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<東京怪談ノベル(シングル)>


殲滅の果てにある光


 自衛隊・特務統合機動課。
 その拠点施設内の戦闘実技練成場に、軽やかな人影が降り立った。
 艶やかな黒髪が、優美な背中をさらりと撫でる。
 黒いラバー製の戦闘服を貼り付けた全身は、細くたおやかだ。それでいて胸と尻は猛々しいほど豊麗に膨らみ、ラバーの内側に閉じ込めておけないほどの色香を溢れ出させている。
 短いプリーツスカートから、むっちりと伸び現れた両の太股は、圧倒的な肉感を内包しながら形良くしなやかに引き締まっており、こうして佇んでいるだけでも牝豹的な躍動感を感じさせる。その美脚を戦闘的に飾り立てているのは、編上げのロングブーツだ。
 左右それぞれの手では、美しく鍛え込まれた五指が、大型ナイフの柄を力みなく握っている。
 2本の白兵戦用ナイフをゆらりと構えながら、水嶋琴美は微笑みかけた。可憐な唇が、にっこりと歪みながら挑発の言葉を紡ぐ。
「さあ、無駄な抵抗をしてごらんなさいな……」
「いい気になってんじゃねえぞ小娘がよぅ……不意打ちも出来ねえ状況で、俺らに勝てると思ってんのかぁあ」
 何とか聞き取れる日本語を発しているのは、日本人どころか人間をすでに辞めている男たちであった。
 3人いる。
 1人は、直立歩行するイソギンチャクのような姿に改造されており、凶悪な人面の周囲で、触手の群れが毒々しく蠢いている。
 1人は、人間大のカマキリであった。複眼はギラギラと血走り、両手では甲殻質の大鎌が禍々しく輝いている。
 3人目は、プロレスラーのような体格をした大型爬虫類だ。その巨大な口が、牙を剥きながら言葉を発した。
「おい、約束は守るよな司令官殿! この小娘ぇブチ殺したら、俺らを本当に、自衛隊の戦力として雇ってくれるんだよなあ!?」
『水嶋琴美の現在の待遇と同じものが、君たち1人1人にそのまま与えられる事となる』
 司令官の声が、アナウンスで流れた。
『その待遇にふさわしい戦力であるという事を、君たち自身まずは証明する事だ』
「へ……やってやろうじゃねーかああ!」
 1人が叫びながら、イソギンチャクのような全身を震わせた。
 触手の群れが、一斉に伸びて来た。
 琴美の、今回の任務における戦利品とも言うべき男たちである。
 新年早々、虚無の境界の支部を1つ叩き潰した。
 そこで製造されていた生体兵器を、特務統合機動課が何体か押収したのだ。
 押収されたものたちの中から、使い物になりそうな3体が厳選され、こうして琴美の実戦訓練に投入されているのである。
 ひらりと身を揺らしながら、琴美は踏み込んだ。回避しながらの前進。艶やかな黒髪が高速で風になびき、その近くを、凶暴にうねる触手が1本2本と通り過ぎる。
 それら触手が、全て切断されてビチビチと跳ねた。
 斬撃の閃光が、いくつもの弧を描いていた。
 左右2本の大型ナイフを、琴美はピタリと止めた。
 イソギンチャクに似た異形の肉体が、原形を失いながら崩れ落ちてゆく。切り刻まれていた。
 まずは1体。その戦果を、しかし確認している暇はない。
 琴美は、とっさに後ろへ跳んだ。巨大な鎌が一閃し、眼前を通過した。
 着地した琴美を、背後から何者かが襲う。
「ああああ、強ぇえ女ってのはムカつく! 許せねええええ!」
 プロレスラーのような、大型爬虫類。襲いかかって来るその巨体を、琴美はかわさなかった。
 振り返りながら、左足を突き込む。
 美麗な脚線が槍の如く伸び、男の腹部に突き刺さった。
 刺さったように見えるほど深々と、その蹴りは、大型爬虫類の巨大な腹部にめり込んでいた。
 プロレスラー並みの巨体が、苦しげに痙攣しながらうずくまる。恐竜のような牙を剥く頭部が、お辞儀の形に下がって来る。
 琴美の肢体が、ゆらりと翻った。黒髪が弧を描いて舞い、大型ナイフが一瞬だけ閃く。
 牙を剥いた怪物の生首が、ごとんと落下して転がった。頭部を失った巨大な屍が、前のめりに倒れる。
 したたかな切断の手応えが残るナイフを、琴美は間髪入れず、別方向に振り抜いた。
 その刃が、巨大な鎌とぶつかり合う。焦げ臭い火花が散った。
「負けねえ……負けて、たまるかよぉ。せっかく人間辞められたんだからよおお」
 虚無の境界に身を売り、生体兵器と化した3人の男。その最後の1人が、カマキリのような複眼を血走らせ、猛然と斬り掛かって来ている。
「俺ぁこれから人間を殺しまくる人生を送るんだよおおおお!」
 2つの大鎌が、立て続けに琴美を襲った。勢いだけはある斬撃が、左右から暴風の如く吹きすさんで来る。
 琴美の全身が、ズタズタに裂けて飛び散り、消滅した。すでに残像だった。
「これでは単なる弱い者いじめ……訓練に、なりませんわ」
 男の背後に着地しながら、琴美は片手を掲げた。
「ですから、ここからは訓練ではなく尋問という事で……重力制御、グラビティ・フィールド生成」
 人型カマキリの肉体が、メキッ! と歪みながら硬直した。
 その全身に、黒い、闇そのものと言うべきものが絡み付いている。重力の波動。
「あぐっ……が……ぎゃッ……」
 暗黒に束縛され、メキメキと締め上げられながら、男が悲鳴を漏らす。
 声を出せる状態でいるうちに、訊いておかなければならない事がある。
「私の質問に、大人しく答えて下されば……戦力として雇うのは無理でも、実験材料として生きる道くらいは確保して差し上げられますわよ」
「いっいいい言う言う、喋る! 何でも答えるから助けて、たたたた助けぎゃああああああ!」
 カマキリのような姿が、重力の束縛の中で、さらに歪み捻れてゆく。外骨格に、亀裂が走る。
 束縛を少しずつ強めながら、琴美は訊いた。
「彼女は、どこにおられますの?」
「…………!」
 歪み、捻れながら、男は黙り込んだ。
 琴美は、問いを重ねた。
「貴方がた『虚無の境界』の盟主たる、あの女性……今は一体、どこに隠れておられますの?」
「…………」
「もとより、貴方たち末端の皆様がご存じとは思っておりませんけれど。何か、僅かな手がかりに繋がるような事でもお話し下されば」
 この重力の束縛を解いて差し上げられますわ、と琴美が言おうとした、その時。
「……あ……あわわわ……お、お許しを……」
 暗黒の波動の中で、男が命乞いを始めた。琴美に対する命乞い、ではなかった。
「何も、私は何も話してはおりません! 忠誠を、貴女様に忠誠を誓った身でございます! どうか御慈悲を、お許しをお助けを、ぎゃあああああああああああ」
 重力の波動が、消え失せた。
 人型カマキリが、砕け散った。
 飛散する肉片をかわしながら、琴美は息を呑んだ。
 重力制御を、打ち消されてしまったのだ。
『呪い、のようなものが……あらかじめ、体内に植え付けられていたのだろうな』
 司令官が、分析している。
『裏切りの意思が、若干でも芽生えた時点で発動する呪いだ』
「私のグラビティ・フィールドをも無効化する、呪い……」
 琴美の声が震えた。心が、震えた。
「これが、彼女の力……というわけ、ですわね」
 可憐な唇が、にやりと笑みの形に歪んでゆく。
 滅びの神『虚無』に仕える女神官。その力は、計り知れない。
 弱い者いじめにしかならない退屈な殲滅任務でも、地道に繰り返してゆけば、いずれは彼女に辿り着く。
 そう思うだけで、琴美の心は燃え上がった。
「よろしくてよ……いくらでも、弱い者いじめをして差し上げますわ」