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<東京怪談ノベル(シングル)>


VR『東京怪談』


 ヴァーチャル・リアリティ。それは、そろそろ死語になりかけているのではないかと松本太一は思う。
 人工的に作り出された、仮想現実。
 その中に迷い込んでしまう、というのは、フィクションではよくある話である。
 フィクションではない現実の世界に、魔女や悪魔が実在するのだ。
 仮想現実空間で、どれほど恐ろしい事が起ころうとも、これまで現実世界で自分の身に起こってきた出来事に比べれば、夢の中で蚊に刺される程度のものであろう。
 松本太一は、そう思う事にした。
 大した事はない。そう思い込んだ。
『懸命に自分を勇気づけようとしてるわねえ』
 太一の心の中で、女悪魔が笑っている。
『貴女のそういう健気なところ、大好きよ。でも本当は恐いんでしょう? 泣き叫んでもいいのよ? 可愛い悲鳴を、上げてごらんなさい?』
「……そんな事しても、どうにかなるとは思えませんから」
 己の中にいる相手と、独り言のような会話をしながら、太一は見回した。
 ひび割れたアスファルト。瓦礫の塊と化したビル。あちこちで横転したまま錆び固まった、自動車の残骸。
 何年か前まで、東京と呼ばれていた街である。
 今は廃墟だ。
 何が起こったのかは、わからない。ただ、東京は滅びた。
 そんな廃墟の真っただ中に今、太一は『夜宵の魔女』の姿で佇んでいた。
 凹凸のくっきりとした全身に、薄手のドレスのような紫系統の衣装を貼り付けた、うら若き魔女。
 いつの間にこの姿になったのか、太一は記憶がなかった。
「私、てっきり貴女の仕業だと思ってたんですけど……」
『いくら私でも、世界を1つ丸ごと造り出すような力はないわ』
 この廃墟と化した東京は、何者かによって丸ごと創造された世界であると、この女悪魔は言っているのだ。
 もう1度、太一は見回してみた。
 気のせいではない。何かが、視界の隅にまとわりついている。
『これね』
 と女悪魔が言ったものを、太一は目で確認した。
 窓枠、であろうか。
 光で出来た長方形の枠の中に、様々な数字が表示されている。
 そんな窓のようなものが、太一の背後に浮かんでいる。歩くと、付きまとって来る。
『貴女の……性能諸元、といったところかしら』
「……こんなの見せられてたら、落ち着きません」
 窓枠の隅の方に、小さな×印がある。それを太一は、指先でボタンのように押した。
 窓枠は、消え失せた。
 消え失せず、太一の頭上に浮かび続けているものもある。
 赤と青、2本の光の帯。浮かんでいるというよりも、空間に表示されている。
「これは……私のHPと、MPね」
 太一は、溜め息をついた。
「冗談抜きで、ゲームの中の世界に入り込んじゃったみたいです。本当に、貴女の仕業じゃないんですね?」
『ゲームの中、ね……ふふっ、今度試してみようかしら』
「だから、冗談言ってる場合じゃないんですってば」
 とりあえず歩き出そうとして、太一は気付いた。
 いつの間にか、取り囲まれていた。
 カギ爪や牙を鋭く伸ばした者、翼を広げた者、触手を生やした者、腕が4本も6本もある者……様々な姿をした、怪物たち。皆、赤い光の帯を頭上に表示させている。
 会話を試してみるべきだろうか、と太一が思っている間に、怪物たちは一斉に襲いかかって来た。
 牙が、爪が、触手が、様々な方向から凶暴に群がって来る。
「事象改変……情報入力!」
 太一は、その場で身を翻した。艶やかな髪がふわりと弧を描き、左右の細腕が舞い上がり、優美な五指が空中全方向に超高速で何かを書き綴る。
 情報。それが物理的現象として発現し、光と轟音を発した。
 雷だった。
 太一の頭上で、青い光の帯が少しだけ短くなった。
 それと同時に電光の嵐が荒れ狂い、怪物たちを薙ぎ払う。
 カギ爪や翼や触手を生やした異形の肉体が無数、黒焦げになりながら砕けて散った。何本もの赤い帯が、凄まじい速度で短くなり、消えてゆく。
「ひっ……ひいぃ……」
 辛うじて生き残った怪物の1匹が、その場で腰を抜かし、悲鳴を発した。
「待て、待ってくれ……助けてくれよ……俺たち、人間なんだよう……」
「何ですって……!」
 太一は息を呑み、動きを止めてしまった。
「何かよくわかんねえけど、いきなりバケモノになっちまって……た、頼む、何とかしてくれ。あんたなら、俺たちを助けてくれそうな気がするんだ」
「そ、そんな事、言われても……」
『馬鹿! 後ろ!』
 女悪魔が、警告の叫びを発するが、すでに襲い。
 怪物の別の1匹が、太一の背後で鎌のようなカギ爪を振り上げ、振り下ろしたところである。
 長い髪もろとも、首筋を刈り取られた。それを太一は感じた。
 痛みはない。そんなものを感じる前に、痛覚そのものが停止していた。
 赤い帯が一気に短くなり、消えてなくなった。


『というわけで、死んじゃったんだけど』
 女悪魔が、呆れている。
『貴女のその甘ちゃんな性格……私、嫌いじゃないけれど。でも時と場合ってものがあるでしょうが』
「あの……本当に死んじゃったんですか、私」
 恐る恐る、太一は自分の首筋を撫でてみた。
 無傷である。頭部は、きちんと身体と繋がっている。首を刎ねられたはずなのだが。
 暗闇か、あるいは光に満ちているのか、よくわからぬ場所であった。そこに太一は今、立っているのか、浮かんでいるのか。
 にゃー……と、微かな鳴き声が聞こえた。
『あら? 猫ちゃんがいるのねえ。どこかしら、ちょっと早く探しなさいよ』
「……貴女、猫派だったんですか?」
『可愛いものはみんな好きよ。使い魔として一番なじみがあるのは猫ちゃんだけどね』
 再び、どこかで猫が鳴いた。今度は少し近い。
「ようこそ……と言うべきかしらね」
 今度は人間の声。いや、本当に人間なのであろうか。
 黒いドレス姿の女性が、そこに佇んでいた。艶やかな黒猫を抱いている。
「貴女たちは招かれざる客人……でも招き入れるしかなかった。現実の世界を、守るためにね」
「あの……ここは、どこなんですか」
 何かの案内人とおぼしき、その女性に、太一はまず訊いてみた。
「それに、あの廃墟は一体……」
「未来の東京よ」
 案内人の女性が、静かに告げた。
「近いうちに東京は、あんな有り様になってしまうわ……貴女たちの手によって」
「……どういう、事ですか」
「自覚がないのね。自分たちが、どれほどの力を持っているのか……どれほどの滅びを、もたらし得るのか」
 女性は、優雅に目を閉じている。彼女の抱いた黒猫が、その代わりのように、太一をじっと見つめている。
「貴女がたが自由気ままに暮らしているだけで、東京は……世界はいずれ、ああなってしまうのよ」
『いい加減な事、言わないで欲しいわね』
 女悪魔が太一の中から、剣呑な口調で、会話に加わって来た。
『私たちが自由気ままに力を振るったら、あんなものでは済まないわよ……廃墟なんて、残りはしないわ』
「そう、貴女たちの本当の力は計り知れない。それでいて、あっさり殺されてしまうような油断もする。いろいろな意味で危なっかしいわ、貴女たちは……とても現実世界に放置してはおけない」
「だから……ゲームみたいな世界の中に私たち、閉じ込められちゃったと。そういう事ですか?」
「まずは、この仮想現実の中で体感してごらんなさい。自分たちが滅ぼした世界をね」
 黒猫がもう1度、にゃーと鳴いた。


 太一は再び、廃墟の中にいた。
 様々な姿をした怪物たちに、取り囲まれている。
「強制的にコンティニューさせられちゃったと……そういう事ですね」
『このゲーム……クリアしない限り元の世界には戻れないと、そういうわけね。面白いわ、やってやろうじゃないの』
 女悪魔が、怒りか闘志か判然としないものを燃やしている。
『貴女は大丈夫? 本当は恐いんでしょう? 泣き叫んでいいのよ? 可愛い悲鳴を、上げてごらんなさい』
「まあ……恐くないと言ったら、嘘になりますけど」
 迫り来る怪物たちを見据え、事象改変の準備をしながら、太一は微笑んで見せた。
「魔女の皆さんの夜会に比べたら、全然ましです」