コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


放浪の民と導きの歌

 イタリア沖、ランペドゥーサ島。観光地として有名な所だが、現在は様々な問題を抱えている島でもある。
 郁が乗る妖精艦隊の旗艦は、本日一般見学デーを行っておりディナークルーズを開催中であった。
「あれ、私のスプーンは?」
 雫をクルーズに誘い、二人で夕食を楽しんでいた郁の目の前から銀のスプーンが突然消えた。
 配膳ミスかと辺りを見回せば、各所で同じ寸借被害が起きているようであった。
「あ、あれ、あたしのもなくなってる。さっきまであったのに」
 少し遅れつつではあったが、隣にいた雫も異変に気がついた。そして慌てて周囲を見やるが、自分用のスプーンらしき影すら見当たらない。
「――郁、雫。少し調査に当たってもらえないかしら」
 むむ、と思案を広げていた郁の後ろ姿にそんな声がかかる。
 麗しき女艦長のものだった。それは、この艦内で何か起こっているということを意味している。
 郁と雫は二つ返事で行動を開始した。
「ワタシの財布が無い!」
「私の上着がないの。一点モノなのに困るわ!」
 艦内はそんな言葉が飛び交い始め、ざわついていた。郁も雫も眉根を寄せつつ、歩みを進める。
「……そう言えばここら辺、難民や移民問題でゴタついてたわね」
「あ、それネットのニュース記事で見たことあるよ」
 郁がそう言えば、雫が遅れをとらずにそんな言葉を返す。
 ランペドゥーサは北アフリカから最も近い位置にあるヨーロッパ諸国の領土だ。そのために自由を求め欧州へと目指すアフリカ移民や難民が後を絶たない。
 無理な人数を乗せた船が座礁し、何人もの命が海の中に消えた。そんな話もよく耳にする。
「ねぇ、あれ。人が溺れてる!」
 雫が海へと指を向けつつ、そう言った。
 郁がそれに続いて身を乗り出せば、不審な動きを見せる漁船が一隻。魚を入れるはずの籠の中にはキラキラとした不似合いな物が積まれていた。郁は瞬時に、この艦内での騒動と漁船を結びつける。
「こら、待ちなさい!」
「郁ちゃん!? 溺れてる人はどうするの!」
「ごめん、そっちは雫に任せてもいい? 多分これ、難民狩りだと思う!」
 郁は雫にそう言い残して、事象艇へと移った。漁船を追うためだ。
 雫は戸惑っていたようだがおそらく救助は行ってくれるだろうと考えつつ、船を出す。
 小回りの効く小さな漁船は、すでに姿が見えなかった。
 だが、収穫が何もなかったわけでもなく、旗艦から少しだけ離れた沖合では座礁した船が見つかった。雫が見た溺れている人は、あそこから流れてきたものなのだろう。
 思った以上に、この先にある島での問題は深刻そうだ。
 郁はそんなことを考えつつ、一旦旗艦へと戻った。
「――すっかり冷えちゃった。とりあえず着替えましょ」
 水着姿のままであった郁と雫は、揃って更衣室に向かった。
 艦内ではまだ紛失物の報告が絶えない。郁は不満そうにして自分のロッカーの扉を開けた。
「!」
 そこにあるはずの着替えが無かった。残っているのはプリーツスカートのみだ。
「郁ちゃん、これって……」
「いるわね、まだここに。これで釣ってみましょ」
 雫も同様に衣服を盗まれている状態で、困り顔だった。
 郁は逆に先ほど船を見失ったこともあり、妙に冷めていて殊勝でもあった。確実に捕らえる気だ。
「この辺に置いておいて……」
「だ、大丈夫かなぁ?」
「簡単に釣れると思う。まぁ見ててよ」
 誰に目にもつく一つの丸いテーブルの上に、郁は自分のスカートをおもむろに置いた。
 そして雫の背を押して、二人で物陰に身を隠して息を潜める。
 その、数分後。
 こそりと動く影があった。よく見やれば、人の影ではない。遠隔操作が必要な、小人のロボットだった。
 それは俊敏に郁のスカートを掴みとり、更衣室を飛び出して海へと消えた。
「このまま、逃すわけないじゃない」
「……うわっ!」
 郁はロボットの動きより若干早く地を蹴っていた。
 そしてひらり、と舷側から降りてその下にいるであろうロボットの操縦者の元に降り立ったのだ。
 予測どおり、そこは先ほど見かけた漁船の上だった。
 郁が追ってくるとは思わなかったのか、『犯人』は心底驚いたような声を上げた。
 そこにいるのは、漁師の母娘だ。体躯の良い日焼け気味の勝気そうな二人だった。
「盗みを働いていたのは貴女たちね? 手馴れたところを見ると、常習のようだけど」
「……仕方ないだろっ! これも生活のためだ!」
 腰に手を当ててそう言う郁に、母娘は血気盛んに答えた。
 悔しそうな表情と、他人を疑う視線。
 おそらく彼女たちは、元は難民なのだろう。
 どうしたものかと軽く思案し始めたところで、別の気配を感じた。
 艦長が姿を見せたのだ。雫もそばにいる。
「いい機会だわ、お話を聞きに行きましょう。ちょうど、あっちでも揉めてるみたいだしね」
 艦長の指さす先は、島の方角だった。それに親子が釣られて見やれば、海岸に人だがりが出来ている。
 それに顔色を変えた彼女たちは、郁と雫と艦長を船に乗せたままで島へと向かった。ちなみに三人とも水着姿――しかもビキニ
――のままだった。
 
「私たちを抑圧するな!」
「気持ちはわかるが、島はもう人で溢れかえっている! これ以上は受け入れられない!」
「自由があると聞いて国を捨ててここまできたのに!」
 難民キャンプとされている場所で、移民の代表と島の代表が言い争いをしていた。その周囲にはたくさんの人がいる。島の者と移民たちだ。互いが互いを牽制しあい、僅かな火花が散っている。どちらも精一杯と言った感じだった。
「思ってたより随分、困窮してるんだね……」
 現実を目の当たりにした雫が、僅かに体を震わせてそんな事を漏らす。
「積もり積もったものがぶつかり合ってるって感じね」
 困ったようにして言うのは郁だった。彼女にはある程度の予測がついていたようだ。
「所詮お前らも抑圧者か?」
「現状を看過すれば我ら島民も難民化してしまう」
 難民に対して、島の代表の言葉が重く伸し掛る。確かにその通りだが、逃れてきた民にも言い分はある。
「独立を護りたい。なぜそれをわからんのだ。我々からすればお前らは侵略者と変わらん!」
「都合よく自由を弄する悪党どもめ!」
 互いの気持ちに、同じタイミングで火が付いた。
 そして辺りは暴動と化してしまう。
 自由を得るため、そこで生きていくため。
 受け入れた側もまた、生き抜くための権利がある。
 溝の深い現実に雫が双眸を閉じた、その直後。
 喧騒の中に聞こえたものは、小さなピアノの音色だった。
 どこから取り出したかは謎ではあったが、それは郁のトイピアノだ。そしてその音に乗せられるのは、愛らしい歌声。
 その歌は潮風に混じり周囲に広がって、怒りの感情に包まれていた暴徒の心がじわじわと萎えていくのが目に見えた。
 罵り合っても、何も変わらない。傷で傷を上書きするだけ。繰り返されてしまうだけ。
 たどたどしくもそれを伝えた郁を見て、艦長が一つの提案を難民たちに告げた。時空を渡る船を所有する彼女だからこそ提言できた事だった。
 行き先は紀元前六千年の英国沖。今は海底に沈む肥沃な土地の名は、ドッガーランド。
「漁を生業としてきたのなら、そこでも生きていけるでしょ。限られた時間かもしれないけれど、生きるための努力を自分たちで見つけなさい」
 彼女はそう言って、難民たちを時空の波に乗せた。
 最終的にはその場は地図から消える。その間に、正しい答えを見つけられるかは彼ら次第だ。
「さすが艦長……お灸のすえ方が酷いわね」
 引つるようにしてそう笑うのは郁だった。そして目の前から消えようとしている難民の中に先ほどの母娘を見て、次の言葉を添えた。
「私の服は餞別にあげるわ! 大サービスよ!」
 艦長の判断が良いものだったかは、雫にはわからない。
 郁も困ったように笑うだけで、あとは彼らに手を振るのみだ。
 おそらくはどの選択肢を選んだとしても、真実の答えなど無いのだ。彼らが選ばない限り。
「――さて、仕切り直しよ。浜辺のディナーと洒落込みましょ!」
 パン、としなやかな手のひらを叩いて艦長がそう言った。
 郁も雫もそれに頷き、テーブルを広げる。
 艦艇のスタッフも見学の客も、島の人たちも巻き込んでのディナーは夜遅くまで続けられた。