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<東京怪談ノベル(シングル)>


ドラクリヤ(後編)


 行方不明だった幼い少女が、惨たらしい死体となって発見された。
 ハスロ家の納屋で、である。
 世帯主であるハスロ博士は、警官たちに連れて行かれた。大丈夫、疑いはすぐに晴れるよ。そう微笑みながら。
 一夜明けても、博士は帰って来なかった。
 父親のいない朝食の席で、ヴィルヘルム・ハスロは青ざめていた。
 ソーセージをかじっても、ママリガを食べても、スープを啜っても、味がしなかった。
 父が犯人ではないのは、明らかである。
(僕……かも知れないから……)
 ヴィルは震えていた。口の中で、上下の歯がカチカチとぶつかり合っている。
 牙の如く尖った犬歯の鋭さが、嫌でも感じられてしまう。
「おにいちゃん……どうしたの?」
 弟が、心配そうな声をかけてくる。
 ヴィルは答えなかった。答えられなかった。弟とまともな会話など、出来るわけがない。
 あんな事があった後でも、この弟は、普通に兄弟として接してくれる。
 それがヴィルは、たまらなく辛かった。
 化け物、けだもの、などと罵られたら、それは辛いに違いない。が、何もなかったかの如く優しくされるよりはましだ。
 何もなかった事になど、もはや出来ないのだから。何かがヴィルの身に起こっているのは、間違いないのだから。
「……つまんない事心配してないで、さっさと朝ご飯食べちゃいなさい」
 母が、ようやく口を開いた。
「大丈夫、ヴィルは何にもやっちゃいないわ。あんたが熱出して倒れてる間、お母さんずっと看てたんだから」
 ヴィルは思わず目を見開き、母を見つめた。
「お母さん……」
「牙でも、生えて来た? そろそろなんじゃないかって、お父さん言ってたけど」
 にっこりと、母が微笑んだ。ヴィルは呆然とするしかなかった。
「知ってたの……」
「あたしがね、何にも知らずにお父さんと結婚したとでも思ってる?」
 父も、苦しんだのだ。突然、ヴィルはそれを理解した。
 今のヴィルと同じ苦しみを、父も抱えていたのだ。
 そんな父を、母は全て受け入れた。そして自分たち兄弟を生んでくれた。
(そうだよ……僕1人だけが、苦しんでるわけじゃないんだ)
 父は今も、謂れのない罪を着せられて苦しんでいる。
 弟も、無事に6歳7歳の誕生日を迎えられるかどうかわからぬ身である。
 それらに比べたら、牙が生えて記憶が曖昧になるくらいは、どうという事もないではないか。
「……学校、どうするの? ヴィル」
 母が訊いてきた。
「しばらく休むんなら、それでもいいよ」
「行く。ただでさえ勉強、遅れちゃってるからね」
 冷めかけた朝食を、ヴィルは一気にかき込んだ。
 少しだけ、味を感じる事が出来た。


「こぉの吸血鬼野郎があ!」
 罵声と共に、衝撃と激痛が背中に食い込んで来る。
 棒で殴られて痛みを感じる。自分は人間なのだ、とハスロ博士は思った。
「いい加減に吐きやがれ! てめえがやったんだろうがあ!?」
「よそモンがよぉ、いつか何かやらかすんじゃねえかって思ってたぜ」
 手錠で拘束されたハスロ博士の身体に、何人もの警官たちが棒を叩き付けている。
 違う、私は何もしていない。そう声を出そうとする口元に、警官の1人が蹴りを入れてきた。
「吸血鬼ってのぁ人間に化けるんだってなあ。人間の言葉も喋って、だけど皮ぁ剥がすと狼だかコウモリだかよくわかんねえバケモンなんだってなあ」
 ニヤニヤと笑いながら、その警官が大型のナイフをぎらりと閃かせた。
「ちょいと剥がしてみようか、なあ……」
 その刃が、ハスロ博士に近付けられる。
 銃声が轟いた。ナイフを持った警官が、倒れて動かなくなった。
「大丈夫か、ハスロ博士!」
 黒いスーツを着た男が数名、留置場に踏み入って来たところである。
 元々、ハスロ博士の同志であった男たち。容赦なく拳銃をぶっ放し、警官全員を射殺してゆく。
「き……君たちは……」
「前大統領と近かった人間が今、このように次々と無実の罪を着せられ、投獄されている」
 元同志の1人が、駆け寄って来て言った。
「これが、現政権のやり方さ。今の大統領の下では、国民はこんなふうにしかならない。寄ってたかって他者を排斥するような社会にしか、ならないんだ。民主主義なんて、そんなものさ」
「共産主義を、復活させよう。この国の旗に、緑の森と黄色の太陽そして赤い星を再び描く……そのためには貴方の力が必要なんだ、ハスロ博士」
 同志であった男たちの言葉を、ハスロ博士はすでに聞いてなどいなかった。
「そうか……そういう、事か……」
 ずっと否定し続けていたもの、これまで封じていられたものが、ハスロ博士の中で甦りつつある。
 手錠が、ちぎれた。叫び声が、迸っていた。
「何もかも、全て……お前たちの仕業かああああああああああッッ!」


 思った通りの事が起こった。
 級友たちが、石や紙屑や生ゴミをヴィルに投げつけてきた。化け物、吸血鬼野郎、などと罵声を張り上げながら。児童だけでなく、教師もそれに加わった。
 全て、思っていた通りの出来事である。全て受け入れるつもりで、ヴィルは登校したのだ。
 1つだけ想定外だったのは、同じクラスの女の子が1人、ヴィルを庇ってくれた事である。
「何で! 何で学校へ来たの!?」
 雑貨屋の娘。ヴィルの手を握り引いて、走っている。
 学校から少し離れた、雑木林の中。引かれて走るまま、こんな所まで来てしまった。
「今日なんて学校来たら、あんな事になるってわかんなかった!?」
 妹が、惨い事になったばかりである。なのにヴィルを、こんなにも気遣ってくれる。
 自分はこの少女の傍にいてはならない、とヴィルは思った。
「僕は……こんなだよ」
 口を開き、牙そのものの犬歯を見せつけてみる。
 少女は、少しだけ驚いたようだ。
「みんなの言う通り、吸血鬼の化け物……かも知れないんだよ。君の……妹さんだって、僕が」
「ヴィルが……あんな事、するわけないよ。もちろんハスロ博士も」
 言いながら少女が、まっすぐにヴィルを見つめる。
 目を逸らせるしかなかった。
 逸らせた目を、ヴィルは大きく見開いた。
 煙が見える。自分の家の、方角だった。
 母と弟が待っている、はずの家から、黒い煙が立ちのぼっているのだ。
 火の臭いがここまで漂って来そうなほどの、黒さだった。


 ヴィルは立ち止まり、立ちすくんだ。
 家が、燃えている。
 大勢の村人が、燃え盛る松明や武器代わりの農具を、荒々しく振りかざしている。猟銃を持っている者もいた。
 その集団の中から、壊れた人形のようなものが2つ、串刺しにされた状態で高々と掲げられている。
 母と、弟だった。
 ヴィルに追い付いて来た少女が、崩れるように座り込み、悲鳴を漏らす。
「何……何なの、これ……ひどい……」
 ヴィルは、声を発する事も出来ずにいた。
 暴徒と化した村人たちの先頭で、少女の父親が叫んでいる。
「お前ら、俺の娘をあんな目に遭わせて! 自分らが家族で幸せになろうなんて許せるワケねーだろぉおおおおおおッッ!」
 他の村人らが、凶暴に唱和した。
 皆、憎しみに猛り狂っている。
 それ以上の憎悪が今、ヴィルの中で燃え上がっていた。
 誰かが囁いた、ような気がした。
 串刺しにせよ。そして血を啜れ。
「……血……を……」
 声を震わせるヴィルの口内で、舌が獰猛にうねり、犬歯を舐めた。
 牙が、いくらか長さと鋭さを増している。
 少年の小さな身体の中で、何かが暴れている。おぞましく、だが奇妙に懐かしい何かが。
 再び、誰かが囁いた。
「ヴィル……その声に、耳を傾けるな」
 父だった。
 全身、返り血に染まり、ちぎれた手錠を両手からぶら下げている。そんな姿でヴィルの背後に立ち、息子の肩に片手を置いている。
「お父……さん……」
「串刺し公よ、貴方の血は全て私が引き受ける」
 呻きながら、ハスロ博士は牙を剥いていた。
 村人たちを睨む両眼が、血と炎の色を帯びた。
「ヴィルには、1滴も残さぬ……!」


 娘を失った雑貨屋も、弟の5歳の誕生日を祝ってくれた老婦人も。村長と、その息子も。
 集まっていた村人全員が、物言わぬ肉の残骸と成り果てていた。もはや死体と呼ぶのも躊躇われる有り様である。
 そんな光景の真っただ中に、父は立っていた。
 串刺しの屍たちに囲まれて佇む、あの暴君のように。
「良く見ておけよ、ヴィル……憎しみに身を任せると、こうなる……」
 ゆらりと息子の方を振り返りながら、ハスロ博士は言った。
 あの暴君と同じ声だ、とヴィルは思った。
「良い人を見つけて、結婚しろ……私はお前に、そう言ったな。だが、そんな事をしたら……お前も、私と同じになってしまうかも知れん。ヴィルよ、お前は誰とも交わらず孤独に生きてゆくべき、なのかも知れん」
 言葉と共にハスロ博士が、自身の左胸にズブリと右手を埋め込んだ。
「私は、わからない……私は父でありながら、お前に何も道を示してやれなかった……ただ、この光景だけは……心に、刻み込んでおけ」
 父が、己の心臓を握り潰す様を、ヴィルは呆然と見つめるしかなかった。
「愛する者を、失った時……お前は……同じ光景を、作り出すだろう……」
 右手を左胸に突き刺したまま、父は息絶えた。
 妹に続いて父親をも失った少女が、座り込んだまま青ざめ、震えている。
 おぞましい絶叫が、響き渡った。
 それが自分の口から発せられている事に、ヴィルは気付かなかった。
 慟哭、にしては涙が出ない。
 渇ききった瞳が、天空を睨みながら、血と炎の色を爛々と燃やしていた。