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<東京怪談ノベル(シングル)>


ケンタウルスの少女



 新年になって、お父さんから手紙が届いた。
 新年の挨拶と共に、神馬の毛が同封されている。
「ケリュケイオンは使いこなせていますか? 今年は午年です。これで練習しなさい」
 真っ白で美しい毛を撫でながら、あたしは考えた。
 これを元に、馬に似た別の動物になってみよう。
 例えばケンタウルスに。

 この前のアルバイトで、あたしは自分の能力に疑問を持ち始めていた。
(水を操るだけじゃないのかな)
(他にも能力があるんじゃない……?)
 ではどうすればいいのか?
 ケリュケイオンを使って自分の能力を広げられる可能性は前からあった。
 それを試して良い頃だと思った。

 服を脱いで、部屋で一人、あたしは目を閉じる。
 緊張からか、いつもより背がピンと伸びているようで。
 冬の寒さが身体の芯に響いて、身体が強張っていきそうだ。
(意識してケリュケイオンを使うのは久しぶり……)
 スゥ、と静かに息を吸って。
 ケリュケイオンを呼び覚ます。
 一匹の蛇は音もなく対象へと這い寄り、霧に姿を変えて対象を取り込む。

 あたしは両肘を畳に付き、呻くのを堪えた。
 痛みにも取れる、強い刺激があたしの体内を駆け巡っていた。
 別の、血肉を持った生き物が、あたしの血液に入り込み、暴れ狂っているみたいだった。
 あたしは歯を食いしばる。耐えていれば、やがて刺激は無くなる筈だと。
 だけど、その生き物は、やっと走れる場を見つけたとばかりにあたしの中で跳ねまわり、命の産声を上げる。
 弾むような刺激は、完全な痛みに変わり――、
「うぅ……イイィィ……」
 寒さも相まって、痛みが膨れ上がる。
 あたしはガチガチと歯を鳴らして、声を出す。
 どんどんと声が零れていく。
(これを制御しなくちゃ……)
 残っていた自制心で、自分の唇を噛んだ。
 悲鳴に変わりそうだった呻き声を抑えつけると、耳の奥で無機質な金属音が響き渡っていることに気付いた。ケリュケイオンの音だった。
 冷静に。冷静に。
(…………………………………………)
 気が静まってから、あたしはそっと鏡を見た。
 そこには、あたしが映っていた。
 頬がいくらか赤くなってはいるけど、いつものあたしだった。

 ケリュケイオンで取り込んだ神馬の情報をそのまま出すのではなくて。
 アレンジさせて自分の想像通りの姿になりたい。
(ケンタウルスは、以前特殊メイクのアルバイトでやったことがあったし……)
 あのとき生徒さんが言っていたあたしらしいケンタウルスを想像して、感覚を思い出して。
 ――指の間からこげ茶色の毛が現れる。
(意識して……意識して……)
 神馬とあたしの妖力を混ぜて、それを体内で増幅させる。
 身体の中にあるたくさんの水と一体化させていくのだ。
 あたしの中にある別の生命を、コントロールしながら芽吹かせなければならい。
 植物化したときのように、本能に負けてしまわないように。
 ゆっくりと時間をかけて獣の毛を生やしていく。

「…………っ」

 あたしの中で波打つ生命は、あたしの人魚としての本能と溶け合い。
 一つのうねりとなってあたしの心を蹂躙したがる。
 ぐるぐると、獣のうなり声にも似た音がして、濃くて長い毛が出てくる。
 あたしの白い肌は茶色く覆われ、すべすべした感触はどこにもない。
 ギリギリのところで理性を残して。
 あたしは肘を伸ばし、四つ這いになる。
 その姿がどれだけ奇妙なものであるか、自分でも想像がつく。
 手足と腰まで深い毛に覆われたのを確認して、あたしは深呼吸をした。
 ギュルギュルギュルギュル……。
 幾分不快な音と共に、腹部へ鈍痛が走る。
「うう……グググググ……」
 お腹がメリメリと音を立てる。
 二本の太い足を生やしているからだ。
 それも深い毛で覆われ、獣の臭いが漂った。四つ這いになって足が近くにあるせいか、あたしの鼻いっぱいに臭いが広がって、咽そうになる。
 何とか堪えて、あたしは顔を上げて鏡を見た。
 ――まだ足の増えた、奇妙な獣の“なりかけ”でしかない。
 足の多い生き物で、こげ茶色の毛を生やしてはいるが、腰から上はつるりとした肌の人間だった。
 ひどくバランスの悪い生き物のように見える。
(アルバイトでやったケンタウルスはこんなのじゃなかった)
(もっと胴が長かった)
 胸から下に力を入れて。
 グーッと胴を伸ばしていく。生やした足と、元の足との間のバランスも考えて、ゆっくりと。
 お尻の形も変えていく。あたしのお尻は丸い形をしているけど、それでは獣らしくなかった。新しく作った足に力を込め、気張る。臀部は一度グニャグニャと形を失い、そこから馬の命を出す。少し間延びさせ、硬くなったお尻へ。
 そして尻尾を出さなければいけない。
(……黒がいいかな)
 服を合わせるような気持ちで決めた。
 黒々した、漆黒といえる毛を長くうねらせて。
 あたしは背筋を伸ばし、鏡に向かって四本の足で立った。
 新しい足と、元々の足とで。両手を広げて、毛の流れや生えていない所がないかチェックした。
(うーん……)
 上半身が弱々しすぎる気がした。下半身は獣毛に覆われて力強く立っているが、上半身は少女のままだったからだ。
 だからと言って、上半身を下半身と同じように獣毛で覆ってしまうとただの怪物になってしまう。
(どうしよう……)
 鏡に身体をつけんばかりに寄って、自分の身体を観察する。
 すると、白くつるつるとした肌でも、産毛が生えていることに気付いた。ごく細かい毛で、目を近付けてもやっと判別が付くか付かないかのものだけど、確かに存在している。
 あたしは集中して、少しずつ体毛を長く太くなるように、獣の情報を混ぜていった。
 上半身の皮膚も変化させた。あくまで人の肌でありながら――成人男性くらいの硬さに、皮膚を強くした。
 日焼けした肌の色にもした。これは神馬の情報を混ぜて皮膚の膜を作って、覆わせることで出来た。
 色白の少女の肌では獣の姿と合わなかったから、小さな違和感もこれで消えた。

 大分時間はかかったけど、鏡の前にはケンタウルスの姿をしたあたしがいた。
 少女の顔。少し硬くなった皮膚。力強い獣毛。太い足。うねる漆黒の尾。
 これがあたしの考えるケンタウルスだった。
「…………あたしにも出来た」
 小さく呟いた。



終。