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<東京怪談ノベル(シングル)>


絶望の航海者


 神聖都学園内で「響カスミ・レズビアン説」が囁かれるようになった。
 カスミが、自宅に若い女を飼っている。そんな噂が広まっているのだ。
 噂自体を否定する事は出来ない。何故なら、20歳の女の子を居候させているのは事実であるからだ。
 マンションに監禁しているわけではなく外出は自由にさせているし、一緒に買い物や食事に行く事もある。人目にも触れる。噂になってしまうのは、まあ仕方がない。
「だからって、れ、レズビアンとか! そんなわけないじゃないの……なんて言っても、そんなわけにしたがるのよねえ。みんな」
 1人、町を歩きながら、カスミは溜め息をついた。卑猥でセンセーショナルな方向へと発展してゆくのが、人の噂というものだ。
 イアル・ミラール本人は、20歳と言っている。が、この世に存在し続けている年月の長さは、27歳のカスミよりもずっと上だ。
 20歳で時が止まったまま、イアルはある日突然、カスミの目の前に現れたのである。
 何であれ、心根の優しい娘である事に違いはない。一緒に暮らしていて、嫌な気分にもならない。
 変な男に住み着かれるより全然ましじゃないの、と言ってくれる友人もいるが、それは単にからかわれているだけかも知れない。
「20歳の、女の子……じゃなくて男の子だったらなぁ」
 イアルには申し訳ないが、ついそんな事をカスミは呟いてしまう。
 仕事帰りである。
 マンションに戻れば、イアルがお帰りなさいと言ってくれる。
 それで充分、幸せではないか、と己に言い聞かせながらカスミは、邪念を振り払うかの如く足を速めた。
「……男運がないのねえ、貴女」
 いきなり、そんな声をかけられた。
 思わず、カスミは立ち止まった。
 無視すれば良いものを、と思いつつも、そちらを向いてしまう。
 占い師が1人、路地裏で店を開いていた。
 年齢不詳の、美しい女性。綺麗な五指と掌で水晶球を転がし、優雅なコンタクト・ジャグリングを披露しながら、カスミを見つめている。
「こんなに綺麗なのに、ここまで男運に恵まれていない女の人……初めて見たわ。かわいそうに」
「そ……そんなに男運ないですか? 私……」
「今は、ね」
 女占い師は、微笑んだ。
「でも、この先はどうなるか……少し占ってみないと、わからないわ。どうかしら、お金はいらないから少し時間をくれない? 貴女の運勢、見極めてみたいの」
「お願いします……」
 優雅な水晶球の動きに幻惑されたまま、カスミは呆然と声を発した。転がる水晶球を、ぼんやりと見つめた。
 そして、水晶球の中に吸い込まれた。
 そうとしか表現し得ない感覚だった。
「ひっ……きゃあああああ! あああぁぁぁぁ……」
 カスミの悲鳴が、弱々しく尾を引いた。


 意識が、朦朧としている。
 自分はどうやら、ベッドに寝かされているらしい。それだけを、カスミは辛うじて把握した。
「どう? 私が見つけて来たのよ」
 声が聞こえる。あの女占い師だ。
 他にも数名、似たような風体の女たちがいるようである。
「綺麗な娘……今時なかなかいないわね、身も心もここまで汚れない娘は」
「私たちの船旅の、導き手にふさわしいわ」
「その綺麗な心で、私たち魔女を導いてちょうだい……」
 言葉と共に、何本もの手が伸びて来る。
 美しく繊細な指が、群れを成して妖しく蠢き、カスミの全身を這い回る。
 おかしな感覚が、カスミの自我を呑み込んでいった。
 カスミは、そのまま石像と化していた。


 石像と化した響カスミを帆船の船首に取り付けて、魔女たちは半年間、世界中の海を渡った。
 そして様々な国に、様々な災いを振りまいた。
 魔女たちの策謀によって、人々が争い、殺し合い、憎しみと絶望の中で死んでゆく。
 船首に据え付けられ、動けぬまま、カスミはそれを見つめ続けた。
 やめて、と叫んだ。叫びは、しかし誰の耳にも届かない。
 争う人々の間に、身を投げ出す事も出来なかった。カスミは、単なる船首像なのだ。
 人々の血にまみれた乙女像を船首に掲げたまま、魔女たちは半年の航海を終え、日本に戻って来た。
 とある港に帆船を停泊させた魔女たちが今、その船上で宴を開き、祝杯を上げている。
「張り合いがないわねえ。どの国も、少し政情不安定を煽ってやっただけで、簡単に内戦は起こすわ経済は破綻させるわ」
 執事風に着飾った大勢の美少年・美青年に給仕をさせながら、魔女たちは談笑している。
 日本へ帰って来ると同時に、若い男を金で集めたのだ。
 当然、給仕だけで彼らの仕事は終わらない。全員、宴の終盤で魔女たちの慰みものとなり、死ぬ運命にある。
「やっぱり魔女たる者……世界一平和なこの国で、災いを巻き起こさないとねえ」
「世界中回ってみて、ようくわかったわ。どこもかしこも血の気の多い民族ばっかり、少し火を点けてやっただけで簡単に戦争や虐殺をやらかしてくれる……この日本って国は本当、特別なんだってね」
「この国で内戦やら暴動やらを引き起こすのは、簡単じゃないわよ?」
「だから、やり甲斐があるんじゃないの……ああ、そこの貴方。ワインを持って来てちょうだい」
 執事姿の青年の1人が、魔女に声をかけられ、恭しく一礼した。
「かしこまりました。迸る鮮血のような、真紅のワインでよろしいですね?」
 言葉と共に、光が一閃した。
 青年の右手に、一振りの長剣が握られていた。
 ワインを所望した魔女が、半ば真っ二つになって倒れ、甲板に様々なものをぶちまける。
 執事姿の青年が、その屍を踏みにじりながら、右手の長剣を魔女たちに向ける。
「汚らしい血……ワインと言うより、泥水ね」
 否。青年ではなく、若い娘だった。束ねられた金髪が、潮風に揺れている。
 漆黒のタキシードに包まれた肉体は、豊麗に膨らみながら力強く引き締まり、魅惑的な曲線を維持している。
 美少年のようでもある凛とした顔立ちが、今は激しい怒りを漲らせていた。真紅の瞳が燃え上がり、魔女たちを、焼き殺さんばかりに睨み据える。
 イアル・ミラールだった。
「石になって何百年も過ごせる、この私が……カスミのいない半年を、こんなにも長く感じるなんてね」
「な、何だこのメスガキ……あたしらにケンカ売ろうってワケ!?」
 魔女の1人が怒り狂い、水晶球を投げつけてくる。
 その水晶球が、空中で発火・破裂し、水晶の破片をまき散らしながら火の玉と化した。
 イアルが、左手を掲げる。
 大型の楯が出現した。飛来した火の玉が、そこに激突して砕け散り、消滅する。
「この半年間、世界中でいろいろな事があったようね。内戦で人が大勢死んだ国もある。財政破綻や暴動で、収拾がつかなくなった国もある」
 右手の長剣をゆらりと構え直しながら、イアルは言った。
「それが誰の仕業か、なんて事はどうでもいいけれど……カスミは返してもらうわ」
「させない……清らかなる乙女を船首に掲げながら、清らかさとは真逆の行いで世に災いをもたらし、海を血で汚す! それが私たちの航海よ!」
 叫びながら、魔女たちが人間ではなくなってゆく。
 美貌が、歪みながら牙を剥く。たおやかな細腕が、醜い筋肉を膨らませながらカギ爪を振り立てる。
「このカスミちゃんにはねえ、大勢の人間が苦しんで死ぬ様をたっぷり見せつけてやるのさ! 何も出来ないこの娘の優しい心が、悲しみで張り裂けていく! それもまた私らの力になるんだよォオオオオ!」
 怪物と化した魔女たちが、一斉にイアルを襲う。
 金で集められた若者たちが、恐慌に陥って悲鳴を上げる。
「逃げなさい、早く!」
 叫びながら、イアルは踏み込み、身を翻した。
 執事風に男装した肢体が、旋風の如く躍動する。タキシードでは抑え込めない胸の膨らみが荒々しく揺れ、それと共に大型の楯が怪物たちを殴打する。襲い来る牙を、爪を、粉砕する。
 間髪入れず、長剣が閃いた。
 斬撃の閃光を空中に残しながら、イアルはぴたりと動きを止めた。
「……魔女は……私たち、だけじゃあない……」
 切り刻まれた怪物たちが、崩れ落ちながら言葉を遺す。
「覚えておいで……お前たちはね、世界中の魔女に狙われる……もう、逃げられないよ……」
 イアルは聞かず、それら肉片を蹴散らして船首へと向かった。


 潮風と返り血で汚れ果てた船首像を、シャワーの温水で丁寧に洗浄しながら、イアルは念じ、呟いた。
「ミラール・ドラゴン……カスミを捕える呪いの穢れを、洗い流してしまいなさい……」
 固く冷たい石が、白い柔肌へと戻ってゆく。
「…………イアル……?」
 柔らかさを取り戻した唇が、言葉を紡いだ。
「何かしら……何だか、ひどい夢を見ていたような気がするわ……思い出せない……」
「いいのよ、思い出さなくて」
 一緒に湯を浴びながら、イアルはカスミを抱き締め、囁いた。
「ひどい事は、何もかも忘れられる……それが、カスミよ」