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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


悪魔事件

 路地の奥まった場所にある、暗がりのプールバー。
 タバコの煙で店内が霞み、ビリヤードの音がカツンカツンと響く。
 そんな雰囲気たっぷりのバーにあるカウンターで、武彦はタバコを燻らせていた。
 薄い水割りをチビチビと飲んでいると、そこに近付いてくる男が一人。
 彼を見て、武彦は皮肉っぽく笑った。
「よぉ、久しぶりだな」
「あぁ、そうだな」
 男は武彦の隣に座り、バーテンダーに適当な酒を注文する。
 タバコに火をつけ、一服した後、静かに口を開いた。
「大変だったぜぇ、この件を調べるのはよぉ」
「そうだろうよ。頼んでから大分経ってるんだしな」
「その甲斐あって、良い情報が手に入ったぜ」
 タバコの灰を落としながら、男は懐から封筒を取り出した。
 中身は二人の人間が写った写真だった。
「これは……IO2の幹部と――」
「エージェントの一人だ。指令を口頭で言い渡していたらしい」
「幹部が直接……? これが何だって言うんだよ?」
「指令内容が重要なのさ。あいつら、最近話題の悪魔と一戦交えるらしい」
 悪魔――それには武彦も聞き覚えがあった。
 以前、巨大なバケモノ犬が公園で暴れていた事件と、その飼い主であった少年を助けた依頼。
 それに関わっていたのが、どこからともなく現れた悪魔だったのだ。
「草間も察しがついたようだな。アンタが直接やりあった、あの悪魔だよ」
「やりあったなんて言うなよ。別にケンカしたわけじゃねぇし、するつもりもねぇよ」
 あの悪魔は相当な力を持っていた。
 ケンカの腕っ節しか持ち合わせていない武彦では、あの悪魔とやりあっても勝つのはまず無理だろう。
 零を連れて行って、五分五分というところか。
 しかし、先ほど男が言った事を信用するなら、IO2はその悪魔と戦うつもりらしい。
「IO2もヤキが回ったのか? あんなヤツと正面から戦おうなんて馬鹿げてるぜ」
「俺ぁ悪魔の強さなんかわからねぇからよ、どの程度のもんか知らないが……そんなにヤベェのか?」
「あぁ、ヤバいね。俺だったら、尻尾を巻いて逃げ出す」
「……なるほどね。だが、IO2には退けねぇ理由があるのさ」
 武彦の持っていた封筒からもう一枚、紙切れが顔を出す。
 それは随分前の新聞の切り抜きだった。
 内容は『男性の変死体。自殺か』と言う見出しで、記事内容も見出し以上の情報はほとんどない。
「この事件は確か、未解決のままだよな?」
「そうだ。だが、これも悪魔に関わりがある」
「どういう事だよ?」
「その死んだ男ってのが、召喚者だそうだ。ついでにIO2のお抱えの魔術師だってな」
 それを聞いて、大体話が見えてきた。

 IO2はお抱えの魔術師を使って悪魔を呼び出した。
 しかし、何らかの事件か事故があり、悪魔の使役に失敗。悪魔は逃走。
 IO2は面子を保つためにこの事を秘匿、秘密裏に尻拭いをしようと躍起になっている。

 大体はこんな所だろう。
「その方法がガチンコの勝負だなんて、スマートじゃないねぇ」
「IO2にも意地があるんだろうさ。なめた事をしくさった悪魔に、穏便な手段でお帰りいただくのは性に合わないんだろうよ」
「あれだけの悪魔を倒せれば、そりゃ胸を張れるだろうけどな。……ありがとうよ、助かった」
 武彦は一万円札をカウンターに置き、席を立った。
 帰りがけに男が声をかけてくる。
「アンタにはあるのかい? 悪魔と真正面からやりあわずに済むスマートな方法ってのがさ?」
「呼び出す方法がありゃ、お帰りいただく方法もあろうよ。じゃあな」
 手を振りながら、バーを出た。

 寒風の吹く季節。
 武彦は襟を高くしながら、さて、と呟く。
「どうした物かな。俺も大概だが――」
 もう一度、男から預かった写真を見る。
 そこに写っていたのはIO2の幹部ともう一人、エージェントの少女。
「ユリも大変な事に巻き込まれてやがるな」

***********************************

 興信所へ向かう道すがら、ふと冥月のポケットに入った携帯電話が鳴る。
 ディスプレイを確認すると、見知った名前が。
「どうした、ユリ?」
『……冥月さんですか?』
「私の電話にかけたんだろう?」
『……それはそうですけど』
 電話をかけてきたのは間違いなくユリであった。
 冥月は通行人の邪魔にならない様に、道の隅に寄り、建物に寄りかかる。
「で、何の用なんだ? 雑談ならまた今度、直に会って話そう」
『……残念ながら雑談ではなく――いえ、ちょっと冥月さんの声が聞きたくなったので』
「そういうのは小僧に言ってやれ。私に言われても困るぞ」
『……三嶋さんは関係ありません。とにかく、ちょっとお話に付き合ってください』
 少しふくれたような声を出しながらも、どこか真面目な声音。
 どうやら単なる世間話ではなさそうだ。
『……私はこれから、IO2のお仕事をする事になったんです』
「それを手伝って欲しい、と?」
『……いいえ、そこまで甘えません。ですが、もしこの件が草間さんの興信所の耳に入ると、介入されるかもしれませんよね?』
「事と次第によるだろうな」
 冥月の知る草間武彦と言う人間は、事と次第によっては面倒くさい案件にも首を突っ込む。
 ユリの言う仕事がそれに当てはまるかどうかは、今のところわからない。……だが。
「ヤツが首を突っ込みそうな事案なのか?」
『……冥月さんの方がお詳しいかと』
「で、お前は私にそれを教えてどうするんだ?」
『……このお仕事はとても厄介で、とても危険です。私も無事でいられるかどうかはわかりません』
 ユリにしては弱気な物言いだが、どこか様子がおかしい。
 本意は別にあるのだろうか。
『……ですが我が身可愛さで興信所の方々を巻き込んでしまえば、今までの恩を仇で返す形になるでしょう』
「まだるっこしいな。何が言いたい?」
『……この件には絶対に、関わらないで下さい』
 それは文面だけを受け取れば、単なる拒否であった。
 だが、これまでの流れを汲むと、ユリの言いたい事が見えてくる。
「面倒くさい話術を覚えたな、お前も」
『……お陰さまで』
「まぁ、草間には伝えておこう。……因みに私がどうするかは勝手だな?」
『……冥月さんにも極力関わってもらいたくありませんね』
「私にはどちらかと言うと、可愛くおねだりしてもらった方が効果的だぞ?」
『……私も大人になったつもりです。人並みの恥くらい覚えますよ』
「ははっ、今更だな。……まぁ、了解した。善処するよ」
『……頼みます』
 そこで電話は切れた。
 今の話を要約すると、仕事や立場上大っぴらには言えないけど、すごく危険な任務を言い渡されたから助けて欲しい、と。
 冥月は携帯電話を弄びながら、どうしたものかと考える。
 善処する、とは言ったが、今のところ武彦に呼び出しを食らっている。
 彼から話される案件が面倒くさそうなら、二つを天秤にかけなければならない。
「……まぁ、ヤツの話を聞いてから判断するか」
 呟きつつ、冥月は興信所へと急ぐ。
 ……すると前方で見知った影が騒いでいるのを発見した。
 あれは、工藤勇太と小太郎だ。
「二人で楽しそうだな」
 声をかけると、二人ともこちらを振り返った。
 どうやらこれだけ近付いても気付かれていなかったらしい。
「往来で何をしてるか知らんが、大声を出すのは近所迷惑だ。場所を変えたらどうだ」
「冥月さん、でもコイツが」
「師匠! でも勇太が!」
「あー、うるさい。とにかく興信所に行くぞ。どうせ二人とも、そこが目的地だろう」
 少年二人を引き摺り、冥月は興信所へと向かった。

***********************************

「さて、じゃあ全員揃ったみたいだし、始めるか」
 草間興信所に集まった面々の顔を見ながら武彦が切り出す。
 今ここに居るのは所長の武彦と零、そして武彦によって呼び出された月代慎、黒・冥月、工藤勇太、それと小太郎。
「今回はちょこっと面倒な話だから、よぉっく聞いて欲しい」
 前置きを置きつつ、武彦は事件のあらましを簡単に説明する。
 悪魔が現れている事と、悪魔が行ってきた事、IO2が悪魔を追っている事とその理由、そして武彦もそれに首をつっこもうとしている事。
「なるほど、最近感じる嫌な影の正体はそれだったのか」
 武彦の話を聞いて冥月が得心したように頷いていた。
「で、草間さんの言うスマートな方法ってのはなんなのさ?」
「良い所に目をつけたな、勇太。それはこちら、慎から説明がある」
「はーい、じゃあ説明するね」
 突然の指名にも全く動じず、慎は小さな咳払いをしつつ、話を始める。
「召喚術って言うのは実は呼び出す術だけで構成されてるわけじゃなくて、送還術って言うもう一つの術とセットで一つの術とされてるんだ」
「そうかんじゅつ、ってのは何なんだよ?」
「送還術は召喚術で呼び出されたモノを、元の世界に戻すための術。それがないとこの世ならざる物がそのまま居座っちゃうからね」
 どちらか片方だけしか使えない者は召喚術師とは呼べない。半人前以下の術者である。
 だが、何らかの理由によって片方の術しか発動しない場合がある。今回の悪魔は送還術が行使されずにこちらに残ってしまったケースだ。
 武彦の言うスマートな方法と言うのは、この送還術のことである。
「じゃあ、手っ取り早くやってしまえばいいじゃないか。何を躊躇する事がある?」
 冥月の言葉に武彦は苦い顔をした。
「そうしたいのは山々なんだが、色々と問題があるらしいんだ」
「術の行使には色々と準備が必要なんだよ」
 術には全く知識のない武彦の代わりに、やはり慎が説明を次いだ。
「今回の悪魔みたいに力の強い被召喚者だと、送還術にも相応の儀式や魔力が必要となるんだ。それを集めるのにも結構時間がかかっちゃうと思うんだよね」
「……つまり、その間にIO2に先を越される心配がある、というわけだな」
「察しが早くて助かる」
 IO2は既に悪魔退治に向けて動き出している。
 こちらがまごまごしていたら完全に後手に回ってしまうだろう。
「でもよぉ、じっくり準備しないと危ないんだろ? 俺だったら、あんな悪魔とガチでやりあうのなんてゴメンだけどな」
 悪魔と実際対峙している勇太は、戦うなんてありえない、と手を振る。
 武彦もあの悪魔と真っ向から勝負するような愚策は取らないだろう。
 だが、時間はない。
「俺だってまともな準備もなしにヤツとやり合うなんてバカな真似はしたくない。だが、時間がないのもまた事実」
 そう言って武彦は一枚の写真を取り出す。
 写っていたのはIO2の幹部とエージェント、ユリの姿だった。
「正直な話、IO2のエージェントがどれだけやられようと気にはしないが……今回の事件にはユリも関わっている」
「ユリが!」
 食いついたのは小太郎だった。
「お、おい、草間さん! まさか、そのIO2の作戦にユリが……」
「十中八九、参加してるだろうな」
「草間の言葉を私から訂正しよう、間違いなく参加している」
 武彦に続いて、冥月も小太郎の不安を煽る。
「さっき、ユリ本人から電話があった。掻い摘んで言うと、その件に関わってるから、助力して欲しいって感じだったな」
「じゃ、じゃあすぐに助けないと! 危ないんだろ!?」
「落ち着け、小僧。……草間、IO2と共闘するという案はないのか?」
「それはそれで考えたけどな」
 IO2と武彦の目的は、どちらも悪魔の鎮圧。
 共同の目的ならば協力し合えるとは思ったのだが、武彦が打診した結果、答えは芳しくないモノだった。
「俺らがでしゃばって功績をあげちまったら、IO2も下請けに頼るばかりのお飾り御輿だって思われるだろうしな」
「そこは情報操作でどうにでもなるだろう。むしろ私たちが独力で解決してしまった方が、IO2にとっては不利益になると思うがな」
「先方は俺たちだけじゃどうしようもないと踏んでる。実際、条件が整わないと俺たちだって悪魔を無力化するのは無理だろうな」
 慎に頼んだ送還術だって、成功するか否かは五分五分だ。
 いくら慎に魔術の素質があったとしても、充分な準備もなく、強力な悪魔を封じ込めるのは無理がある。
 無理を通してしまえば、どこかに歪みが生じるだろう。
 それは武彦の望むところではない。
 IO2はそこまで見越して、興信所の独力ではこの件を解決できないと見ているのだ。
「しかし、やりようはある」
「……お前がそういうなら、手はあるんだろうな。だが、ならなおさらIO2と共闘した方が色々楽になると思うが?」
「向こうが強情にも、こっちの助け舟を使わないって言うんだからどうしようもねぇよ」
 IO2にとって今回の事件は身内の恥が発端である。
 これを多くの第三者に教えたくない心情もわからないではないが、視野が狭窄しすぎて最善策を見失ってる感もある。
 指揮を取ってる人間は余程の無能なのかもしれない。
「俺らも頑張って事件を解決しすぎた節があるからな。これ以上、俺たちにでしゃばられて仕事が取られると困るんだろう」
「オカルト興信所の有名税と言うヤツだな」
「うるせぇ。そのあだ名で呼ぶな」
「それはともかく、具体的な策はあるのか?」
 冥月に話を振られ、しかし武彦は笑って答える。
「あるにはある。そのためにお前らを呼んだわけだしな」
「おぉ、さすが草間さん!」
 期待に瞳を輝かせる小太郎。
 だが、武彦の策は至極簡単なものだった。
「まず、慎は送還術のための準備をする。必要なものは俺と勇太でそろえる。冥月と小太郎はIO2の相手をしてくれ」
 この中でまともに魔法が使えそうな慎が送還術を担当するのはまず妥当な判断。
 サイコメトリーが使える勇太や情報収集能力に長ける武彦が、慎のサポートを担当し、術に必要なものを集めるのもいいだろう。
 最大戦力である冥月がIO2を抑えて時間稼ぎをし、そのサポートに小太郎がつくのも間違ってはいない。
 だが、
「……それだけ? もっと詳細な内容は?」
「それだけだ。後は現場の状況判断に任せる」
「作戦がザックリ過ぎやしませんかね……」
 勇太の呆れたような表情に、武彦の顔が強張る。
「う、うるせぇ。現場はフレキシブルに動かないといかん。最初にガチガチに固めちまったら、行動の幅が制限されてだな……」
「草間のずさんな作戦など、いつもの事だ。気にする必要はない」
「おいこら、冥月! そこはフォローする所だろうが!」
 冥月の追い討ちも入り、なんともガチャガチャした雰囲気のまま、作戦会議は終わった。

***********************************

「町の中で捕捉できるIO2エージェントらしき影は十二。そして当の悪魔は町の上空を飛びまわってる、と」
「どうするんだ、師匠?」
 冥月はザックリ現在の状況を確認する。
 エージェントは悪魔の進行方向を塞ぐように展開、移動しつつ、悪魔にプレッシャーをかけているらしい。
「市街地での戦闘は避ける、か。まぁ、当然だな」
 この件を内々に処理しようとするなら、人目につかない場所が好ましい。
 当然、悪魔を市街地から遠ざけるように誘導するはずだ。
「でも、草間さんの作戦じゃ、遠くに行かされたらまずいんだよな?」
「そうだったな。IO2側の作戦とは真っ向から対峙してしまったわけだ」
「となると、悪魔をどうこうするよりも、先にIO2をどうにかしないとな」
「小太郎、お前ならどうする?」
 冥月は影を操り、近場の地図とエージェントと悪魔の配置を示す。
 それを見て、小太郎は首を捻った。
「現状だと、悪魔はエージェントに誘導されて、市街地の外に移動してるんだよな?」
「草間が言うには力の強い悪魔らしいが……どうやら今のところ、IO2側の思惑通りになってるらしいな」
 強力な悪魔なら包囲網を突破して好き勝手に行動しそうなものだが、それが出来ないのには理由があるのだろう。
 恐らくそれは、悪魔が忌避するような何かをIO2が持っているからだ。
「悪魔が嫌がりそうなものって言えば、例えば聖水みたいな属性に反する物とかかな?」
「私が知るか。だが、一つ情報を加えるなら……」
 言いながら再び影を操り、地図の中に円を描く。
 それはエージェントの布陣のほぼ中心。
「この一部だけ、私の能力が及ばん。……つまり」
「ここにユリがいるってことか!」
 ユリのアンチスペルフィールドは精神に依存している悪魔などには脅威となろう。
 それが布陣の中心で威圧していては、悪魔も不用意に近づけないという事だ。
「じゃあ、ユリに協力してもらって、アンチスペルフィールドを解いてもらって、悪魔が突破する隙を作る!」
「だが、ユリもIO2のエージェントだぞ? そう簡単に仕事を放棄するなんて無理だろうな」
「……だったら拉致する」
「くくっ、小僧。発想が犯罪者だぞ」
「育てた人間が犯罪者だからな。自然とそうなってしまうのも仕方がない」
「草間は後で叱っておかないとな」
「……全部人の所為かよ?」
「何か言ったか?」
「いえ、別に」
 お互いにしらばっくれつつ、冥月は携帯電話を取り出し、手早くユリを呼び出した。
『……はい』
「さっき話した件だがな。善処すると言ったが、お前に協力してやってもいい」
『……本当ですか?』
「代わりに、小僧をデートに誘えよ」
「こら、師匠!!」
『……そこに、小太――三嶋さんもいるんですか?』
「ああ、近くにいる」
『……返答は差し控えさせてもらいます』
「ふん、まぁいいさ。とにかく、すぐにアンチスペルフィールドを解け。こっちに合流させる」
『……わかりました』
 返事が聞こえたと同時にユリの能力が解除される。
 確認した後、冥月はユリを影の中に引っ張り込み、そのままこちらへと転送させる。
「……お手間をかけさせました」
「いやいや、何て事ない。……隣に麻生がいたようだが、ヤツは放っておいて良かったのか?」
「……大丈夫でしょう。あの人なら上手くやってくれます」
 むしろ一人にしておくと何か大失敗をしでかしそうな気もするが……。
「……なら彼の失敗で私が攫われたと言う事にすればいいです」
「お前もアイツの扱いについては容赦ないな」
「……いつも役に立たないんだから、これぐらいは当然です」
 ユリが麻生に悪態をついていると、彼女の携帯電話が鳴る。
 見ると、上司からの電話のようだった。
 恐らく突然姿を消した事、アンチスペルフィールドが消えた事に関しての報告要請だろう。
 ユリは冥月に確認を取り、許可を得た後で電話に出る。
「……はい」
 電話からは怒声が。
「……いえ、謎の能力者に拉致されてしまいまして。私の力ではどうしようも……あっ」
 冥月はユリから電話を奪い取り、小さく咳払いした後、声色を使って喋る。
「あー、こちら謎の能力者。貴様らの切り札は預かった。大人しくエージェントを解散させろ」
『貴様、何者だ! 何が目的でこんな事を……!?』
「交渉の余地はない。どの道、貴様らにこれ以上、悪魔を押し留めておく事はできないだろう」
 それだけ言って、通話を切り、電話は影の中にポイ捨てする。
「……強引ですね」
「それぐらいで丁度いいだろう。さぁ、場所を変えるぞ」
 そう言って冥月はユリと小太郎を連れて、合流ポイントへと向かった。

 合流ポイントにやってくると、そこには慎がいた。
 慎はユリを見て、何か納得したように頷く。
「あ、ユリおねーさんも合流したんだ?」
「……あなたは慎さんでしたね。お久しぶりです」
「どうもどうも。……なるほど、草間さんの言ってた魔力のアテって言うのはおねーさんの事だったんだね」
「……状況はよく読めてませんが、そうだと思うのならそうなのでしょう」
 ユリには詳しい事情は話していない。
 時間がないのも理由の一つだが、面倒は省く、と言う方針の表れでもある。
「じゃあ慎。ユリは任せた」
「はぁい、おねーさんたちも気をつけてね」
「ふん、子供に心配されるほど落ちぶれちゃいない」
 そう言った冥月は、また小太郎を連れて影の中に沈んでいった。

 現れた場所は近くのビルの屋上。
「さぁ、ここからが私たちの本番だぞ。気を抜くなよ、小僧?」
「わかってらぃ」
 遠方には空を飛び回る黒い影が見える。
 アレが恐らく悪魔。
「私の力が人外にどの程度通用するのか、試させてもらおう」

***********************************

『おやおや、怖い顔をしたお嬢さんだ。私に何か御用かな』
「まさかお嬢さんだなんて呼ばれるとは思っていなかったな。……お察しの通り、用があるんだ。少し付き合ってもらうぞ」
 冥月は件の悪魔と対峙していた。
 場所はビルの屋上。
 悪魔は空中に浮いており、フェンスの外からこちらを窺っている。
 どうやら飛行も自由自在のようだ。
『用件を伺いましょうか。私も荒事は望みません』
「ではこちらの指定するタイミングで指定する場所に行ってもらおう。それ以上の要求はない」
『……それは私との契約と見てよろしいですかねぇ?』
「馬鹿を言うな。悪魔と契約するほど落ちぶれちゃいない」
『では、その要求を聞き入れる必要もないわけですな』
 ピリリ、と空気が張り詰める。
 両者の間に触れれば斬れるような研ぎ澄まされた雰囲気が立ち込めた。
「ならば力尽くでも」
『出来ますか、あなたに?』
 睨み合うこと数瞬、寒風が吹くと同時に動いたのは冥月。
 殺気が弾けると共に能力を操り、悪魔の身体に落ちている影を支配し、対象を縛り上げる。
 影は悪魔の身体を這い回り、身体の自由を奪うように締め付けた。
 ……だが、ふと悪魔の姿が消える。
 いや、消え入るほどに透明になったのだ。
 その瞬間、影は拘束するどころか、存在すらなくなる。
 悪魔の身体が実体をなくした事で、影が消えうせたのである。
「何でもアリか、やりにくい」
『あなたは面白い術を使う。これはこちらもやりにくそうだ』
 悪魔は限りなく透明になりながら、冥月の目の前、屋上の上に降り立つ。
「貴様、空を飛べるようだな。ならばなぜ、アンチスペルフィールドを飛び越えなかった?」
『アンチスペルフィールド……あの嫌な空間はそんな名前なのですか』
 ほぅ、と唸りながら、悪魔は頷く。
『いやね、あのフィールドがどの程度の効果範囲かわからなかったもので。不用意に近付くのは危険かと』
「ではつまり、貴様ではあのフィールドをどうする事もできない、と」
『骨が折れるでしょうね』
 つまりユリの能力は精神体に近い存在に対して、それだけ致命的なわけだ。
 この悪魔は零が驚くほどの力を持っているらしい。
 それほどの力を持った悪魔が、小娘一人の能力に臆しているのだ。
 ユリの利用価値の高さが窺い知れる。
「ならば交渉の余地もあるか? 私は今、あのフィールドを自由に出来る権利がある」
『ほぅ、それで?』
「貴様も怪我はしたくあるまい? 大人しく巣穴に帰ってもらえれば、こちらとしても助かる」
『それは魅力的な提案ですねぇ』
 悪魔も痛い目を見たいわけではあるまい。
 ユリの力が致命的ならば、ここで引くのも一つの手であろう。
 損得を計算できる悪魔であれば、そういう選択も視野に入れるはずだ。
 だが、しかし。
『それでも、その取引に応じる必要はありませんな』
「ほぅ?」
『あなたは私の攻撃射程もご存じないでしょう? ここから一歩も動かずに発生源を攻撃する事だって出来るんですよ?』
「そんな事を、私がさせると思うのか?」
『あなたに私が止められると思っているんですか?』
 再び殺気に満ちた空気が流れ始める。
 両者は無言で睨み合い、お互いの距離を測るようにジリジリと足を移動させる。
「どうあっても退かない、と?」
『そちらが退いてくだされば、あるいは』
「出来ん相談だな」
『ならばこちらも』
 交渉は平行線。妥協点など見つかりそうもなかった。
 ならば、力尽くで言う事を聞かせるより他あるまい。

 現在の悪魔の状態は、ほぼ幽霊と同じ物である。
 実体を持たず、精神体のみで存在している状態。
 この状態では物理的な干渉を全く受け付けない。冥月の影の効果も薄れてしまうだろう。
 まずはあの状態から物理的干渉を受ける状態へ戻さなければならない。
 そのための手段は、一応ある。
『ではまず小手調べから』
 そう言って悪魔が人差し指を突き出す。
 すると、そこから糸のような物が発された。
 冥月は本能的に危険を感じ取り、その糸から距離を取る。
『ふふふ、勘の良い方だ』
 真っ直ぐ伸びた糸は、コンクリートの建物を易々と貫通し、穿たれた穴は煙を上げていた。
 よくわからないが、あの糸でコンクリートを焼ききったらしい。
「どういう理屈か理解したくもないが、触れないほうが良さそうだな」
『発泡スチロールカッターみたいな物ですよ。熱量は半端ではありませんがね』
 悪魔が種明かしをしたが、熱で焼ききっているようにも見えなかった。
 恐らく、悪魔は本当のことなど話していないだろう。
 しかしあの糸は危険だ。影での防御も通用するかわからない以上、回避するしかない。
『さてでは、これが十本になるといかがですか?』
 そう言って悪魔は大鎌を手放し、両手を広げて、すべての指先から糸を繰り出す。
 風にそよいでいる糸は、何の殺傷力もなさそうだが、やはりあれらに触れるのはやめておいた方がいいだろう。
『どうぞ、努めて回避してくださいね』
「なめたマネを……ッ!」
 襲い掛かる伸縮自在の糸と冥月の、命がけの追いかけっこが始まった。

 四方八方から何の脈絡もなく襲い掛かる糸の群れを、冥月はアクロバットのようにかわしていた。
 その攻防は狭い屋上だけには留まらず、他所のビルにまで飛び火し始める。
 冥月は影を操り、色々な場所へと飛び回って悪魔の糸を回避する。
 悪魔はそんな冥月を追いかけ、楽しげに糸を操り続ける。
 悪魔によって操られた糸はそこかしこに傷をつけて回り、ビルの壁を、地面を、路駐していた車を、それぞれ切り裂いていた。
 ただ、意図的に人を避けているようにも見えた。
「お優しいじゃないか、人間には危害を加えないのか?」
『あなたは食物を無碍にしないようにと教わりませんでしたか?』
「人間はお前の食べ物だとでも?」
『何か間違いが?』
 皮肉めいた物言いには少し腹が立つが、恐らく悪魔の認識などそんなものなのだろう。
 この悪魔にとって人間とは、食べ物以外の何者でもないのだ。
「だったら食べ物の恐ろしさ、見せてやろうじゃないか」
『それは楽しみです』
 冥月の言葉を全く信用していないのか、悪魔はさも楽しげに糸を操り続ける。
 代わりに冥月は、再びビルの屋上へとのぼり、そこで悪魔を待った。
『おいかけっこは終わりですか?』
「ああ、そろそろ飽きてきたんでね」
『……そうですか。では、もう一度尋ねましょう』
 悪魔は糸をしまいつつ、屋上の床を踏み、冥月に向き直る。
『私と契約する気はありませんか? あなたの魂と引き換えに、どんな望みでも叶えましょう』
「……この期に及んで、何を言うかと思えば」
 それは悪魔のささやきであった。
「私がそんな言葉に騙されると思ったか?」
『しかし、これ以上あなたに打つ手はないでしょう? それとも、私が本当に人間を傷つけないとでも思っているのですか?』
 言葉と同時に、冥月の首の両脇に悪魔の糸が伸びた。
『少し手を捻れば、あなたの首が落ちますよ?』
「やれる物ならやってみろ」
『……残念です』
 微塵も残念そうな表情をせず、悪魔がその手を――
「ちょっと待ったぁ!!」
――ひねる直前である。
『なんです?』
 冥月の影の中から、小太郎が飛び出てきた。
 その手にはなにやら小さな機械。
「師匠に言われたとおりの外見、これで間違いないだろ!」
 小太郎は今の今まで、冥月の影の中でこれを探していたのだ。
 それは冥月の切り札であった。
「ポチッとな」
 小太郎が機械のボタンを押した瞬間、辺りに波紋が広がる。
 それと同時に機械が音を立てて小爆発した。
 だが、それに悪魔も驚いたような顔をしている。
 あの飄々としていた悪魔が、だ。
『これは……っ!』
「こんな事もあろうかと、というヤツだ」
 驚いた悪魔の顔を見て、冥月は笑みを見せる。
「それはちょっとお高い物でな。貴様のような力の強い悪魔にも通用するなら、払った金の分は価値があったようだな」
 小太郎が使ったのは魔術式を埋め込んだ装置。
 小さな機械に内蔵された術式は、現在の魔術科学の粋を結集している。
 発動された術式とは、魔術を解除する術式。ユリの力に近い能力を持ち合わせている。
 ただし、効果は弱く、長続きしない。そして一回使うと負荷がかかり過ぎて破損する。
 欠陥ばかりの品物であったが、状況を覆すのに一瞬の隙が作れれば問題ないのだ。
 その装置によって悪魔は実体となり、影の干渉を受け始める。
「師匠! ユリからの合図だ!」
 その時、ユリからの合図もあった。
 合図とは影の通路を伝って聞こえるユリの声。
『……きゃー、つきしろくんよー!』
 それを聞いて、冥月は空かさず影を操る。
『おや、これはしてやられました』
 余裕の表情を崩さない悪魔だが、冥月の影は完全に悪魔を捕らえていた。
「これで仕上げだ」
 影に取り込まれた悪魔は、そのまま影の中を通り、遠くの大通りの真上に放り出された。
 そこは送還術の魔法陣が描かれた場所。
 輝く魔法陣に取り込まれ、悪魔はだんだんと姿を消していく。
 モノの数秒で悪魔は姿形を失い、この世から姿を消したのだった。
「……ふぅ、これで一件落着か」
「そうみたいだな。……でも驚いたな、師匠がこんなもん持ってたなんて」
「人は誰しも、奥の手と言う物を持つものだ」
 壊れた機械を影にしまいこみながら、冥月は笑った。

***********************************

「くそっ、何が起きてるんだ!」
 IO2側の司令部は軽い混乱状態であった。
 作戦の肝であったユリが突然姿を消し、悪魔は好き勝手に市街地を飛び回る始末。
 情報の整理も纏まらず、指揮が全く取れない。
 と言うのも、指揮官たるこの男が無能であるというのが大きな原因であったが。
 ……と、そこへ通信機がなる。
「はい、こちら指揮車。どうなってる、現状は!?」
『あー、こちらディテクター。どうぞぉ』
 通信はディテクターと名乗る人物からのもの。
 だが、今回の作戦でそんな名前の人間が参加しているとは聞いていない。
「貴様、何者だ!?」
『俺が何者かはこの際、重要じゃないでしょう。それよりも耳寄りなご報告があるんですよ』
「なにぃ……?」
『件の悪魔はこちらで処理しておきました。こちらとしてもあんなヤツに街中を飛び回られては迷惑なので』
 その報告は驚くべき物だった。
 ディテクターが何者かはわからないが、あの悪魔を無力化したというのだ。
 指揮官はすぐに、部下に確認を取るように指示し、通信機を耳に当てる。
「それは本当なんだろうな?」
『嘘なんかついてどうするんですか。……それでですね、つきましてはご相談がありまして』
「……何かね」
『後処理はそちらに任せます。その代わりに、この件はそちらで解決したって事にしてもらえませんかね?』
 それは不思議な提案だった。
 IO2でも手を焼いた悪魔を無力化したのに、それを公表するわけでもなく、こちらの手柄にして良い、と言っているのだ。
「それで貴様にどのような利益がある?」
『一言では言い表せないほど、ですかね。とにかく、頼みましたよ』
 それっきり通信は途切れてしまった。
 部下からも確認が取れたとの報告があった。悪魔は確かに送還術によって消し去られたと。
 悩むように頭を抑えた男だったが、しかしすぐに気を取り直す。
「向こうがそう言うなら、ここはありがたく乗っかっておこう」
 楽天的に考え、男はすべての手柄を自分のモノとする方向で動き始めるのであった。

 しばらくして彼の嘘がバレるも、悪魔を処理した人物の詳細は明かされることなく、この件はひっそりと幕を閉じたのだった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【6408 / 月代・慎 (つきしろ・しん) / 男性 / 11歳 / 退魔師・タレント】

【2778 / 黒・冥月 (ヘイ・ミンユェ) / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】

【1122 / 工藤・勇太 (くどう・ゆうた) / 男性 / 17歳 / 超能力高校生】


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■         ライター通信          ■
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 黒・冥月様、シナリオに参加してくださってありがとうございます。『興信所に人が集まってくれて助かった』ピコかめです。
 今年に撒いた話を今年中に回収できて、本当に良かったと思っております。
 お付き合いくださり、ありがとうございました。

 大変申し訳ないのですが、事件解決のためにユリを戦闘に参加させる事が出来ませんでした……。
 ちょっとお姫様抱っこのシーンはおいしそうだったので、俺自身、すごく残念な思いでいっぱいです。
 小太郎とユリのデートに関しては、多分、ユリは冥月さんの冗談ぐらいにしか思っていないので、実際行動に移るかどうかは……。
 では、また気が向きましたらどうぞ〜。