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傑作社会
海に降りた夜の帳。
旗艦USSウォースパイト号のうえで、綾鷹・郁は星の輝く夜空をじっと見上げていた。押し潰す程の闇の中で、海の揺れを受け微細に揺れる星々を眺めていると段々眩暈が生じてきて、綾鷹・郁は情緒も無く俯いて首を振った。
これでも観測任務中である。観測と計測は機器が進めている最中。高度に進んだ文明の技術の集約した旗艦の機器は目的の入力を郁に問うたきり、即座に作業に没頭し出した。なんとなく、その様は可愛げがないと言えなくもない。
郁はもう一度空を見上げて船内へと戻っていった。倉庫に何故だかころがっていた、この時代の天体観測用の望遠鏡でも引っ張り出してみようかなどとちらと考えたが、揺れを受ける海上では土星の輪っかを眺めることもままならい。
部屋に戻ると、観測の結果がモニターにこれ見よがしに明るく示されていた。はいはい、と急かされるような気持ちでのぞいた郁の青い瞳に、ずらりと並べられたデータが映り込む。
流星群。
この時代の地球に降り注ぐ脅威。普段は夜空の刹那に流れる、幾多の細い金糸。その内の一筋でさえ、この星に生きる人間と文明を容易く滅ぼすことになる。
五日後。小型の隕石が一つ、地球に衝突するという予測データ。しかし、どうやらこれによる被害は限定的らしい。人間の居住域からは大きく外れている。これに対する自分たちのアクティブな行動は必要なさそうね、と頭の中でこの時代の地図を広げながら、一応、隕石落下予測地点周囲の詳細な観測を再び機器に命じた郁のその考えは、やはり機械的に切り替わったモニターに、真っ向から否定されることになる。
「地底都市?」
郁の報告を受けて、艦長である藤田・あやこは意外そうに眼を見張った。黒と紫の左右の瞳。我が艦の艦長殿は相変わらず立っているだけでも画になると、麗しきエルフの瞳に好奇の色が灯るのを眺めながら、郁は同性ながら素直に思った。
「はい。閉鎖された地底空間で、この時代の水準を超えた高度文明を独自に築いた都市のようで。このままだと、隕石の直撃で都市、住民もろとも木端微塵ですね」
どうしましょうか、という郁の問に、あやこは水掻きのついた滑らかな手を頬に当て、小首をかしげて考えた。その様は流麗でありながら、女学生的な好奇心を思わせるものだった。事実、彼女の中では艦長としての精密な計算と並行してエルフ脳だか女子大生脳だかよく分からないものが稼働しているに違いない。
「極めて緊急かつ人道的な目的の為に、現地に避難の勧告に向かいましょう。面白そうですし」
おもしろそうですし、と可愛いらしく言ってみるあやこに了解しました、と事務的に返してみる郁だった。
「傑作社会」
まさにこの地底都市はそう呼ぶに相応しいのだと、郁達と面会した首相と国務大臣は誇らしそうな笑みを浮かべて語った。郁が隕石の事を口にすると、それについては自分たちも既に観測しているという。ならば何故避難をしないのですかと問うあやこに、首相は静かな微笑を返した。
「それについては、追々。それよりどうぞ、私たちの社会を見て行って下さい。きっとあなた方も素晴らしいとおっしゃいます」
首相と国務大臣に促され、郁とあやこはその都市を見学した。
郁達の棲む久遠の都には及ばずとも、この時代としては極めて高度に発達した文明。
白い都市。
人間の血流の如く、淀みなく隅々まで行きわたる交通網。装飾の排除された、機能的な美しさからなるビル、建物群。汚物の一つも微塵も無い、衛生的な風景。
都市を行き交う市民たち。彼等は皆均整のとれた体つきをしていて、事実、彼等は健康そのもの。病原菌を根絶した、病の無い社会。
遺伝子操作。計画経済。
人々は遺伝子に基づいた各々の天職を振り分けられ、調和したミクロとマクロはあらゆる社旗病理というものを克服した。
しかし。
「我々は、環境の変化に耐えられなくなっていました。この地を離れることは、出来ないのです」
首相役を振り分けられた人間はそう言った。国務大臣役は重厚な顔で頷いている。
白い都市。ネガティブ要素の極端な排除。精錬。白く白く、ひたすら白く。
光と闇。生と死。聖と汚濁。
本来不可能な分離の上に立脚した白い都市は、それ以上動かしようのない、極限の均衡の上に立っている。少しでも外からの力が加われば、弾けるほどに。
「動けないなら、迎え撃てばいいんじゃない?」
「迎撃策をとれば、あらゆる調和の乱れが懸念されますな。迎撃法の開発、研究。それに伴う経済政策の大幅な見直し、不足人員の補填……。これらの調和の乱れは本来この社会の許容量を容易く超える。それは、この美しい社会の理念そのものに反するといえましょう」
用意していたようにご丁寧な口上を述べた国務大臣の重っ苦しい顔を郁は厳しめに見据えた。こいつとは合わないという例の直感。ダチにはなれねぇ。
あやこが滑らかな手で郁を制した。
「だったら、このままみんなで仲良く粉微塵になるのを待ちますか? いくら傑作だろうが、滅びたら終わりよ。乗り越えればまた新たな可能性もあるかもしれない。生きるために必死。そうよ、当たり前のことじゃない」
苦い顔でいる国務大臣の横から首相が進み出た。
「……おっしゃる通りです。その当たり前が、我々が失いつつあるものかもしれない。ただ、この都市の調和、それを崩すことが我々にとりどれ程の事か。しかし、あなたのおかげで決心がつきました。首相として、迎撃命令を正式に発令しましょう」
首相は神妙な面持ちでそう告げ、あやこの眼をじっと見つめ。
「あなたは、素敵な方ですね」
そう言って思いのほか若く優しい笑みを浮かべて見せた。
機械工作はお手の物。隕石迎撃の対空砲を、郁は都市の学者や技術者と一緒になって開発を進めている。
なんだかんだ、こうして穴倉にこもって機会を弄っている事に安らぎを得ている自分がいると自覚して、郁は辟易した。
だからだろうか。普段であれば受け流せるような軽口に動揺してしまったのは。
「開発が遅れているようですな。我々をも上回る先進技術を持つなどというから招いてみたが、ただのコミュニケーション能力の欠如した御嬢さんかね」
「郁さんの技術は確かです」
庇ってくれる学者の陰で、郁はきゅっと唇を噛んだ。
「……確かに、対人関係は問題有りよ。でも、私は共感能力でそれを補うの。コミュ障一人も許容できない社会に私は不要ね。でも、やるべき事はやらせてもらうわ」
時間は過ぎ、隕石の落下時刻は迫る。
「市民たちの様子はどうですか。動揺などは」
「都市を離れる事は大多数が反対よ。今の首相が優れた指導者の遺伝子を継ぎ、それを体現している事を知っている。皆、従うでしょう」
艦長はそう言った。なら、自分はただ目の前の機械と格闘するだけ。
「やはり問題は出力ですね。隕石の質量を破壊できるだけのエネルギーとなると。郁さん方の旗艦に頼るとしても、伝達手段を確立しなくては。並の電線や回路にそのまま乗せれば軽く溶解するだけの熱量です」
「誰が私の価値を決めるの? コミュ障だって貢献できるわ」
郁の唐突な呟きに、学者は口をつぐむ。
「…すみません。私には分かりません。精神や哲学は、専門ではないので」
「そう。機械の話は、凄く楽しそうなのにするのにね」
「……郁さんは、他者の心を読む共感能力をお持ちと。大勢の心を読んで、混乱しませんか」
「受信時に思念を圧縮するから」
言いながら、不思議な予感に包まれた。大切な歯車が、転がっているような。そうだ。
「私が共感能力で、旗艦の出力を圧縮して撃てば!」
隕石を破壊するだけの出力にまで届く。
「いけるわ。皮肉ね。社会が私に不適合というのであれば、その不適合者に救われたとき、社会は今度はどんな評価を私にくれるのかしらね」
型にはまった白衣と眼鏡を身に着けた学者は、呆けるような様子でそんな郁を眺めていた。郁のような人間は、遺伝的にも調整の行きわたったこの社会では、お目にかかれないに違いない。
「そうした情緒的な余分も、我々には排除してきました。しかし、郁さんには我々にない魅力が確かにあると、思います」
「愚行ね。遺伝子操作なんて」
あやこの言葉に、にべもないなと首相は苦笑するしかない。
二人は食事をしていた。首相がセッティングした晩餐会。白いテーブルクロス。地底の人工的な夜景。流れるピアノの音色がやや感傷的すぎるのが気になったが、悪い趣向ではなかった。
「それは我々への根本からの大否定だね」
「私は嫌よ、定まった人生なんて。完全な調和の元では、サプライズは訪れない。たとえば恋とか」
「そうかもしれない。きっとそれは辛い事だと、この数日は特に思うようになった」
「うちの副長たちが今働いているけど、万全を期すならやはり疎開を進めるわ。都市が滅びても、復興は出来るはずよ」
「覆水盆に返らず。僕等は脆くなりすぎた。ワイルドさを失った。一歩外に出れば……平凡な細菌にでもすぐさまやられる」
「私たちに出来ることは、なんでも」
「すでに充分すぎる程にして頂いている。素敵な時間を有難う、愛しい人よ」
「……いいえ私達は友人よ。艦長たる者、距離を置いて冷静であれ」
「失恋の痛みというものも、享受しなくてはならないのだろう。我々の失ったものを知るためには。しかしこの痛みは、中々耐え難い。……それでも、君が美しく素敵な人である事には変わりない。そんな君を前にしていられる僕は、やはり幸福なのだろう」
小さな余震が二人の体を震わせた。グラスに注いだシャンパンが揺れ、細かな気泡が弾ける。ピアノの旋律は途切れることなく流れ続けていた。
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