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<東京怪談・PCゲームノベル>


古書肆淡雪どたばた記 〜マダムLのチョコレートレシピ

 クリスマスも差し迫った冬のある日の事。若命・絵美(わかな・えみ)はふと街角にて足を止めた。
 ふわりと漂う甘い香りはチョコレートだろうか?
 ただべったり甘いわけではないふくよかな香りは恐らく上等なものであろうと思わせる。
 きっと美味しいお菓子やさんがあるに違いない。
 ふと、脳裏にいつも世話になっている二人の顔が浮かぶ。
(チョコレートのお菓子……日頃のお礼に丁度いいかしら?)
 からからと車いすを器用に操り彼女は香りの元へと引き寄せられるように近寄っていく――。

 ――近寄っていったのだが。
 彼女の期待を裏切るように、向かった先に存在していたのは古本屋だった。
(香りのもとはここではないのでしょうか……?)
 首を傾げて様子を見守るも目前のビルには「古書肆淡雪」と毛筆でかかれたような看板が掲げられている。
 あまりに美味しそうな匂いだっただけに、ちょっと落胆しつつ彼女は周囲を見渡す。
 お菓子屋さんが無いのを確かめ、移動を開始しようとした所で、からりと音を立てて古書店の扉が開かれた。
「ああ、お客さん、かな? ようこそいらっしゃいませ」
 中から現れたのは三十代中盤と思しき眼鏡の男性。笑顔で彼女を迎え入れようする様をみるに、何やら勘違いされた様子。
「え。あの、私……」
「私は古書店店主の仁科と言います。良かったらちょっと寄ってみませんか?」

 半分くらい強引に迎え入れられた店内は、やはりというか、当然のように古書店だった。
 しかし、外よりも濃密なチョコレートの香りがする。
(やっぱりこのお店が香りのもと……ですよね……)
 店主と名乗る仁科・雪久という男性が「今お茶を淹れてくるよ」と席を外した隙に絵美は周囲を見渡す。
 ひたすらに本がきっちりつめられた本棚が立ち並び、視線の高さが若干低い彼女としては圧迫感すら覚える。
 だがそれはそれとして、チョコレートの香りは確実にこの古書店から湧きだしていた。
「はい、どうぞ」
 日本茶の入った湯飲みを渡され、絵美はおずおずと礼を告げつつ受け取り、意を決して尋ねてみた。
「あの、このチョコレートの香りは……?」
「いや、それがですね……」
 困ったように店主は笑うと頭を掻きながら事態を語り始めたのだった。

 事情を一通り聞き、絵美はにっこり微笑んだ。
「成る程、そういう事でしたか」
 目前に置かれた一冊の本からは濃厚なチョコレートの香りが漂い、これを見れば半ば無理矢理な勢いで店に寄るよう進められた理由も納得できる。余程店主は困っていたのだろう。
「いつも世話をかけている大好きな弟たちにチョコレートをあげたいと思っていた所なんです」
うちでは確実にばれますので、ちょうど良い依頼です! と笑顔で胸を張った彼女に雪久は安堵の表情。
「助かった。ありがとう……どんなものを作ってみる?」
 雪久に問われて絵美は「そこまで手の込んだものは出来ませんが」と前おきした上で述べる。
「そうですね……1人は甘い物大好き、もう1人はあまり甘いのは得意ではないから……」
「弟さんと仰ってたし、味はちょっと違うけどお揃いっぽい方がいいかな」
 弟達はプレゼント――それも絵美の手作り、というだけでも大喜びするだろう。だが、折角ならちょっと珍しいのがいい。そんな好みを伝えると雪久は大きく頷き、レシピ本を捲りはじめる。
「じゃあ、お約束といえばお約束かもしれないけれど、トリュフなんかどうかな。基本のガナッシュの作り方とかは、マダムのレシピに載っているし」
 彼の言葉に絵美は目をぱちくり。
 珍しいという視点で考えるとトリュフは普通過ぎる気もするが、雪久は更にこう続けた。
「トリュフってね、結構色んなフレーバーが出来るんだそうだよ」
 そう言い彼は幾つかのリキュールや、スパイスなんかも取り出す。その中でも赤っぽい実の詰まった瓶を絵美へと差し出した。
「因みにね。ピンクペッパーが効いてるやつだと結構大人向けの味になるんだ」
「辛くないんですか?」
 ペッパーというと直訳すれば胡椒だが。
「辛くはないね。うーん……なんていうのかな。ちょっとスパイスの効いた味になるというか。後味がすっきりする気がする……かな」
 上の弟さんにどうだろう、と雪久。
「甘いのが好きな下の弟にはココナッツとかも良さそうですね」
 絵美の言葉に雪久も大きく頷く。大まかな全体像が見えた所で早速作業開始、だ。
 製菓用のチョコレートを細かく刻み、温めた生クリームに溶かしつつ二人は語らう。
「身近な人へのプレゼントって、意外とやりづらいものだよね」
 唐突に述べられた雪久の言葉に、絵美は目をぱちくり。
「ほら、なんていうか、いつも一緒の相手に改めてお礼を言うってなんか照れくさい気がしてね。だから君は凄いなと思ってね」
 にっこり笑う雪久に対し、絵美は少しだけ俯いた。
「いつも弟達には色々世話をかけてるしさ。それに……」
 ぽろり、と彼女の素の言葉が漏れる。
 俯いた視線の先、膝の上にはシャルルとシャロットと名付けられた二匹のライオンのぬいぐるみが箱座りしている。どちらも2人の弟がプレゼントしてくれたものだ。
 学校や街ではこの動かない足はどうしても目を引いてしまうし、彼女の日本人離れした容貌もまた、好奇の視線を向けられやすい。
 彼女自身は極力気にしないつもりでいるものの、人は異質なものに好奇の視線を向ける事が多いし、それは決して気分の良いものではない。
 2人の弟は彼女をそういった視線から日々守ろうと努力してくれている。
 そんな内容の事を、彼女はぽつぽつと作りながらに語っていく。
「どうであれ、心を伝えるのは悪い事じゃないよ。さて、もう一頑張りしようか」
 雪久はそう述べて彼女へと心なしか優しい視線を投げたのだった。

 テーブルの上には真っ白なテーブルクロス。そして並んだお皿には、色とりどりのトリュフの団体。
 この古書店にしては珍しく白磁の茶器で紅茶が準備され、そして小さな小さなお茶会の支度は調った。
 気づけばあのほろ苦さも混じった甘い香りはいつのまにやら薄れている。
「そんなに手の込んだものは選ばなかったつもりだけど……流石にちょっと疲れたね」
 大丈夫かな? と雪久は微笑みかけるが、「折角なんだし」と絵美を全力で焚きつけ色んな種類を沢山作らせたのは彼だったりするわけで、さしもの絵美もちょっと疲れが見える。
 プレゼント用の二人分をとりわけ、休憩ついでにのんびりとお茶をする。
「さて、と。一休み……になったかな?」
「はい」
 問われて絵美はしっかりと頷く。
 あとは家に持って帰ってこっそりラッピングをするだけ――と彼女自身は思っていたのだが。
「じゃあプレゼント用のラッピングを買いに行こうか」
 雪久が絵美の車いすを押しはじめる。
「そ、そんな悪いですよ!」
「いや、依頼を手伝ってくれたお礼だよ。……これじゃ駄目かな?」
「ええと……」
 躊躇う間にも絵美の車いすは押され、二人は冬の街へと繰り出す。
 扉が開けられた瞬間の外の冷たい風は、古書店内に残された甘い香りを綺麗に攫っていった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
8712 / 若命・絵美 (わかな・えみ) / 女性 / 15歳 / 高校生

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして。ライターの小倉澄知です。
 というわけで、どちらかというとほろ苦いお話になった……ような気がします。
 チョコレート自体は美味しく出来たはずなので、弟さん達にも気に入って貰えたら幸いに思います。
 この度は発注ありがとうございました。もしまたご縁がございましたら宜しくお願いいたします。