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<東京怪談ノベル(シングル)>


魔窟の泉にて


 湿っぽい洞窟である。
 火竜族である自分とは、いささか相性の悪い場所なのではないかと、ファルス・ティレイラは思わなくもなかった。
 それでも、行かなければならない。この洞窟の奥に、自分の求めるものがある。
 まるで人魂のような魔法の光を浮かべ従えながら、ぱたぱたと翼をはためかせ、進んで行く。
 飛翔が可能なほど、広大な鍾乳洞である。氷柱のような無数の鍾乳石から、水の雫が絶えず滴り落ちて来る。
「な、何か雨降ってるみたい……洪水にでもなったら、逃げ場ないよぉ」
 翼と尻尾を不安げに震わせながら、ティレイラは呟いた。
 竜と人間の中間、とも言うべき姿である。
 可憐な美貌も、たおやかな肢体も、人間の乙女そのものだ。だが背中からは皮膜の翼が広がり、黒髪からは一対の愛らしい角が突き出ている。
 長い尻尾が、スカートと一緒に揺らめいている。
 愛らしくも珍妙な姿。その全身から、不安がこぼれ出していた。
 不安を感じたら引き返す癖をつけなさい。魔法の師匠である女性が常々、ティレイラに言って聞かせている事である。不安を好奇心で押し切った挙げ句ひどい目に遭うのが、貴女という子よ。まったく、恐がり屋さんのくせに好奇心いっぱいなのよね……そう言って、彼女はいつも呆れている。
「それは、自分でもわかってますけど……でもお姉様、今回は好奇心だけじゃないんですよ」
 この場にいない女性に、ティレイラは語りかけた。
「魔力の泉、なんて……放っておくわけ、いかないじゃないですか」
 魔力の泉。
 その名の通り、飲めば強大な魔力を得られるという水が、この洞窟の奥でこんこんと湧き出しているという。
 無論そんなもので安易に魔力を得ようという気が、ティレイラにはない。
「魔力は、お姉様との修行で、地道に高めていかなくちゃ……ね」
 飲んだだけで魔力を高められる水など、毒薬・魔薬の類であるに決まっている。
 水筒に入れて持ち帰り、魔法薬屋の店主でもある師匠に調べてもらうしかない。
 ティレイラの赤い瞳が、使命に燃えた。
 その眼差しの先で、何かが光った。水の輝き。
「あれね……!」
 ティレイラは、ぱたぱたと飛行速度を上げた。
 湧き水が、地底湖の如く広がる光景。それが、やがて視界に入った。
 見たところ単なる水である。もちろん、見ただけではわからない。
 ティレイラは、地底湖のような泉のほとりに着地し、水筒を水に浸した。
 一口、飲んでみたいという衝動が、なくもない。
 それを抑え込みながら、ティレイラは水筒を引き上げた。
 声がした。
「欲深な人間がねぇ、噂を聞きつけてここへ来ちゃあ水を盗み飲んでくのさ」
 いくらか低めの、女の子の声。
 1人の少女が、柱状の鍾乳石にもたれて佇んでいる。
 ぞっとするほど白い肌。その白さを禍々しく際立たせる、黒髪と黒衣。まるで死神のような少女だ。
 貴女は誰、と問いかける前に、ティレイラは別の事を訊いていた。
「……飲んだ人たちは、どうなったの?」
「もちろん魔力は身に付いたさ。そこは看板に偽り無しでね。もっとも……どいつもこいつも、ろくな死に方しなかったけど」
 死神か悪魔の類……恐らくは魔族であろう黒衣の少女が、楽しげに答えてくれた。
「あたしはねえ、人間どものそんなザマを見るのが大好きなのさ。バカな人間どもが力を求め、力に溺れ、力に滅ぼされる。最高のエンターテイメントだよ。けど、あんたは……何か違うみたいだねえ。力を求めてここへ来た、わけでもなし。その水を持ち帰って、どうするつもり?」
「……お姉様に、調べてもらうわ」
 真紅の瞳で、ティレイラは魔族の少女を睨み据えた。
「飲んだだけで魔力が手に入るなんて、どうせ呪いの水か何かに決まってるって思ってたわ。私のお姉様なら、呪いの性質から無効化の方法から、全部わかっちゃうんだからっ」
「……あたしの愉しみ、邪魔しようってのかい?」
 魔族の少女が、ゆらりと動いた。
 黒衣が、黒髪が、闇そのものと化して広がり、ティレイラを包み込もうとする。
「あたしは泉の番人。その役目はね、力を求める人間に惜しみなく水をくれてやる事と……あんたみたいに余計な事しようとする奴を、闇に吸い込んで死体も残さず葬ってやる事さ!」
「……こんな闇で、お姉様の一番弟子たる私を倒せるとでも?」
 ティレイラは不敵に微笑んだ。余裕たっぷりに、不敵に笑う。1度やってみたかった事だ。
 可憐な唇が、ニヤリと歪みながら窄められ、ヒュウゥゥッ……と息を吹く。
 その息吹が、紅蓮の炎に変わり、迫り来る闇を焼き払った。
「くっ……」
 焼け焦げた髪や黒衣をまとわりつかせながら、魔族の少女が後退りをする。
 もちろん命を奪いはしない、にしても少しは痛い目に遭わせておくべきか、とティレイラが思ったその時。
 天井の鍾乳石から、ひとしずくの水滴がしたたり落ちた。そして竜族の少女の、細い首筋をピチョンと直撃する。
「ひゃっ!?」
 冷たさとくすぐったさに、ティレイラは身をすくませた。
 すくんだ身体が、硬直した。
 無数の鍾乳石から、まるで小雨の如く雫がしたたり落ち、ティレイラの全身を濡らしてゆく。
 衣服がぐっしょりと透け、少女の瑞々しいボディラインが露わになってゆく。
「ちょっと……何なのよ、これ……!」
 可憐な美貌を初々しく赤らめながらティレイラは、うっすらと下着の線が浮き出た胸の膨らみを、両手で隠した。
 翼が、動かない。飛翔して態勢を立て直す事も出来ない。
 恥ずかしそうにあたふたと暴れるティレイラ。その背後に、いつの間にか魔族の少女はいた。
 冷たい囁きが、ティレイラの耳元をくすぐった。
「……竜族の奴を相手に、まともな戦いなんてするわけないだろう?」
 濡れた衣服を貼り付かせた少女の身体に、白い細腕が巻き付いてくる。まるで蛇のように。
「この洞窟は、あたしのホームグラウンド。したたり落ちる水にだって、魔力を持たせる事が出来るのさ……濡れた奴を石に変えちまう魔力を、ね」
 翼から、角や尻尾の先端から、小さな鍾乳石が氷柱の如く垂れ下がる。
 それらが、少しずつ太くなってゆく。
「お……ねえ……さまぁ……」
 可憐な唇が、そう動きながら固まってゆく。
 衣服があられもなく濡れて透けたまま、ティレイラは石像と化していた。
 その少女像が、無数の鍾乳石の中に閉じ込められてゆく。
「あんた、可愛いよ……喋って動き回りさえ、しなければね」
 ゆらりとティレイラから離れつつ、魔族の少女は微笑んだ。
「その可愛さだけを、だから永遠にとどめておいてあげる。石の中に、ね」
 石の中で、赤い瞳を弱々しく輝かせ、睨みつける。
 今のティレイラに出来る事は、それだけだった。