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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


魂の収穫者


「1人で無茶をし過ぎよ、フェイト」
 言葉と共に、ひんやりとした感触が、フェイトの負傷した右腕を襲った。
 二の腕の傷口に、アデドラ・ドールの可憐な指先が、そっと触れている。
「貴方の職場……フェイト1人にこんな仕事を押し付けるほど、人がいないの?」
「真っ先にここへ来れたのが、俺だったってだけの話さ」
 傷口から、冷たいのか温かいのか判然としないものが流し込まれて来る。
 それを感じながら、フェイトは言った。
「……助かったよ。ありがとう」
 右腕を動かしてみる。右手を、握り拳にしたり開いたりしてみる。
 傷は、癒えていた。
 以前もこんなふうに、怪我を治してもらった事がある。あの時は、前もって奪われていた生命力を返してもらう、という形であった。
 今回は違う。アデドラは、自身の内部で生命力を精製し、それを注ぎ込んで、フェイトを治療してくれたのだ。
 無から有を生み出す。それが賢者の石であると、IO2のレクチャーでは教えてもらった。
「助けてもらってばっかりだよな。俺、あんたには……」
「あたしは、貴方の魂が目当てで付きまとっているだけよ」
 さらりと言いつつアデドラは、室内中央に立つ機械の柱に視線を投げた。
 ヴィクターチップの、マスターシステムである。
「味のしない魂を、粗製濫造するシステム……つまんないもの作るのね、貴方たち」
「俺が作ったわけじゃないんだけど……まあ、俺たちが作ったようなものかな」
 フェイトは拳銃を拾い上げた。
 爆薬弾頭弾・装填済みの拳銃。その銃口を、機械の柱に向ける。
 引き金を引いた。
 それだけで、マスターシステムは爆炎に包まれ、砕け散った。
 これで、終わったのか。
 呆気ない、などと感じてしまうのは贅沢だろう。フェイトはそう思う。アデドラが来てくれなかったら、呆気なく終わっていたのは自分の方であったはずだ。
 どこからか、拍手が聞こえた。
『この国のあっちこっちで、君たちみたいな強い人があたふた大慌てで戦ってたけど……』
 頭の中からだ。何者かが脳裏に直接、話しかけてきている。拍手をしながら。
『君らの戦いが一番、面白かったかな』
「あんたは……!」
 IO2本部最奥部に存在する、オリジナル。
 ニューヨークの本部ビルから、カナダとの国境に近いこの地方にまで届く思念。
 恐ろしく強力な、テレパス能力である。
 それによってフェイトは以前、おぞましい幻覚を見せられた。幻覚に打ちのめされ、錬金生命体の制御実験に失敗した。
 間違いない、とフェイトは思った。あの時、このオリジナルがその気であったら、自分の精神は完全に破壊されていただろう。自分だけではない。少なくとも本部ビル敷地内にいる人間全員を廃人にしてしまうだけのテレパス能力を、この怪物は持っている。
『その程度の事だったら、君にだって出来るよ』
 フェイトの心を読みながら、オリジナルは言った。
『出来たはずだよ……かつての君なら、ね』
「……人の古傷を抉って、心理攻撃でも仕掛けてるつもりかな」
 かつての自分。実験動物のように扱われ、能力を開発されていた頃の工藤勇太。
 あの実験が続いていたら自分は今頃、このオリジナルと同じような怪物に成り果てていたのだろうか。
『この国へ来て自分を鍛え上げた、つもりでいるんだろうけどね。そのせいで君は、心の中の素晴らしいバケモノを育てる機会を失ってしまったんだ。もったいない、君なら僕に負けないくらいの怪物になって……僕の友達に、なってくれたかも知れないのに』
 水音が聞こえた、ような気がした。
 暗黒の海が、フェイトの周囲に広がっていた。
 その海の奥深くで、巨大な怪物が蠢き揺らめいている。海蛇のような、蛸足のようなもの。
 それらが水飛沫を跳ね上げ、襲いかかって来る。
『今からでも遅くない……2人とも、こっちへおいでよ。僕と一緒に、行こうよぉ……』
 どこへ、などと訊いている暇もなかった。襲いかかって来たものが、フェイトを、アデドラを、捕えようとする。暗黒の深海へと、引きずり込むために。
「……あたしたちは、どこへも行けないわ」
 アデドラが言った。
「あたしも、フェイトも……それに、貴方もね」
 その瞬間。襲いかかって来た怪物が、消え失せた。
 暗黒の海、そのものが消え失せていた。
 光が、周囲に満ちた。
 輝ける空間。その中央で、小さな男の子が1人、座り込んで本を開いている。
 8歳くらいであろうか。図鑑と思われる大きな本に、熱心に見入っている。
 眩しさに耐えながら、フェイトは声をかけた。
「あんた……オリジナル、か?」
 男の子が図鑑から顔を上げ、きょとん、と視線を返してくる。
 愚かな問いかけを、フェイトは恥じた。
 オリジナル、などという名前であるはずがない。人間の男の子としての名前が、あるに決まっているのだ。
 フェイトは歩み寄り、その図鑑を覗き込んだ。
 怪物のような、奇怪な生き物たちが載っている。深海魚の図鑑、である。
「お気に入り……なのかい?」
「うん! お父さんが、買ってくれたんだ」
 フェイトの問いに、幼い少年はにっこりと答えた。
 錬金生命体たちの中核として、恐るべき怪物が存在している。フェイトは、そう思っていた。その怪物と決着をつけなければならない、とも。
 だが、この男の子を怪物に変えたのは虚無の境界なのだ。
 決着をつけるべき相手は、虚無の境界。この少年は、助けなければならない。
「……だけど、もう何回も読んで飽きちゃったんだ。そろそろ、違う所に行きたいな」
「好きな所へ、行っていいのよ」
 アデドラが言った。
「……行けるものならね」
 光に満ちた風景が突然、歪んだ。
 その歪みが、いくつもの醜悪・凶悪な人面を成した。
「おい、何を……!」
 フェイトが言いかけた時には、人面の群れは、男の子に襲いかかっていた。
「違う所に、行きたいな……どこかへ、行ってみたいな……」
 そう繰り返し、微笑みながら、幼い少年は人面たちに食い尽くされていた。
「何をするんだ!」
 フェイトは思わず、アデドラの細い両肩を掴んでいた。
 周囲の風景は、暗黒の海でも光の空間でもなく、中枢を破壊された制御管理室に戻っている。
「あの子は、どこへも行けないわ……閉じこもったまま、どこかへ行きたいと願うだけ」
 言いつつアデドラが、いささか膨らみに乏しい己の胸に片手を当てる。
「……あたしの中にいる、この連中と同じよ」
「だからって……!」
「ねえフェイト、貴方も本当は知ってるんでしょう?」
 アイスブルーの瞳が、まっすぐにフェイトを見つめる。
「どこか違う所へ行くなんて……そう簡単に、出来る事じゃないわ」
「…………!」
 怒声を噛み殺しながらフェイトは、少女の両肩から手を離した。
 苦い自問が、心の奥から沸き上がって来る。あの男の子のためにしてやれる事が、自分には何かあったのか。
 彼は、アデドラに喰われた。彼女の中に、取り込まれた。
 この少女の中に保存されたのだ、とフェイトは考える事にした。後で救い出してやる事は、きっと出来る。


 IO2の輸送ヘリから、武装した戦闘員たちが降りて来た。
 IO2の監視対象であるはずの少女が、それを出迎えた。
 まずい、などとフェイトが思っている暇もなく、ヘリから降りて来た男の1人がヘルメットを脱いだ。
 教官だった。厳つい黒人男性の顔に、微笑みが浮かんでいる。
「こんな所にいたのか。お前は本当にどこにでもいるなあ、アディ」
「フェイトが無茶をしてたから……彼、あんまり1人で突っ走らせない方がいいと思うわ。お父さん」
 教官とアデドラが何を言っているのか、フェイトは全く理解出来なかった。
「えーと……お、お父さん? って?」
「おおフェイト、いつかお前にも紹介しようと思ってたところだ」
 にこにこ笑いながら教官が、意味不明な事を言っている。
「俺の娘のアデドラだ。手ぇ出したらぶっ殺すぞ」
「初めましてフェイトさん。父が、いつもお世話になっております」
 アデドラが、ぺこりと礼儀正しく頭を下げる。
 教官がヘリでわざわざ迎えに来てくれたという事は、事態がとりあえず終息したという事だろう。
 工場内の錬金生命体たちは、マスターシステム破壊と同時に動きを止め、今はゆっくりと砕け崩れつつある。同じ事がIO2本部そしてアメリカ各地で起こっているに違いない。
 が、そんな事はどうでも良くなってしまった。
 フェイトは教官の腕を引き、声を潜めた。
「ちょっと……いくら何でもマズいですよ教官。結婚したばっかりなのに、一体いつから」
「はっはっは。馬鹿野郎、隠し子じゃねえよ」
 フェイトの腹に、教官の拳が軽く叩き込まれた。
「俺の子供は、それはそれで来年の頭頃にちゃんと生まれる。けど女房の奴が、その子のお姉ちゃんが欲しいとか言い出しやがってな」
「なるほど……アデドラの里親って、教官だったんですか」
 気になる事が、1つある。
「だけど教官……知ってるんですか? 彼女は」
「……わかってる。ちょいと嫌な話になるが、まあ監視の意味もあってな」
 IO2上層部に危険視されている少女。IO2職員の身内にしてしまうのが、まあ監視としては最も適切な手段であると言えない事はない。
 アデドラ・ドールを、例えばあの研究施設のような場所に監禁しておく事など、不可能なのだ。
 可能であるにしても、それをさせるつもりがフェイトにはなかった。


 とっさにフェイトは口を押さえ、嘔吐を堪えた。
 IO2本部ビルの最奥部から、廃棄処分対象物として運び出されて来たものである。
 棺のような、透明のカプセル。その中で、かつては人間の子供だったものが、培養液に漬けられている。
「用無し……ってわけだな、もう」
 教官が呻いた。
 フェイトは、声を発する事も出来なかった。うっかり口を開いたら、胃の内容物を全てぶちまけてしまいそうだった。
 錬金生命体の軍事転用は、結局のところ失敗に終わった。となれば、これを「オリジナル」などと呼んで大事に扱う理由もない。
「虚無の境界……いや、うちの組織の連中もそうだけど、人間を何だと思ってやがる……なんて今更、言う事じゃねえか」
 今回の作戦で見事、司令塔の役割を果たしてみせた同僚が、そう言いながらフェイトを気遣う。
「おい……大丈夫か?」
「……平気さ」
 ようやく、フェイトは言葉を発した。
 そして恥じた。あの幼い少年を救ってやりたい、などと一瞬でも思ってしまった自分自身をだ。
 このような有り様になってしまった少年を一体、どう救ってやれたと言うのか。
 かつて幼い男の子であった、無惨な物体。そこに宿っていた魂は今、アデドラ・ドールの中に在る。
 ここにあるのは、培養液のおかげで辛うじて腐敗を免れている、有機物の抜け殻に過ぎない。
 それを、フェイトは見据えた。
(これは……俺だ……!)
 特別な力を持って生まれた、そのせいで虚無の境界に目をつけられ、拉致され、人間の原形をとどめなくなるほど研究・実験され尽くし、IO2に奪われ兵器として利用された挙げ句、用無しの肉塊となって廃棄された少年。
 まさしく工藤勇太が、あのまま辿っていたかも知れない運命だ。
「なあフェイト……お前がぶっ壊したマスターシステムだけどな」
 同僚が、いささか言いにくそうに言った。
「どうもな、バックアップを取られたらしい形跡があるんだ」
「虚無の境界の連中か?」
 教官が問う。
「それとも、うちの上層部か? 未練がましいこった」
「わかりません。あのデータは、今回みたいな生体兵器系のバケモノだけじゃなく、コンピューター制御の機動兵器なんかにも応用が利きますからね……案外、あの議員様あたりが絡んでたりして」
「誰であっても、許さない……!」
 フェイトは、声を震わせた。
「虚無の境界だろうがIO2だろうが、この国そのものだろうが……こんな事をする奴らを、俺は絶対に許さない!」