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<東京怪談ノベル(シングル)>


incomparable:2


 バラバラバラ、とコンクリートの壁にビリビリと響くのは相手のマシンガンの音だった。
 仄暗い空間に、ひらりと舞うのは琴美のプリーツスカートだ。
 それはまるで黒い揚羽蝶のような錯覚さえ覚える。捉えどころのない動作と、美しい肢体。
 どんな射撃の名手であろうとも、彼女の動きを止めることは出来なかった。
「チッ……ウロチョロしがやって……っ」
 相手のそんな声が聞こえてきた。
 予測不可能な琴美の動きに、相手側はかなり苦戦しているようであった。
 俊敏でありながらも優美。
 地を蹴り次の瞬間には宙に浮く彼女の肢体は弧を描いてくるりと回転する。それに目を奪われているしまえば、後は己が地に沈むだけだ。
 男性顔負けのレベルの高い格闘術と、間で放たれる投げナイフ。それは一本も外すことなく明確に打ち込まれる。それは目にもとまらぬ速さだった。
 周囲から続々と増えるのは、相手のうめき声ばかりだ。
 地下二階。
 地上から順にテロ組織の影を潰していく琴美の戦闘能力は、未だに健在であった。
 そんな彼女が、中枢と思わしき場所に足を踏み入れた直後。
 
 ――バシィッ。

 地を叩きつける音があった。
 一本の黒い鞭だ。
「そこまでだ、子猫ちゃん」
「――――」
 琴美の表情が僅かに変わった。
 決して焦りの色合いではなく、ようやく好敵手と出会えたかのような、そんな表情だった。
 対峙してきたのは書類で確認していた要人の女だった。写真では見かけなかったが右目に眼帯がある。
 ギラギラとした視線に、口の端を釣り上げた卑しい笑み。彼女もまた、戦闘を楽しんでいるかのような空気を持ち合わせる。
「よく来たなと言っておくべきか。お前、特務の女だろう? この目はお前さんのところのスパイにやられたんだ。いつか礼をしたいと思っていたんだが……わざわざ出向いてきてくれるとはな」
「それは申し訳ないことをしましたわ。ですけど、そちらが悪事を働かなければ失うこともなかったはずですわ」
「――まぁ、それが正論ってヤツなんだろうなぁ」
 女はニヤリと笑いながら琴美の言葉にそう返してくる。
 右目を失って恨んでいるというよりは、喜びに近い感情のほうが上回る感じがした。
「コレは私の慢心が招いた結果だ。それは認める。だがそれよりも……私は強い相手が欲しかった。そして今、現れた。この現実に胸が高鳴っている。わかるか?」
「解らないことはないですわ。でも私も暇じゃありませんのよ」
 琴美は自らの黒髪をパサリと右手で梳き払いながらそう言った。
 任務には決められた時間がある。
 時間厳守をモットーにしている彼女には、こういったやり取りはあまり好ましくはないようだ。不足のない相手だからこそ。
「そう言わずに、少しくらい付き合ってくれよぉ、お嬢さん!!」
 女はそう言いながら腕を振り上げる。
 琴美はそれと同時に立っている位置から移動した。
 鞭はリーチが長い。
 その分相手の攻撃範囲が広いということだが、振りかぶりも大きい分、差を詰められると咄嗟の行動に移りにくくもある。
 今が、その状態であった。
「――っ、速い……ッ」
「言ったはずですわ、暇じゃないと」
 動体視力の差もあるのだろうが、やはり琴美の方が数秒早く動けるのだ。
 その僅かな差すらも利用して、彼女は勇猛に闘う。
 綺麗な線の脚が空を舞った。片手のみで地に手を付き腰を捻らせ琴美の脚が女の首元に高速で忍び込む。
 見事にそれが決まり女の体は傾いたが、彼女も負けじと琴美の足首を掴んでくる。
「懐に飛び込めばこうなることも予測できただろう?」
「そうですわね。そして、貴女もこうなることを解っていたでしょう?」
 琴美はそう言いながら、いつの間にか取り出したグレネードのピンを可憐な唇で引き抜いた。
 そして女の目の前に放り投げる。
「……ッ!!」
 カッと激しい閃光が眼前に広がった。
 左目だけでそれを受け止める形となった女は、掴んでいた琴美の足首を離して体を反らせる。
 激しい光の塊はは失明にも繋がるほどの危険なものだ。
「グアアアァ……ッ!!」
 地に背を打ち付けた女は、直後に目を抑えてそう喘ぐ。やはり光の影響を受けてしまったのだろう。
 一つの後転飛びのあと、すたりと地に降り立った琴美は目の前でもがく女を見下し、踵を返す。
「ま、待て……ッ!」
「放っておけば完全に視力を失いますわよ」
 女の言葉を背に受けつつ、琴美はそう言い残して先を進んだ。
 まだ、終わったわけではない。
「……ちくしょうっ……!」
 去っていく琴美の背後で、女がもがきながらそんな言葉を吐いていた。
 時間にして数分のことではあるが、琴美の任務遂行時間に若干の遅れが出ている。
 だがそれは、全滝的に見ればまだまだ余裕があるものでもあった。
「スマートじゃありませんわね。早く済ませてしまいましょう」
 完璧を目指す彼女に、躓きなど必要はない。だから琴美は常に前だけを見据える。
 自分だけが前に進める。
 それが、司令官からの絶対的な信頼を得ている何よりの証拠だ。
 その信頼と、己の抱く自信。
 琴美の何よりの活動力となるものは、今も彼女の体を突き動かす。
「さて、本当にそろそろ終わりに致しましょう」
 そう言いながら、彼女は要所要所に何かを設置しながら進んでいた。
 この行動は上階にいた頃から密かにやってきた。もういくつ置いてきたかもわからない。
 どんどん進んでいくうちに、あたりの騒々しさが無くなっていった。
 確実に数が減っていっているのだ。
 そして。
「チェックメイトですわよ」
 そう宣言したあと、眼前に立つ男の影に果敢にも向かっていく琴美の姿は、今回の任務の中では最高の美しさであった。



 ドン、と大きな爆発音が響いた。
 琴美の右手の中には筒状のスイッチボタンが収まっている。親指がボタンの上にあるという事は、起爆のそれだったのだろう。
 背後には炎に包まれた廃工場がある。彼女が建物内で転々と設置してきたものは、これを親元とする爆弾だったようだ。
 きちんとそれが作動し轟々と燃え上がる炎を見ながら、インターカムの回線を繋ぐ。
「――水嶋、任務完了しました。これより帰還します」
『了解。迎えのヘリがまもなくそちらに到着する』
「待っていますわ」
 乾いたコンクリートに琴美の靴底が当たる音がする。
 頬をくすぐる風は生ぬるく、焦げた臭いが交じって鼻先を掠めた。
 ちらりと視線をやれば、炎に包まれた建物は風が手伝って益々飲み込まれていく。
 それをどこか遠い目で見やった琴美は、ゆっくりと息を吐き戻した。
 そこで胸元の苦しさに気づいたのか、彼女は首元まで締め上げたファスナーを谷間あたりまで引き下げる。
 垣間見えるのは艶のある胸元だ。溢れそうな豊かな胸は今すぐ開放されたそうな熱を発している。
 空気に触れた肌からは、一筋の汗が光る。それがなお一層の琴美の色気を引き立たせた。
 頭上に近づいて来るヘリの音。それと同時にメインローターが生み出す風が彼女の全身を包み込む。
 巻き上がる黒髪を抑えつつ、琴美は空を仰いだ。瞳に映るのはヘリのランディングギアがじわじわと降下してくる様子だ。
 轟音と強い風の中、それでも琴美の姿勢は変わらぬままであった。

 ガゴン、と大きな音が背後で響く。
 炎に飲まれ続ける建物が崩れゆく音だ。
 琴美はそれには振り返ることなく、迎えに来たヘリに向かって歩みを寄せるのであった。


  続