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テキーラ・エア(前編)
名誉を重んじるのが、妖精王国の国民性である。
だから、父親の罪は子供が相続する、などという馬鹿げた法律も作られてしまう。
その父親の冤罪を証明し、一族の名誉を守った。
それで、あの一件は落着したはずなのだ。
落着したはずの話が、おかしな感じに蒸し返されている。何者かの悪意のようなものを、藤田あやこは感じずにはいられなかった。
「父が、おめおめと生きている……だと? 貴様、私を愚弄するか!」
基地酒場に怒声を響かせながら、あやこは情報屋の胸ぐらを掴んでいた。
死んだと思われていた父親が、生きていた。喜ぶべき事ではあるのかも知れない。
だが、その父が龍国の収容所にいるとなれば、話は別である。
龍国と妖精王国は、不倶戴天とも言える敵同士。
つまり、あやこの父親は、敵国の捕虜になっているという事だ。情報屋の話が、正しければ。
「た、確かな話でさぁ……」
涙目になった情報屋を、あやこは放り捨てるように解放した。落ち着け、と自分に言い聞かせながら。
多忙で、苛立っている。それは、あやこも自覚しているつもりだった。
時空移民政策に則って地球を租借中の楓国が、その租借期間延長を勝ち取るため、奇策に出ていた。
隷下にあった獣人族に、自治権を与えたのである。
自治領として獣人たちに割譲されたのが、ここ沖縄であった。
久遠の都は、即座に手を打った。
獣人族支援の名目で、藤田艦隊を派遣したのである。
艦長あやこが現在、行っているのは、獣人自治領を防衛する地元軍の創設だ。
かつて宮古島と呼ばれていた、ここテキーラ市に、艦隊員総出で軍事基地を建設している真っ最中なのである。
そのテキーラ基地内の酒場に、あやこの使っている情報屋が、とんでもない話を持って来た。
あやこの父親が、名誉の戦死を遂げたと見せかけて実は生存し、龍国の捕虜となっているという。
妖精王国においては、虜囚の不名誉は一族の罪。あやこの娘にまで、その罪は及ぶ。
(あの子も、お父さんも、両方守りたい……なんてのは贅沢? なのよね、きっと……)
テキーラ市海域に、海上ワームホールが設置された。以前、久遠の都が鰻国から購入したものである。
そのワームホールの中から、何やらわけのわからぬ物体が回収された。
一見すると、医療機器のようである。
藤田艦隊において最も機械に強く、共感能力を使っての調べ事も出来る綾鷹郁が、この物体の調査解析を行う事となった。
ワームホールの向こうに棲む、異世界人か何かが使っていたのかも知れない、未知の機械。それを目の前にして心が躍らないと言えば嘘になる。
「あたしがイケメン男子の次に好きなもの、それは弄りがいのある謎な機械……ってのはまぁ嘘じゃないけどね」
苦笑しつつ、郁は工具を手に取った。
「どぉれ、かおるのテクニックでひいひい言わしっちゅうが……あっががががが、ひいひいひいいいいいいい」
工具を機械に差し込んだ瞬間、郁の全身に衝撃がバリバリバリッ! と流れ込んで来た。
まるで落雷のような、電流だった。
鎚が、ひたすら何かを叩いて、音を響かせている。
その音で、郁は目を覚ました。
「う……ん……」
目を開く。
ぼやけた視界の中で、鎚を振るう1人の男。鍛冶屋、のように見える。
彼の鎚によって、ひたすら打たれ鍛えられているもの。刃物、であろうか。幅の広い、片刃の刀剣……いや、金属製の翼である。
それを、鍛冶屋が水に浸す。
ジウッ! と轟音を立てて水蒸気が発生し、鍛冶屋の姿をぼやけさせながら、天空へと立ちのぼって行く。
郁は見上げた。羽音が聞こえた、ような気がしたからだ。
大量の水蒸気が、空中へと舞い上がりながら、鳥の形を成している。
水煙で組成された、何羽もの猛禽類。
勇壮に翼を鳴らし、空を往く彼らの姿に、郁はしばし呆然と見入っていた。
幕の如く分厚くたゆたう湯気の向こう側で、鍛冶屋が微笑んでいる。
よく見えない。だが見た事のある笑顔だ、と郁は思った。
「パパ……?」
返答は、なかった。
もう1度、呼びかけようとしながら、郁は目を覚ました。医務室だった。
「気が付いた?」
白衣姿の鍵屋智子が、気遣わしげに声をかけてくる。
「貴女が機械好きなのは知っているけど……それにしてもアシッドクランの罠かも知れない物体を、あまり不用意に弄り回すものではないわ」
「今……」
医務室の一角を、郁は指差した。
「そこに、パパが……あれ……?」
「夢でも見たのね。もしくは臨死体験かしら」
智子は、まともに取り合おうとしない。
郁がさらに言い募ろうとした、その時。
「あのう、鍵屋参謀……」
女兵士が1人、医務室に入って来た。
「綾鷹さんも……ちょっと来て、止めてくれませんか? 艦長が、暴れ始めて」
聖剣・天のイシュタルが一閃した。
執務机が、真っ二つになった。
断面の滑らかな、その残骸を、あやこは荒々しく踏み付けた。
頭では、わかっているのだ。自分がただ、物に当たり散らしているだけだという事は。
「くっ……私は、どうすればいい……?」
「それは、私にもわからないわ」
鍵屋智子が、いつの間にかそこにいた。
「……ただ、艦の備品に八つ当たりをしたところで、何も解決はしないでしょうね」
「解決……そうだ、解決しなければ……」
抜き身の聖剣を片手に、あやこは室内を徘徊しながら考え込んだ。
そこへ、綾鷹郁が声を投げる。
「かっ艦長、どうでもいいけど刀持ってウロウロするのやめて。恐いから」
「綾鷹、それに鍵屋参謀……何なら、あの戦艦娘も使っていい。久遠の都及び妖精王国の全ネットワークから、跡形もなく消し去ってもらいたい情報がある」
「その場凌ぎにしかならないわよ、そんな事をしても」
口調冷たく、智子は言った。
「貴女自身の目で、確かめるしかないと思うわ……お父様が、本当に生きておられるのか」
「知ってたのか……」
「締め上げて吐かした。艦長におかしな話吹き込んだの、こいつでしょ?」
郁が、情報屋を引きずって来ていた。
「ひ、ひいい……たた助けて……」
「不確かな情報で艦長を惑わせた罪、万死に値するわね」
怯える情報屋に、智子が拳銃を突き付ける。
「ま、待て参謀。私が使っている情報屋なのだ」
「あれこれと情報を集める段階は、もう過ぎたわ……行動なさい、艦長」
智子が言う。
「情報の揉み消しなど、逃げでしかないわ。無敵の艦長の、する事ではないわよ」
「……わかった」
あやこは、情報屋の胸ぐらを掴んだ。
「貴様のルートで、私を龍国まで運んでもらうぞ」
艦長自ら単身、龍国へ乗り込むという暴挙を、郁は止める事が出来なかった。
「お父さんって、そんなに大事……?」
ぼんやりとペン入れをしながら、呟いてしまう。
考え事をしながら、ほとんど自動書記状態で書き上げた原稿が、ほぼ新刊百冊分、傍らに積み上がっている。
自分を追い込むつもりで始めた同人誌執筆だが、あの夢の意味を理解する事は出来なかった。
「……ま、当たり前だよね」
あの謎めいた夢と、藤田あやこの今回の暴挙には、1つだけ共通点がある。
父親、である。
父を思う艦長の心を理解するには、もう1度、あの夢に辿り着くしかない。
「また……死にかけてみる、しかないって事かぁ」
郁は溜め息をつき、ペンを置いて立ち上がった。
例の機械は、まだ実験室に置いてあるはずだ。
収容所は、大混乱に陥った。
囚人たちは逃げ惑い、看守たちは拳銃を片手に群がって来る。
「な、何者だ貴様!」
「止まれ、止まらんと撃つぞ!」
などと言いながら銃口を向けてくる看守の部隊に対し、あやこは担いでいるものを放り投げた。
巨大な、鉄格子の扉である。
「撃つぞ、とか言ってる暇があったら撃たないと……私は、止められないわよ?」
銃を持った看守たちが、重い鉄格子扉の下敷きになって、もがいている。
どれほど重く施錠された扉であろうと、この「必殺丸はずし」の敵ではない。
厳重にセキュリティ・ロックされた扉を、片っ端から取り外しながら、あやこは無人の野を往くが如く、ここまで来た。
龍国内の、重要犯罪者収容所である。
情報屋の話によると、ここの囚人たちの中に「長老」と呼ばれる人物がいるらしい。言わば顔役で、看守に対しても睨みを利かせられる老人であるようだ。
どの人物であるのかは、すぐにわかった。
「騒がしいのう……一体、何事であるか」
立ちすくむ看守たちを掻き分けるようにして、老人が1人、進み出て来たからだ。
「新入りか。見たところ、相当の重罪人じゃな……目を見ればわかる。おぬしほど人を殺めた者は、この収容所にはおるまいて」
「まあ艦隊1つ預かってるからね。命令1つで、人が死ぬわ死ぬわ」
あやこは微笑んだ。
「まともに裁判やったら、懲役何千年くらいになるかしらね……だけど今日は艦隊指揮官としてじゃなく、藤田あやこ一個人として貴方に会いに来たのよ」
「ほう、わしに」
「本当は違うわ。私が会いたい人は、貴方じゃなくて……」
あやこは見回した。
野次馬の如く集まって来た囚人たちの中に、父の姿はない。
「……その人に会うためには、まず貴方にお話通さないと」
「ふむ。その者は、いかなる罪でこのような場所に?」
「生きていた……それが、罪になってしまうのかしらね」
あやこは言った。
「生きて、この国の虜囚となっている……それが万死に値する恥辱となってしまうのよ、私の故郷では」
「時代遅れも甚だしいのう」
長老が、さっと片手を上げた。
看守たちが一斉に小銃を構え、あやこを銃口で囲んだ。
「おぬし、その者を助け出すために来たのじゃな。どうやら何も知らぬと見える。ここはな、入った者が救出されねばならんような場所ではないのじゃよ」
銃口に逆らわず、あやこは両手を上げた。
父を捜し出すためには、どうやら自ら囚人となり、この収容所でしばらく寝起きをする必要がありそうだ。
何羽もの鷹が、勇壮に羽ばたいて空を往く。
彼らを率いる格好で空を飛んでいるのは、翼を広げたダウナーレイスの少女……綾鷹郁だ。
見上げながら、鍵屋智子は息を呑んだ。
「これは……一体……」
何を思ったのか郁が再び、例の機械を弄って電撃を受け、臨死状態に陥った。
智子は現在、郁の深層意識と同調し、同じ幻覚を見ている最中である。馬鹿げた臨死体験から、郁を救い上げてやるために。
その認識を、智子は改めざるを得なかった。
これは、馬鹿げた死に際の幻覚などではない。2度の臨死体験を経た事で今、郁の中で何かが目覚めつつあるのだ。
新たなる力、とでも言うべきものが。
『お前の能力は、然るべき階梯に進んだ……』
厳かに、声が響く。智子に、出はなく郁に語りかける声。
郁の父親の声だ、と智子は根拠もなく理解した。
父の激励を受けて、郁は誇らしげに翼をはためかせ、猛禽の群れを率いている。
「父親……」
その存在が、藤田あやこと綾鷹郁に、何かをもたらそうとしている。智子はそう確信した。
もたらされた何かが、久遠の都にとって吉となるか凶となるかは、まだわからない。
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