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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


その場所に刻む笑顔 −2012.12.1−

1.
「ルーマニアに行かないかい?」
 そう言ったのはヴィルヘルム・ハスロだった。
 妻である弥生(やよい)・ハスロは少し驚いたようだったが、すぐに笑顔になった。
「えぇ、行きましょう」
 それ以上の言葉は返さなかった。
 ルーマニア。ヴィルヘルムの生まれた国。いつか、一緒に見てみたいと思っていた。
 だけど、それ以上に不安のことがあったから、弥生はそれを口に出さなかった。
 ヴィルヘルムは過去の…特に幼少期のことを語ることはほとんどない。
 それは、辛い目に遭っていたから。幸せな思い出よりも酷く苦しい思い出があるから。
「ありがとう。…そうだな、12月1日なんてどうだろう? 結婚記念日のお祝いも兼ねて」
「素敵ね。ふふっ、そうだ。旅行用に新しい服を買いましょ。もちろん、ヴィルの服もね」
 楽しそうに笑う弥生の中に、どこか気を使わせているような気がして、ヴィルヘルムは申し訳ない気分になる。

 いつかは話さなければならないこと。
 いつかはわかること。

 そのいつかは…来たのだと。


2.
 ルーマニアは『吸血鬼』でよく知られている。
 トランシルバニア地方出身『ヴラド・ツェペシュ』という実在の人物がモデルになった小説に登場する怪物。架空の怪物であるが、広く存在を知られている。
 しかしその一方で魔女文化が根付き、現代にも魔女たちが存在する国でもある。
「意外と近代的なのね」
「そうだね。国外との行き来が盛んな場所は発展したね」
 ヴィルヘルムは下り立った懐かしい故郷の地に、目を細める。
 随分と変わってしまった。その懐かしくも思い出したくない忌まわしい場所。複雑な気分だった。
「…顔色が悪いわ、大丈夫? どこかで休んだ方が…」
 弥生の心配そうな顔に、ヴィルヘルムは微笑む。
「大丈夫。大丈夫だよ」
 そう、君がいてくれれば大丈夫だ。
「無理はしないでね? ゆっくりいきましょう」
 優しく笑う弥生の笑顔に、ヴィルヘルムは大きく息を吸う。
「さぁ、行こう。弥生に見せたい場所はたくさんあるんだ」

 歴史博物館、民俗学博物館、ブラショフ美術館、黒教会。
 ブラショフ市内にある観光地を案内して回る。趣のある建物、外国の風情が漂う街並みの中を2人は歩く。
「あちらに行くとブラショフ砦がある。あと、ブラン城…ドラキュラ城として有名な城はここから少し離れたところにあるんだよ」
 ヴィルヘルムの言葉に、弥生は少しどきんとした。
 吸血鬼。
 それは、ヴィルヘルムの過去に大きな影を落とす言葉。
 そんな弥生に気が付いたのか、ヴィルヘルムは少し目を伏せて話し出す。
「夢を…見るようになったんだ」
「夢?」
 弥生の言葉に小さく頷く。
 夢はこの旅を提案をする数日前から見始めた。微睡から覚めると、酷く泣きたい気持ちになった。
 幼い日の家族との思い出。父や母、弟との…。
 連日、連夜。それは夢の中で何度でも再生される。
 なぜ今になって現れるのか?
「行きたいところがあるんだ。弥生にもついてきてほしい。…見て、欲しいんだ。一緒に」
 ヴィルヘルムの手が小さく震えていた。
 弥生は、その手をしっかり握った。
「行くわ。ヴィルが行って見てほしいというのなら、私は行くわ」
 まっすぐな弥生の瞳に、ヴィルヘルムは「ありがとう」と呟いた。


3.
 そこは街中からずいぶん離れた場所だった。景色も建物から木々ばかりになった。
 ヴィルヘルムの記憶の中の場所とはずいぶん違う。でも、確かにこの道だった。
「ここだ」
 その場所は、ただ鬱蒼とした木が生い茂っただけの場所だった。深い森の中。誰も、この場所を訪れたりしないのだろう。
 弥生はその場所をじっと見る。あたりに人の気配はなかった。
「私には家族がいたと…話したことがあったね」
 ヴィルヘルムはぽつりと語りだす。
「えぇ。弟さんもいたのよね」
「あぁ、その家族はもういないということも…話したね」
 俯いていたヴィルヘルムの眼差しは弥生を…弥生の立つ場所を見つめる。
「ここには私の家族が住む家があったんだ。そして、この場所は家族が眠る場所なんだ」

 いつか、弥生と故郷に行かなければと…漠然とそんな気がしていた。
 いつか、家族を失った理由を…本当の理由を話さなければと。
 父は吸血鬼の血を受け継いでいた。それは、真実で私にもその血は受け継がれていた。
 だが、私たちの家族が誰かを傷つけたことなどなかった。傷つける意思などなかった。
 人の心は、時に純粋な悪意と恐怖で暴走する。
 村の住民たちは、吸血鬼の存在を恐れていた。そして、私たちの家族が吸血鬼の血を引いていると知ると…その恐怖を爆発させた。
 彼らは…家族を手にかけた。
 それだけでは飽き足らず、家もろとも家族の体すらこの世から消した。
『火で燃やせば、さすがの吸血鬼も生き返れないだろう! 我々は勝ったのだ!』
 なにに? 安堵感から泣き出す村の母子や、家族とともに勝利を祝う男たちの姿。
 あなたたちは…私の家族を奪って、何に勝利したというのだ?
 私たちをそこまで憎まなければならないほど、私や私の家族はあなたたちに何かをしたというのか?
 生き残った私は何を憎むべきなのか。ただ虚しさばかりで…母を…父を…弟を失った悲しさばかりが、私の中で大きくなっていった。


4.
「ヴィル…」
「その後も様々な輩に追われて、疑問の答えを出す余裕すら無かった…。けれど、いつか私にも家族が出来る日が来たのなら…大切にしたいと、それだけはずっと思っていた。…その事を弥生、君に伝えておきたかったんだ」
 悲しい瞳。でもそれは決して後ろを向いて泣いているわけではなく、弥生と共に生きる決意を秘めた強い瞳。
 弥生はそんなヴィルヘルムをそっと抱きしめた。
「私…知ってるわ。ヴィルが私のことをとても大切にしてくれているのを。いつだって、私のことを愛してくれているのを」
 ヴィルヘルムの過去を知ったから…だけど、それが弥生とヴィルヘルムの今を壊すはずはなかった。
 私が心に傷を持つように、あなたにもそれがあったというだけ。

 かつて、この世を憎んだ愚かな私。姿も、名も変え、心まで偽って深い闇の中に身を沈めようとした。
 ヴィルとの出会いは、些細な事だった。
 でも、それは私に他人の温かさを教えてくれた。
 友人でも恋人でもなかった私に、あなたは人の優しさを教えてくれた。命を懸けてまで…。

 傷をなめ合う、そんな気持ちは毛頭ない。
 ただ、私の心はあなたに救ってもらったから。
「今の私の幸せはヴィルヘルム、あなたと一緒だからあるの」
「弥生…」
「私、ヴィルと出会えて幸せ者だわ。あなたの家族になれて、とても幸せなのよ」
 ぎゅっと抱きしめて、温かな幸せを少しでも伝えたい。そう思った。
「…そうだわ」
 弥生はカバンの中から小さなポプリとラベンダーのアロマを取り出した。
「本当はお花がよいんでしょうけど、今はこれしかないから…」
 ポプリにラベンダーの精油をしみこませ、ヴィルヘルムの家があった場所にそっとまく。
「ラベンダーは眠りを誘う効果があるの。ゆっくり、眠れますように…」
 そう言って、弥生は静かに手を合わせた。
 ヴィルヘルムもそんな弥生の隣で手を合わせる。
 静かな森のその中で、小鳥のさえずりだけが聞こえた…。

 小さな写真立ての中には、森の中で笑うヴィルヘルムと弥生の姿。
 『2012.12.1』と刻印された写真の中で笑う2人。
 その写真を見ながら弥生はふっと笑う。
「今は…2人じゃないわ」
 お腹をそっとなでる。小さな胎動が伝わってくる。
「ねぇ、この子が生まれたら、またこの場所に行きましょう。今度はお花の種を持って」
「…行ってもいいのかい?」
「もちろんだわ。だって、私たち家族だもの」
 笑顔がこぼれる。それは自然なこと。当たり前のこと。

 私たちが一緒にいるから…幸せがある。