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sinfonia.30 ■ 許容の崩壊
「ったく、たまったモンじゃねぇな」
「油断するなんてだらしない」
勇太を闇の中へと追いやった能力者の少女と、その相棒である風使い。
そんな二人の耳に、駆け寄る足音。
踊り出た弦也が銃口を男へと向ける。
「……勇太を何処にやった……!」
「あァ……?」
「もはや出て来れない、永劫に」
「何だと……ッ!?」
「あの子供は捕まえた、永久に」
――能力者。
その言葉と二人の性質から考えても能力者である可能性に行き当たった弦也が歯を食い縛りながら銃口を少女へと向ける。
「勇太を解放してもらおう」
「それは出来ない相談ッスわ、おっさん」
「――ッ!」
男が手を振り上げると、突風が弦也へと襲いかかる。
砂塵を巻き上げた風が弦也の視界を奪い、思わず弦也が銃を右手に持ったまま腕で眼前を覆った。
「ヒャッハハハッ! ガラ空きッスわ!」
笑い声をあげながら男が肉薄し、身体を捻ってしゃがみ込み、そのバネのままに弦也の眼前で飛び上がると銃を蹴り上げようと試みる。
――しかし弦也とて素人ではない。
すぐにその場で横に跳び、片目を開けて銃口を再び男へと向ける。
(クソ……ッ!)
無手の相手に銃口を向け、引鉄を弾く。
長いIO2の生活の中でそれを避けてきた弦也の生来の性格故か、引鉄に指をかけるも、それを弾くには至らなかった。
僅かな逡巡が男の追撃を許し、弦也へと人差し指と親指を立てて銃を作り上げると、口角を吊り上げた。
「バーン」
「……ッ!」
圧縮された空気の弾丸が、横に飛んだ弦也の頬を掠め、赤い飛沫を噴き上げた。
直感、とでも言うべきだろう。
予想だにしていなかった一撃をかろうじて回避する事に成功した弦也を見て、男はさらに甲高い嗤い声をあげた。
「ヒャハッ! マジかよ、マジかよ! 避けやがったぜ、あのおっさん!」
「クソ……ッ!」
「いつまでも遊んでたら、終わらない、永久に」
横合いから聞こえてきた声に弦也が慌てて振り返った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆、
新宿はまさに戦場と化していた。
百合と凛、そして武彦の3人が現場に到着した時には既にIO2の劣勢は極めて濃厚であり、敗走寸前にまで追いやられていた。
エヴァを含めた能力者5名と黒い怨霊の塊である魑魅魍魎。
あまりにも強大過ぎる戦力だ。
凛は冷静にこの状況を、式神として観察させた人型の紙から観察し、歯噛みする。
その上で、劣勢は容易に覆せるものではないと判断した。
戦況を遠巻きに見つめていた凛が偵察を終え、百合と武彦へと向き直る。
「草間さん、少なくともこちらももう一人、能力者に対抗出来るだけの戦力が必要です」
「分かってる。が、勇太以外にはあいにくアテがねぇからな。援助の要請は済んじゃいるが、今は俺達で持ち込むしかないだろ。
エヴァの相手は百合に任せる。俺達であと4人、なんとか時間を稼ぐぞ」
「……ッ、はい……!」
「先手でエヴァを引き離すわ。何か派手な攻撃で敵の意識を逸らして」
「そういう事なら私に任せて下さい」
「凛、が? 何か策はあるの?」
百合の言葉に力強く頷いて凛が応える。
並みの能力者が相手ならまだしも、虚無の境界も出し惜しみなくぶつかって来ている現状で、武彦と凛の二人で4人を抑えるというのはなかなかに骨が折れる。
それでも時間を稼ぐと言うのであれば、凛とてその心算に乗らざるを得ないだろう。
勇太と別れてからIO2へと入り、腕を磨いて来たのだ。
ここで易易と打ち破られてしまうつもりなど毛頭ない。
凛は巫女装束の胸元から人型の小さな紙を空に放つと、目の前に人差し指と中指を交えて印を作り上げる。
陰陽道で知られている式神だが、もとは神道に由来する式神の使役。
由緒ある護凰の巫女として、エストのしたためた神道の術指南書を手にIO2へとやって来た。
――それを今この場で、一切の出し惜しみもする気はない。
[――護凰の御名の下に命ずる。始原の使い、言霊の色は“紅”――]
ふわり、と中空に浮かび上がった人型が、さながら火の球の様に煌々と燃え上がる。
[――我が名、“凰”の意を体現し、立ちはだかる全ての邪を討ち祓い給え!]
数十もの浮かび上がった人型が炎の球体から小さな火の鳥へと変化し、炎の尾を引いて滑空する。
突如飛来した炎は黒い塊の魑魅魍魎を薙ぎ払い、渦巻いた炎が灰塵を舞い上げた。
唐突な凛の神術に散会した虚無の境界の能力者達。
その横で状況を見つめていた武彦と百合も、予想だにしていなかった凛の攻撃に僅かに唖然とする。
「今ですッ!」
「やるじゃない……!」
一声。笑みと共に告げた百合が動き出す――――。
金色の髪をなびかせながら強襲した相手を見つけ出そうと視線を泳がせたエヴァの目の前に、百合が姿を現した。
「――ッ!」
「アンタはこっちよ」
空間接続。
百合の能力によって強制的に移動を余儀なくされたエヴァと百合が、戦線から外れた。
さらに武彦がコートの下に下げていたホルスターから二丁の拳銃を取り出し、凛の初撃に会わせて散った能力者4名に一斉に射撃を開始する。
忌々しげに銃弾を避ける能力者達の間に割って入った凛と武彦が、互いの背を合わせて声をかけあう。
「一人で二人相手だ。牽制を優先して時間を稼げよ」
「はいっ!」
戦況が一気に動き出した。
◆
「ユリ……。この前はよくもやってくれたわね」
「悪いけど、アンタ達の思った通りになんてやらせないわよ、エヴァ」
対峙するエヴァと百合の二人。
虚無の境界に百合が所属していた頃から因縁めいたものを抱いていた二人が、ついに正面からぶつかる。
先日の衝突。
あの衝突は、エヴァの中での百合の評価を上方修正させるに至った。
大振りな武器である大鎌ではなく、短刀を二本構える形で具現化したエヴァが、百合の僅かな動きも見逃すまいと眼光を鋭く光らせる。
(……空間接続による遠距離戦。至近距離へと肉薄しても、死角から攻撃するだけの冷静な判断力を持っている、と考えるべきかしら。
だとしたら、隙を作るまでは無理に攻めてもうまくないわね)
近距離戦闘に長けたエヴァとは相性が悪いと言える相手だが、エヴァの運動能力などは常人のそれとは比にならない。
死角を通した攻撃であっても、予測さえついていれば対応は出来ると踏んでいた。
対する百合も、エヴァのその実力を低く見積もってなどいない。
僅かにでも隙が生まれれば、それだけで詰まれる可能性すらある相手だ。
(……まずは小手調べ、といきましょうか)
ブーツにミニのプリーツスカート。黒いハイソックスの上に仕込まれた特殊なホルスターから直接鉄釘を抜き取り、左右の手から3本ずつ、一斉にエヴァに向かって投げる。
対するエヴァも、避けようとはせずにそれに向かって飛んだ。
「な……ッ!」
「接続されるなら、こちらから向かって行けば良いだけの事よ」
まさか真っ直ぐ突き進んで来るとは思っていなかった百合だが、驚くのもつかの間、即座に自分の身体を空間接続し、エヴァの後方へと移動を開始する。
上着に羽織っていたジャケットのホルスターから二丁の拳銃を取り出すと、左右に向かって引鉄を弾いた。
空間を接続されて狙われるだろう事を考慮したエヴァが、今度は怨霊を球状に広げ、自身の身体を守るべく結界を張って銃弾を弾いてみせた。
初手からの互いの攻防に、緊張が走る。
「やるじゃない、エヴァ」
「いつまでも余裕でいられると思わない事ね、ユリ」
睨み合う二人の視線が交錯する。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……さて、と。どうしたもんかな……」
暗闇の中に囚われていた勇太が独りごちる。
能力によって囚われたのか、或いは別の世界に切り離されているのか。
見当はつかないが、この状況はあまりよろしくない。
勇太は集中する意味合いも含めて、改めて暗闇の中で瞼を下ろし、深く深呼吸する。
(……何も感じられない。けど、やっぱりここは何かの中、みたいだ)
周囲に意識を巡らせながら、勇太は普段の能力を使役する要領で周囲に力を張り巡らせる。
(もっと、蜘蛛の巣みたいに。全てを埋め尽くすぐらいの気持ちで……)
――勇太の能力が、僅かにその方向性を変えていく。
これまで勇太の能力は、何かを操る――言うなれば念動力をベースに作り上げられてきた物と言えるだろう。
言うなれば、風を押してみたり物体を操ってみたり、だ。
念の槍などはそれらを実体化する方向に至ったが、もちろんそれらはほんの断片に過ぎないと言えるだろう。
限界を知らず、限界にぶつからない故か。
勇太のイメージに呼応する様に能力が膨れ上がり、まるで鋼線を張り巡らせるかの様に周囲に力が広がっていく。
(……これが、限界?)
何かにぶつかった様な感覚が、勇太の脳裏にイメージとなって伝わってくる。
――自分の能力の限界ではない。
それは、相手の――自分を囚えた能力の限界だろう。
確信はないが、直感が告げる。
「……ッ! 中からぶっ壊してやるッ!」
咆哮にも似た声と共に、勇太の叫び声が真っ暗な闇の中に広がった。
同時に、能力が外へ外へとその鋼線を押し出すかの様に膨張し、広がっていく――。
to be countinued...
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