、見えた。
 電送空間の出口か。ようやく、目的地に辿り着く事が出来るのか。
 いや違う。生き物だった。電送空間内を、ニョロニョロと泳いでいる。
 人間を絞め殺せそうな大きさの、蛇。それが4匹、牙を剥き、玲奈に襲いかかって来た。
 右腕を噛まれた。
 その痛みに悲鳴を上げながら、玲奈は尻餅をついた。
「おう、よく来た三島ヘナ君!」
 栃号の、艦内だった。通路が、壁や天井が、扉が、大破し、歪み捻れている。
 救助隊の指揮官が、容赦のない言葉で玲奈を迎えてくれた。
「さっそくだ、君の数少ない取り柄の1つである馬鹿力を活かしてもらおう。この扉を、引きちぎってくれたまえ」
「は、はい……」
 壁もろとも歪みひしゃげて開かなくなってしまった自動ドアである。機械工具で溶解切断出来ない事もなかろうが、腕力でこじ開けられるなら、その方が手っ取り早い。
 玲奈の、一見たおやかな細腕が、繊細な五指が、歪んだ自動ドアを引き裂いた。まるで壁紙でも破き剥がすようにだ。
 救助隊の面々が、歓声を上げながら拍手をしてくれた。
 玲奈は、複雑な気分になった。
(あたしの力が、役に立ってる……事には、変わりないんだけど……)
 ともかく、船室内に踏み入る事が出来た。
 大破した室内に、人が倒れている。明らかに生きてはいない。黒焦げの、焼死体である。
 同じくらいに焼け焦げた電送機が、室内中央で無惨な姿を晒していた。
「これで4人目、か……」
 焼死体に向かって片手を立てながら、指揮官が沈痛な声を発する。
 玲奈は、訊いてみた。
「あの……一体、どんな事故が起こったんですか?」
「艦内に、謎の火球が発生したらしい。それを分析器にかけた瞬間、通信途絶……駆け付けてみたら、こんな有り様だったというわけだ」
「4人目って言ってましたよね……4人、死んじゃったって事ですか」
「乗員8名のうち、4人が焼死体だ。残り4名、生きていてくれればいいが……」
 その後、玲奈を加えた救助隊全員で、大破した艦内を懸命に捜索したものの、乗員残り4名を発見する事は出来なかった。


「心の病が肉体に影響を及ぼすのは、よくある事よ」
 玲奈の、爛れ始めた右腕を診察しながら、鍵屋智子が言う。
「毒蛇に咬まれた夢でも見たのね。それを本当だと思い込んでいるから……」
「夢じゃないわ! 本当に、蛇がいたんだから!」
 玲奈は、思わず怒鳴っていた。
「電送空間に蛇がいたの! ううん、蛇だけじゃないわ……何かが、いる。あの蛇たちは、それに怯えて……」
「怯えて、貴女に噛み付いたとでも?」
 智子の言葉に、玲奈は答えなかった。どう説明すれば良いのか、自分でもよくわかっていないのだ。
 ただ、思う。毒で爛れた、この右腕は、あの蛇たちからのメッセージではないか、と。
 助けを求める、メッセージなのではないかと。
「確かに……例の火球の発生源が、電送空間内に潜んでいるというのは有り得る話ね。栃号艦内には、何も見つからなかったようだから」
 智子がそう言った瞬間。玲奈は、凄まじい熱さを感じた。黒髪が、熱風に舞った。
 火球が、そこに出現していた。
「出たわね……! これを結界に封印して、分析すれば」
 智子が分析の準備を始めようとした瞬間、火球は爆発した。


 爆発の衝撃、なのであろうか。
 次の瞬間、玲奈は電送空間にいた。
「そんな……? どうして……」
『あの火球の爆発が、電送現象を引き起こしてしまうようね』
 携帯通信機から、智子の声が聞こえて来る。いかなる手段でか、彼女は爆発から逃れる事が出来たようだ。
『詳細スキャンをするわ、玲奈さん。しばらく電送空間にいて!』
「あの、生体反応が近付いて来てるんだけど……」
 微弱な、だが確かな反応。生命あるものが、この電送空間に、玲奈以外にも存在している。
 4匹の蛇。シャーッ! と牙を剥き、玲奈に襲いかかって来る。
 そう言えば、生死不明の栃号乗員も4人いたはずだ。
 などと考えている場合ではなかった。蛇たちの毒牙が、玲奈のスカートをズタズタに切り裂いてゆく。
「もぉっ……助けを求めるにしたって! もうちょっと他に、やりようあるでしょーがぁああああああ!?」
 玲奈の怒声が、電送空間に響き渡った。
 自動ドアを引き裂く力を秘めた左右の繊手が、蛇たちを容赦なく掴み捕える。
『その蛇たちは、栃号の乗員よ!』
 智子のその叫びがもう一瞬、遅かったら、蛇たちは4匹とも、ちぎり殺されていたかも知れなかった。


「いや〜、参った参った。三島さんに殺されちゃうとこだったわ」
 電送空間では蛇の姿をしていた乗員たちが、安堵の声を発している。
 彼女たちが、玲奈の目には蛇に見えていた。電送恐怖症の、症状の1つであろう。
 謎の火球を操り、この乗員たちを電送空間に幽閉した何者かが、存在する。それに関しては、詳細は不明である。
「それにしても三島さん、スカートの下……褌、だったわよね? 好きなの?」
「そんなわけありません! 上官命令で、しょうがなく穿いてるだけですっ!」
 そんな会話を聞き流しながら、智子はキーボードに指を走らせていた。報告書を、仕上げなければならない。
「電送空間に潜む何者かに関しては不明……現時点での、客観的報告は不可能。主観的な推測が許されるのであれば」
 主観的な思い込み、なのかも知れない。ただ智子は、確信に近いものを抱いていた。
 この宇宙に生きる者、全てにとっての敵。最大の敵……天敵、と呼ぶべきものの存在を、智子は確かに感じ取っていた。
「それは……蟲、ではないかと思われる」