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<東京怪談ノベル(シングル)>


再会と出会いの予兆


『ボンベイ・サファイアを、カクテルのベースにしか使わないのは非常にもったいない。そうは思いませんか?』
 などと言われても、一体何の事であるのかフェイトにはさっぱりわからなかった。
『何しろ強いお酒ですからね、割ってしまいたくなる気持ちもわからないではありません。ですが、この薫り高さをロックあるいはストレートで味わえるようになってこそ』
「あのなあ英国紳士……貧乏暇無しって言葉、知ってるか? 英語圏じゃ何て言うのか知らないけど」
 ひたすらキーボードを叩きながら、フェイトは携帯電話に話しかけた。
 報告書か始末書か判然としないが、とにかくこの書類を、本日じゅうに書き上げて提出しなければならない。
「俺、忙しいんだよ。貧乏人にはな、あんたみたく優雅にカクテルグラス傾けてる暇なんてないの」
『やらなくても良い仕事で無理矢理、自分を忙しくしているのではありませんか? 日本人には、そういう人が多いと聞きますよ』
 確かに、こんな報告書を提出させて保管してどうするのだ、という思いが、フェイトの中には全くないわけでもない。
 それでも、書けと言われたものは書くしかなかった。組織に属するとは、そういう事だ。
『というわけで私は今、ボンベイにいます。今の呼び方はムンバイですか。ここに私、ささやかながら別荘を持っておりましてね……夕焼けに染まるインド門を眺めながら、ロックで飲むボンベイ・サファイア。格別ですよ? 貴方も御一緒にいかがです。そちらはニューヨークですか、今から自家用ジェットを』
 即座に、フェイトは携帯電話を切った。
 IO2本部の、事務室である。机を1つ借りて、書類を作っている。
 これを書き上げたら書き上げたで、やらなければならない事は山積していた。
 錬金生命体事件の、後始末である。
 一連の騒動を、IO2上層部としては、なかった事にしてしまいたいようであった。
「……出来るわけないだろう、そんな事」
 フェイトは思わず、報告書にそう書いてしまうところだった。
 利用され、廃棄された少年の、無惨な有り様。あれを、フェイトの記憶から消す事は出来ない。
 なかった事になど、出来はしないのだ。
 ふと、今の電話の内容が、頭の中に甦ってきた。
 あの英国紳士は今、インドのムンバイにいる。
 インド。彼の母親の、生まれ故郷である。
 そんな場所で彼は今、ただバカンスを楽しんでいるだけなのか。
 母親の死に関して、何かを掴もうとしているのか。あるいは、何かしら掴んだところではないのか。
 彼も彼で、なかった事になど出来ないものを抱えているのだ。
「だからって、今……俺に、何か手伝ってやれる事があるわけでもなし」
「やあフェイト、似合わない事やってるじゃないか」
 何者かが、いきなり事務室に入って来るなり話しかけてきた。
 白衣を着た、理系のIO2職員。フェイトの同僚の1人である。
「僕が理系なら、君は体育会系。パソコンの前に座りっきりの姿なんて似合わないよ。もっと身体を動かさなければ」
 そんな事を言いながら同僚が、フェイトの腕を掴んだ。
 掴まれるまま、フェイトは引きずり立たされた。
「な、何だ……どこへ行くんだよ。俺この書類、今日じゅうに上げなきゃいけないんだけど」
「そんなの僕が後で適当に書いといてあげるよ。大変でした終わり、でいいんだろう?」
「小学生の読書感想文じゃないんだから……」
「いいんだよ、報告書や始末書なんてその程度で。それよりもっと有意義な事に時間を使うべきだよ、君のような人材はね」


 相手のペースに巻き込まれながらフェイトは、いつの間にか着替えをさせられていた。
 黒のスーツ。見た目も着心地も、いつも着ているものと何ら違いはない。
「……これが特殊繊維の新素材だって? 今までのと何か違うのか」
「僕が開発した防刃防弾素材だよ。いいかい、僕が開発したんだ」
 言いながら、理系の同僚が拳銃を向けてくる。
「着て違和感があるようなものを、僕が作るわけないだろう?」
 悪い冗談はよせ、とフェイトが言う暇もなく、同僚は引き金を引いていた。
 銃口が火を噴き、フェイトの全身でビシビシッと激痛が弾けた。
「いてっ! いていててててて、痛いってば! おい!」
 そんな悲鳴が、上がってしまう。
 実弾の、フルオート射撃である。本来ならば、痛いで済むはずがなかった。
「……どうだい、なかなかの着心地だろう」
 硝煙をくゆらせながら、同僚がニッコリと笑う。
 フェイトは、涙目で睨みつけた。
「お前なぁ〜……まあ、確かに凄いけどな。これ」
 このスーツが量産されれば、エージェントの生還率は飛躍的に跳ね上がるだろう。
 問題は、コストである。
「残念ながら、今はその試作品が1着あるだけなんだ。フェイトがそれを着て、いい仕事をしてくれれば……上の人たちも、お金出してくれると思うよ」
「俺が……着てていいのか? これ」
「もちろん。だけどフェイト、僕は本当はね……君に、そんなもの着せるんじゃなくて」
 同僚の眼差しが、ぎらりと狂気を帯びた。
「君自身を、銃弾をも跳ね返す身体に改造したいんだよぉおお」
「……じゃ俺、書類上げなきゃいけないんで」
 立ち去ろうとするフェイトに、同僚がすがりついて来た。
「ねえフェイト。相手が必ず爆発するキックとかパンチとか、使えるようになりたくはないかい? マフラーをなびかせて改造人間の哀愁を醸し出してみたいとは、思わないかい?」
「思わない、としか言いようがないなあ」
「実は昨日、フェイト改造プランを上層部に提出してみたんだ。虚無の境界が次々と繰り出してくる怪人たちを倒すために、IO2としても早急に改造人間を」
「お前ふざけるなよ、間違ってそのプラン通っちゃったらどうするんだよ!」
 フェイトは同僚の胸ぐらを掴んで揺さぶった。この組織は冗談抜きで、そういう間違いをやりかねない。
 そこへ、もう1人の同僚が声をかけてきた。
「まったく……まだ改造人間とか言ってるのかよ、お前」
 今回の任務で見事、司令塔の役目を務め上げた青年である。
「それより、とっとと巨大ロボットの設計に取りかかれよ。虚無の境界の連中、絶対そのうち機動兵器軍団とか繰り出してくるぞ。上に提出するべきは、そっちのプランだろうが」
「……まったく、これだからアニメオタクは」
 胸ぐらを掴まれたまま、理系の同僚が、やれやれと呆れている。
「巨大ロボットなんて、広域破壊にしか使えないだろう? 人質救出作戦の時とか、どうするんだよ。人間サイズの改造エージェントの方が、汎用性も有用性も高いんだよ」
「敵が巨大兵器とか繰り出してきたらどーすんだ、この特撮オタク野郎が!」
 同僚同士が、フェイトを挟んで口論を始めた。
「屁理屈こねてねぇで、とっととロボの設計図描け! 合体ロボで、メインパイロットはもちろん俺だぞ。他にはバイオテクノロジー系の人造美少女、最低でも3人。リアルの女はクソばっかだからな。3人の内訳は、お姉さん1人にツンデレ1人に妹キャラ1人」
「妄想しか出来ないアニメオタクは放っといて……さあフェイト、変身ポーズと変身台詞を考えようじゃないか」
「懐古厨の特撮オタクが! 改造ヒーローなんざぁカビの生えた過去の遺物だってのがわかんねーのかあ!? 時代はな、巨大ロボと美少女なんだよおおおおお!」
 この2人を、ぶん殴って黙らせるべきか。
 フェイトがそう思った、その時。
「私語が禁じられているわけではないが……馬鹿話は、控えるように」
 女性職員が1人、冷たい声を発しながら、実験室に入って来た。
 40代、であろうか。絵に描いたような「鉄の女」である。
「フェイト、というのは?」
「自分です」
 この女性か、とフェイトは思った。
 今まで直属の上司であった、あの男が、飛ばされてしまったのである。今回の錬金生命体の一件に関わりある事なのかどうかは、わからない。
 代わりに女性の上司が来る、という話は、フェイトも聞いていた。
「いずれ御挨拶を、と思っていました」
「……君に関しては、いろいろと話を聞いている」
 女性上司が言った。
「錬金生命体の実戦投入には、反対だったそうだな?」
「もっと本腰入れて反対するべきだった、と思っていますよ」
「まあ結果的には失敗に終わった。我が国が他国の内紛に軍事介入する、という話も、何やら立ち消えになりつつある。相変わらず強気な事を言い続けている議員の方も、おられるようだがな」
 例の、嫌日派の上院議員であろう。
「まあ、それはともかく仕事だフェイト君。あるエージェントと、組んでもらう」
 言いつつ女性上司が、名刺のようなカードを1枚、フェイトに手渡した。
 バー、らしき店の名前と住所が、記されている。
「その店で、合流するように」
「わかりました……それで、そのエージェントさんの名前は?」
「うむ、私の元部下でな……」
 女性上司が、いささか口調を濁した。エージェントネーム、らしきものを口にしたようだが、よく聞き取れない。
「げっ……」
 声を上げたのは、殴り合い寸前だった同僚2名である。
「あ……あの女……生きてたんですか……?」
「それは確かに……殺して死ぬような玉には、見えませんでしたけど……」
 2人、抱き合うように、へなへなと座り込んでしまう。
「ひどい言われようだな、おい」
 フェイトは苦笑した。
 どうやら女性のエージェントで、いささか問題のある人物ではあるらしい。
 あの英国紳士をはじめ、問題人物なら知り合いに何人もいる。大した事はない、とフェイトは思う事にした。