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Episode.33 ■ 猫セットの真骨頂
真っ白な室内に置かれたテーブル。
向い合って座った憂は、自身の顔の前に表示された立体映像を手慣れた様子で操作しながら、小さな声で唸り声をあげていた。
対して、正面に座っている冥月は緊張した面持ちで憂の言葉を待っていた。
憂は今、百合の検査データを黙読し、そして思考を巡らせているのだ。
「……さて、冥月ちゃん。状況について私は配慮もせずに、純粋な結果だけを告げる事になる。それは分かるよね?」
「御託は良い。それぐらいは理解している」
緊張を孕んだその面持ちと、鋭い眼光を憂へと返しながら冥月は淡々と告げる。
検査に所要した時間は2時間程。
その間に、武彦は上層部へと挨拶を兼ねて状況説明に繰り出している。
百合の状態を聞くのは自分だけなのだ。
それぐらいの覚悟など、今更問われるだけ無駄というものだ。
「……ふぅ、まぁ良いよ。
検査結果だけどね、冥月ちゃん。状況からして、時間はかかるけどクスリの副作用なんかは浄化出来ると思う。ただしこれは、数日とか数週間ってレベルじゃない。それこそ年単位って考えて欲しいね」
「つまり、命は落とさずに済む、と?」
「それは安心してくれて良いよ。幸い、この数週間の間は能力の使用がなかったみたいだからね。おかげで進行も遅かったみたい。あと一ヶ月でも遅かったら、身体の中枢にまで影響を残した可能性もあったけど、ね」
淡々と状態だけをつらつらと述べる憂であったが、冥月もようやく肩の荷が下りた気分だ。
これで百合は、少なくとも命を奪われる心配はなさそうだ。
「ただね、冥月ちゃん。私らもデータが採取が出来るとは言っても、それじゃ比重が合わないのは事実なんだよね」
「……憂。百合に手を出すなら、潰すぞ」
「うん、そう言うだろうと思ってた。そこは信頼してもらうしかないかな。
私達はただ、治療と引き換えに、身体に負担がかからない程度に色々と情報を提供して欲しいんだ。もちろんこれは、任意での口頭尋問って考えてくれれば良いと思うけどね」
治療の可能性が生まれる。
そしてそこで、憂から提案される情報交換という報酬。
憂とて、こうして百合の治療が確約出来るまではそんな取引、わざわざ持ちかけるつもりはなかったのだろう。
それは憂との付き合いの短い時間の中で構築された、冥月なりの信頼が告げる。
この取引を守ってくれると言うのであれば、冥月にとっても越した事はない。
既に手出しをすればどう出るかは告げた。ある意味では、それは言質を取ったとも言えるだろう。
それを呑み込んだ上で、憂はそう告げて来ているのだ。
断るのも否やではない。
熟考を重ねるぐらいならば、百合の身体を再優先するべきだという考えは変わらない。
「……良いだろう。その点については私から百合に告げる」
「うん、そうしてくれると助かるね。じゃあサクッといこっか」
快諾すると踏んでいたのだろうか。冥月は憂の対応に思わず眉を寄せるが、それでも気を取り直し、立ち上がる。
部屋を出ようと扉の前に立ったその瞬間――――。
「ッ! 待って、冥月ちゃん! 殺しちゃ――!」
扉が開くと同時に突き出された銀色を、冥月はまるで理解していたかの様にくるりと身体を反転させつつ、裏拳ではたき落とす。
能力も使わず、叩き落とされたナイフが乾いた音を立ててその場に跳ねると同時に、冥月はナイフの持ち主であった男の腹部を蹴りつけ、壁へと叩きつけた。
腹部に突き刺さった鋭い蹴りと、背中を壁に打ち付けた衝撃から、男の肺からは一瞬にして空気が抜け出る。
慌てて空気を吸い込もうと身体が反応するが、それよりも早く、冥月が男の喉元を強く押さえつけ、それをさせない。
「正当防衛だな」
「……あぁ、もう……。研究室の中じゃないから良いものの……」
呆れた様に漏らした憂の声を鼻で笑い、冥月が手を放した。
ようやく吸い込める酸素、意識が朦朧とし、赤黒く染まった顔で男は冥月を睨み上げた。
「ハァー、ハァー……ッ、クソ……ッ、仇を……ッ!」
「ハイ、ストーップ。それまでだよ。まったく、そんなバカな真似して……。ごめんね、冥月ちゃん」
「……いや、構わない」
怨嗟の篭った掠れた声は、冥月の耳に確かに届いていた。
仇。
多くを語られずとも、その意味する所は重々理解出来る。
その怨嗟に染まった、まるで獰猛の様な瞳も、声も、気概でさえも。
それら全てを雄弁に物語る。
冥月はそんな男の横を歩き抜けながら、小さな――本当に誰にも聞こえない程の声で呟いた。
「……すまない」
その言葉を聞いてか、崩れていた男は顔を顰め、ボロボロと涙を零し始めていた。
◆
「……冥月、か?」
「……ん」
憂が男を引き取り、衛兵に引き渡しに向かった後。
薄暗い自販機の前で椅子に座って膝を抱えていた冥月のもとへ、ようやく武彦が戻ってきた。
「お、おい。百合は、ダメだったのか……?」
冥月の消沈した表情から勘違いしたのだろう、武彦が慌てて冥月の隣に腰を下ろし、声をかける。
しかし冥月は何も答えようとはせずに、小さく首を横に振った。
「どうしたんだ?」
「……武彦……、ちょっとそのままでいて」
「あ? あぁ」
こてん、とそのまま頭を武彦に預け、冥月は視線を真正面に向けたまま何も語ろうとはしない。
薄暗いその場所で、ただただ黒い瞳が自販機の光に揺れる。
武彦とて、何があったのかは理解していなかったが、何かがあったのは理解出来る。
そこでようやく、戻り際に連絡が入った一件がそれだと思い至った。
『実は、冥月ちゃんの組織の件で逆恨みしたヤツがいてさ。もちろん冥月ちゃんは無傷だったんだけど、ね』
武彦がようやく戻る間際、憂に状況を確認した際に告げた言葉である。
ようやく理解に至った武彦は、冥月の肩にそっと手を回し、頭を横向きのままで抱き寄せた。
普段なら紅潮して慌てて引き下がる冥月も、さすがに怨嗟をぶつけらえて堪えたのか、されるがままにしている。
それどころか、もっと、とせがむ様に武彦の肩にぐりぐりと小さな頭を押し付ける。
「……心配するな。俺がいてやるから」
「……ん」
短い返事を返して、冥月は僅かに視線を落としていた。
しかしその油断が、思わぬ事態を引き起こした。
落ち込み、武彦に甘えていたせいか、冥月は一切の警戒もしていなかった為に、その光景を、憂の研究室で監視カメラを見つめていた女性にすっかりと見られていたのである。
(……あ、あああ、あのディテクターを、おとっ、落としたのーー!?)
雑務どころか退屈な仕事である監視カメラに、一瞬にして話題の的が出来てしまった。思わず女性職員は両頬に両手を添えてキャーキャーと身悶え始めていた事など、この時の冥月は知る由もなかった。
◆ ◆ ◆
一方、恐らく落ち込んでいるだろうと当たりをつけた憂は、そんな冥月に気を遣うという大義名分のもと、そんな表向きの理由とは別に、ルンルン気分で研究室へとやって来ていた。
その手に握られていたのは、ちゃっかり冥月から回収したあの『猫セット』である。
「あら、憂さん。お疲れ様です」
「おっつかれー。さささ、これのデータを解析するよ!」
「それって確か、あの萌えを極めるアイテムとかって前に言ってた道具、ですよね? それを解析って、不具合でも出たんですか?」
助手の女性が憂に向かって尋ね返すと、憂はくつくつと込み上がる笑みを押し殺しながら、猫セットの猫耳の部分を、専用の端末に押し当てる。
「んふふふふ、これって実は、こんな機能があるんだよね……」
もはや邪悪と言っても過言ではないだろう。
憂が笑みを浮かべながら猫耳をセットすると、憂の目の前にあった幾つものモニターが一斉に何かを読み取り始めた。
これには助手の女性も思わず歩み寄る。
画面には見慣れない言葉が表示されていた。
「……高性能モーションキャプチャーメモリー……?」
「フ、フフフフ……。この猫セットはね、音声、脈拍、発汗に体温。そして装着車の体格や声なんかのデータを全て記録させてるの」
「……そ、それって……」
「あぁ、勘違いしないでね。本当は、身体能力の高い強者のデータを採取する為につけた機能だったんだけど、くふふ……。やっぱりやらずにはいられないって言うか……」
思わず助手の顔が強張る。
助手の女性職員ではあったが、こんな機能は聞かされてなどいない。
この道具はあくまでも異性のカップルが使う、言うなればコスプレアイテムと言われているのだ。
下世話な話だが、これは言うなれば、科学技術の結晶を使った、ただの盗撮の様なものだ。
「だっ、だだだだダメですよ! 憂さん!?」
「ねぇねぇ。あの、黒冥月の萌え姿、だよ?」
悪魔の囁きが、そっと囁かれた。
女性職員も、言うなれば人の子である。
いくら善良なモラルがあるとは言え、これに興味が惹かれない訳ではない。
しかしながら、彼女は最期の道徳で首を横に振った。
「……だ、ダメです! それはあまりにもその!」
「あ、そっか。じゃあ出て良いよー。私だけ、“データ採取の為に”これ見るから」
………………。
「デ、データ採取は立派なお仕事ですからね! 私も! 私も手伝います!」
「うんうん! 大事なお仕事だよぉぉっ!」
ここに、二人のモラルが失われた。
to be countinued....
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お世話になっております、白神です。
今回は文字数がアウトで、美味しい所へ辿りつけず……!
ええい、なんという惜しい所で(
そんな訳で、前半部分のシリアスと触りを描きましたw
次話は暴走確定しそうな勢いですねw
お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後共宜しくお願いいたします。
白神 怜司
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