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<東京怪談ノベル(シングル)>


暗黒の戦女神


「小娘……貴様とて、自衛隊の一員であろう……?」
 言葉を発する知能を辛うじて維持したまま、男は立ち上がっていた。
 その身体では、ステロイドを打ちまくったかの如く筋肉が膨張し、白衣が今にも破けちぎれてしまいそうである。
「何故だ……何故、私の邪魔をする……」
 言葉を発する口は、大量にでたらめに生えた無数の牙のせいで、まともに閉じなくなっているようだ。
「あの腐りきった国々から……この日本を、守りたいとは思わんのか……」
「もちろん、この国は守らなければいけませんわ。外国の侵略からも、それに貴方たちが引きこす馬鹿げた騒乱からも」
 琴美は答えた。
「日本にとって、より禍いとなり得るのは今のところ、外国の方々ではなく貴方たち」
「私はな、自衛隊の地位を上げてやろうとしているのだぞ!」
 白衣がちぎれてしまいそうに膨張した巨体を震わせ、男は叫んだ。
「私もな、自衛隊の研究施設に属する者として、数々の実験を行っていた。自衛隊を最強の国軍へと進化させ得る研究ばかりだ! 特に、この不死の軍隊……完成すれば、自衛隊は無敵の守護神として国民に崇められるであろうに……小娘、貴様は知っているのか! 我が自衛隊が過去から今に至るまで、この国でいかなる扱いを受けてきたのか!」
 税金泥棒、と言われているうちが状況としては最も良い。司令官が以前、そんな事を言っていた。
 自衛隊が大いに役立ち、国民から感謝される状況。それはすなわち平和ではない時であるからだ。
「以前どこぞの腐れ議員がな、例の被災地を歩きながら愚かな会話をしておった。人を殺したくて自衛隊に入った者もいる、などと……貴様は何とも思わなかったのか小娘。我が自衛隊がな、単なる殺人者の集団としか見られていないのだぞ国民どもには!」
「私は別に、人殺しが嫌いではありませんから」
 言いつつ琴美は、ちらりと周囲を見回した。
 無惨に切り刻まれた、大量の屍。
 このような光景を作り出しておきながら人殺しはしたくないなどと、口が裂けても言える事ではない。
 自分でなくとも、特務統合機動課でなくとも、この程度の殺戮を行える者ならば、自衛隊内には幾人もいる。
「自衛隊は軍隊……人殺しが嫌いで、務まるお仕事ではなくてよ」
 殺戮を遂行してでも国を守る。それが使命である、とまで言うつもりが琴美にはなかった。得意気に語る事ではないからだ。
「自衛隊は誇り高き防人! 国土の守護神! 人殺しの集団ではない! それがわからんのか!」
 白衣の巨体が、絶叫と共に牙を剥いた。
「殺して良いのはな、日本海の向こう側に棲まう腐れた民族だけだ!」
「……貴方たちもね」
 琴美は、姿勢低く踏み込んで行った。黒豹のような疾駆。
 1つ、注意すべき事がある。
 この敵は、他の動く屍たちとは違う。会話をする知能を残している。
 銃器を扱える可能性が高い、という事だ。
 案の定である。切り刻まれた男たちの遺品である小銃を、白衣の男は素早く拾い上げ、銃口をこちらに向けてくる。
 その時には、しかし琴美の踏み込みが至近距離に達していた。
 しなやかに鍛え込まれた両手が、左右2本のナイフを握り締めたまま高速で舞う。
 斬撃の光がいくつも生じ、消えた。
 火を噴く寸前の小銃が、滑らかな断面を残して真っ二つになった。
 血染めの白衣がズタズタに裂け、その下で固く膨張した筋肉に、何本もの細かな裂傷が刻み込まれる。
 並の人間であれば、肉も骨も細切れになるであろう斬撃。黒っぽい血液が、霧のようにしぶいた。
 が、男の動きは止まらない。
「誇り高き防人としての力を得た、この私に! そんな攻撃が通用すると思うかああ!」
 薬物で膨れ上がった剛腕がブンッ! と横殴りに琴美を襲う。
 まだ何体か残っていた動く屍たちが、その一撃に薙ぎ払われてグシャグシャッと潰れ散った。
 琴美は、空中へと回避していた。
 飛翔にも等しい跳躍。両の爪先が天空に向けられ、凹凸の見事なボディラインが螺旋状に捻れる。艶やかな黒髪が、荒々しく弧を描いて舞う。
 その錐揉み回転を、白衣の怪物が見上げて睨む。
 瞳孔の散大した両眼が睨み据えているのは、しかしすでに残像だった。
 琴美は、白衣の男の背後に着地していた。大型の白兵戦用ナイフを、思いきり振り下ろしながら。
 太い首筋から分厚い背筋にかけて、男の巨体がザックリと裂け、赤黒い飛沫が噴出した。
 その巨大な傷口が、しかし即座に閉じた。筋肉がメキメキッと膨張・隆起し、裂傷そのものを押し潰していた。
「無駄だ、これが……神の力を得た防人の! 真の姿よ」
 切り刻まれ、こびりついていただけの白衣が、完全にちぎれて散った。筋肉が、さらに巨大に膨れ上がってゆく。
 人の体型を辛うじてとどめた、戦車ほどもある巨大な筋肉の塊。
 そんな怪物と成り果てた男が、肉食恐竜のような牙を剥き、琴美を襲う。
「これが、日本を守る力! これが、日本海の向こうに棲む腐れ民族に罰を下す力よ! これが、これが! これが私の力よぉおおお!」
「……そんなお身体で日本海を泳いだら、沈んでしまいますわよ?」
 迫り来る怪物に対して忠告しつつ、琴美は左手を掲げていた。
 美しい五指に囲まれた、掌中の小さな空間。そこに、黒いものが発生している。
 暗黒そのものが凝集し、テニスボールほどの球形を成している。
「少し……縮めて差し上げますわね」
「何を……ぐっ、ぎゃ……」
 怪物が、大口を開いて琴美を喰い殺そうとしながら硬直した。
 続いてグシャッ、ぼきっ、めきめきッ、と凄惨な音が響いた。
 戦車あるいは恐竜の如き巨体が、潰れながら縮み、原形を失いつつ、琴美の左掌……球形の暗黒の中へと吸い込まれて行く。
「な、何をした貴様あぁぁぁ……」
「重力制御、マイクロブラックホール生成……私の、奥の手ですわ」
 琴美の説明など、聞こえているはずはなかった。
 巨大な怪物はすでに、暗黒球の内部で跡形もなく圧縮され、砕け潰れてしまっている。
 琴美はそのまま、左手を握り締めた。
 優美な五指が折り畳まれて繊細な拳を成し、暗黒球を押し潰してしまう。
 その拳から、少量の塵がパラパラとこぼれ落ちた。
「状況終了……ですわね」
 軽く両手を叩いて塵を払い落としてから、琴美は携帯通信機を片手に取った。
「任務完了……今年のお仕事納め、という事で」
『おめでとう、水嶋君』
 司令官が言った。
『今年も……よく、生きていたな』
「……ですわね」
 自身が作り出した、死屍累々たる光景を、琴美は見回した。
 楽な任務だった。終わってしまえば、そう言う事が出来る。
 だが銃撃をかわす際の、身の捻り方、手足や首の角度、そういったものを1つでも誤っていたら、自分もまたこの光景の一部と成り果てていたところである。
 容易い任務だからと言って気を抜くな。司令官はそう言ってくれているのだと、琴美は判断する事にした。