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旗艦USSウォースパイト号の怪夢
「そろそろ断るネタが尽きてきたわ……」
旗艦USSウォースパイト号の艦長室で、あやこは思わずそうぼやいた。
ぼやきの原因は度重なる提督からの縁談話だ。
あやこにその気がないのに何度言っても提督が折れずすすめてくる縁談を、あの手この手で断ってきたのだが、それもそろそろ限界にきそうだ。
今度はどんな手で断りを入れようか、そんなことを考えている時だった。
ぐらり、船が大きく揺れた。
「なに?」
縁談話のことなど即座に頭から除外し、あやこは即座に船員に原因を調べるように指示を出す。
「新型炉の不調のようです」
「また? どうもあれ、不安定よね」
「あと、それと」
その後に続いた船員の報告をあやこは聞いていた。
ジリリリリ、ジリリリリ……
陰鬱な音が周囲に鳴り響く。
(……なに)
郁は周囲を見渡すと、暗い部屋の中に黒電話がひとつ置かれ、それから陰鬱な音が鳴り続けている。
(こんな場所に黒電話? 他の人はどこに行ったの?)
そんなことを考えている間も、黒電話の音は鳴り響き続ける。
陰鬱な、脳に直接入り込むような不快な音に耐え切れず、郁は黒電話に近づくと受話器をとった。
ジリリリリ、ジリリリリ……
しかし、黒電話の音が鳴り止む気配はない。
(なにこれ……)
ジリリリリ、ジリリリリ……
と、そこで郁は気づいた。
その音は黒電話から鳴っていたはずだったがいまは違った。
受話器をあてているほうと反対の耳、その中からずっとその音が鳴り続けている。
ジリリリリ、ジリリリリ、ジリリリリ……
脳に直接入り込む陰鬱な音が頭の中を支配する、その音に郁の正気が失われていく。
ジリリリリ、ジリリリリ、ジリリリリ……
やがて郁の口からその音は鳴りだしていた。
まるで、郁がひとつの黒電話になったように。
ジリリリリ、ジリリリリ……
「大丈夫?」
「え?」
その声で、郁は我に返った。
目の前にいるのは鍵屋だ。
「ああ、気がついた。気絶したからどうしたのかと思ったわよ」
「気絶?」
鍵屋の言葉に郁は思い出す。
郁と鍵屋は旗艦USSウォースパイト号に新しく導入された紅茶炉の構造を見ていたはずだ。
炉の具合が思わしくなく、艦自体が不安定になっているためその原因救命を指示されていたのだ。
「驚いたよ、船が大揺れしたと思ったら突然あんた倒れたんだから」
「変な夢を見た気がする」
「倒れたときに頭でも打ったんじゃない? そんなことよりもいま厄介なことが起こってるのよ」
「厄介?」
「炉の調子が悪いの。この調子だと到着が遅れそうなのよ」
「それはまずいわね」
「まずいと思ってないのもいるみたいだけどね」
誰のことかと思っていると、あやこが誰かと話しているのが聞こえてきた。
「はい、到着が遅れそうなんです。なので縁談は……」
そこまで言ってから相手がなにか言ったらしくあやこは不満げに通話を切る。
「なにが儂は待つぞよ。縁談なんか受ける気ないって何度も言ってるのに」
もう届かない相手にそうぼやいてからあやこは郁たちのほうを見た。
「炉の修理は任せたわた。私はみんなに状況を説明してくるから」
結局、炉の修理はまる一晩かかり、郁は徹夜作業を余儀なくされ、修理が終わると昏倒するように眠りについた。
目を開くと、そこは奇妙な会場になっていた。
「ようこそ茶会へ」
郁にそう話しかけてきたのは豚男だ。珍妙な姿に反して、着飾った衣装を着ているのがなんとも似合っておらず気味が悪い。
ようこそと言いながら、茶会はすでに始まっているらしく、豚男は毒々しいほど青いケーキを手づかみで貪り食っている。
「早く出なさいよ!」
鍵屋の怒鳴り声に何事かと振り返れば、そこには更に奇妙な光景がある。
あやこの耳にストローを差し込み、鍵屋はそれを吸い込んでいる。
「やっぱり脳は直に吸うのが一番だわ!」
そう満足気に言っている鍵屋の身体は首から下はケーキになってしまっている。
人の気配を感じて周囲を見れば、船員たちが銘々に刃物を持って鍵屋のことを見ている。
「早くそいつを殺して食わせろ!」
そう叫んでいる船員たちの言葉に、見れば郁の手にはいつの間にか巨大なナイフが握られている。
「早く! 早く、そいつを切り分けろ!」
「ああ、おいしい。ほんと、おいしいわぁ」
船員たちの怒号と鍵屋の歪んだ満足気な声が郁の耳に入り込み、視界がぐるぐると回り始めた。
「なにしてるの!」
あやこの声と身動きの取れなさに郁が気付いたとき、郁は船員のひとりに身体を拘束されていた。
目の前には鍵屋がいるが、警戒した様子で郁のことを見ており、周囲にいる船員たちも郁のことを同じような目で見ていた。
「……あれ?」
そのときになって、郁は自分の手にナイフが握られていること、そしてそれを鍵屋に向けていたことに気付いた。
「何があったの」
「わかりません」
正直にそう郁が答えても、もちろんあやこが納得するわけはない。
「最近、わたし変なんです」
「見たらわかるわよそんなこと」
あやこが郁のほうを見て大きく息を吐く。
「いまのあなたはまともじゃないわ。一回医者にかかりなさい」
それに答える前に、無理矢理郁は精神科医の前に連れて来られた。
髭面の医者は何が楽しいのかにたりにたりと笑っていて、心の中を覗きこもうとしてでもいるような目を向けてくる。
「なるほど。奇妙な夢を見たり、同僚を殺害しようとしたわけですね」
ふむふむとわかったような声を出しながら精神科医はメモに何かを書いていたが、そこに書かれているのはバラバラに切断されている鍵屋の落書きだった。
「つまりはなんですな、アナタのそのナイフというのがキモでして、ナイフというのは攻撃本能の表れであってェ、鍵屋という人物はアナタの母親への思慕への表れであってェ」
のらりくらりと話し続ける精神科医の言葉を遮るように、ジリリリリという聞き慣れた音が郁の耳の飛び込んでくる。
「おや、電話だ。早く出たほうがいいですナ」
精神科医がそう言って指さしたのは郁の顔だった。
何故? そう思ったとき、ジリリリリという音がとても身近なところから聞こえてきていることに気づき、郁はいつの間にか自分の頭が巨大な受話器と化していることに気付いた。
「もしもし、はいはい、ご用件をどうぞ」
混乱する郁をよそに精神科医が勝手にそう受話器とかした郁に向かってそう話しかける。
「はい、はい。早く殺せ。はいはい、そうですナ。それはもうまったくもって」
のらりくらりと返事をしながらいつの間にか精神科医の手にはナイフがあり、それを郁の手に握らせる。
「はい、はい。では早速。はい、急いで殺させます。ええ、それはもうすぐにでも、はい」
その言葉に操られるように郁の身体が勝手に動き出し、ナイフを掴んだ腕を何かに向かって振り下ろそうとしていた。
「そこまでよ!」
鋭い声にはっと気づいた郁は、自分が船員に拘束されていることに気付いた。
これと同じ光景をさっきも見たような気がする。そう感じる前に郁の前に立っていたあやこが険しい顔で郁の顔を覗きこんでいた。
「いま自分が何やってるかわかってる?」
「なんでしょう」
「手に持ってるものがなにかわかる?」
「はい?」
そう言われて見れば郁の手には一本のナイフが握られており、どうやら再び鍵屋を襲ったようだと理解した。
「どうしちゃったんでしょう」
「こっちが聞きたいわよ」
困惑している郁にあやこがそう答える。
「どうもこれは、彼女の共感能力が影響しているのではという気がするわね」
襲われていたわりに冷静に状況を見ていた鍵屋は、ふとそう口にした。
「どういうこと?」
あやこの問いに鍵屋が説明する。
「彼女の持つ他人の心を読む共感能力がなにかの心を読み、その結果見た予知夢によってこんな行動をとっているんじゃないかと思うのよ」
「じゃあ、解決するには何の心を呼んでいるのかを調べる必要があるわね」
「事象艇で調査しましょう。それで夢の中へ行きましょう」
その提案であやこ達は即座に事象艇での調査を行うことにした。
「なるほど、これは……」
郁の夢の中に潜り込んだ鍵屋は、興味深い顔でその内部を観察している。
「これは霊蛭患者特有の夢ね」
しばらくの観察の後にそう語った。
「奴らの弱点は高い音。感染源は紅茶炉ね!」
そう断定し、夢より帰還した鍵屋たちは早速霊蛭を発見する検査を行い、その結果、感染者はあやこと鍵屋だったことが判明した。
「なるほど、だから鍵屋を執拗に殺そうとしてたのね」
「弱点は高い音だから、船員たちに嬌声をあびせましょう」
その提案を元に、船内にすさまじいほどの船員たちの嬌声が響き渡る。
その勢いは提案をしたふたりさえも圧倒するほどのものだった。
「これは……なかなかに強烈ね」
「これだけの威力なら間違いなくこの船にいる霊蛭は根絶できるわね」
だが、そこまで言って鍵屋の表情が険しくなる。
「完全な根絶にはこれだけじゃ足りないわね。過去に戻って霊蛭を滅ぼすウィルスを撒く必要があるわ。ただし、このウィルスには副作用もあって体毛を失ってしまうの」
TCの女性がまだ体毛が豊かだった頃に赴き、そのウィルスを撒かなければ霊蛭は根絶できない。
もし、それをしなければ自分たちはいまだ体毛を失わずにいるのだろうか。
鍵屋の言葉に、船内の空気が重くなるが、それをうちやぶったのはあやこのひと言だった。
「やりましょう。それしか道はないわ」
あやこの決断により、ウィルスは散布され、結果霊蛭はこの世から根絶された。
だが、その行為によって自分たちは体毛をすべて失うことになったことを改めて感じた船員たちは泣き崩れたが、あやこは励ますように口を開いた。
「私達は翼と鰓を得たのよ。どこでもいけるの。辛いけど先へ進みましょ」
その言葉に船員たちはやや思案した後うなずいた。
そんな様子を見ながら、郁はふと考える。
霊蛭を根絶するためにウィルスをまいた結果、わたしたちは体毛を失った。だが、霊蛭が現れたのは『いま』であり、その現象が起こる前から自分たちは体毛を失っていた。
だとすれば、いったい、霊蛭はいつ現れ、いつ滅び、同時に自分たちはいつ体毛を失うことなったのか。
湧き上がるなんともいえない感覚に郁が囚われているとき、ジリリリリ、とベルが鳴った。
「はい、なので、私はお嫁に行けません」
嬉々とした様子で提督に縁談話を断っているあやこの様子を見ながら、郁の耳にはいまだジリリリリ、というベルの音が鳴り続けていた。
了
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