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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


沈みゆくものとノスタルジー

「おい、艦長の顔見たかよ。ありゃかなりヤバイぜ……」
「報告書持っていっただけなのにすげー睨まれたぜ。こぇぇ……」
 USSウォースパイト号の艦内では、そんなクルーたちの会話が密やかなに交わされていた。
 今日の旗艦は何かと騒がしい。なぜなら艦長の出身国の節目の日であるからだ。
 妖精王国では、夫の前で怪物と格闘しその勇気を示す「飛躍の証」と儀式がある。それが今日というわけなのだが、麗しき艦長あやこは花の独身だ。
 そんな彼女が朝からピリピリとしていて、それがクルーたちにも伝わってしまっているのである。
「どうするよ。怪物の準備は出来てるんだろ?」
「……そういえば鬼鮫さんがこっちに来てたな。彼になんとか頼めないかな」
「あの鬼鮫に何を頼むって?」
「艦長の夫代理」
 クルーたちの苦肉の策は、互いの頬を引きつらせる。
 だが今は他の名案も浮かびもしない。
「艦長の問題もあるが、今日って確か藤号の艦長が勇退する日だろ。そっちもそっちで問題抱えてるんだよ。鬼鮫さんは確かそれの件で来てるはずなんだけどな」
「どうして同じ日に被るかねぇ」
 はあぁ、と重いため息が各所から溢れる。
 それでも彼らは動かなくてはならない。この艦のクルーなのだから。
 そう思い込むようにして、それぞれに彼らは自分の持ち場に戻るべく足を向けた。

「音信不通で死んだと思った!」
 郁の目尻はつり上がっていた。尖った投げつけた言葉の先には、ひとりの男が立っている。
 彼女にはこの男を許せない理由があった。彼は郁の実の父親であり、自分と母を捨てた存在であったからだ。
「まぁ、話だけでも聞け」
 眉根の皺がどんどん深くなっていく郁に対して割って入ってきたのは、ここに招かれた鬼鮫であった。
 男とは旧知の仲らしい。
 郁の父という位置にいる男は、藤号の艦長であった。引退を決意し後任を旗艦副長である郁に、という話であったのだが郁の言葉にあったように長年互いに連絡を取り合っていたわけでもなく、深い溝が存在する状態であった。
「あたしとお母さんとアッサリと捨てて出て行ったくせに、今更……」
「捨てたつもりはない」
「よく言うわ! 一切連絡も入れずに、その間あたしがどれだけ寂しい思いをしたか知らないくせに!」
 藤号の艦長と言う立場。
 男は家庭より仕事を、任務を選び取った。様々な経緯などがあるようだが、郁は納得できないようだ。
 今更、という言葉の響きが男の胸に突き刺さった。
 鬼鮫がチラリと視線を動かし彼の表情を伺うが、決してい良いものとは言い難かった。
「少し時間を置こう」
 そう鬼鮫が切り出せば、郁が返事を告げずにくるりと踵を返してその場を後にする。
 その背中を呼び止めるだけの言葉を男は知らずに、わずかに唇が動いただけに終わった。
「……そう急くものでもないだろう。お前も少し落ち着いてこい」
 肩に手を置きそう言う鬼鮫に、男は「すまない」とだけ言い残して一度その場から姿を消した。
 残された鬼鮫は軽い溜息とともに郁が消えた方向へと歩みを進める。
 郁は艦橋にいて、その高さから窓の外の景色をボンヤリと眺めていた。
「艦長になるのは不安か?」
 声のトーンを抑え気味に、鬼鮫が問いかける。
 すると郁は肩ごしにゆっくりと振り向いたあと、ゆるく首を振った。
「不安とか……そういうのじゃなくて……」
「お前はずっと旗艦副長の肩書きのままでいるつもりなのか? それはそれで構わんかもしれないが、藤号を継げば女王様だぞ。ウォースパイトに比べれば藤は劣るかもしれんが、立ち位置は随分と変わるはずだ」
「アイツが艦長で無ければ、答えはもっとシンプルだったかもしれないわね。あたしだって、艦長っていうポストが魅力あるものだってわかってるし、実際迷ってるし……だけど、それ以前の問題よ」
 鬼鮫の分かりやすい説得に、郁は眉根を寄せつつそう答えた。
 藤号艦長が父親でなければ、或いは――。
「……ちょっとこっちの艦長と話してくる」
「藤田は今ご機嫌斜めだぞ」
「あたしも絶賛斜めよ」
 郁は自嘲気味に笑みを作ってそう言い、艦橋を降りていった。
 振り回される形となった鬼鮫は、やれやれと肩をすくめる。
「鬼鮫さん!」
 郁の後を追うようにして艦橋を降り始めた彼に、今度は別の声が掛かった。
 自分の職業上、堅気の人間との接触はなるべく避けたいと思っているのだがここに招かれた以上はどうしようもないのかもしれないと思いながら、彼は声の主へと視線をやる。
 そこには困り顔のクルーの姿があった。
「……今度は何だ」
「すいません、ちょっとご協力して頂きたいのですが」
「綾鷹の件なら、俺はもう手に負えんぞ」
「いえ、それが……あやこさんのほうなんです」
 クルー二人が鬼鮫の目の前で手を合わせて拝むような姿勢をとる。
 それを見た鬼鮫は、避けられないと察したのかほとほと困り果てた表情を作り上げ、またため息をこぼした。

 ところ変わって、とあるバーのカウンターに郁の父親は座っていた。
「久しぶりに顔を見せたと思ったら、なんだからしくないじゃない。艦長を勇退して晴がましいんじゃないの?」
「……娘にキレられた」
「あらあら」
 カウンターの向こうにいるママは、男の言葉を受けてそんなことを言う。妖艶な女性だった。
 ――かつての愛人であった男に、彼女はどんなアドバイスを仕掛けるのだろうか。
「私は何も家庭を任務に捧げたのではない。私なりに家族を守って戦ってきたつもりだ。娘も旗艦副長を務める身だ、解ってくれるはずだ」
「だったら、その通りを伝えてあげたらいいじゃない。アナタはいつも言葉足らずなのよ。不器用なところは昔から変わらないのね」
 ママは微笑みながらそう言った。
 俯きがちだった男はそこでゆっくりと顔を上げて、彼女を見る。
 ママはいつもと変わらず自信に満ちた態度だった。だからこそ、かつては惹かれたのだ。
 そんなことを思いながら、男は苦笑して静かに頷いたのだった。

「なぜ天涯孤独の私にそれを相談する? 場合によっては侮辱に当たるぞ、綾鷹」
 艦長室であやこはそう言い、目の前の郁を邪険にあしらった。
 彼女は今それどころではないのだ。飛躍の証をどう切り抜けるか、それだけで頭がいっぱいだ。
 今は悩める副長の姿が逆に羨ましくも思える。
「……今更、どう接したらいいのか、わからないんです」
「親子の問題に私を巻き込まないで。今それどころじゃないのよ」
 あやこは苛々しているようであった。郁を右手一つでひらひら、と遠ざけながら大きな溜息を吐く。
 郁にもそれは解っているし理由も知っているのだが、自分も困り果てているのだ。上司であれば、と思ったがそのあてはどうやら外れてしまったようだ。
 諦めてドアノブを握ろうとしたとき、その向こうから気配を感じて郁は一歩を咄嗟に引いた。
 直後、バン、と扉は開かれる。
「艦長! 準備が整いました!」
 飛び込んできたのは先ほどのクルーの一人だ。
 あやこはその言葉を受けて、ゆっくりと立ち上がり部屋を出ようとしていた。
 郁の目線は下に向いたままだ。
「――綾鷹、現実から逃げるな。理由はどうであれせっかくの親子の対面なんだから、好機を逃しちゃダメよ」
 あやこはすれ違いざまにそう言い残して艦長室を後にした。
 彼女の言葉を胸に刻んだ郁は、自然と緩む目元に力を入れて全力で首を振り、再びドアノブに手をかける。
 対峙すればまた話がこじれてしまうかもしれない。あの男は口数が少ない上に不器用だ。そして自分は、そんな男の実の娘だ。
 不器用は不器用なりに動くしかない。
「こうなったら、我が家伝統の武芸『喫茶拳』で白黒つけましょ!」
 喫茶拳とは、狭い店内を動き回り匙やフォークを投げ合い、テーブルやソーサーを盾にする戦いである。互いの命中率で勝敗が決まるというものだ。綾鷹家に脈々と受け継がれてきた伝統的な武芸の一つである。
 郁が投げかけた言葉の先には男の姿があり、彼も同様にこくりと頷いて既に片手に収めていた匙を構えてみせた。
「私は今でも、間違ったとは思ってはいない。お前のために任務を選んだ」
「過ぎたことはいくらでも言い繕えるわ。その自己中具合を少しは反省しなさいよ!」
 カッ、とフォークが壁に突き刺さる音が大きく響いた。郁が放ったものだった。
 そしてここに、綾鷹親子の熾烈なる戦いが始まった。

 また所変わり、ここは旗艦内にある闘技場。
 場内にはクルーが手配した魔物が大きな雄叫びを放ち、ビリビリとそれが響き渡る。
「妖精人の女は肉体的苦痛を克服して夫に勇気を示すのさ」
 私には、その『夫』がいないのだがな。
 と心で呟きながら、あやこは魔物と対峙した。
 郁に現実から逃げるなと言った手前、自分もこの状況下からは逃げるわけにも行かず、彼女は拳に力を込める。
「あやこ!」
 熱気に沸く場内から、あやこを呼ぶ声が聞こえた。
 それに目をやれば、鬼鮫が立っている。そういえば呼んでいたなと思いながら見やれば、彼は次にこう言葉を繋げた。
「どんな立場にあろうとも、俺たちは家族だ! それを誇りにあいつと戦え!」
「……っ」
 鬼鮫の言葉に、あやこは胸を打たれた。素直に感動して涙腺を緩ませたのは、それほど彼女は切羽詰っていた状態だったのかもしれない。
「……見せてやろうじゃないの。私は貴様の血反吐を軍神に捧げよう!」
 そっと涙を拭いてから、彼女は魔物に向かってそう言った。
 わぁ、と沸き立つ歓声。始まる戦い。血だるまになってなおも楽しそうに闘う艦長の姿に、クルーたちは作戦の成功を感じ取っていた。
「やれやれだぜ、まったく」
 そう零したのは、夫役を演じる羽目になった鬼鮫であった。

「キエエエエ!!!!」
 奇声が室内を蹂躙する。
 その間にも飛び交うのはフォークや匙であった。そんな金属を跳ね返す音と、たまに突き刺さる音。それから水分が勢いよく飛び跳ねる音が混ざり合う。
「アンタなんか死ねばいい!」
 郁はそう言いながら手元にあった匙を連射する。だが彼女は既に紅茶まみれで、戦況も父のほうが優勢であった。
 それでも。
「アタシの目は節穴じゃないわ! イカサマしたでしょ?」
「お前は既に私を制するだけの力があるからな。……それでも、鍛錬を続けて欲しいと思ったから裏技を使った」
「……アンタのそこが嫌いなのっ!」
「郁ちゃんは良くわかってるじゃないの。やっぱり血なのかしらね」
 フォークが飛び交う中、そう言いながら現れたのは男がバーまで呼び寄せておいた前妻の姿だった。
 郁はその登場に驚き振り上げた腕を止める。
「彼は玉砕から生還した男よ。つまり粘り強いの。娘を見捨てた訳じゃない。郁ちゃんも、本当はそれを知ってるんでしょう? だから彼をそんなに嫌うのね」
 秘められた親子愛。
 男が郁の目の前に現れてからじわじわと感じていたモノ。
 それは、父親としての愛情の視線。
 どうしても避けられない戦いがあった。艦隊を預かる以上、捨て置けなかった。そしてそれは、家族を守るための戦いでもあった。
 ――そんなこと。
「わかってた……わかってたけど、空白の時間が長すぎて、……どうしても受け入れたくなかったのよ!」
 郁の視界が歪んだ。
 自分も副長と言う立場にある。あの時、自分を置いて去っていた男の背中は寂しいと訴えていた。それを目の当たりにしていた郁であったが、成長とともに気づいた事柄でもあった。
 だから、憎むことで父親とのの記憶をつなぎ止めていたのかもしれない。
「郁」
 男が郁に歩み寄る。
 郁がそれに拒絶を示すこともなく、彼は娘をようやく自分の腕の中へと招き入れることができた。
「私はもうすぐ藤号を去る。だから、お前に今どうしても伝えておきたいことがある。――愛しているよ、郁」
 郁の表情が崩れた。
 溢れて止まらない涙は、大粒の雫となって床へと落ちていく。
 そして彼女は男の背中に腕を回し、精一杯抱きついた。言葉を作ることができずに、それが彼に対する答えになった。
 男にはそれがきちんと伝わり、彼は目尻にうっすらと光るものを滲ませて満足そうに笑うのだった。

「――家族はいいものね」

 琥珀色に染まる夕の色。
 一心にその色を受けて去っていく藤号を、郁は継ぐ意思を示さなかった。
 自分の隣で藤号を見送る郁に、満身創痍のあやこがそうこぼす。彼女は彼女の戦いを終えて、この場に立つ。
 郁も郁で、自分の意志で旗艦副長と言う立場をまだ守っていくようだ。
 慌ただしく過ぎ去った一日であったが、郁もあやこも晴れ晴れとした表情を夕日に向けて微笑んでいた。