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暗闇に舞う高潔な華
緊急事態は常にあるもの。驚きはしない、と、水嶋琴美にうそぶいていた一期下の同僚。
それを見とがめた上司は底知れない冷たい光を瞳に宿したまま、にっこりとほほ笑んで―彼には絶対にこなせないだろう―超トップクラスの命
令を下した瞬間、その表情が情けないものへと変化した。
とてもではないが無理です、すみません、身の程知らずでした、と恥も外聞もなく平謝りする同僚に琴美は内心、呆れつつも、当然、その任務
が自分に下されるものだと思っていた。
だが、予想を裏切って、上司は別の隊員に任務を任せ、琴美には帰宅命令を下さした。
なぜ?と疑問に思う琴美に任務を受けた隊員は肩を竦めて教えてくれた。
「お前は我々『特務』の切り札だからな。この程度の任務は私ぐらいでちょうどいいんだよ」
こっちの得意な隠密調査の任務だからな、と付け加えて、去っていく隊員の台詞に琴美はそんなものかしらと首を傾げ、帰路についた―それが
一昨日の話だ。
表向き働いている商社での業務を終えた琴美が笑顔で退社し、愛車に乗り込んだ瞬間、緊急事態を告げる携帯のコール音が鳴り響いた。
「水嶋、任務だ。今から地図を転送する。至急そこへ向かってくれ」
「了解。情報を確認します」
確認もなく、切羽詰った上司の声に琴美は眉をひそめたが、問い詰めることはしない。
状況からして、かなり切迫しているのが分かったからだ。
落ち着いた琴美の反応に冷静さを取り戻した上司は小さく息を吐き出すと、いつもの落ち着いた声で正確な任務を話し出した。
「すまん。先日、ある隊員に諜報命令を出したのは覚えているか?」
「ええ、生意気な口をたたいた子に命じた例の件ですね。その後、先輩が引き継いだはずですが」
「そうだ。精神と肉体を異常に強化、興奮させる劇物指定された薬物が闇ルートで大量に取引され、あるテロ組織に流れたという情報だ。その
真偽を調べたところ、事実というのが判明した」
苦々しいと言わんばかりの上司の声音に琴美は肩を竦めながら、タブレットに転送された地図の場所へと愛車のスポーツカーのエンジンをかけ
る。
危険な薬物を大量に入手したのがテロ組織というなら、考えられるのはただ一つ。
「都市近郊で薬物を投与された実働部隊が3個小隊、確認された。水嶋、一般市民に被害が及ぶ前に殲滅せよ」
「了解しました」
冷やかだが強さを秘めた上司の命に艶やかな笑みを口元に乗せて応じると、琴美はスポーツカーを急発進させ、滑るように夕闇の迫る公道を駆
け出した。
闇夜に包まれたビジネス街は静かだが、ビルの窓のあちこちで淡い光が零れ落ちている。
残業に追われた商社マンたちか、それともビルの安全を確認して回る警備員たちか。どちらかは分からないが、ただ一つ言えるのは普通に生活
し、真面目に働いている者たちの営みということだ。
その光がこぼれる外の闇にまぎれ、異様な興奮に包まれた男たちが血走った目でビルを見上げていた。
ダークカラーの迷彩服にサブマシンガンやハンドガン、ベルト状に肩から掛けた銃創で固めた男たちはまともな連中ではないのは一目瞭然。
深めに帽子をかぶり、男たちの指揮官らしき男が周りを確認し、すっと右手を上げると男たちはわらわらとビルを取り囲む。
その中の数人が固く閉ざされた入り口に踏み込もうとした瞬間、空気を切り裂き、冷たいコンクリートに漆黒に輝くクナイが侵攻を食い止める
ように打ち込まれた。
「なんだ?!!」
「それ以上の侵入は許しませんわよ、テロリストの皆様」
慌てふためくテロリストたちに入り口の暗がりからするりと姿を見せたのは、身体のラインを強調するようにフィットした漆黒のラバー素材の
スーツに同質素材のミニスカート姿の女―水嶋琴美。
柔らかな黒髪をなびかせ、艶やかに微笑むと、琴美は軽い足取りで地を蹴り、一気にテロリストたちの間合いを詰める。
その鮮やか且つ素早い動きはテロリストの目には琴美が消えたように映った。
一瞬の混乱の直後、細かな―絹の布地を思わせる―黒いストッキングに包まれた膝が1人のテロリストの顔面を直撃した。
うめき声をあげて、崩れ落ちる仲間に驚き、慌てて乱入者たる琴美に銃口を向けるが、引き金を引くよりも先に強烈な激痛とともに意識が反転
していく。
「き……きっさまぁぁぁっぁぁあ!!」
崩れ落ちていく部下たちを呆然と見ていた指揮官は怒りに燃えた目で両手を軽く払う琴美を睨みつける。
貴重な薬を惜しげもなく使い、限界ぎりぎりまで強化した貴重な駒をいとも簡単につぶしてくれたことに指揮官の理性は呆気なく崩壊し、ビル
破壊とその中にいる商社マンたちを人質にし、なぶるという命令は綺麗さっぱりと忘れてしまう。
「よくもやってくれたな!!覚悟しろ」
「あらあら、ずいぶんと血の気が多い事ですわ」
「黙れっ!相手は小娘一人……殺れ!!やってしまえ!!!」
「おおおおおおっ!!!!」
真っ赤に染まった目で叫ぶ指揮官に応え、サブマシンガンやハンドガンの銃口を向けてくるテロリストたちに琴美はやや呆れたようにため息を
零すと迷うことなく、腰に差したクナイを両手に構えると彼らに向かって駆け出した。
打てっ!と指揮官が命じると同時に無差別に放たれる銃弾の雨。
もうもうと立ち込める硝煙と火薬の匂い。
勝利を確信し、一気に踏み込めと指揮官が命じかけ―その言葉は途中で飲み込まれた。
一瞬にして巻き起こった風によって霧消していく硝煙の中から姿を見せたのは、むなしくコンクリートの床に打ち込まれてた数千個の銃弾に作
り出されたクレーター。
標的にした琴美の残骸はどこにもないことに唖然とした瞬間、部下のテロリストたちは糸が切られたマリオネットのように前方から次々と倒れ
伏していく。
ふわりと吹き抜けた風が指揮官の頬を撫でたと同時に眼前にあったのは鋭い光を讃えた琴美の姿。
悲鳴を上げる間もなく、全身を襲うすさまじい激痛。
うめき声も上げる暇もないまま、指揮官はその場に崩れ堕ちる。
その姿を冷やかに見下ろすと、琴美はクナイを腰へとさすと、おぞましいほどの殺気を発して、ビルを遠巻きに取り囲んでいるテロリストたち
を見渡した。
「罪もない会社員や警備員の方々の命を欲望のために奪うことは許しません。覚悟なさい」
静かだが逆らうことの許さない冷やかさを秘めた琴美の瞳に気圧されるどころか、異様な狂気を立ち上らせるテロリストたち。
その姿に琴美はほんの少しばかり憐みを覚え、再びクナイを構える。
すでに薬が精神を蝕み、完全に支配されていることを改めて思い知らされた。
そして気づく。薬が切れた瞬間、彼らの精神は崩壊するということを。
ならば琴美がなすべきことはただ一つだった。
「さぁ、かかっていらっしゃい。貴方たちを苦痛から解放して差し上げますわ」
優雅な笑みを浮かべ、琴美はクナイを胸の前で構えた。
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