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sinfonia.28 ■ 虚無の攻撃
最近の東京界隈での騒動はすでにマスコミによって報道され、一般人はIO2によって保護され、避難している。
そんな中にも関わらず、弦也は自分のマンションから避難しようとしなかった。
勇太が帰って来るべき場所を離れる訳にはいかないと、そう判断したからだ。
「……勇太……」
騒動が起こってから連絡がつかない甥を想いつつ、弦也は小さく嘆息する。
四年前だった。
あの勇太が虚無の境界と正面からぶつかり合い、その事を黙ったままでいたのは。
元IO2。
特殊銃火器武装部隊、第一中隊隊長及び特殊銃火器武装部隊主任、工藤弦也。
そんな彼の耳に、虚無の境界の騒動が耳に入らないはずなどなかったのだ。
気付いていながらも、気付かないフリをしてやる事。
それが、弦也なりの勇太に対する配慮の一つでもあった。
――ピンポーン
聞き慣れた来客を報せる呼び鈴。
弦也はその音を聞くとほぼ同時に、玄関に向かって駆け出した。
「特殊銃火器武装部隊、第一中隊隊長及び特殊銃火器武装部隊主任、工藤隊長。ご無沙汰しております」
「……元、だがな」
「失礼しました」
扉の前に姿を立っていたのは、かつての自分の部下である一人の男。
そして――。
「IO2、特殊銃火器武装部隊。“神束 志帆”です」
二十代中盤程度といった所だろうか。
もう少し女性らしい雰囲気さえ放っていれば魅力的だろう女性が、弦也に向かって敬礼と共にそう挨拶をした。
「私は引退した身だ。そんな挨拶はいらない」
「で、ですが……。……分かりました」
どこか腑に落ちないとでも言わんばかりに、志帆は弦也の言葉に僅かに噛み付き、そして改めて言葉を呑み込んだ。
「入ってくれ」
「工藤隊長――いえ、工藤先輩。虚無の境界との戦闘が激化の一途を辿っています」
弦也に連れられて室内へと入った二人は、現状の説明を始めた。
「我々は今日、工藤先輩を保護するようにと命令を受けています。どうか急いでここを出る準備をお願いします」
「私を保護する?」
「はい」
「……なるほど。という事は、やはり勇太は戦っているのか……」
保護する。その命令を受けたという後輩の言葉から、弦也は全てを察した。
IO2は基本的に、個人を保護したりはしない。しかしながら、そんなIO2の規律の中にも、特例というものは存在している。
それが、能力者の関係者である場合と、作戦に支障をきたす可能性――つまり、人質となられては困る対象である場合だ。
今回弦也の保護を命じられた二人がいるという事はつまり、必然的に後者である可能性が高い。
弦也は過去の経験からそこまで推察すると、小さく嘆息する。
「……勇太は無事か?」
「はい。虚無の境界との交戦から、幹部であるファングと呼ばれる男を打ち倒しました。おかげで、IO2全体の士気は上昇しています」
「……そうか」
志帆は弦也と自分の上官に当たる男の会話に、妙な違和感を覚えた。
虚無の境界を打倒した自分の息子を褒めるでも鼻にかけるでもなく、ただただ不安そうに目を細める姿。それはまるで、“普通の親”の様な目だ、と。
ここに来るに至るまでに、志帆は弦也と勇太の関係を聞いていた。
実の息子ではない、かつて問題を起こした能力者。
そんな少年を引き取ったのは、きっと責任感の強さが為せるものだったのだろうと推測していたのだ。
この時の志帆には、それが義務から生じた責任の一環だとしか感じていなかったのだ。
しかし、弦也の浮かべた表情は違う。
まさに“普通の親”の表情なのだ。
子供を心配している親。
能力者の親という立場で、こんな表情を浮かべる親は非常に少ないと言えた。
志帆が見てきた能力者の家族と言えば、大きく分けて二通りだ。
一つは、畏怖する者。
自身らにはない能力を持った存在を畏れ、恐怖から遠くに置きたがる。まるで腫れ物に触るように接する家族。
そしてもう一つは、力ずくで押さえつけようとする者。
これは恐怖から、自分の制御下に置こうと考える者が多く、それによって生じる虐待だ。
子供にとって、親は自分の世界の神とも言える存在だ。
そんな存在からそうした行いを受ければ、能力の有無に関係なく、心を壊していく。
そんな二通りのどちらにも当てはまらない弦也と勇太の関係に、不思議な感覚を抱いていたのだ。
何故なら、志帆もまた。
能力者である兄のせいで家族が壊れてしまった経験があるから、だ。
「……怖くは、ないのですか?」
不意に口を突いて出た言葉。
それは、長年志帆が抱いてきた思いの表れだったのかもしれない。
「神束、何を言っている」
「あ……、申し訳ありません……」
上官に諭され、俯いた志帆が言葉を飲み込む。
しかし弦也はその言葉をしっかりと聞いた上で、志帆を見つめていた。
保護するというIO2の意向に、弦也は渋々ながら応じる事にした。
それはひとえに、任務を受けた後輩の立場を考えた故であり、決して本意ではなかったのだが、それも仕方のない事だと自身を納得させる。
そんな弦也を連れてマンションを後にしようと外へ出る。
「みーっけ」
マンションの外の護送車に歩み寄ろうとしていたその時。
真横から、間延びした幼い少年の声が響き渡った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――状況は最悪と言えた。
足止めしようと飛び出た弦也の後輩が、突風によって吹き飛ばされ、誤送車両に身体を強く打ち付けた。
応戦しようとした弦也だったが、そんな弦也の腕を引いて、志帆が駆け出したのだ。
「あっはは、追いかけっことか懐かしいッスわ。でも、メンドクセェのは勘弁なんッスわ!」
「が……ッ!」
「ぐ、神束クン!」
突風に吹き飛ばされた志帆の身体を抱き寄せ、弦也が吹き飛ばされる志帆と壁の間に自分の身体を挟み込む。
背中を強打した弦也の肺から、短い声と共に酸素が吐き出された。
「く、工藤さん! 私を庇う必要なんてありません!」
「が……ッ、良いんだ。さぁ、一度逃げよう」
「は、はい!」
なんとか立ち上がって再び駆け出す弦也と志帆の二人を見て、少年はゲラゲラと卑しい笑い声をあげた。
「ヒャッハハハッ! これはこれで、なんか面白いッスわ!」
無抵抗な二人の逃げ惑う姿を見て、狂気に染まった高笑いをする少年。
そんな少年の姿に僅かに身体を強張らせた志帆が、動きを止める。
かつて、自分の兄が。
両親を殺そうと動き出したあの日。
その日の兄が、あまりに少年の姿に酷似していたせいで、志帆の身体はガタガタと震え、フラッシュバックする記憶を前に瞳孔を開き、自らの身体を抱き締める様に両腕を身体に回した。
「あ……ぁ……!」
「あっれー? 逃げないんッスか? それはそれで楽だから良いけど、マジ興醒めッスわ」
ジリジリと歩み寄る少年を見つめ、動きを止めた志帆。
そんな志帆の視界を防ぐ様に、弦也が少年と志帆の間に立ち塞がった。
両腕を広げ、少年を睨みつける。
「……能力に溺れた子供の末路。キミを見ていると、ゾッとしないな」
「……あぁ?」
「私の“息子”もね、能力者なんだよ。一歩間違えれば、もしかしたらキミの様になっていたかもしれない。そう考えると、私はキミを可哀想だと思えてしまうよ」
「く……、工藤、さん……」
「私なら大丈夫だ。さぁ、彼の目的は私なんだ。キミは今の内に逃げなさい」
背中越しに震えた声を発する志帆に、弦也は切羽詰まった声をあげる事もなく、穏やかな口調でそう告げる。
志帆を心配させまいと、そう考えたのだ。
「で、も……」
「キミはどうやら、能力者に恐怖を抱いている様だ。だがね。能力者も、何も自分から好き好んで能力者にならなかった者もいる。能力を持った事を嘆き、苦しむ子ばかりだ。
そんな彼らを壊してしまったのは、いつだって私達。普通の、人間のせいなのかもしれない」
弦也はゆっくりとそう告げた。
これまで、能力の事でどれだけ孤立し、傷ついてきたのか。
そんな自分のせいで迷惑をかけていると、そう考えて塞ぎ込んだ息子の姿を、弦也はずっと見てきたのだ。
その度に、自分が無力だと嘆く事もあった。
それでも、自分は寄り添い続けようと誓って生きてきたのだ。
だからこそ、弦也は一歩間違えてしまった目の前の少年も、そして間違った一歩に巻き込まれてしまった志帆の心情も、痛い程理解出来た。
ここにいる二人は、立場が違う被害者だ。
心ない一言や周囲の対応。環境が全てを壊し、そうなってしまった哀れな結末。
ならば、その道に立たずに済んだ自分が、それを受け止めるのは道理。
そう考えたのだ。
「キミは、間違っている。いや、間違った道しか、キミを救えなかったのだろう。ならば、その憤りを私は受け止める。だからこそ、キミにこれ以上の罪の上塗りを、見過ごす訳にはいかない」
「……マジないッスわ。頭湧いてんじゃないッスか?」
少年の琴線に、弦也の一言が増えた――――。
to be countinued...
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