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聞こえぬ旋律
1.
「センセー知ってる?」
音楽の授業が終わると、1人の女生徒が話しかけてきた。
「なぁに?」
神聖都学園の音楽教師・響(ひびき)カスミはにこやかに聞き返す。
「あのね、ネットで回ってきたんだけど、駅の方のちょっと入ったところにすごくセンスのいいプライベートブランドのお店があるんだって! センセーなら知ってるかなぁって思ったんだけど…」
「プライベートブランド? どんなものを扱ってるの?」
「洋服とかぁ小物って聞いた。とにかく行った人みんな褒めてるの! 噂では出入り規制してて知り合いの招待じゃないと入れないって話なんだ〜…」
女生徒はガックリと肩を落とした。どうやらカスミに招待を頼みたかったようだ。
「ごめんね。力になれなくて」
カスミがそう言うと女生徒は慌てて笑顔になった。
「う、ううん。他の人にも聞いてみるから」
女生徒は足早に音楽室を出て行った。
…そんな噂があるのね。
少しだけ行ってみたい気がした。誰もが褒めるプライベートブランド。
デザイナーの人が作ったお店なのかしら?
今日の学校の帰りにでも少し探してみよう。カスミは教材を揃えて音楽室を出た。
冬の夕暮はすぐに夜に変わる。
街灯の明かりを頼りに人通りの少ない路地裏に足を踏み入れると途端に人影が無くなった。
本当にこんなところに人気のお店があるのかしら?
カスミが不安になってきた頃、その路地裏にそぐわない素敵なお店を見つけた。
ブティックだ。寒さも相まって、カスミは思わずそこに入った。
「いらっしゃいませ」
にこやかな女店主がカスミを迎え入れてくれた。
明るい店内は綺麗にディスプレイされ、服や小物がセンス良く展示されている。
他の客は…いない。
「寒かったでしょう。さぁ、ゆっくり見ていってくださいね」
女主人は優しげにそう言うと、レジカウンターに腰を下ろした。
ここが噂の店なのだろうか? 確信は得られないが、なんだかここのような気がした。
「…素敵」
カスミは店内を見回すと、ため息をついた。キラキラとまるで宝箱の中にいるような昂揚感に包まれる。
こんな服を着られたら…こんなアクセサリーをつけていられたら…!
「すべて私がデザインした一点ものの洋服やアクセサリーですよ」
そんなカスミの心を見透かすように、女主人は微笑む。
「どうぞ、試着なさってください。素敵なお嬢さん」
「えっ! あの…でも、私なんかじゃ似合わなさそうで…」
謙遜するカスミの見ていた服とアクセサリーを持ち、女主人は試着室へと誘う。
「いいえ、きっとあなたならよく似合います。私の目に狂いはありません。まるできっとあなたにしつらえたように似合うと思います」
シャッとカーテンを閉められて、カスミは嬉しさと恥ずかしさで少しポーッとしていた。
なんて褒め言葉だろう。女性に言われたのに、なんだか口説かれた気分になってしまう。
天にも昇るような気分で服を脱ぎ、試着をしようと店の服に手をかけた時…
カスミは真っ暗な闇の中に落ちていった…。
2.
床が…突然抜けた?
建物の床が突然抜けるなんてことあるんだろうか?
視界は真っ暗、ここはどこなのかわからない。
「? …痛くない?」
カスミはふんわりとした手触りから、クッションの上にいることに気が付いた。
建物の床が抜けて…怪我ひとつしていなくて…その下にはクッションがあって…。
なにがなんだかわけがわからない。
「大丈夫ですよ。怪我はありませんでしょう?」
暗闇の奥から声が聞こえた。先ほどまで聞いていた声。
なのに…なぜだろう?
本能が、逃げろと、言った。
「ひっ…いやああああぁぁぁぁ!!!!」
出せる限りの声を振り絞り、見えない足元にぐらつきながらも声とは反対の方向へ。
カスミの足元から冷たい何かが這い寄ってくるような気がした。
「大丈夫って言ったのに…怪我なんかさせないですよ」
声が滑るようにゆっくりと近づいてくる。
どうして!? 私、走っている筈なのに…!
「悪い子ですね。私から逃げようだなんて、無理な事なのに」
カスミの耳元でその声は聞こえた。
ゾクッと背筋を走る何か。足が…動かない。さっきから動いていない?
カスミの足はいつからか白い彫刻のように固まっていた。
それはカスミに触れた女店主の指先からも広がり、ついにはカスミの全てが白い人形のように固まった。
「あぁ、やっぱり思った通り…あなたはとても素敵です…」
頬をから首筋、腰からお尻へのラインをゆっくりと指でなぞる。美しい肢体。理想の曲線。
「あなたは私の物。他の誰にも渡さないから安心して」
カスミの意識は深く暗い闇の底に落ちていく。
だ…れか…だ……れ………。
「私のカワイイお人形さん。一番いい場所に飾ってあげましょうね」
響カスミはその翌日から姿を消した。
学校にもマンションにも現れず、消息を知る者は誰もいなかった。
その代りに、とある店先のショーウィンドウにとても素敵なマネキンが置かれるようになった。
美しいデザインの服、アクセサリー。それを引き立てるとても素敵なマネキン。
なぜか閉店と同時にそのマネキンはショーウィンドウから店の中へと場所を移される。
「可愛い私のお人形さん。さぁ、今日はこの子たちを綺麗にしてあげてくださいね。大切な魔法の材料です。お客様に良い状態の物をお渡ししたいですからね」
10代後半と思われる少女や美しい女性ののマネキンを、人間に戻されたカスミはぼんやりとした意識の中で綺麗に彼女たちを磨く。
逃げるの…逃げなくちゃいけないの…。
ふと我に返る瞬間、カスミは店を逃げ出したこともある。
けれど、店を出た瞬間に足の先から何かが這い上ってくる感覚に襲われ、マネキンになってしまう。
「ふふっ…可愛い子…。私から逃げようだなんて…無理なことなのですよ」
優しく、冷たい言葉が動けぬカスミに絶望を刻み付ける。
逃げることは叶わぬ夢なの? 私は…もうここから出られないの?
「あなたは喋らなくてもいいのです。動かなくてもいいのです。ここがあなたを最上に輝かせる舞台…そして私の魔法を最高に見せるためのお人形さん」
せめて、声が出せたなら…私のいた世界…学校…音楽室…。
陽だまりの中で歌った歌が、聞こえた気がした。
あの歌を…忘れないように…。
歌うの、私は。私がここにいることを…私はここに…い…る……。
3.
イアル・ミラールは歌声を聞いた気がした。
同居人の響カスミが失踪してから1ヶ月。ひたすらに街をさまよい探し続けていた。
そんな中で聞こえたその歌声は、微かで、どこから聞こえてくるのかよくわからない。
けれど、確かにそれがカスミの声だとイアルは確信した。
どこ…カスミ、どこにいるの?
その問いに答えはなくイアルはカスミの歌声だけを頼りに、再び街をさまよう。
さまよううちに、どこか入り組んだ路地裏に迷い込んだ。
カスミの声はまだ聞こえている。
「カスミ!」
呼んでみたが、返事はない。
「カスミ!」
もう一度呼ぶと…ふと、何か奇妙な気配を感じた。
そこにはモヤがかかったような場所があった。
これは…魔術? なぜこんなところに…?
直感。それはカスミとの絆が知らせたのかもしれない。
カスミはここにいる。
靄のようにかかる魔術を召喚した魔法銀製のロングソードで打ち破る。
そこにはブティックがあった。
どこにでもある、普通の店がなぜこんな魔術によって守られているのか…。
答えはすぐ目の前にあった。
「カスミ! カスミ!!!」
ショーウィンドウに飾られたマネキン姿のカスミ。
イアルが呼ぶ声も聞こえない。体も動かない。魔法にかけられている!
ロングソードを振りかざし、ショーウィンドウを叩き壊すとイアルはカスミを抱きしめた。
「カスミ…カスミ、どうしてこんな姿に…!」
「あらあら…お店を破壊するなんて…野蛮な娘ですね」
冷たく刺すような声がした。イアルは剣を構えた。
「結界を張っていたはずなのに、どうしてここにいるのです? 何者です? あなた…」
纏うオーラは人間の物ではない。
イアルの今までのなかで遭遇した人物でいうならば…魔女。
なんてこと! カスミは魔女に捕えられていたなんて…!!
「返してくださらない? その子は私の一番のお気に入りなの」
「あなたの物じゃないわ! カスミは…人間よ!」
イアルの言葉に、魔女は笑う。
「人間なんて…ふふっ、おかしいこと言うのね。私が気に入ってあげたのに、なぜそれを否定するの? あなただって…同じなのでしょう? 魔力で人間をそのままの姿で残しておいてあげたいという私の優しさだと思わない?」
イアルの耳に、カスミの歌が聞こえる。
響かぬ声で、それでも一生懸命に生きたいと願うカスミの歌声が、イアルに助けを求めている。
「…あなたにとって、人間はそんなものなのかもしれない。けど、カスミは生きているわ。わたしはカスミを助ける。カスミと共に生きるの!」
「…野蛮で愚かな娘…人間に何を求めているというのです」
魔女の指先が魔力の弾を生む。
イアルはそれを全て弾き返し、体の動くままにロングソードを深々と魔女の体に突きたてた…。
4.
「夢を…みて…いたみたい…」
マネキンから戻ったカスミはイアルの腕の中で微笑んだ。
「私、歌を歌っていたの。誰かが…助けてくれるんじゃないかって…イアル。ありがとう…私…あり…がとう…」
そうして、カスミは再び夢の中に落ちた。
その夢をもう二度とみることはないだろう。
「おやすみなさい…カスミ…」
イアルは、優しくカスミの髪の毛を撫でた。
「おっはよー! センセー!」
「おはよう」
爽やかな朝。学校に向かう道で生徒に声を掛けられる。
「センセー、具合もう大丈夫なの? 1ヶ月もいなかったから寂しかったよ〜」
「え? えぇ、大丈夫。ありがとう」
カスミはそう微笑む。
実感は全くなかったが、ここ1ヶ月カスミはどうやら意識不明だったようだ。
同居人のイアルが「帰ってきたカスミが突然倒れて寝込んでしまったの」と、目覚めたカスミに教えてくれた。
…疲れが溜まっていたのかしら?
「先生、おはようございます」
「おはよう」
いつも通りの朝、いつも通りの道、いつも通りの風景。
やけに懐かしい気分になって、思わず目を細める。
私は…この生活が好き。
ずっとここで頑張って生きていきたい…。
口ずさんだメロディが冬の朝に溶けて消えた。
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